諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

馬鹿な大将、敵より怖い。 その4

2013年04月30日 11時30分40秒 | 人生

私が勤めていた株の業界紙を買ったホワイトナイトですが、仮にK氏にしときます。

このK氏は元N証券出身で、抜群の成績残したモーレツ社員でした。

営業成績重視のN証券ですからね、当然、社長の椅子を争っていたのですが、敗れちゃったんですね。K氏より営業成績が悪い相手に・・・・・・。

K氏は社長になった人の2.5倍も手数料収入上げていたらしいのですが、品位に欠けるところがあったようです。

どうも夫婦間に子供がいないらしく、綺麗な女性を見るたびに「俺の子供を」産んでくれ」と言っていたらしいですからね、そりゃ、社長にはなれないと思います。

それで出世競争??に敗れてN証券を辞職。損正義の会社に入り、損氏の片腕になります(暈しました)。

でも、まあ、損氏とも結構派手な言い争いを展開していたそうですが、損氏も敵に回すのが惜しいと思ったのでしょうね、同じ系列の会社に就任させ独立を許したようです。今でもパワーランチの付き合いはしているみたいですね。

でも、あの損氏に対して部下でありながら一歩も引かず、損氏の方にも、K氏を敵に回したくないと思わせるバイタリティーは、凄いものがあると思いますよ・・・・・。

ここまでK氏の話を書いてきましたが、詳細は多少違っているかもしれません。悪しからず。

さて、このK氏。実は祖父の稼業は新聞販売業だったようです。大阪で新聞販売業界を牛耳っていたみたいですね。

ここまで書くと過去の私のブロク読んでいる人は分かると思いますが、私と似た経歴なんですよね。同じA新聞ですし。

もっとも私とは全てにおいて月とスッポンですが・・・・・。勿論、私がスッポンです。

当初、K氏が私の勤めていた株の業界紙を買ったのは、店頭にでも上場させ、株で儲ける為だと言われていました。

でもね、黒字が見込めない会社では上場なんて出来ません。それが分からないK氏じゃないと思います。

だとしたらどうなのか。これ、もしかしたら私同様、新聞を配る方から創る方に回りたかったか、いや、してみたかったと思うのですよ。

そしてやったことは、株の業界紙をネット配信し、ネット証券を立ち上げた訳です。紙は残していますけど、金取る仕事量じゃないペラペラなものになっていました。以前より更に薄いです。

まあ、どういう事かというと、K氏は株の業界紙の名前だけ欲しかったみたいですね。

当初、K氏傘下に入ったことで喜んでいた私の元同僚たちは、スーパー低賃金、リストラ、左遷の憂き目に会いました。

辞めろと言わんばかりの仕事させられた人も多かったようです。吸収合併された社員の末路は惨めなものです。

生き残ったと思ったのも束の間、更に地獄が待ったいたと言うことですわね。

ここまで書くとお分かりでしょうが、K氏は私が考えていたことを実行した訳です。あの時、私の話を嘲っていた上司が今、どんな顔しているのか見てみたいもんです。

その後、株の業界紙の元社長はどうしたかと言うと、兜町を徘徊しているようですわ。幽霊のように・・・・・。嘲り、嘲笑を受けながら・・・・・。まあ、兜町という街はそんなとろこです。

まあ、200億円の資産があったのに、たった数年後は一文無しになった訳ですから、そりゃ、私だって幽霊になりますよ。そして兜町で地縛霊になっちゃうかも知れません。

この元社長、2代目で宮城県出身だったのですが、何でもかんでも自分の都合ばかり重視する最悪な人物でしたが、こうなるとチョット可哀想です。

でも、まあ、日本は勉強の出来る馬鹿が動かしていると言っても過言じゃないですから、こんな話、全然、珍しい事ではないですけどね。

兜町ではよくある話です。ホントに・・・・・・・・。

 

ではでは。

 

 

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馬鹿な大将、敵より怖い。 その3

2013年04月29日 11時00分46秒 | 人生

続きです。

その後、私は新社屋に移る前に退社しました。

理由は当然の話なのですが、たった5万部しか発行していない訳ですから、今までの新聞のページ数を維持出来なくなり、大幅に紙面を減らさざるおえない事態になったからです。

そうなるとですね。当時、一番若い整理記者である私は当然必要なくなりますし、記者になる夢も希望も皆無である事は明白です。

何たって途中入社は差別されていましたし、卒業した大学のレベルで会社側は優劣付けていましたからね。そんな雰囲気になった訳なんです。露骨にね。

私は入社したての頃から、株の業界紙が生き延びるにはネット配信に移行し、、小さな証券会社を傘下に置き、新聞社+証券会社としてネットで運営するしか道はないと思っておりましたが、それに気付いていた社員はゼロ。勿論、紙の時代が終わろうとしているのに新しい新社屋を建設していた社長も判らなかった。これは社長の資質が無い。ダメ社長だと言えます。

さて、新社屋に移ってからの話です。ここからは全て会社の先輩に聞いた話です。

先ず、新社屋ですが、大手有名新聞社もビックリの最新且つ、高額且つ、高性能な輪転機を4機装備。何でも100万部以上の発行部数を考えての導入だった様です。

しかしながら、紙面を大幅に縮小した上、広告も全然入らなくなり、ペラペラの薄さになった訳ですから、使用している輪転機は1機のみ。しかも30分かからず終了です。残り3機の輪転機は全然必要なかったとの事です。

そんな訳ですから、輪転部も制作部も大幅にリストラされました。

勿論、紙面が減った訳ですから、記者も整理記者も大リストラを敢行。

それでも大幅な赤字は食い止められず、56億円かけた新社屋は約3年で売却。

もう、こうなると輪転部・制作部も閉鎖でリストラにリストラをし続け、230人いた社員・パートは50人足らずになった様です。

まあ、ここまで来ると社長解任の話となりますね。

当然、取締役会議で社長の解任が決定。社長一族は会社から追放。それでも赤字は続く訳で、とうとう会社は会社更生法適用と相成りました。

その後、会社はある奇特な人に買い取られました。

その人はホ○エ○ンが日○放送やフ○テ○ビを買収しようとした時、突如として現れ、ホ○エ○ンに対し「俺を相手にしたいなら、そのつもりで・・・」とホ○エ○ンを驚愕させ、買収されそうになった会社を救ったホワイトナイトです。

 

つづく。

 

 

 

 

 

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馬鹿な大将、敵より怖い。 その2

2013年04月28日 00時39分03秒 | 人生

さてさて、続きです。

私が入社した株の業界紙ですが、入社当初の社員数はパートを含めて約230人。発行部数16万部。会社の資産は200億円とか、面接時に取締役がのたまっておりました。

場所は東京都中央区兜町の一等地。路線に面しているから高いです。そして同じく新川にも社屋があり、芦ノ湖には保養所もありました。

まあ、結構、儲かっていた訳です。私が入社するまでは・・・・・。

しかしですね。兜町の社屋の輪転機では、一日20万部するのが限界と言う事で、新社屋を江東区の辰巳に建設することを計画し、着工し始めていたんです。

何でも300坪の土地に、56億円をかけて建設するとのことで、。建築家に払う設計代だけでも1億5千万円とか言ってました。

新社屋は食堂完備なのですが、何を思ったかバカ社長、茅場町の7坪の土地を7億円で買い、そこでコックに料理の腕を磨かせるのが目的で、天丼屋なんか開いているんです。呆れてモノが言えませんよ。

たった7坪ですから、容積率の関係で2階建てしか建てられない土地なのに、こんなに馬鹿だとは思いませんでした。まあ、転売目的で買ったのでしょうけど、もう、完全に常識を逸脱した行為でしたわ。

しかもです。売る予定の旧社屋は80坪あったんですが、東京証券取引所が坪1億円で買いたいと言って来たのに、欲をかいちゃいましてね、「坪1億5千万円じゃなきゃ売らない」なんて寝言言い始めて、買手も呆れて商談は中止。新社屋建設が着工しようという時に、とんでもないミスしちゃってるんです。

それだけじゃないです。新社屋建設を発表した時、これから資金繰りが大変だと言う事で、ボーナスも激減を決定。12ヶ月分貰えると思っていたボーナスが、一律10万円に落とされました。

もう、これって、詐欺なんじゃないですかね。

まあ、そうこう言ううちに、日本経済は罰が当たって大幅に後退。新聞の発行部数もだった2年で、16万部から5万部を切っちゃいました。

20万部しか刷れないから新社屋建設しているのに、たった5万部ですよ。新社屋なんて意味ないですよ。

終いには坪1億5千万円で売るつもりだった土地も全然売れず、最後は坪2000万円で投売り。天丼屋の土地なんか、それ以下で売ったらしいです。

もう、どこまで馬鹿かって話ですよ。

 

つづく。

 

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馬鹿な大将、敵より怖い。 その1

2013年04月27日 10時45分53秒 | 人生

えー、私、株の業界紙で2年間働いていた事があります。平成2年からですかね。仕事は整理記者でした。

整理記者と言うのは、記事の数、行数、表、写真、見出しの大きさ、広告等を計算し、記事を校正し、文章を手直しし、行数の辻褄を合わせ、記事の見出しを付け新聞紙面をレイアウトする仕事の事です。

結構、集中力が必要でしてね、記者の意向と制作の意向に挟まれて精神的にもキツイですし、時間との競争で油断できない状況に晒される仕事でした。

まあ、私は証券会社で働いていた事もありますし、親の稼業は新聞販売業だった事から採用されたのでしょうけど、正直、途中入社ですし、出身大学も最低レベルだったので、整理記者に回されたのだと直ぐに分かりました。

実際、同期は新入社員も含めて早稲田、中央、明治クラスの大学ばかりでしたし、彼らは経済部の記者からスタートしてましたしね。

贔屓目に見ても、私の方が株や新聞に付いて知っていましたし、活字中毒故に彼らよりは文章力もあったと思いますが、この世は差別社会ですからね。「だったら良い大学でろよ」って事になります。甘んじて受けるしかありませんね。

それに、私が入社した頃はバブルは弾けてはいましたが、まだまだ経済は活況でしたし、ボーナスも12ヶ月分出る話だったので、それも良しと思っておりました。実際、12ヶ月分のボーナスと言っても、10万円の基本給の12ヶ月分、つまり年間120万円程度でしたが・・・・・。

ここで断っておきますが、私、家業の新聞販売業を継がなかったのは、当時でもう新聞の時代は終わると確信したからです。

証券会社で働いていた時、既に「クイック」と言うパソコン端末がありました。それで即座に株価や会社情報、そして株の売買が出来ると言う優れものです。

これ、必ず家庭にも入るだろうと、昭和61年には確信してました。そして、それが更に発展すれば、新聞、いや、新聞的な情報発信システムも構築できる。そうなると新聞の時代も当然終わると思っておりました。それが新聞販売業を継がなかった理由です。

じゃあ、何故、株の業界紙に入ったかと申しますと、少なからず新聞を配る方から創る方に回ってみたいと言う気持ちがありましたし、株も自分で推奨してみたい。

そして、自分の考えが正しいか確かめたい。もしかしたら、脱新聞に向けての取り組みが始まっているのなら、それを見てみたいと言う気持ちがあったからです。

まあ、それ以上に、営業に向かないのは分かっておりましたし、本好き故に書く仕事をしてみたいとも思っていましたしね。

そして更に付け加えると「ズバリ東京」。

東京を知らずして人生を終えるのは詰まらないと言う気持ちもありました。

実は、仙台に戻ってしまった今も、何もかも捨てて、東京に戻りたいという気持ちが強いです。その気持ちから自分の心が揺らぎ、未だに復興出来てないところもありますね。

 

つづく。

 

 

 

 

 

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初めて見る市杵嶋姫像。

2013年04月25日 00時24分28秒 | 神道

今月の21日に、Y氏関連の中級講座が仙台あったんです。

そしてその翌日の22日、水の神様中心の神社を周り、講座主催者メンバーの実家のお寺を見学に詣った訳です。

いゃー、驚きました。そのお寺の宝蔵品には・・・・。○○皇の巻物とか、○○坊○○の手紙とか、○○麻呂の鎧とか、○○天皇の着物の切れ端とか・・・・。ホント言うと、それ以上の途轍もない凄いお宝がありました。

○○麻呂の鎧は、どう見ても子供用の大きさでした。

誰もが、身長185センチと言われる○○麻呂に着れる鎧ではないと思ういますよね。

でも、○○麻呂は可愛らしいほどチッコイと言う説もあるんです。だから本物じゃないかと逆に思いましたよ。偽物だったら、大きい鎧を作る筈ですからね。

さて、このお寺のお嬢様ですが、母方の先祖は日本人なら誰もが知っている神様です。

その神様の名前は・・・・・・、申し訳ない、秘密にしたいと思います。そしてお寺の名前も秘密です。秘密にすべきだと思いました。ここに書き込んだら大変な事になる可能性があると思いましたので・・・・・。

以前、「何でも鑑定団」に世界のナベアツ・・・・じゃなかった、世界のナベサダ、つまりジャスの渡辺貞夫氏の兄上が登場し、自宅所蔵のお宝が取り上げられました。

そして、その後、渡辺貞夫氏の兄上の家に強盗が入り、お宝が盗まれただけでなく、兄上も殺される事件が発生してます。

まー、震災を体験し、万が一の事が当たり前に起きつつある時代に成りましたんでね。暈した方がいいだろうと思った次第です。スミマセンね。

その後、色々と神社仏閣を回ったのですが、一つ気になる神社がありました。弁才天(市杵嶋姫)を祀る神社です。

その場所は元々、沼の中の小島に鎮座していたそうですが、宮城名物・税金の無駄遣いで25億円かけて沼を干して田んぼにしたそうです。

チョット大きな沼だったのは確かみたいですが、この田んぼから収穫できる米で、一体、何百年経ったら元が取れるのでしょうかねぇー。放射能で田植え止めちゃってるみたいですし、相変わらず宮城県は馬鹿なことばかりして来たって事ですわね。

話を戻します。弁才天を祀る神社ですが、前出のお嬢様の従兄弟・再従兄弟が管理をしていまして、特別、御神体を拝ませて頂きました。

まず最初に真鍮で出来た丸い鏡です。まあ、これは当然でしょうね。弁才天を祀っているんですから。

「鏡(カガミ)=蛇々目(カガメ)」。つまり鏡は蛇の目から来ています。爬虫類では蛇だけが瞬きせず、夜なんか目が光るもんですから、神秘性を感じ、そう呼ばれる様になったのだと思います。

そして御神体その2、市杵嶋姫像です。驚きました。まず最初は見事な色彩を纏った美しいお姿に驚嘆。そして次には、ゲッ、手が何本(6本位、2本欠損してるみたい)も付いている。これは千手観音じゃないの・・・・・。

いゃー、驚きました。これは初めて見ました。

でも私、これが正解なんだと思うんですよ。

実はテレビで見たのですが、厳島神社がある宮島の頂きに、石に彫られた千手観音が鎮座していました。つまり、本当の弁財天は十一面観音ではなく、千手観音じゃないのかと思うのです。

多分、平清盛が間違って十一面観音を祀っちゃったのでは無いでしょうかねぇー(私怨により、私は平清盛と源頼朝が嫌いです)。

まあ、清盛にもブレーンはいるでしょうから、間違ってはいないのでしょうけど、熊野の本地で考えれば、千手観音は女神で、十一面観音はその息子になります。

まあ、その地には足尾権現の石碑が鎮座していたり、熊野神社が点々し鎮座していたりしますので、その流れでムカデかクモかも知れませんね。

うーん、もう、自分でも何を言っているのか分からん。

どうも暈し暈し書いて、私の頭もボケて来た様ですので、このお話はこの辺で。

 

ではでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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