諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

牡鹿半島・大六天山の三国神社。その2

2017年09月28日 10時06分54秒 | 第六天魔王
続きです。

大六天山の頂上に三国神社が鎮座しているのだから、祭神の大山咋主が第六天魔王なのか。

大山咋主は山王の神。天台宗の神。山王権現、日吉権現、日吉山王権現とも呼ばれている。天台宗の開祖は最澄だが何で大山咋神を信仰したのか。そして天台宗が信仰するもう一人の神、大物主とどんな関係にあるのか。ここら辺が難しいです。神仏習合で難しくしています。

古事記によると大山咋神は亦の名を「山末之大主神」と伝えてます。この点がヒントでしょうね。

山神と言えば大山津見神。大山咋主は「山に咋を打つ神。山を牛耳る神」と解釈できる。しかし「山末之大主神」の名から「山の麓の神」と考えられる。それに「咋」の字を重ねると何が考えられるのか。

大山咋神は松尾神社に祀られている。松尾の神と言えば酒の神。

天台宗の比叡山は牛尾山とも言われているが、元々は主穂山(うしおやま)と呼ばれていた。酒と穂、つまり稲作。咋は稲作の為の田圃を造る為の物。田圃は川の水を引かなければならない。つまり灌漑の神。

灌漑の神と言うと三島溝咋姫を思い浮かべます。溝に咋ですから田圃を造る灌漑の神です。そして大山咋主にも「咋」の字が付く。関連があるのか。

三島溝咋姫は恵比須様の妻神とされている。ここで大物主が浮かびます。大物主は大国主の和魂とされている。私はまだ完全に考えが練りあがってはいませんが、大国主は素戔嗚系と考えられているが、その国の主と言う役職名。だとしたら出雲が素戔嗚命に征服される前の地主神が大国主と呼ばれていた可能性がある。それは恵比須系の神。

恵比須様とされる大国主の国づくりに協力した少彦名命が常世の国去った後、大物主が代わりにやってきた。これは一霊四魂の考えから少彦名命の四魂の中のどれかと考えられるのではないか。まっ、これは記紀である程度は証明されているが・・・・。

そう考えると天台宗に信仰される大山咋主は三島溝咋姫。大物主は恵比須様である少彦名命と考えられる。

そして少彦名命は「少日子根命」とも表記される。その意味は「小さな太陽と男性器の神」。そこから考えると猿田彦尊を思い浮かべる。そうだとしたら大山咋主は天鈿女命なのでは。

否、否、「咋」は男性器の意味合いもある。でも伊豆佐比売こと三島溝咋姫にも「咋」の字が付く。そこまで考えなくてもいいのか。

三島溝咋姫の娘は神武天皇の后となった。これは政略婚で間違いない。つまり三島溝咋姫は出雲帝国の最後の女王。一番酷い目にあった女神。だからこそ祟りが恐ろしい。

その恐ろしさは第六天魔王にふさわしい。そこから大六天山の頂上に大山咋主を祀る三国神社が鎮座しているのではないか。

全国の大六天神社祀られる「面足尊」は「身目麗しい神」を意味する。併せて祀られている「あやかしこ根尊」は「立派な男性器をもっている神」の意味。つまり性器の神々であり夫婦。そして兄妹でもある道祖神。

そこから考えると天台宗が信仰する大山咋主、大物主は幸神であると私は考えています。

勿論、断言は出来ません。今のところ、そう考えています。


ではでは。




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牡鹿半島・大六天山の三国神社。その1

2017年09月26日 14時05分55秒 | 第六天魔王

牡鹿半島から南三陸にかけて数社の二渡神社が鎮座しています。全ての社を調べた訳では無いですが、祭神はイザナギ命・イザナミ命が祀られています。


この牡鹿半島は蝦夷の拠点だった時代があります。そして大和朝廷と蝦夷との境界線だった。最後には侵略された。


大和朝廷は蝦夷の侵略行為を第二の国産みの儀式と弁解した。そして蝦夷たちが信仰していた二渡神社の神を国産みの神であるイザナギ命・イザナミ命に変えてしまったと私は考えています。今のところは。

>さて、3.11の大震災での津波で壊滅状態となった女川町から近い牡鹿半島の付け根付近部分の海の前に、二渡神社が鎮座しています。その二渡神社の直ぐ裏山の名が大六天山。その頂上に三国神社が鎮座している。これは何を意味しているのだろう。


三国神社と言えば福井県坂井市の三国神社を思い浮かべます。祭神は山王神・大山咋命と継体天皇。
福井県で継体天皇と言えば福井市で坐摩五座神(生井神・福井神・綱長井神・阿須波神・波比岐神)と継体天皇を祀る足羽神社。

この中で井戸神である生井神・福井神・綱長井神と大山咋命は、大歳神と瀬織津姫と考えられる天知加流美豆姫との子供。10人兄弟。

この10人兄弟で庭津日神・庭高津日神と言う「庭」の付く神が存在する。古史伝によるとこの二神は釜神である奥津彦命と奥津姫命と同神と伝えられている。

井戸と釜。どちらも家庭の神々。人に一番近い存在である屋敷神。その屋敷神と山神である大山咋主が兄弟。これは何を意味するのだろうか。

継体天皇は歴代の天皇の中でも出雲の血筋が濃いとされる。その継体天皇が大歳神と天知加流美豆姫の子の神々を信仰している。そして福井県の県名の元となった井戸の神々も。

そう考えると大六天山の頂上に鎮座する三国神社と直ぐ下の麓の二渡神社は何か関連はあるのか。

有ると考えると二渡神社の元々の祭神はイザナギ命・イザナミ命ではなく、阿須波神・波比岐神と考えられる。

そして大六天山。第六天魔王の山。第六天魔王は大山咋命なのだろうか。

これまで第六天魔王について語ってまいりました。大六天と名の付く神社には「面足尊、あやかしこ根尊、経津主命、素戔嗚命」が祀られている。風神であるとされている。そして大六天魔王の娘として立烏帽子、鈴鹿御前とする物語も創られた。そのモデルは瀬織津姫。

そこから考えると「祟神には乱暴者」の考えから素戔嗚命は第六天魔王を抑える目的で祀られた。そして大六天魔王として祀られた神名が忘れ去られて素戔嗚命の名前だけが残ったと考えます。

イメージ的にはピッタリですけど素戔嗚命は第六天魔王ではないと考えます。素戔嗚命は大陸から渡ってきた神。日本の地主神ではない。

第六天魔王は日本仏教の最大の仏敵。日本の本来の地主神でなければおかしいので。


続く。
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魔王神社の魔王とは誰なのか!? その6

2016年10月11日 01時06分52秒 | 第六天魔王

何か何時もの様にしどろもどろになって来ましたが続けます。

これまで書いてきましたが、ちょっと困っています。実は現在進行中で魔王天神社を調べながらこの記事を書いているのです。

それて前回書いた第六天魔王である面足尊については私の頭に入っていた知識だけで書いたのですが、今調べたら私の考えと違っていました。私、間違っていました。面足尊は女神でした。

第六天と掲げる神社を調べると祭神は「面足尊・あやかしこ根尊」となっています。だから男女の順だと思っていたのです。

それと実は第六天魔王は手長足長と考えていて、「足」が付く方が夫。ウキペディアでも面足尊は男神、あやかしこ根尊が女神となっています。多分、そう思っている人が大部分ではないでしょうか。

でも魔王天神社の伝承は違ってました。経津主を祭神としているが、やはり面足尊とあやかしこ根尊との説があります。そして面足尊は「見目麗しい女神」、あやかしこ根尊は大変言いづらいのですが「崇拝すべき立派な陽根を持っている神」と言う意味らしいのです。

私、魔王天神社の伝承の方が正しいと思います。「根」の字はやっぱり男根と言いますか、男性器を表すと思います。それに美しいと言う形容はやっぱり女神に対してのものだと思います。

そして美しい女神と立派な男性器を持つ神のカップルと言えば和合の神である塞ノ神しか考えられません。しかも魔王天神社の第六天魔王は猿田彦尊であるとも伝わっているのですから。

魔王天神社には摂社があり疱瘡神と風神が祀られています。この二神は産鉄の神の性格も持っています。

そして剣が魔王天神社の御神体である事を考えますと、経津主の剣、そして猿田彦尊の長い鼻。これらは男性器を示す。つまり立派な男性器を持つ「あやかしこ根尊」と同神。更には男の塞ノ神と言えるのではないでしょうか。

また「あやかしこ根尊」が猿田彦尊であるなら、面足尊は「アメノウズメ尊」となります。実は「ウズメ」とは「珍女」。これも大変言いづらいのですが、「気高く立派なものを具えた女」の意味です。つまり「立派な女性器」の意味なのです。

アメノウズメは猿田彦尊と出会った時、そして天岩戸で裸踊りをした時、女性器を露にしています。女性器を印象付けている。つまりアメノウズメ尊と猿田彦尊で男女の塞ノ神となります。

魔王天神社では戦時中、戦勝と徴兵逃れのご利益があるとされていました。戦勝と言うと神風。猿田彦尊は風神でもありますから、そのご戦勝のご利益は理解できます。

しかし徴兵逃れと言う事は国家に服従しない意味が考えられます。昔では朝廷に逆らうことになる。つまり朝廷からは敵視されていた。恐れられていた神だから徴兵逃れのご利益がある。それは大陸から渡ってきた朝廷から見て日本本来の地主神であるからと考えられます。

申し訳ない。まだまだ考えの練りが足りませんが、以上から魔王神社、魔王天神社の魔王とは「塞ノ神」と私は考えます。

そして「塞ノ神」は本来の日本の神でありながら、天照大神の従神である猿田彦尊とアメノウズメ尊にされてしまった。その源流は久那戸大神とアラハバキ神に辿り着くと思います。

最後ですが南三陸の二社の二渡神社と魔王神社は戸倉長清水、戸倉水戸辺、戸倉波伝谷に鎮座しています。「戸」の地名からしても境界線の神がイメージされる。つまり二渡神、鬼渡神も魔王であると考えます。

南三陸の魔王神社の祭神がスサノオ尊なのは、祟り神には乱暴者の考えからスサノオ尊が配神として祀られ、真の魔王が忘れ去られたのではないかと思います。それは私の故郷・福島県いわき市三和町の旧・鬼渡神社である永井神社に摂社としてスサノオ尊が祀られているのと同じ理由です。

以上、もうグダグダになっちゃいました。もうチョット考えを練ってから書くべきでした。今回は未消化ですがここまてです。

また機会があったら書きたいと思います。本当に申し訳ないです。

 

ではでは。

 

 

 

 

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魔王神社の魔王とは誰なのか!? その5

2016年10月08日 22時51分45秒 | 第六天魔王

続きます。

またまた脱線してしまいました。話を魔王天神社に戻します。戻しますけど魔王天神社に付いて調べるのが難しいですねぇー。

ネット検索してみてもヒーラーみたいな人が「なんて恐ろしい程のエネルギー・・・・」とか言ってますけど、実際行って見ないと実感が湧きません。多分、このヒーラーみたいな人も「魔王」と言う字に恐怖した点はあると思いますし。

それでもネットで調べた結果、魔王天神社は以前は別の場所に鎮座していた。社中に古太郎坊(小御嶽太郎坊正真)と言う小詞があり、道開きの神として富士山の中腹である小御嶽に遷座。小御嶽権現と称し、現在の小御嶽神社の元となったそうです。

 更に魔王天神社は魔王の山を御神体とするため拝殿は無し。古来から近隣の村人は魔王大六天(おだいろーさま)と呼んでいて、台風の季節になると風の神として農作物の無事を祈願していた。戦時中は出兵した者が無事に戻ってこれるようにと祈願で賑わったそうです。

まっ、これて魔王の正体は大体お分かりになったと思います。私の予想通りでした。お終い。

っと、ここで終わってしまうと折角読んで頂いている奇特な皆様に失礼です。しょうがないので私がデーターを集めて考えを述べたいと思います。

先ず、魔王天神社は神仏習合時代は小御嶽権現と言われていた。この「小御嶽」とは噴火を繰り返し現在の富士山になる前の富士山です。

判りますか。昔は麗しかったであろうと想像した富士山と言う事です。そして魔王の山とは富士山で間違いありません。

因みに現在の富士山の五合目には冨士山小御嶽神社が鎮座。主祭神は磐長姫。そしてそま辺りは昔、「天狗の庭」と呼ばれ天狗の小御嶽太郎坊正真も祭られています。

魔王天神社の名が「第六天魔王」から来ているのは前にも述べましたが、当時の人々は第六天魔王をどう思っていたのか。実はこれ、二通りの想いが見られます。

謡曲「第六天」では「第六天魔王は群魔従えており、煩悩、悪魔、障碍を掌握する魔王であり、戦乱を引き起こす魔業の神。厄神であり牛頭天王が婆利菜女を后として産まれた八王子の1人」との事です。これは仏教から見た第六天魔王の姿です。

牛頭天王はスサノオ尊の事ですから、南三陸の魔王神社にスサノオ尊が祀られているのも納得ではありますね。魔王はスサノオ尊の子供なのに何時の間にか父親のスサノオ尊と間違って祀られたとか。想像ですけど。

民間信仰では第六天魔王は、大いなる魔力で人々をもろもろの災難から守ってくれる魔除けの神として信仰されています。これは神道での考えだと言えます。神道と仏教は反目しあっている部分があるのです。

朝廷は仏教を日本に浸透させ民衆の統制を謀ろうとした。その為に仏教の妨げとなる日本の神々を魔とする必要があった。しかしながら民衆は古来からの神々に対する信仰を捨てなかった。

それで朝廷側は民衆に取り入ろうと日本古来の神々を仏教の神として習合。その過程に第六天魔王が誕生した。

恐ろしい存在だが恐ろしいが故にその力は強大。その強大な力に縋り魔を魔で祓って貰いたいとする新たな形の信仰が生まれた。それが第六天魔王だと思います。

 

続く。

 

 

 

 

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魔王神社の魔王とは誰なのか!? その4

2016年10月06日 09時20分26秒 | 第六天魔王

続きです。

今度こそ本当に富士山の魔王天神社に戻ります。魔王について一番データーが残っているのは魔王天神社しかありませんので。

魔王天神社の御神体はおびただしい数の鉄剣と鉄矛です。これは理解出来ます。経津主は人を剣でフッツと切り殺すからフッツ主。漢字で書いて経津主です。罪人を切り殺す事で祓い清める神です。剣や矛が御神体であるのは当然と思います。

私、以前は塩竃神社はどうしても好きになれませんでした。武神である鹿島神・建御雷神、香取神・経津主を祀る事で日高見国を侵略し、蝦夷を殺した事を正当化している神社だと思っていました。

蝦夷なんて蛮族は生きているだけで罪。生きているのが可哀想な存在。だから蝦夷を殺して生きる辛さから開放してあげよう。蝦夷を殺すのは蝦夷を救うことだとの意味から、塩竃神社に武神である建御雷神・経津主が祀られているのだと考えていました。

しかし、神道をチョット学んで考えを改めました。確かにその要素は否定出来ませんが、神道の神々は人の罪を自分が実践し、人の代わりに罪を受ける存在だと知り、もしかしたら殺された蝦夷達が建御雷神と経津主なのではないかと思い始めたので。

実は経津主や瀬織津姫の「津」の字が気になっていました。「津」は「○○の」の「の」。つまり間接詞。そして「天然の港」の意味です。しかし「津」の文字の形の意味は違います。「体中から血が噴出す姿」から「津」の文字が出来た。つまり「人が切り殺された姿や死体」か「津」なのです。

そう考えると経津主は「剣で切られて血が噴出しているリーター」。瀬織津姫は「切り殺された者を背負い黄泉の国に運ぶ姫」、或いは「切り殺された者の穢れを背負い黄泉の国に運ぶ姫」。否、神道の考え網羅すれば「人の代わりに切り殺され死んで行く姫」となります。人の代わりに切り殺されるのであれば大変尊い神です。

神道は日本語ではありません。イエズス会が名付けた国際語です。神道の以前は神祇と呼ばれていた。そして元々は「神祇」と書いて「タツ」と発音していた。

建御雷神の「建」、経津主の「経」も「タツ」と読める。神道は「タツ」の信仰であるならば、この両神は神道の要となる神々である可能性が高い。

その考えから鹿島神宮や香取神宮、そして塩竃神社は神道の本流を行く神社である。だからこそあれだけの信仰を集めているのだと思います。

話を魔王天神社に戻します。多くの鉄剣と鉄矛が御神体。私、この光景を見ています。多賀城市の「あらはばき神社」で。

「あらはばき神社」は足の神様なので草履とかも奉納したのか吊るされていましたが、錆びたハサミや包丁、鉄の輪なども奉納??されていました。

「あらはばき神」は産鉄の神でもあるので鉄のハサミや鉄輪があるのは不思議とは思いませんが、魔王天神社の剣や矛も鉄です。「あらはばき神」と「魔王」には共通点があると思います。

 

続く。

 

 

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