諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

永井平九郎と鬼渡神社 その2

2012年12月31日 05時07分10秒 | 永井平九郎

続きです。

最初は「永井平九郎」でネット検索しました。結果、全くヒットせず。どうなってんだ、「永井平九郎」は幻だったのかと思いました。

 それではと「永井神社」で検索。

最初に出たのは大阪の野見神社境内の永井神社。でも祀っているのは「永井直清」。徳川家の家臣です。

 実は私の家系を調べると知多半島の「長田氏」に繋がります。時代は平安時代です。この長田氏については私の血塗られた因縁の元凶の一つ考と考えています。これはまた何れ機会があったら語りますが、今回はスルーします。とんでもなく時間が掛かりますし・・・・・。

 徳川家家臣の永井氏は、美男且つ抜群の武勇を誇る「長田伝八郎直勝」が主君の家康に「長田姓」は縁起が悪いからと改姓を命じられ、鎌倉の大江家系統の長井氏に入る形で「永井氏」を名乗ることになった訳です。

 つまり永井直勝は永井家宗家であり、私もその家系に入ります。一応家紋も一緒です。そして「永井直清」は「永井直勝」の次男です。

 こんな事を書いてしまってまたまた得意の遠回りをしていまいましたが、調べているのは福島県の民話に出ていた永井神社ですので、大阪の永井神社は関係ないですわね。

 でもネットで丁寧に調べたら、ちゃんと有りました。福島県に永井神社が。それも私の故郷の「いわき市」にです。もう「これだっ」と思いましたわ。

 居てもたってもいられなくなり、正月元旦の休みに暇な両親を連れ参拝に行って参りました。

場所は「いわき市三和町永井」。「上永井」と「下永井」に分かれるようです。住人は殆どが農家か林業でしょうね。人家はポツン、ポツンとありますが、かなり過疎な村です。

稲を刈終わった田んぼには稲藁で造った家が有りました。多分、何かの祭りで燃やすのだと思います。

何か金田一耕助シリーズの舞台にもってこいの雰囲気です。この村に住むのは中々寂しいでしょうねぇー。

 さて、地図で神社の鳥居のマークを頼りに探し、割と簡単に永井神社は見つかりました。

 実はこの地区には謎の「御塚神社」があり、氏神なのに隠された場所に鎮座しているのですが、この御塚神社には色々秘密が隠されているようです。これはまたの機会に。

 永井神社は見晴らしの良い小高い丘に鎮座されていました。小さめの社ですが、こまめに掃除が行き届いた感じです。親子三人で丁重に参拝しました。

 社の中は10畳位の大きさで、ちょっとした憩いの場所になっている様でしたね。裸電球が付いており、一升瓶に入った日本酒と升が置いてありました。

 私の困った親父は当然の如く升に日本酒を満たし、ぐびぐび飲み始めした。やっぱりねゃー。

注意したのですが私の話を聞くような親父ではないので、どうしようもないです。升三杯飲み干したところで流石に止めさせましたが。永井神社の氏子の皆さん、スミマセン。

 ところでこの永井神社ですが、どこを探しても「永井平九郎」の名前どころか祭神さえ書いてありません。御神体の鉄の大鍋も無いみたいです。

 どうなっているのかと社から出て、社の周りを隅々まで見て回りましたが大鍋は見つかりません。

 次に境内を見渡し小さな祠を発見。手を合わせ参拝しつつ祠の中を確認したら、スサノオ命が祀られておりました。うーん、これってどう言う事なんでしょうね。

 境内の小さな小さな祠にスサノオ命を祭りながら、メインの社には祭神が書かれていない。神様が祀られていない訳ではないのに。

 永井平九郎はどこに行ったのか。ここ以外福島県には永井神社は存在しないし、流石に参りました。

 

つづく。

 

 

 

 

 

 

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永井平九郎と鬼渡神社 その1

2012年12月30日 12時21分25秒 | 永井平九郎

上記のタイトルですが、「永井平九郎」なる人物と「鬼渡神社」が関係しているかと言うと、今のところ分かりません。

 これから書く事は私が永井平九郎を調べ、鬼渡神社を知ったプロセスです。大して興味を持たれないでしょうが、私にとっては重要なんで書いときます。

 さて、永井平九郎なる人物を知っている人は多分、この世に先ず100人も居ないのではないでしょうか。神社に祀られていますから神様なんでしょうけど、研究してるのは私ぐらいなもんです、多分。データーが余りにも少ないので全然調べは進んでいませんけど。

 其れは兎も角、この永井平九郎なる人物、若しくは神様との出会いは今から40年近く前まで遡ります。当時、小学校3~4年生の頃、授業が自習になり図書室で福島県の民話の本を読んでいて発見したのです。

 私は幼稚園の6歳の頃に福島県いわき市から宮城県仙台市に引っ越してきたんですが、当時から郷土愛というか、宮城県より産まれ故郷の福島県が日本で一番好きなんです。今だって仙台には馴染んでいません。福島のいわき市、もしくは会津に住みたいと思ってます。

 何と言うか仙台の人の悪さ?、えげつなさ?、いやいや他人の気持ちを考えない仙台人特有の自分中心の考え方がどうしても馴染めないんですね。

これは何と言うか東北でも宮城県の県民性といったら語弊がありますが、福島県、特に余りにも純粋で、「人のために何とかしてやりたい」と言う会津人の感覚と正反対のように感じます。

現に私の6歳年下の弟は仙台で生まれましたが、私とは全くもって性格が違います。弟は営業職に付いていますが、営業成績は抜群です。しかし私は全然ダメでしたね。

私には他人を押しのけてもと言う押しの強さがありません。生きて行く力がないと言うか、世間に適応出来ないと言う弱点があります。そして多少なりとも人間嫌いであります。困ったもんです。

あっ、会津の人がそうだと言いません。私がグウタラなのです。私は会津の人の様に成りたい。会津人が人としての理想なのです。

 何時もながら脱線しちゃいました。話を小学校の図書室に戻します。

 福島県の民話の本を読んでいて、小さな囲み記事に「永井平九郎」なる人物の話が載っていました。

まあ私、本当はバラしたくなかったのですが苗字が同じなもんで、幼いながらにも「永井平九郎」に興味を持った次第です。

 話の内容はと言うと、「永井平九郎なる人物が、どこからともなく福島県のとある山の中まで逃げて来た」、「永井平九郎は何時も背中に鉄の大鍋を背負っている」、「敵が来ると背負っている大鍋の中に隠れる」、「永井平九郎は姫を守っている」、「永井平九郎は現在、永井神社に祀られている」、「永井神社の御神体は、永井平九郎が何時も背負っていた鉄の大鍋である」っと言う内容でした。

 福島県出身で同じ永井姓なもんだから幼いながらも俄然興味を持ちました。もしかしたら私のご先祖様じゃないかと思って。

まあ何か逃げ回っていた点が引っかかり「余りカッコ良い人ではないな」とは子供心にも思いましたけどね。でも神社に祀られていると言う事は神様になったということで、「チョットは偉かったんだろう」とは身贔屓ではありますが考えていました。

 そして月日は流れネット時代が到来。

永井平九郎なんて忘れておりました。覚えていたとしても調べる術はなかったのでどうしようもなかったのですが、何故か急遽「あの時の永井平九郎とはとんな人だったのだろうか」、「永井平九郎が祀られている永井神社ってどこにあるのか」等々、気になってしょうがなくなりネットで調べ始めた訳です。

 

つづく。

 

 

 

 

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チョットだけ白山信仰と白の意味について考えてみた。〔白(シロ、シラ)編〕 その6

2012年12月28日 08時19分13秒 | 神道

これまで、「シララカムイ 岩の神」、「シラッキカムイ 家の中の神、守り神」、「シランパカムイ 地上の木、加工した木の神」に付いて書いてきましたが、申し訳ない、東北・北海道には、まだ白い神がいます。

 

江戸時代の国学者・菅江真澄が表した書・「月の出羽路」によると、「松前に白神の浦あり。磯山をしら神山といふ。いにしへのこの山の石室の内に斎グ御神也。今はその石室なし。あるとき漁人此の山に入りしかば、かの石の神殿の顕れたり。急ぎ麓に下りて、浦人をあまたいざなひ、ふたたび山にはいりしかど、さらに其神の石室なかりし也。をりとしてかの神殿を見る人あり。奇異こと也。」とあります。

 

うーん、昔の言葉の言い回しは難しいですが、「是れ世にいふ白神、おしら神也といへり」の文章から判断して、白神は福島県と岩手県の民話に残され、宮城県にもその風習が残されている「オシラサマ」のことでしょう。

 

カムイで考えると、上記の文章に「石室」が頻繁に出て来ますので、岩の神・「シララカムイ」がまず考えられます。

そして「石室」は「石による空間」、つまり住まいであり、家なので、家の神であり、守り神である「シラッキカムイ」にも繋がりますね。

更に歴史が降れば、人の家は石室から木造の家となりますので、地上の木、加工した木の神・「シランパカムイ」もそれに加わると思います。

 

この「オシラサマ」に付いて書くと本が一冊出来そうなくらい伝承がありますが、簡単に言うと「お雛様」のルーツのように思えます。

オシラサマとして男女二体の人形を飾るのですが、その中には人の男女の他に、鶏と馬の顔のオシラサマもあります。

これは何も意味しているのか考え中ですが、鶏と馬に関係している神様であることは間違いないでしょうね。

そう考えると、それに該当する神様の名前が浮ば無いこともないです。

 

また、オシラサマと言うと蚕を思い出しますが、蚕の色も白です。蚕で得られる絹もまた白色です。

 

オシラサマの人形の骨組みは桑の木ですので、木の信仰は当然考えられます。桑の木と蚕により絹を得られるということは、絹もまた木の神の恵であり、木の神への信仰に繋がることなります。

つまり白神であり、木の神であるオシラサマは、或る意味、地上に存在する全てのものに関わる神であると思います。

 

更に青森県・恐山の「イタコ」もオシラサマ信仰です。

神功皇后や多分、卑弥呼もそうだと思うのですが、神が巫女に憑依してご神託を申す訳でありすが、「イタコ」もまた神が憑依し、神の言葉を話します。その神はオシラサマだとされています。

こうい言った神道のご神託の習わしは、オシラサマにその源流があるように思えます。

 

では、このオシラサマはどのような神様なのか。カムイで考えると木の神「シランパカムイ」が一番近いと言えますが、、「シララカムイ」、「シラッキカムイ」と三神一体の神のであると私は考えます。。

 

では日本神話に登場する神としたら誰なのか。

これは多少、眉唾な話と感じる人もお出ででしょうが、青森県在住の霊能力者である木村藤子氏に語りかける神は「天照大神」だそうです。

「天照大神」を祀る神社では「神宮大麻」を施しますが、大麻もまた植物であり木の神への信仰が伺われます。

そのことから考えて、本来の「天照大神」と「豊受大神」にその幻影が見られるのではないでしょうか。

「天照大神」、「豊受大神」からも遡れると思いますが、流石に長くなりますので、今回はこの辺で筆を置きたいと思います。

 

ではでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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チョットだけ白山信仰と白の意味について考えてみた。〔白(シロ、シラ)編〕 その5

2012年12月28日 01時30分55秒 | 神道

チョットと言いながら、えらい長文になってしまいました。恐縮です。

 

結果だけ言えば一行で終わるのですが、下手したら数千年も前のことを妄想している訳ですので、いろんな考えが泉の如く湧き出てしまいます。

 

まあ、何を言っても誰も断言する事は出来ないのですがね。

 

さて、最後の白いカムイは「シランパカムイ」です。

「シランパ」意味は「地上の木、木々」で、「家とかに加工した木」も「シランパ」に含まれるようです。

つまり「シランパカムイ」は「木の神」となります。

 

そこで思い出されるメロディーが、「♪ しらかばぁ~、あおぞ~ら、みぃな~みぃ~か~ぜ~、コブシ咲く、あの岡、北国の~、ああ、きたぐにぃ~の春ぅ~」。

ご存知の通り、千昌夫の「北国の春」です。

 

出だしの「しらかばぁー」ですが、「白樺」の事です。。多分、白い樺の木です。樺色と言うと黄色らしいので、当然そうなると思います。

 

何が言いたいかもうお分かりだと思いますが、「シランパ」=「白樺」なのではないでしょうか。。

 

「北国の春」の歌詞に出てくる訳ですから、「白樺」は北国の代表的な樹木です。

木々には当然多くの種類がありますが、「木」=「シランパカムイ」で、樹木の白樺に神の名である「シランパ」の発音が残り、シランパ→白樺になったのではないかと思うんです。

 

つまり「シランパ」の「シラ」、つまり「白」は、「木の色」、「白樺の色」から連想されたと言う事です。

 

考えてみれば、自然界の動物は木々(植物)によって生かされています。虫も動物も、植物もまたそうですし、海の生き物やワカメ・コンブだって、落ち葉の養分で生かされています。

 

それらの動植物は木々との共存が成立しています。

 

しかし、人間は例外ですね(白蟻も入るかも)。木を燃やして暖をとったり、木を切り、加工して家や家具を造ったり、木の繊維で衣類を作ったりしているので。

 

つまり、木を殺して生きている訳です。これをアイヌ人は「申し訳ない」と考え、木の神に感謝し、信仰の対象になったと思うんです。

 

そう考えると、前出の「シラッキカムイ」も「家の中にある神」ですから、木への信仰に通じていると思います。

 

そして「水」と並び、朝鮮・中国からの人口や宗教観の流入前の日本の神道、そして日本流仏教の源流に、植物を含めた「木」への信仰があるんじゃないかと考えます。

 

つづく。

 

 

 

 

 

 

 

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チョットだけ白山信仰と白の意味について考えてみた。〔白(シロ、シラ)編〕 その4

2012年12月26日 09時43分49秒 | 神道

申し訳ない。前回は二神の白いカムイについて書くなんて言っちゃいましたが、よくよく調べたら三神いるみたいです。実はついさっき発見しました。

 

そのさっき発見した白いカムイは「シララカムイ」。「シララ」は「岩」の意味です。「岩の神」という事ですね。

 「シロ」も「シラ」も同じ語源であると思います。「岩」も白っぽいのがありますし、これはこれで納得です。

「岩(イワ)」では「シララ」に繋がりませんが、「石(イシ)」だったら「シララ」にチョット近いような気がします。

 

そう言えば、宮城県の太白山も何故か岩だらけで、中腹の八幡神社裏には巨石ありました。巨石がある山だから、太白山となるのかも知れません。

 

まあ、「岩」に付いては、本当にさっき見つけたもんですから、今の段階では私の妄想も追いつきません。また調べてみたいと思います。

 

そんで次は私が一番興味を抱いた白いカムイ。その名も「シラッキカムイ」。

「シラッキ」と言うと「白木」をイメージしますが、その意味は「番をする」で、「シラッキカムイ」となると「家の中にある神」で、アイヌ民族の守り神であり、アイヌ人に一番近くにいる親近感のある神の様です。

 

アイヌ人は旅をする時、お守り、守り神として狐や梟の髑髏を持ち歩くそうですが、その髑髏の白さから守り神の「シラッキ」が「白」となったのかも知れません。

 

そう考えて妄想を開始したのですが、これって「お稲荷さんの源流かも」と思うのです。

 

前々から不思議に思っていたのですが、お稲荷さんの狐って、普通の黄色い狐が飾られているお稲荷さんなんてありませんよね。。あるんでしょうか。私は見た事ありません。皆、白狐です。

 

これってもしかしてお守りとしていた狐の髑髏から、白狐になったのではないかと思うのです。

 

更には「狐の髑髏」ですから、その狐は死んでいる訳です。若しかしたら「死」も「シラッキ」から来ているのかも・・・・・。

 

そして狐の髑髏、つまりお守りは神様の代わりです。

 

「事代主」の「代」も「シロ」と呼びます。「代」は「~のかわりに」と言う意味です。

「事代」とは「巫女」の事らしいのですが、「巫女」は神のご神託を語る訳です。つまり、神に代わり、或いは神が憑依して発言する事から、「代」も「シロ」と呼ぶのではと考えました。

 

また、私の因縁の神・鬼渡神とも共通項はあります。

 

鬼渡神は屋敷神であり、箒神、釜神でもあります。「オニワタリ」の発音から庭神であり、境界線の神でもあります。更には旅立ちの神であり、水神でもあります。

 

水神は「白(ハク)」の項で説明した通りです。

 

旅立ちの神と言えば「アラハバキ大神」も「脛巾」と付くくらいですから、そうなります。そして境界線の神でもあり、水神でもあります。

 

多分、「シラッキカムイ」と「アラハバキ大神」の関連は深いと思われます。

 

 

つづく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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