先日の「鎌倉殿の13人」。源実朝が公暁に暗殺されましたね。鶴岡八幡宮で。
公暁は源仲章を殺し、実朝の首を取って逃げていきましたが、吾妻鏡では途中、屋敷で食事をしたのです。実朝の首を片手で持ちながら飲み食いしたらしいです。流石にそんなシーンはテレビでは流せないでしようけど。
ここで思ったのですが、公暁は仏門に入っていたのです。そして源実朝は鶴岡八幡宮の参道で暗殺された。これって「神も仏もないものか」と思っちゃいますねぇー。神社に手を合わす者としては、考えさせられちゃいます。大変残念ですが。
まっ、当時の仏教は武力集団の部分があります。仏をかざして人々の信仰を集め、権力を得ていた。それを知っているから仏教に少なからず不信感を持っているのです。
私、織田信長は大嫌いですが、信長が一向宗を殲滅した。宗徒の妻子供共々殺害した。それは悪魔の所業ですが、もし信長が一向宗を殲滅していなければ、今の日本はどうなっていたのか考えちゃいます。
日本国全体がオウム真理教、統一教会、そして武力・権力をもった草加学会化してしまう可能性も考えられるので。否、それ以上の殺戮集団になる可能性だってある。
信長が仏教を規制した。仏教は武力や権力を持つべきではない。一向宗の信徒には失礼だが、彼らが殺戮されたおかげで、日本が平和に統治されている部分もある。
仏教に限らず宗教には悪の部分がある。神道だって天皇を神として日本は狂気を演じた。だから私、天皇家が嫌いなのです。天皇家には多くの悪人も出ていますし。
そして源実朝が鶴岡八幡宮の参道で暗殺された。八幡様は源氏の守り本尊。それなのに実朝は殺された。鶴岡八幡は何の役にも立たなかったではないか。
私の家系で源義朝を殺し、その息子の源頼朝に用無しになってから処刑された長田忠致がいるので八幡神社にはあまり足を運びませんが、神に対しては善も悪も無い。信仰しても意味がないのではないかと考えてしまいます。
何か空しくなりましたね。
やっぱり宗教は権力や武力を後ろ盾にしてはいけない。宗教で権力を持ってはいけない。自分と神、或いは自分と仏、それだけで完結すると思います。
そうでなくては宗教は語れない。祟りを受ける。
そんな風に私は考えちゃいます。
ではでは。