諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

母方の従兄が亡くなった。

2022年01月24日 20時29分43秒 | 人生
父の部屋に行ったら、父が涙声で「死んだ、死んだ」と叫んでいた。

「母が死んだのか」っと焦って母や部屋を見たら母がいた。ちゃんと生きている。何を言っているのだ私の父親は。

父は急に瘦せ衰せた。体調が悪く食欲が無い。私は鬱病だと睨んでいる。

私も1か月半で約15キロも瘦せた事がある。東京に出て直ぐにだ。整理記者と言う仕事が全然合わなかったのだ。

そして初めての独り暮らし。浦安でたった一人のアパート暮らし。慣れるまで時間がかかったのだ。

私の両親も去年からアパート暮らしをしている。足が悪く3階まで登るのがきつくなったのもあるだろうが、私の世話になりたくなかったのだろう。私の料理はガンとして食べなかったし。

しかし、80代後半でのアパート暮らしは惨めだ。惨め過ぎて鬱になったのだ。ここまで惨めだとは考えていなかったのだ。

母親も認知症になった。心細くなったのだ。自分も死を意識する年齢になった。94歳まではクルマを運転すると言っていたが、アパート暮らしで急に体力が無くなった。もうクルマなんか運転できる状態ではない。

死が近づいている。死が怖い。死に恐怖している。その状態で母の直ぐ上の姉の長男が亡くなったと電話があった。自分よりも20歳若い義理の甥が亡くなった。自分も何時死んでもおかしくない。それに恐怖して涙声で叫んでいたのだろう。

日本人男性で一番多く亡くなる年齢は87歳だ。。父も87歳。死亡適齢期だ。死が後ろに迫っている。それに恐怖して涙している様に思える。

私は死はそれほど怖くない。私は直ぐ納得する。直ぐ諦める。そう言う人生を歩んで来た。その時になったら笑って自分の死を受け入れられると思う。私にとって生は辛い事の連続だったので。

さて、亡くなった従兄とはそんなに面識はない。何せ母は10人兄弟の末っ子なのだ。従兄弟が多過ぎるのだ。

震災直後の10年前に会った。当時57歳位だと思う。今の私と同じ年齢だ。お爺さん的なルックスだった。子供が多くいる。幸せそうだった。

人間、不思議なもので自分の人生に満足している者は老けるのが早いと思う。

幸せだから老ける。不幸で辛い事の連続で全然成長しない者、一つも成功した事が無い者は老けない。そんな感じがする。私がそれだからだ。

母の兄弟ではこれで3人目の逆縁だ。

やっぱり逆縁だけは良くない。その親の人生が最後に不幸で終わってしまう。子はやはり親より先に亡くなってはならない。

伯母ともそんなに面識は無いが、気の毒だと思う。自分の子の死に顔なんて誰だって見たくはない筈だ。

やっぱり逆縁だけはダメだ。

親が憎い。親に復讐したいとの思いが無いのであれば、逆縁だけは避けなければならない。

それが人生で一番大切な事の様に思える。人生は案外単純なものだ。親より先に死んではダメだ。

それは自然の原理に反している。逆縁だけは絶対にダメだ。


ではでは。


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鬱病患者は生と死の境界線にいる。

2022年01月18日 14時36分35秒 | 鬱病
先日、弟と口論しました。弟はヤクザとの付き合いもある男です。直ぐに基地外の様に怒り出します。親譲りです。私に鬱憤を晴らそうとしたのです。小泉進次郎のせいで勤めている会社の業績が激減し、リストラ候補に挙がっているみたいですので。

私は子供の頃から親に殴る蹴るの虐待を受けています。今も父親からは露骨に暴言を吐かれます。そうしないと父親は平常を保てない。弟もそれに倣って私に鬱憤を晴らそうとしたのです。本当に最低な奴です。

口論となりましたが、弁では私の方が上です。そして私は弟の痛いところを突いた。それで弟は激高。弟は台所の包丁を握った。私を刺そうとした。認知症の母親が必死で止めた。

その時、私は自分でもビックリするくらい冷静でした。私が刺されたら恨みがある家族に復讐できる。苦しい鬱病からも逃れられる。楽になれる。そう思ったら気分が本当に楽になりました。

この感覚、多分、自殺者の感覚だと思います。死んだら楽になれる。幸せに感じられる。

私の掌の怪我は弟との対立が原因です。一生消えない痛みが残っています。痛みで夜も眠れない。その辛さが30数年続いています。

私が死ねばその痛みや恨みも消える。そして私を殺した弟は刑務所で罪を償う。私を虐待した親も晩節を汚す。こんな良い復讐方法はない。私が親や弟を殺すよりもずっと良い。

鬱病患者の自殺はこの感覚が絶対あると思います。そして私も自殺者予備軍のレベルまで落ちている。そう実感しました。

それでは鬱病患者が生きて行くにはどうしたらよいのか。

答えは自分を捨てる事です。違う人間になる事です。

親も財産も全て捨てて、自分を誰も知らない場所で一から暮らす。

人生なんてあっと言う間です。直ぐに歳を取ります。65歳になれば年金も貰える。貰えない人は生活保護を貰えば良いのです。

私、今、断捨離をしていますが、人間、荷物を担いで生きて行くのは辛いです。捨てて身軽になる。それが鬱を克服して生きて行けるコツなのではないでしょうか。

私は財産なんかいらないと思っていましたが、弟に渡すよりは私の親が迷惑をかけた人々に渡した方が良い。その方がスッキリする。死んでもお金は地獄に持って行けない。

命を捨てるくらいなら自分の立場を捨てるべきです。自分の家族も親戚も財産もです。

そう思うと心が楽になりました。不思議ですよね。


ではでは。




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正月早々、神社で喧嘩している馬鹿は初参りに来るな。

2022年01月15日 22時17分23秒 | 神道
正月の神様は大歳神ですよね。だったら初詣は大歳神を祀る神社に行くべきだと思うのですが、こんなことを言うと他の神社関係者に睨まれてしまうのかな。

っとは言っても大歳神を祀る神社って少ないんですよねぇー。まっ、大歳神は或る意味、神道の根本と言えるのかも知れません。天照大神前霊と言われていますしね。信仰が集まると困る人達がいるのでしょう。何の事かは分からないでしょうけど。

さて1月2日、友人が宮司を務める神社の参道での話です。大歳神を祀っている神社です。地主神としてですけどね。

私、通年は元旦の0時過ぎに初詣に行ってたのですが、今年は雪が積もっていた。クルマで出かければ良いのですが、街の中心部に鎮座しているためか駐車場が少ないのです。

私、クルマの運転が不得意なので当然混雑している筈だから駐車が困難。だからバイクで行こうと思っていたのです。

でも今年は雪が降っている。無理だ。お昼にしよう。

そう考えていたのですが、昼でもまだ雪が降っている。これは元旦は無理だ。

そして次の日、何とか雪が止み道路の雪も消えたので出かけました。

友人の神社は街中過ぎて周りに人があんまり住んでいません。だから参拝客が少ないのですが、それでも駐車場は満車。やっぱりバイクにして良かった。

参拝して友人と話をしてお札を買って帰ろうとした時、男と女の怒鳴り合う声が聞えた。仙台名物、人でなし同士の喧嘩だ。

女性が駐車場からバックで出ようとしているのだが、男のクルマが進んできたので出られない。それで女がヒステリックに男を罵っていたが、男のクルマの後ろにもクルマが繋がっている。バックは出来ない。

それで男は「馬鹿か」と怒鳴る。女も「馬鹿ですよ」と怒鳴る。正月早々、嫌な気分にさせやがるぜ。

私にとってこの神社は、お神輿渡りにも出ている大切な場所なのだ。神域だから喧嘩なんかして欲しくない。それで腹が立って二人に注意しようと思い向かった。その瞬間、喧嘩している二人はそれぞれのクルマに戻った。

喧嘩していてクルマが渋滞しているのに気が付いた。女はクルマに戻りクルマの渋滞をやり過ごすみたいだった。

こうなるのは分かっていた。だからバイクで来たのだが、私だったら神社で怒鳴り声は上げない。神が鎮座している場所で怒鳴るなっんて、祭神を信仰していたら絶対に出来ない。こんな罰当たりな事はない。

この喧嘩していた二人だが、神社に祀られている神など本当はどうでも良いのではないか。ただ単に初詣をノルマ的に考えていて仕方なく来ていた。だから互いにイライラして喧嘩になったのではないか。

そんな考えなら神社に来ない方が良い。罰が当たるだけ。人の迷惑になるだけ。嫌な思いをするだけだ。

大体、神道について殆ど知らない筈。ただ単にご利益が欲しいだけなら来ない方が良い。神社は神が鎮まり座している場所。本来は感謝を伝えに来る場所なのだ。

そんな場所で喧嘩するんじゃないよ。恥ずかしくないのか最低な仙台人よ。


ではでは。


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神田沙也加さんの姓名判断。彼女の名前の意味は・・・・。

2022年01月13日 08時04分13秒 | 占い
今回の御題ですが、不謹慎極まりないです。封印しちゃおうかなとの思いもあります。自殺か事故かの発表も無いので。

実際は遺書もあったみたいなので自殺なのでしょうけど、私同様、彼女は親に振り回された人生だったと思うのですよ。

彼女が気の毒であるし、親が普通の人ならば死ぬことは無かったのではないか。否、その他にも要因が有るのではないか。

実は前々から「神田沙也加」と言う名前が気になっていました。酷い意味合いの名前でしたので。画数は関係なしでです。

その名前のその通りの人生を送ってしまった。否、名前に負けてしまったのではないのか。

画数ですが、芸能界を乗り切る程の良い画数ではありませんが、平均よりは悪い程度です。私の本名よりは断然良いです。

問題は「沙也加」と言う名前。こんな名前、女性に付けるべきではない。知らなかったからしょうがないでは済まない。女性として気の毒。大変言いづらいですが、下ネタの名前なのですから。

また躊躇していますが、改めて名前って恐ろしいと感じています。それでも語らせていただきます。

先ず「沙也加」の「沙」は「砂」と同意語です。砂は水に洗われて小さくなりますからね。

問題は「也」。これは元々は女性器を示します。

それに「加」が加わる。「加」は重ねる、被せると言う意味です。

つまり「沙也加」と言う名前は「女性器に砂をかける、砂で塞ぐ、埋める」です。これは酷過ぎます。

彼女は離婚している。何度も浮名を流した。そして現在の年下の彼氏と喧嘩をしていた。同棲の予定を破棄された。恋愛、結婚で不遇だった。

彼女は35歳。再婚を焦っていた。今の彼氏と結婚を望んでいた。子供も欲しかった。

でも、「女性器に砂をかける等々」の意味では結婚もままならないし、子供も難しいでしょう。

姓の「神田」は天照大神が初めて稲を植えた「高天原の天狭田や長田」を意味します。

高天原の天狭田・長田は豊饒のシンボル。豊饒は日本の始祖の信仰と言える性器信仰に結び付きます。

稲妻が発生すれば稲がこなされて豊饒に実る。稲妻と言う言葉は、自然の性交により稲が誕生する意味合いがあります。

それなのに女性器に砂をかける等々の「沙也加」と言う名前は、神田姓の意味合いに繋がらない。姓と名が真逆の名前になっている。

名前って親が子供に授ける最高の贈り物なのですが、知らないとはいえ酷い名前を付けるケースが多過ぎます。

天皇家でさえ娘に呆れかえる不遇な名前を付けている。何で本来の文字の意味を調べて付けないのだろう。

私の本名も「命が流れる」意味合いがあります。実は私の従兄弟も同じです。「る、りゅう」と発音する。「る、りゅう」は流れて行く音。何をやっても上手く行かない。成功が流れてしまう。命が流れてしまう名前です。

もし「沙也加」と言う名前で無かったら幸せな結婚が出来たのかも知れない。お子さんも出来ていたかも知れない。

少なくとも死ぬことにはならなかったのではないのか。私、その思いから彼女が気の毒でならないです。

自分の名前の本来の意味を知っていたら改名したと思います。恥ずかしい名前ですからね。改名していたら命を落とすことは無かったのではないかな。

空しいですね、悪い意味合いの名前を付けられた人は。名前で人生が左右されるなんて理不尽。どうしても悪い名前の人は悪い人生を送ってしまう。

不条理ですね。子供は親を選べないし。

空しいですね。


ではでは。



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牡蠣を食べてアナフィラキシーショックになっちゃった。

2022年01月12日 11時29分31秒 | 出来事
「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」。正岡子規の句です。

私、子供の頃、柿が大好きだったのです。果物と言えば柿。メロンよりもマンゴーよりも柿なのです。

それがです。10代後半で何故か食べられなくなった。「柿くへば 腹が鳴るなり 金隠し」になってしまう。

それだけじゃない。3日は続く七転八倒の胃の痛み。扁桃腺の腫れ。そして唇が映画ルーツのクンタキンテの様に腫れるのです。自分の顔にビックリしちゃいます。もうこの苦しみだけは御免被りたいです。

アレルギーなのでしょうねぇー。実はバナナやエビでも軽いですが同様の症状になっていました。

でも、最近分かったのですがバナナではならなくなった。良かった。

鬱病にはバナナが効く。それで主食はバナナにしています。御飯やパンなどの炭水化物を食べると心が苦しくなるので。

さて、昨年の12月25日のクリスマスの日の夜、バナナを買いに隣町のヨークベニマルへ出かけました。

このヨークベニマルですが福島県が地盤のスーパーマーケットです。マークがイトーヨーカドーと同じデザインなのですが、色は白いハトに赤と緑のバック。多分、イトーヨーカドーの傘下のスーパーなのだと思います。

このヨークベニマルですが、8時を過ぎると思い切り良く商品を値下げします。

例えば食パン。170円程度の高級食パンが2~3日程度の賞味期限を残し30円になります。だから買ってしまいます。そして糖尿病と鬱病を悪化させていました。やっと安さに釣られない様になりましたが。

まっ、それは兎も角、異教の祭典の日ではありますか、何か栄養のあるものが食べたい。そう思って店内を歩き回っていたのです。

鮮魚コーナーに来ました。刺身とかは食べたくない。そう思って眺めていたらチューブ状のビニール袋に水と一緒に入っている生食用の牡蠣を発見。定価は398円だが値下げされて119円になっている。安い。10個程ある。

私はその牡蠣を睨みつけながら考えた。牡蠣は1つ2つポン酢で食べるところで旨いのだが、3つ以上食べると気持ち悪くなる。どうしようか。

そう思いながら睨みつけていたら、横から私と同年代の女性が5つほど牡蠣を籠に入れた。残り5つ。私は軽くパニックになり残りの5つを籠に入れた。

家に帰る。牡蠣の賞味期限は明日26日。

私は1袋を開けて牡蠣を水洗いし、ポン酢に付けて食べた。うーん、やっぱり生牡蠣1袋は多過ぎ。気持ち悪い。でも無理して食べた。

残りは4袋。もうしょうがない。多めのオリーブオイルと塩・胡椒で全部炒めて食べよう。うん、中々の美味。やっぱり牡蠣は火を通した方が良いな。

それでも大量の牡蠣が残っている。火を通して油漬けにしてあるから日持ちはするだろう。2~3日かけて食べればいいか。

そして次の日の夜。残っていた牡蠣を食べてしばらくしたら私史上最強に身体が痒くなった。何だこの痒さは。蕁麻疹か。

身体を調べると両足、脇腹、背中がポコポコになっている。そんなに掻いた覚えはないのに。

何でだろ。鬱病が影響しているのか。鬱病で蕁麻疹が出るのは知っている。しかし、鬱病は今に始った訳ではない。だとしたら牡蠣か。

牡蠣をこんなに大量に食べた事は無い。でもオリーブ油で炒めた。火を通していたのだ。そんな事があるのか。

ネット検索しました。写真も見ました。私のポコポコ蕁麻疹、牡蠣で間違いないみたいだ。アナフィラキシーショックと言うヤツらしい。熱処理しても出るらしい。

ドラックストアに行ってメンソレータムADを買って塗る。多少収まったがまだ痒い。

明日、糖尿病のクリニックに行く。同じビルのフロアに皮膚科もある。そこで診て貰おう。

そして当日の朝。あれっ、痒みが消えている。ポコポコも殆ど消えた。あんなにポコポコだったのに綺麗になっている。不思議だ。メンソレータムADが効いたのか。

皮膚科の前で悩む。うーん、大丈夫たな。治ったんだ。そう思って受診するのを止めた。そしたら・・・、

そしたらまた夜になって痒みがぶり返した。ポコポコになっている。失敗した。皮膚科に受診すれば良かった。でも、もう遅い。大抵の病院は正月休みに入った。わぁーん。

そのまた次の朝。痒みが消えた。しかし夜になってまた痒みが出る。その繰り返しが続いている。大分弱まっているが今も続いている。

この牡蠣によるアナフィラキシーショックだが、一度経験したら20年くらい発症が続くそうだ。つまり、20年は牡蠣は食べられなくなったと言う事だ。

柿に続いて牡蠣もか。牡蠣を食べたら身体を掻き掻きしなければならなくなったのか。

何か私の人生、こんなことばっかだな。20年食べれないのなら、もう一生食べれないのかも知れないな。

それもまた人生だな。


ではでは。


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