諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

蛸壺より狭い敷地の樹木葬は絶対に嫌だ。惨め過ぎる。死者を何だと思っているのだ。

2023年11月28日 00時34分25秒 | 
ユーチューブを観ていると私向けに樹木葬のCMが頻繁に流れて来ます。AIのヤツ、何で私が墓に興味を持っているを知ったのかなぁー。

何でも墓の情報サイト「いいお墓」が「お墓の消費者全国調査」を行なったらしいが、自分の墓は樹木葬が良いと考えている人が、50%を超えていたそうです。

だから頻繁にユーチューブでCMしているのか。

そのCMで聞き捨てならない話が流れていました。

CMでは「50年の永代供養料は不要の大盤振る舞い」と言ったのです。それって50年後は樹木葬でも墓は暴かれると言う事か。

樹木葬は一度埋めたらその骨は掘り出せないと聞いていたから、永遠にその場にお骨は埋められたままだと思っていたが、50年後はどうなるのか。お骨は捨てしまうのか。

多分、無縁仏として一緒くたにされてしまうのだろう。それではあんまりだ。そうなりたくないから樹木葬を選んでいるのだろうに。

樹木葬は家族に負担がかからない。安いとのメリットがあるが、まさか50年の期限が付いているとは思わなかった。

最近の樹木葬の墓を見たが2m×2m程度のスペースに木が植えられていて、スマホ大の大きさの丸いカロート??が、魚の鱗のようにぎゅうぎゅう詰めに引き詰められているケースもある。これだったら蛸壺の方がまだ大きいのではないか。

こんなせこい墓を造りやがって、坊主の野郎どもは死者の事を何だと思っているのだ。

だから私は仏教が嫌いになって来たのだ。

私の馬鹿父親は9文字の戒名を希望したが、浄土宗の坊主は「浄土宗にも格が有るので、9文字の戒名なら最低100万円は頂かないと・・・」と言いやがった。ブクブク醜く太った腐れ坊主らがだ。

地獄の沙汰も金次第か。地獄に行くのも金がかかるのか。浄土宗の格って何なのだ。ふざけやがって、法然の野郎。。

大体、馬鹿親父、そして祖先が悪い。うちの家系は元々は曹洞宗だ。曹洞宗と熊野権現  静岡の大浜藩主の家に生まれたのだ。

神仏習合時代の話だが、元々は僧侶でもあり宮司でもあり武将でもあった。私の宗家は曹洞宗の寺院で産まれたのだ。

それが浄土宗に変えられたのは徳川家康の側近になったから。家康は浄土宗なので、それに準じようと思ったのだろう。

事実、新宿の地に浄土宗の一行院を宗家は開基している。それで浄土宗に改宗した親族が出たのだろう。

それなのに宗家は曹洞宗の永井寺を茨城県に開基して、自分の墓をその寺に造っている。

曹洞宗の寺で産まれたのだから、曹洞宗の寺で眠る。それが正しい仏教の墓だと思う。

それが家康のせいで変えられた。私の姓も変わった。だから私は松本潤が嫌いなのだ。ちくしょう。

話は横にそれたが、樹木葬であるなら、親族は誰もお参りに来る人がいない者専用の墓だと私は思っている。街中でなくても良い。山の中で静かに永久に眠りたいのだ。

それなのに50年で墓を暴くのか。私がそれをやられたら坊主どもを祟り殺してやる。絶対に許さんぞ。

私はインド人でも中国人でもない。日本人なのだ。仏教は日本本来の宗教ではない。

日本人は仏教徒のインド人よりも中国人よりも尊い民族だと私は思っている。私は日本本来の墓で眠りたい。

今の日本、所有者が不明な山林や土地は九州と同じ面積程ある。

つまり山林は安く買える。お参りする者がいないのだから、山の中で人知れず永遠の眠りに付くのは一番の幸せだ。ラッシュアワーみたいな樹木葬なんて絶対に嫌だ。

折角、いわき市一の霊場に山林を持っているのだ。その霊場で眠らないでどうする。

お骨は土に埋めたら法で禁じられている。だが、撒き散らすのはOK。そんな法律は矛盾しているが、既に手立ては考えている。墓くらいは自分の自由にするぞ。

別に墓でなくても良い。私は世を恨み、祟りを起こせる男になったのだから、慰霊碑でも良いのだ。祠でも良いのだ。

「葬」の字を見ても分かる通り、今の墓は本来の葬儀方法ではない。私だけは「葬」の字の通りの本物の墓を造り、永遠の眠りに付きたいと思う。

その方が間違いなく静かに眠れそうだ。最上の眠りに付けそうだ。絶対そうするぞ。


ではでは。



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三島由紀夫の遺骨と永井荷風の墓。

2023年05月08日 18時32分43秒 | 
私、墓に取り付かれています。59歳、家族は無し。だから自分で死ぬ準備をしなければならない。

それで気になったのです。私と同じ家系を生きた永井荷風と三島由紀夫の墓がどうなっているのかを。

結果、うーん、ショックです。二人とも思い通りには葬られていなかった。

これが人殺しの家系の因果なのかなぁー。これなんだよなぁー、私が危惧しているのは。

どうしても上手く行かない。自分の思い通りにならない。これが呪われている私の家系の定めなのかなぁー。

先ずは永井荷風の墓です。この永井荷風、一度は結婚していたみたいですが、直ぐに離婚しています。

そして天涯孤独の人生を生きた。自分と似ている。信じられるのはお金だけ。だから全財産を何時もバックに詰めて持ち歩いていた。そして全財産が入ったバックを抱きしめながら自宅で孤独死している。

「自分の墓を造るなら浄閑寺の娼妓の墓倒れたる間を選び、一片の石を建てよ。石の高さは五尺を超えるべからず。名は荷風散人墓の五文字のみを入れよ・・・・」っと遺言していたようです。

しかし、永井荷風の墓は浄閑寺には建てられず、父親と同じ雑司ヶ谷霊園に簡素な墓が建てられています。「永井荷風墓」と彫られた墓が。

浄閑寺は浄土宗です。しかし、永井荷風の家系の墓は雑司ヶ谷霊園にある。何故、望んだ浄土宗の浄閑寺に墓が造られなかったのか。

荷風の財産は2334万円。1959年に亡くなっているから64年前か。64年前の2334万円は今の金額だと5億円以上ではないかな。不動産や株を買っていれば100億円も夢ではない。そんな大金を持っていたのら浄閑寺に葬ってやれば良いのに。

でも、父親の墓は雑司ヶ谷墓地にある。荷風の家は裕福だった筈。それなのに浄土宗の寺に墓を求めなかった。

これはやはり浄土宗である平家に、我が家系が命を狙われたからか。

永井家宗家四代の永井尚長は、浄土宗の総本山である増上寺内で殺されている。こんな因果があるか。

永井家宗家の永井直勝は浄土宗から曹洞宗に改宗した。永井荷風の父親もそれを重視したと思える。宗派に縛られたくないから雑司ヶ谷霊園に墓を求めたのだと私は考える。

同じ永井直勝の血筋の三島由紀夫の墓はどうか。三島由紀夫の墓は多磨霊園にある。やはり浄土宗は避けたようだ。

三島由紀夫も浄土宗のお寺での墓を避けた。曹洞宗のお寺の墓も避けた。やはり宗派に左右されたくなかったのだろう。

流石だ。それで正しいのだ。三島由紀夫も永井荷風の父親も浄土宗には疑問を感じていた。私はそう思う。同じ平家なのに我が家系の命を狙った平家の浄土宗など避けるべきなのだ。

しかし、ショックな事があった。何と多磨霊園の三島由紀夫の墓にはお骨が入っていないのだ。何と三島由紀夫のお骨は何者かに盗掘されたのだ。

犯人は熱狂的な三島信者か。それとも三島由紀夫の成仏を願わない悪意がある者の仕業か。

お骨を盗むとは何て罰当たりなのか。これ以上の故人を貶める所業ってあるのか。人間ではない。鬼畜だ。畜生だ。

無性に腹が立つ。腹が立つ、腹が立つ。涙が出て来る。腹が立つ。

三島由紀夫が気の毒過ぎる。同じ家系の者として悲し過ぎる。

だからこそなのだ。だから私は自分の墓造りにベストを尽くしてやる。誰にも参拝されなくても良い。最高の霊場で永遠の眠り付きたい。

幸運なことに最上の神域に山林を持っているのだ。墓くらいは自分の望みを達成したい。殆ど存在しない日本人の清く正しい本当の墓を造ってやる。例え法を犯しても。

死んでからも法を守るなんて真っ平御免だ。

っと言いながら何とか合法の手立てを考えている私の心の真面目さには、自分でも愛おしくも腹立たしいが。


ではでは。











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墓(ハカ)の発音の意味とは?

2023年04月20日 16時02分48秒 | 
私の友人に警視庁に勤めている「〇〇〇基綱」と言う男がいます。〇〇〇には関ヶ原の戦いで勝敗を分けた武将の姓を入れてください。

彼の名前、基綱の「基」の字ですが、本当の意味は「墓」です。墓に綱で基綱。こんな名前を付けられたら墓から出られません。世に出れません。墓を綱で縛られているのですから。

努力しても実らない。気の毒な名前です。名前を付けた親はそんなこと分からなかったでしようけど。

さて、またまた「墓」の話題です。今回は文字ではなく「ハカ」と言う発音から述べたいと思います。

この「ハカ」の発音ですが、一般的に「ハフル・カ」から来ているとされてます。

「ハフル」の意味ですが、「放る、投げる」と言う意味です。

「カ」は「場所」の意味らしいです。つまり「ハフル・カ」は直訳すると「放り投げる場所」となります。つまり古代の墓は「遺体を放り投げていた場所」だと言えます。

古代の墓は土の下に埋葬せず、遺体をそのままな投げ捨てていたのは間違いないでしょう。

そうなると古代人の遺体は風葬ですよね。当然、晒されている遺体は鳥や獣に食い荒らされていたでしょう。

そして遺体はやがて白骨化する。そんな場所には行きたくない。古代の人々も墓を忌み嫌っていたと思えます。穢れを感じていた筈です。恐れていたでしょう。

現代人も墓場には長居したくはない。線香をあげて拝んだらすぐに帰ります。

つまり今も昔も墓は穢れを感じる場所。霊場。怖い場所である。

そんな場所には長居は無用。長く居ると穢れてしまう。

それが墓の本来の意味だと思えます。


ではでは。


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お寺の墓は全て偽物だ。これが本当の墓だ。

2023年04月14日 13時01分58秒 | 
どうですか、刺激的なお題でしょ。

私、自分のお墓に取りつかれています。

いわき市一の霊場に土地を持っているので、そこで自分の墓を造りたい。どのような墓が良いのか。仏教を調べたのですが多くの宗派があり分からない。

我が家系は浄土宗なのですが、我が宗家である永井直勝は死の間際、何故か浄土宗から曹洞宗に改宗した。

永井直勝は東京信濃町に浄土宗の一行院を開基したのに、自分の墓地として茨城県の古河市に曹洞宗の永井寺(えいせいじ)を開基している。

改宗したのが禍したのか、直勝の曾孫である永井家四代の永井尚長は、浄土宗の総本山である東京都芝の増上寺内でのいざこざで殺された。

因果な家系でしょ。徳川家綱の法事中に殺されたのです。

それで仏教に疑問を持つようになりました。お寺で殺されたので、お釈迦様にも恨まれている家系なのではないかと思えて。

祖母は熱心に浄土宗を信仰していたのですが、夫を事故で亡くし息子と娘も病で亡くしている。私の代でも逆縁が続いている。特に長男が禍を受けている。

神も仏も無いものか。なんか宗教って信じられない。

宗教を調べに調べてキリスト教の真実、仏教の真実も知った。どちらも信じられなくなった。

元々、宗家の永井直勝は大浜藩主の長田重元の次男である。長田重元は熊野権現の神職を兼任していた。

神仏習合の時代はあったが神と仏は全然違う。神道と仏教は全然違うのである。だったら私は神道に生き神道にて死ぬべきではないのか。

ってなことを考えているのですが、神道の墓って墓石の天辺がチョット尖がっているだけで、仏教の墓と大して変わっていないのです。

そして私には弔う者がいない。神道の墓を求めても管理費を払えず無縁仏となり、何れは強制的に墓終いされる。

それは困る。私は永遠に墓の下で、土の中で眠りたいのだ。その望みだけは叶えたいのだ。生きていても辛い出来事ばかりだったので、死んでからは幸せになりたいのだ。

そこで調べてみた。本来の墓を。「墓」の字の本当の意味を。

「墓」の字は「草冠、日、大、土」で構成されている。その意味を調べてみたら「草、塔、台、土」の意味らしい。

ここで注目なのは「草」。草が一番上にある。草と土の間に塔と台があるという点だ。これってどう言う事なのか。塔と台は墓の筈だ。

草は土の上に生える、墓の上には生えない。っと言う事は墓は土の中に無ければならないのではないか。

墓に似た意味で葬儀の「葬(そう、ほうむる)」の字がある。この「葬」だが元々は「草、死、土」の意味なのだそうだ。

つまり土の上に遺体があり、その上に草が生えている。それが「葬」。故人を葬る方法。本来の墓。本当の弔いだ。

お寺の石の墓は間違った墓だ。間違った弔い方だ。大体、インドには墓は無いのだ。日本の墓はインドから中国に渡り、誤訳され間違った解釈の墓と言えるのではないか。

以前、釈迦の墓に付いて書いた。巨大な饅頭型の墓だ。

いわき市四ツ倉にある平将門公の三女、瀧夜叉姫こと五月姫の墓も饅頭型だった。

つまり「墓」とは土の上に遺体を置き、その上に土をかぶせ饅頭型に整え、その上に草が生えているのが清く正しい仏教のお墓なのではないのか。

私も瀧夜叉姫の墓の様にの饅頭型の墓を造り、禁断の御塚神社を真似て周りを竹で結界を張り、入り口に小さな鳥居を掲げ、饅頭型の墓の上に小さな祠を置こうと思っていた。

しかし、饅頭型の上には何も置いては駄目なのだ。草だけでいいのだ。

それならば饅頭型の墓の前に小さな祠を置こう。鳥居の後ろに。

饅頭型の墓は山でもある。山は霊場だ。その前に祠を置くのは神社と同じだ。神道と言える。

饅頭型の墓は仏教の本来の墓だと言えるが、鳥居と祠、そして竹の結界で神道の墓に変えられると思う。私の墓はこれで行こうと思う。

ってなことを書いちゃいましたが、僧侶の方たちが私のブログを読んだら憤慨するでしょうねぇー。そして石材店の人達も。「わし等の商売の邪魔をしくさりやがって」と。

でも「墓」と「葬」の字から判断すれば、お寺のお墓は間違っている。土の上の石の墓など必要ない。塔と台は必要であっても土中になければならない。土の上にある石の墓は本来の墓ではない。偽物だ。

私はリアルを追求する男。私は本来の墓、真実の墓の下で眠りたい。

だから私は私の道を行きます。仏教徒を辞めて日本人の本当の墓で幸せに眠りたいと思います。

合法的にどうやって土の中に遺骨を埋めるのかが問題ですが。


ではでは。

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何故、古代日本人は死者を風葬で弔っていたのかを考察する。その3

2023年04月13日 13時21分13秒 | 
続きます。

馬鹿な織田信長はキリシタンを容認した。金平糖貰って喜んで。

しかし、豊臣秀吉、徳川家康はキリシタンの恐ろしさ、キリスト教国の真の目的を察知した。

キリシタン大名は神社仏閣を破壊し、僧侶や神職を異教徒・悪魔として殺しまくった。日本人女性50万人をキリスト教国に奴隷として売り火薬を購入。キリスト教国の走狗として日本の植民地化を画策した。

更には日本のキリシタン大名を中国に渡らせ、中国支配をも検討していた。

故に徳川幕府からキリスト教禁教令が発令。キリシタンは弾圧された。

伊達政宗の馬鹿も後にキリシタンの恐ろしさを知った。自分がキリスト教国の走狗として用いられる愚かさに気が付いた。

そして支倉常長はスペインとの交渉が上手く行かず、失意のうちに帰国。帰国した支倉常長の身柄は隠され、帰国から2年後に死亡した。

死因は分かりませんが、支倉常長はクリスチャンとして洗礼を受けていた。幕府に知れたら伊達藩にも危害が及ぶ。

クリスチャンとしての信仰を捨てない支倉常長。支倉常長の存在は知られてはならない。だから支倉常長は政宗によって暗殺されたとの話も伝わっています。

現に支倉常長の嫡男ではある支倉常頼は、召使がキリシタンだったと言う理由で処刑。支倉家は一時断絶しています。それだけ伊達政宗はキリシタンを迫害し始めたのです。

実は仙台城の御堀代わりである広瀬川には、水牢なるものが存在していました。キリシタンを水牢に入れて溺れさせる拷問をしていた。キリスト教から改宗させる為に。

それでもキリシタンには改宗しない者がいる。そうなると処刑するしかない。

しかし、キリスト教徒は処刑してもイエスキリストの様に再び生き返ると考えられていた。だから処刑されたキリシタンの遺体は生き返らないように、細かく切り刻んで広瀬川に流されていたそうです。

私、思うのですが、この考えと風葬は同じではないでしょうか。

つまり風葬するのは遺体が蘇らない為に、腐るまで見届けていたと思うのです。

アイヌでは故人に旅支度の衣装を着せてムシロに包み、壁を突き破って遺体を家から送り出していたそうです。

理由は人が通る通路から送り出せば、霊が再び現世に蘇り家に戻って来ると考えられていた。だから家の壁を突き破って遺体を外に出し、戻れないように壁は補修する。それほど亡くなった人の霊が戻ることを拒否しているのです。

私も私の家系の者が使えていた征夷大将軍を祀る神社で丑三つ時に幽霊を見ましたが、古代の人も幽霊を恐れていた。

故人が幽霊として現世に戻ることは良しとしない。故人が幽霊となることは故人にとっても不幸。

その考えがアイヌ人同様、古代日本人にもあった。だから故人の遺体を風葬で完全に滅ぼして弔っていたのではないでしょうか。

愛していた故人が幽霊として戻って来ることに嬉しさを感じる人もいると思いますが、戻って来たとしても生きれる者はどうしようもない。故人は成仏出来ていない。それは不幸である。

現世への未練を断ち切る為に、風葬により遺体を徹底的に滅ぼす。その考えから風葬によって弔っていたと私は考えます。

勿論、朧気ながらですが。


ではでは。


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