諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

瀬織津姫は相撲の神様?? その1

2014年07月30日 10時14分00秒 | 瀬織津姫

今回のお題ですが、どうやって膨らませようか悩んじゃいます。大した材料がないので。

正直、一行で済んじゃうのです。それでは何だか味気ないのでデコレーションを重ね回り道して書いてみたいと思います。

さて相撲と言うと、最初に相撲を取ったのが野見宿禰と当麻蹴速ですね。

大和国の当麻村に蹴速さんと言う力自慢の人(神?)がおりまして、大山倍達よろしく牛の角をバギッと折ったり、鉄の鈎を真っ直ぐに伸ばしながら「ワシより強い者がいたら戦ってみたいものじゃ、ウシャシャシャシャシャー」と自慢していた訳なんです。

時の天皇がこの噂を聞き、「当麻村の蹴速と言う奴が天下で一番強いと威張っているそうだが、コイツより強いと思う奴、出てこいやぁー」と発し、一人の家臣が「出雲国の野見宿禰と言う勇者がいますんで、ちょっくら戦わせてみましょうや」と言う事に。

そしてナガオイチと言う人がその日のうちに出雲に行き、野見宿禰を招集。いざ勝負。ハッケヨーイとなったんです。

宿禰と言うとその発音から三すくみと言うか、レスリングをイメージ。蹴速は其の名の通り空手をイメージしちゃうのですが、この時代の相撲は現在とは違うみたいで、お互いに大きく足を上げ、踏み潰す戦いだった様です。

相撲の「相」は「お互いに」、「撲」は「殴る、打ち叩く」と言う意味です。つまり「互いに殴る、蹴る」と言う意味です。今で言う「空手」、「キックボクシング」に近い戦いと考えられます。

多分ですが、オスモウさんが勝負の前に大きく足を上げ四股を踏むのは、踏み潰して戦っていた名残なのではないでしょうか。

さて勝負の結果ですが、最初はお互いに踏み潰し合いしていましたが、野見宿禰が「燃えよドラゴン」のブルースリーよろしくジャンプ一番、蹴速の背骨や腰骨を踏み砕いて撲殺。蹴速に見事勝利し、「蹴速が所有していた土地を分捕ったとさ」という結果になりました。

実は何を隠そう私の家系なのですが、この時の相撲で勝利した野見宿禰に繋がります。証拠は大阪に鎮座する野見神社(野見宿禰を祀る)に行き、境内社を探れば分かります。

因みに神社は境内社の方が一般的には古いです。暇な人は大阪まで行って野見神社を調べてみて下さい。直ぐに判りますから。

まっ、それはどうでもいいのですが、出雲出身の野見宿禰は天穂日命の家系、そして大和出身の当麻蹴速は天日矛命の家系です。つまり双方とも朝鮮系の人物です。

こんな事書くと誇れるものが殆ど無い朝鮮の人たちは「日本の相撲は朝鮮が発祥だ、何もかも朝鮮のものだ、金払え」と歓喜するかも知れないですが、相撲のルーツはモンゴル、トルコ、インド、そしてシュメールにもありましたので、朝鮮が発祥とは言えませんね。

それに野見宿禰が天穂日命の家系と言いましても、出雲神族との婚姻が続き、当時の宿禰には出雲人の血が流れています。当麻蹴速よりも日本人の血が濃かった。

つまりこの相撲は出雲族と大和族の戦いで、出雲族が勝利したと言う話です。今の大相撲の横綱は3人ともモンゴル出身ですが、昔は日本の血筋の方が強かったと言う事ですね。もっとも大和は元々もう一つの出雲でナガスネ彦が支配していた土地でした。天孫族の拠点にされちゃいましたけど・・・・・・・。

さてその後、野見宿禰はどうしたかと言うと、今で言う葬儀屋さんになりました。

当時の垂仁天皇の皇后が死亡。しかし垂仁天皇は殉死を禁止していた。それに応え野見宿禰が故郷の出雲人を100人連れてきて粘土でヒトヤ馬等を製作。それを生きている殉死者の代わりに墓に埋める様にしたんです。

当時、お偉い方がお亡くなりになると殉死者と言うか、お供の人達、乗っていた馬等も生きたままお墓に一緒に埋められていた。それも何か生々しいという事で垂仁天皇が禁止。そしたら皇后が死んでしまった。野見宿禰さんはその代わりに粘土で埴輪をこさえて殉死者たちの代わりにした。それを垂仁天皇は喜んだ。そして天皇は野見宿禰が「土師」の称号を贈ったと言う事となります。

この土師氏から一応名門の大江氏と、菅原道真の菅原氏が生まれる事になります。因みに私は大江流となります。


続く。

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日本の地主神は手長足長(手名椎・足名椎)??

2014年07月27日 09時35分40秒 | 神道
葦原中国。高天原と黄泉の国との中間に位置する。つまり日本と考えていいと思う。

この葦原中国は大国主と少彦名が協力して造った国とされるが本当だろうか。だって須佐之男命が高天原で狼藉を働いて生爪を剥がされ落とされたのが葦原中国。大国主より須佐之男命が先と考えられている。これは変である。

須佐之男命は国津神としている人もいるが、高天原から落とされたのだから天津神の筈。つまり天孫族。ニニギ命よりも早くに天孫降臨していることになる。少なくても朝鮮から流れてきた神と言える。

では葦原中国の地主神は須佐之男命かと言うとそれも違う。須佐之男命が落ちてきたその国には、八岐大蛇に八人の娘を奪われた手名椎・足名椎の老夫婦が居たのだから。つまり手名椎・足名椎が葦原中国の地主神になるのではないだろうか。

手名椎・足名椎は共に大山津見神の子供。つまり兄弟であり夫婦。聖婚と言える。古い神々となる。

そこに須佐之男命がやって来て八岐大蛇を退治。そして須佐之男尊は手名椎・足名椎の娘である奇稲田姫と結婚。須賀の地に新居を構える。

ここでまたまた疑問。だって須佐之男命は「須佐の地の男」と言う意味。すなわち須佐に来る前は違う名前だった筈。これが疑問その一。

そして疑問その二。須佐之男命は須佐の地に足名稚を呼んで須佐の地の首長に任命。それにより足名稚は「稲田宮主須賀之八耳神」。もしくは「稲田宮主神」と呼ばれる事となる。

足名稚が稲田宮主神。だから娘は奇稲田姫。どう考えても稲田の名は父親が先の筈。つまり奇稲田姫にはその名の前に違う名前が付いていた事になる筈である。

まっ、それは兎も角、足名稚は須佐之男命により稲田宮主神を名乗る事になったという事は、足名稚は須佐之男命に稲作を教えてもらったと言う事ではないだろうか。「稲田」の名が付けられたのだから。

稲作と言えばお稲荷さん事、宇賀神。つまり宇迦之御魂神。稲田宮主神である足名稚とどう違うのか。

それも難しいので置いといて、その後、須佐之男命は根の国に旅立つ。つまり死んでしまう。何で年寄りである足名稚より先に死んでしまったのだろう。イザナミ命に会いたがっていたからであろうか。

そして須佐之男尊は須賀神社に祀られる。ここで不思議なのは須佐神社の神職は手名稚・足名稚の子孫とされている事。

出雲大社の神職である千家・北島家は、高天原から下ってきた天穂日命の血筋とされる。極端に言えば出雲の侵略者が国造となっている。

須賀神社は反対に元々葦原中国にいた手名稚・足名稚が国造となる。もともと葦原中国に住んでいた神の子孫が須佐之男命を祀っているのである。

神社は怨霊の封印装置と言えるが、手名稚・足名稚は須佐之男命に助けて貰った。稲田宮主神にして貰った。それを感謝して須佐之男命を祀っているのだろうか。

そして出雲大社の国造初代の天穂日命には「穂」の字が付く。天穂日命の11代子孫には「宇賀都久怒」と言う者もいる。

稲田宮主神と天穂日命。そして宇賀。同じ米繋がり。何を意味しているのだろうか。

そして私は何を言いたいのか。

それは何にも分からないと言う事です。

考えが練上がったら、また書きます。


ではでは。









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金華山黄金山神社に拒まれた私。 その8

2014年07月26日 00時00分01秒 | 神道
落としどころも考えずズラズラと書いてまいりましたが、そろそろ終わりたいです。

さて「金山彦=ニギハヤヒ」説で、忘れてはならない事を忘れておりました。ナガスネ彦軍と戦ったいた時、神武天皇の弓矢に止まった金鵄。つまり金色のトビです。

この金鵄かピカチューよろしく「ピカピカ」とやったもんだから、ナガスネ彦軍は「眩しいっー」って事になてボロ負けしちゃうんです。この金鵄を神武天皇に向けて飛ばしたのが金山彦神なんです。これはニギハヤヒ命と被ります。

なんたってナガスネ彦はニギハヤヒ命を奉っていました。更には自分の妹である登美夜毘売をニギハヤヒ命に嫁がせたのです。

それなにのニギハヤヒ命は神武天皇側に撞いてナガスネ彦軍に停戦を命令。ナガスネ彦は侵略者である神武天皇軍との停戦を拒否。それに怒ったニギハヤヒ命は息子に命じてナガスネ彦を抹殺してます。

つまり「金鵄=ニギハヤヒ命」。「ニギハヤヒ命=金山彦神」となるのではないでしようか。

「だったら金山彦神、ニギハヤヒ命の眷属は金色の鵄じゃないか」と言われればグウの音も出ないのですが、ちょっとはかすってているのかなと思います。

ここでスズメバチとニギハヤヒ命の話はキリがないので終わります。次に鹿です。鹿はどなた様の眷属なのか。

鹿といえば鹿島神・タケミカズチ神ですね。春日大社ではタケミカズチ神が鹿の最終形態である白鹿に乗っていたことから、鹿が神の使いとされていますからね。

ここでピンとこられた方はいますでしょうか。そう、金華山も鹿島なのです。何たって鹿だらけの島ですから。勿論、神職をはじめとして猿なんかも生息していますが、断然鹿が多いです。

だったら金華山には鹿島神・タケミカズチ皇が祀られているのかと申しますと、表立っては祀られていません。源流は同じ可能性もありますが、判断材料には乏しいです。

では鹿は何なのか。

ご存じない方も多いと思いますが、鹿って意外と泳ぎが達者なんです。何と海流が激しい牡鹿半島と金華山を泳いで行き来したりするんです。

その姿を画像や動画で見たことがあるんですが、あれは龍が海を泳いでいるが如しでした。

龍も鹿の角が付いていますからね。多分、蛇神であり龍神でもある弁才天の使いとして鹿が飼われていると思います・・・・っと思ったのですが、待てよ。金華山と鹿つながりの山がある。鳥海山だ。

鳥海山でも鹿の角切の儀式がある。切られた角は五穀豊穣の印とされ、鳥海山の神に奉納されるとか。

鳥海山は手長足長の山。大物忌主の山。ナガスネ彦が登った山。そしてニギハヤヒ命の登ったとされる山。ここでもニギハヤヒ命が出ている。そして瀬織津姫の影も・・・・・。

うーん、もうこれが限界です。これ以上は降参です。

最後に何故私がスズメバチに参拝を遮られ、鹿に頭ずきをされたのか。それが神威だとしたら・・・・・。

私は金運を望んだ。それがいけなかったのでは。何故なら私の家系を遡ると桓武天皇に繋がるから。蝦夷から金を強奪した桓武天皇の家系だからか。

勿論、途中養子として入っていたかもしれない。それでも家系は続いている。

金を強奪した者が今度は金運を求めてやってきた。これがいけなかったのではなかろうか。
漠然とですが、そんな気がするんです、今。

そして今後どうするべきが。神社は怨霊である神の封印の場です。その神には金運よりも感謝と懺悔、それしかないと思います。

今度、金華山黄金山神社に参拝するときは、金運は求めない。自分の幸せも求めない。ただひたすら謝るのみ。それだけに徹しようと思います。

勿論、鹿にはちゃんと鹿煎餅を与えて。いやいや献上して。


ではでは。




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金華山黄金山神社に拒まれた私。 その7

2014年07月24日 02時46分25秒 | 神道
何か考えれば考えるほど分からなくなってまいりました。もうシドロモドロになっていますが続けます。

ここで話を弁才天に戻すます。シンプルにします。

金華山黄金山神社に祀られている金山彦神・金山姫神、そして市杵嶋姫が弁才天となる訳です。しかし金山彦神は男神。何で弁才天になるのか。

前にも言いましたが弁才天は呪いの神であり、戦いの神です。本来の弁才天像は6本、もしくは8本の腕を持ち、それぞれ武器を掴んでます。

この弁才天像ですが、中には頭が爺様で体が戸愚呂を巻いた白蛇。もしくは頭がやはり爺様で体が白狐の者がチョコンと乗っている弁才天像が存在します。

この白蛇、もしくは白狐の爺様の正体は宇賀神。つまりお稲荷さんとの事です。

お稲荷さんへの信仰は日本でトップクラスです。本当に人気の神様です。でもこの宇賀神、どうしてこんなに人気があるんでしょうか。

宇賀神の親は素戔嗚尊と奇稲田姫です。どうも素戔嗚尊と奇稲田姫が空腹だった時に産まれた神の様です。お腹が減っていたから食物の神になったのでしょうかね。

母神が奇稲田姫ですから稲作と関係あるでしょうけど、私の知るところで恐縮ですが、宇賀神って記紀ではあまり活躍している神とは言えません。それなのにこんなに人気がある。昔は農家が多かったから信仰を集めていたと考えられますが、どうなのでしょうね。

それよりもどうなのでしょうねと思うのが弁才天の頭に宇賀神がインコの様に乗っかっている事です。これは宇賀神も弁才天だと言う事になります。

宇賀神のお顔は爺様なのて男神です。だとすると「金山彦神=宇賀神」。そこにニギハヤヒ命はどう絡むのか。

ニギハヤヒ命の幼名は大歳神とされています。つまり宇賀神の兄。長兄です。

これは何れ説明したいと思うのですが、鬼渡神を通して神道を調べた私の結論なのですが、兄弟神は同神である可能性が高いと思います。

つまり「宇賀神=ニギハヤヒ命」。そして「金山彦神=ニギハヤヒ命」です。

ニギハヤヒ命は神武天皇よりも早く日本に降臨していた神です。しかしそれは天照大神を祖と仰ぐ天皇家にとって都合が悪い。かと言って庶民はかつて信仰していた神を忘れない。忘れるべきではない。そこで宇賀神を隠れ蓑と言ったら大変失礼ですが信仰し続けてきた。だからお稲荷さんが多くの庶民の信仰を集めていると考えたら辻褄が合うと思うのですが、どうでしょうか。

元々、お稲荷さんであるダキニ天と弁才天は同神とされていますが、弁才天の頭に宇賀神が乗っているのですから、それを証明してます。

そして金山彦神・金山姫神を祀るアラハバキ神社が存在する。つまり弁才天もお稲荷さんも源流はアラハバキ神にあると思います。


続く。


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金華山黄金山神社に拒まれた私。 その6

2014年07月23日 00時41分50秒 | 神道

続きます。

スズメバチが金山彦神の金バージョンの眷属だとしたら、金で出来たスズメバチのフィギア・・・・じゃなかった、御神体があってもおかしくないですよね。銅製のムカデの御神体が存在するのですから。

そう思ってネットで純金製のスズメバチの御神体を探しましたが、金華山黄金山神社はおろか、どこにも見つからなかったです。純金だとお金が掛かるからでしょうか。そんなことないでしょうね。うーん、残念。

そう言えば福島県西会津のHさんのお宅でスズメバチの巣が飾られていたのを見たことがあります。何でもスズメバチの巣は金運招来のアイテムとか。

これは多分、中国からの伝承だと思いますが、そうなるとやっぱりスズメバチは金運に関わりがあると思えます。

考えてみたら蜂の黄色と黒の縞々模様は日本では危険を表していますよね。よく工事現場で立ち入り禁止の立て看板が黄色と黒の縞々模様だったりしますから。

これ、多分、蜂の模様から来ていると思うのですが、どうでしようかねぇー。「危険=蜂」。それが金運になるとはチョット考えられないか。

それとも「虎穴に入らずんば虎子を得ず」の例えで、「危険な事をしなければ金は得られない」言う事なのでしょうか。ちょっと分かりませんね。

記紀でも蜂が出てくる場面があります。須佐之男命が大国主をムカデと蜂の室に入れた。大国主はスセリ姫からもらった比礼により、ムカデと蜂の難から逃れたというものです。

っとなるとムカデや蜂は須佐之男命の眷属となるのでしょうか。いやいや比礼を持っている大国主、或いはイセリ姫の眷属となるのか。

いやいやいや、当時の室は山に有ったはず。だとしたらムカデや蜂は山神の眷属になるのでは。やっぱり金山彦神の眷属かも知れないですね。

そう言えば「スズメバチはニギハヤヒ命の眷属」と聞いた事があります。瀬織津姫のY氏の著書だったでしようか。ハッキリ思い出せないですが、誰かが言っていたような・・・、うーん、思い出せない。

しょうがないので仮にスズメバチはニギハヤヒ命の眷属だとします。金華山黄金山神社に祀られている神々の中で、どなたがニギハヤヒ命となるのか。

金華山に祀られている神々は黄金山神社に祀られる金山彦神・金山姫神、弁才天、市杵嶋姫。それと金華山頂上に鎮座する大海祇神社に祀られる大綿津見神です。

金華山頂上奥の院に祀られている大綿津見神。この神様は以前にも書いたので説明は省きますが、山神である大山津見神と同神と考えています。つまり海神は山神でもあると言うことです。

そして男の神様は金山彦神と大綿津見神の二神。どちらも山神。同神かどうかは分かりませんが国津神です。日本の地主神です。ニギハヤヒ命は神武天皇よりも早く日本にやって来た天孫族ですから国津神とは言えません。

先代旧事本記では天忍穂耳命の子で、瓊瓊杵尊の兄となっています。つまり天照大神の孫だから天孫族です。

本来は天照大神の子であり塩竈神との説もある天忍穂耳尊が天子降臨するはずだったんですが、天忍穂耳尊は「魑魅魍魎がまだいるじゃないの」と降臨を躊躇し、息子の瓊瓊杵尊に譲っています。神話の時代は末子相続なので、これは別に問題ないです。

問題点は神武天皇よりも先に降臨していたという点。そして父親の天忍穂耳命の「忍」の字です。

これまた塩竈神説がある仲哀天皇の息子・忍熊皇子にも「忍」の字がある。本来は仲哀天皇の後を次ぐ筈だったのに継母の神功皇后や武内宿禰に攻撃され失脚してます。つまり「忍」の人生なのです。

本来降臨するはずだった天忍穂耳尊にも「忍」。つまり迫害された。ニギハヤヒ尊も降臨していたのに瓊瓊杵尊に権利を奪われた。つまり「忍」。瓊瓊杵尊より早く降臨したからニギハヤヒ命と考えれば、父親の天忍穂耳尊とダブります。

そしてもしかしたらニギハヤヒ命は国津神だった。祟が恐ろしいから天孫族に組み入れたとも考えられますね。


つづく。


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