諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

投資顧問会社コスモ・リサーチ社長殺害事件(1988年)の犯人が死刑執行された。その2

2018年12月30日 20時57分58秒 | ニュース
年をまたぎそうですが続きです。

私は株や投資信託を勧めるのは多少なりとも罪悪感を感じてました。人に株を勧めて損をさせる恐怖に怯えてました。

株は勿論、株式投資信託も損をする可能性が高い。地合いが良いのに何で株式投資信託の運用成績が悪いのか。

当時、証券会社で運用して失敗したら投資信託に組み入れると言う話を聞いていたのですが、そうとしか思えない大損の投資信託が結構ありました。これなら私が運用した方がどう考えたって儲かる。事実、私が考え勧めた株で儲けさせていましたから。

でも、私には自信が無い。損をさせたらどうしよう。支店長は「三回買わせて一回儲けさせれば客は付いてくる」と言っていましたが、私は誰にも損をさせたくはない。一度たりとも損をさせたくはない。そんなのは無理だ。

でも、見学さんなら可能だ。見学さんの推奨する株はピタりと当たる。その見学さんが「世界長が来る」と言っている。

信頼している見学さんが言うのだから絶対に上がる。そう確信すると不思議なものでお客さんも私の言う通り世界長を買ってくれます。私は親にも買わせた。結果はどうなったか。

1987年10月。かの有名なブラックマンデーが発生しますが、その1年前から株価の動きがおかしくなっていました。

私が株に興味を持ち始めたのは高校生の時ですが、その当時の日経平均株価は7000円台。その5年後には18000円に迫る勢い。高過ぎる。ピッチが速過ぎる。

そんな訳で株価の振幅が激しくなっていたのですが、来たのです。ガクンとした大暴落が。

世界長は仕手株。仕手株は根無し草。下がる時はとんでもなく下がります。

当時、私は茫然として記憶が薄れていたのですが、ストップ安で中々値段が出なかったのを覚えています。そして1日で親に買わせた世界長で400万円以上の損を出した。更に3日間で700万円以上の損。そして客に買わせた世界長も5000万円近い損を出したのです。

茫然。茫然自失。どうして良いのか分からない。I主任も言葉を失っている。あの自信満々の頼もしいI主任が青白い顔している。

株の前では誰もが素人。神と信じた見学さんでも株と言う魔物の前ではただの人間。私は確信しました。株を売るのはディーラーとしてならOKだけど、勧めて売るのはダメ。やっていけないと。

その後、I主任が赴任してから影が薄かった支店長が勢力を盛り返し、I主任の影響力は影を潜めました。

世界長の株は仙台支店で大量に買っていましたが、損切させろと支店長の鶴の一声で投資信託や別の株式に買い換えていました。

ただI主任と私だけは持っていました。買値位は戻すと思っていたので。

結果、私は全然損切せずに多少の利益を出して売り抜けました。しかし、私はもう懲り懲り。もう株を売りたくない。客に大損させる前に辞めるべき。そう考えました。一年ちょうどで3月いっぱいで退職しました。


続く。

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投資顧問会社コスモ・リサーチ社長殺害事件(1988年)の犯人が死刑執行された。その1

2018年12月30日 01時07分53秒 | ニュース
以前「人のお金を預かる怖さ。【証券会社支店長編】」のお題で記事を書きました。少々間違っていた箇所がありました。12月27日の「コスモ・リサーチ社長殺害事件の死刑執行」のニュースで間違いを知りました。

今回のお題は間違っていた箇所を訂正し、重複する部分はあるでしょうが再び思い浮かべて書きたいと思います。私のメモリアルな事件でしたので。

「I主任、見学さんからお電話です」。

時は昭和61年の8月。私は中堅証券会社の新入社員。22歳。仙台支店に勤務していました。

そこにシーズンじゃないのにI主任(当時31歳)が京都支店から転勤して来た。大変出来る社員らしい。

身長177cm前後。痩せ型。大阪弁。吊り上った銀縁メガネ。頭はポマードでキッチリ。やり手エリート証券マンそのものの風貌。でもチョッピリ浪速金融道のエッセンス有り。

転勤の理由ですが個人の客に3500万円ほど株で損をさせて、会社に願い出て遠く離れた仙台まで来たそうです。証券会社ではよくある話です。命の危険があったらしいです。

そうでなければ関西から東北には転勤して来ないでしょうね。関西弁は東北の者には悪質な人物に想える。反対に東北弁は関西の人には馬鹿丸出しに聞こえる。だから転勤でも避けられるらしいですので。

このI主任に毎日電話をかけてきたのが見学さん。大阪のコスモ・リサーチと言う投資顧問会社の社長です。当時40歳前後。北浜の相場師として大変有名な人でした。

私は「見学まなぶ」と言う名前で聞いていたのですが間違っていた様です。今日のニュースで「見学和雄」が本名と知りました。多分、下の名前は変えていたのだと思います。投資顧問会社の人間は色々と危険にケースに遭遇しますので

見学さんの名前は当時の私でも知っていました。どう言う経緯なのかは知りませんが、その有名相場師とI主任は懇意だった。それで毎日I主任は見学さんから電話で情報を聞いていたのです。

見学さんの情報は的確です。毎日の日経平均株価や銘柄の価格をピタリと当てる。神業。こんな凄い人がいるのか。

滅多に人を尊敬しない私ではありますが、私、見学さんに憧れてしまいました。

私の勤めていた証券会社は前年まで大手証券会社の投資信託販売会社だったせいか、支店長以下、誰も株の知識に疎い。新入社員の私の方が知識がある位です。

証券部から推奨銘柄の放送が流れていますか全然当たらない。「空売り情報か」と言うくらい当たらない。

それで私は自分で研究したり、客を装い電話で付き合いのあった証券会社に電話して情報を聞いて客に勧めていたのです。勧めた株が上がらないと客は買いませんから。

そこにI主任が遣って来た。30年に1人出るか出ないかと言われている有名な相場師・見学さんの情報を得られるI主任が。

この見学さん、もしくはその助手(当時22歳前後)の方は毎日I主任に電話を掛けてきた。電話に出るのは新入社員の私。「何時もお世話になっています。少々お待ちください」と言ってI主任に電話を取りついていました。

この見学さんの情報は仕手株中心。大変リスキー。株価の振幅が激しい。

しかし、そこは超有名相場師の見学さん。「今日は〇〇円で指値で売って]、「〇〇円まで落ちるから、指値で拾って」とアドバイスしてくれます。本当に的確にその通りになります。正しく相場の神様です。

その神様の見学さんが「大相場になるぞ」と強く推奨したのが、大阪株式市場上場のゴム会社・世界長。仕手株の中の仕手株。私レベルでは思いもつかない銘柄。

でも見学さんが仕掛けている。見学さんに間違いない。それで私、絶対の自信を持って客に買わせました。親にも買わせました。そしてその結果は・・・・・・。


続く。












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日本人の信仰。その4

2018年12月29日 12時12分00秒 | 信仰
続きです。

当時の長崎市の人口は24万人。そのうち原爆で亡くなったのは74000人。この人数に長崎市の大半のキリスト教徒が含まれていた。この事実を知ったらキリスト教なんて馬鹿馬鹿しくて信じなれませんよ。

この事実、大半のキリスト教徒は知りません。キリスト教徒としてはタブー。秘密にしておきたい。

実はしつこく勧誘に来ていたエホバの証人の方がいて、黙って話を聞いていました。エホバの証人の方に悪い人はいないので、悲しませたくないので話を聞き続けていたのです。彼らの聖書を読まされたりして。

でも私はキリスト教は結果的には悪魔の宗教だと思います。彼らがアフリカ人、インカ人、ネイティブアメリカン、そして日本人等々にした所業は悪魔そのものですし。

キリスト教徒同士でも争う。イスラムやユダヤ教徒も争う。キリスト教のせいで不幸になった者がどれだけいたことか。この事実に対しキリスト教徒は耳を塞ぐだけ。そんなんでは私を勧誘なんてできませんよ。

そして長崎の原爆の話をすると、彼らはそんな事実はないと言います。「じゃ、調べて来てよ」と言うと大抵の方は来なくなります。

一人だけ男性の方が「事実でした」と言ってきましたが、ショックを受けていました。

私は「何故、その様な事が起きたのでしょう」と質問しても彼は答えられなかった。誰も答えられませんよ。これ程の矛盾は有りませんから。

私は異教徒を迫害したり、侵略戦争をしなければ彼らを評価しますが、キリスト教徒が原爆で日本のキリスト教徒を殺した事実から、絶対にキリスト教は信じないです。

仏教においても同様です。

戦国時代の仏教徒は増長していた。自分たちの権力に酔っていた。地域支配に乗り出した。その様は戦国武将そのものだった。

結果、浄土真宗の一向一揆は織田信長に鎮圧された。14000人と言われる宗徒が処刑された。

これで多くの民衆や仏教徒は懲りた。仏教徒は武力を持つべきではない。否、それ以上に仏教では人は報われない。不幸になる。それを心に刻んだ。

キリスト教に宗教を変えても結果は同じだった。宗教に関わるとロクな事は無い。

神道ではどうか。第二次大戦は「神風が吹く」として火の玉となって戦ったが日本は敗北した。あの戦いは天皇と神道が融合した信仰での戦争だった。宗教では戦争に勝てない。宗教では幸せにはなれない。

何と言うか、日本人は宗教を信じたかったが、全ての宗教に裏切られた。心の底から信仰する気力が失せた。

では何故、神社仏閣に詣でるのか。

それは神道の本来の意味に気が付いたから。本来の神道の神は医者であり、預言者。或いは人を先導する者。相談相手。厄を祓う存在。それに気が付いた。

だから宗教に全てはは期待しない。神を信じても永遠の命など得られない。生き返る事もない。それを知った。

神は相談相手であり、人道を逸すれば祟りで規制する存在。そう認識して妄信することは無くなった。神を万能なる存在として信心する事がなくなった。

その絶望感からどんな宗教であっても深く信心する事は無くなったのではないでしょうか。

っとは言っても悪意のある宗教者は人々を洗脳します。そして権力を握り富を得る。人生を自分で切り開かず、人任せにする人はどこまでも騙される。宗教での被害者は無くならないと思いますね。

あっー、何時もながらシドロモドロらになってしまいました。

正直、今回のお題は今の私には難し過ぎました。

ただ、一つ言える事は「神を語る者を信じるな」と言う事。その者を信じて多くの不幸が生じてきた。この事実は忘れてはならないと思います。

今の私にはその位しか分かりませんね。


ではでは。





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日本人の信仰。その3

2018年12月28日 18時10分58秒 | 信仰
続きです。

キリスト教禁止令が出ても信仰は続きます。隠れキリシタンと言うヤツです。

特に多かったのは私の故郷の福島県・会津地方。二本松など当時の人口の3分の1はキリシタンだったと言う話もあります。見つかったら殺される。それでも信仰を捨てない。

イエスだって十字架にかけられた時、父なる神に対して恨み事を言ったのに、日本人キリシタンは正々堂々と処刑される。

仙台では外国人宣教師が仙台藩に捕まり水牢に入れられようとする場面に、数人の日本人キリシタンが現れ、一緒に水牢に入ることを希望。そして宣教師と共に水牢で処刑されています。日本人は神に対してここまでの覚悟があるのです。

人に限らず生物は生きる本能が有ります。敵に追われれば逃げる。自分の命を守る。それは間違いなく本能です。

その本能を無視させて信仰の為に死を望む。「キリスト教では神を信じろ」と言います。イエスも十字架に付いた。イエスに従って自分も処刑される。それが正しいのか。

私はそこに疑問を覚えてキリスト教の歴史を学問的に学んだのですが、イエスにはモデルがいる。イエスは創造された人物だとの考えに行き付きました。

キリスト教を学問として学ぶとどうしてもその結果に行き付きます。これは私だけではありません。そう結論づける人が大変多い。そうとしか考えられないのです。

その学問的事実を知らずにイエスを妄信して自ら死を選ぶ。本能に逆らって。

本能に従うことは悪であります。本能にしたがって犯罪を犯していたら社会は成り立たない。それは規制すべきです。

しかし、本能に従わざる負えない欲求もある。食欲とか。

その欲求に反すれば生きていけない。だから人間は清濁ある。濁もまた人間。清だけでは人間は生きていけない。それがキリスト教に限らず宗教全般的に矛盾している部分だと思いますね。

そして時は流れ徳川幕府が終焉し明治時代に。開国してキリスト教宣教師がまた来日して布教を始める。

私の通っていた学校も明治時代に来日して宣教師によって創立しています。

更に時は過ぎ第二次世界大戦勃発。アメリカ等のキリスト教国との戦争に突入した。日本のキリスト教徒また迫害される羽目になる。

そして終戦。日本は敗戦国に。そしてGHQによるキリスト教教育が推奨される。高山右近が悲劇の宗教者ととしてキリスト教国によって英雄として持ち上げられもした。しかし、キリスト教の信仰心し冷え切ったままとなった。

その一因となったのが広島と長崎に落とされた原爆。キリスト教にあらずんば人にあらず。無慈悲にキリスト教国であるアメリカは2つの原子爆弾を日本に落とした。

特にショッキングだったのは長崎に落とされた原爆。本来は北九州佐世保に落とす予定だったが、雲が立ち込めて視界不良に。

そこで計画を変更。急遽長崎に計画を変更。長崎でも火災等で視界が優れない。目的地が不明に。しかも日本の戦闘機も現れる。B29も操縦が不安定になる。目標物を把握しないまま原爆を落とした。

長崎県はキリスト教徒が多く住む街です。しかしキリスト教徒と通常の日本人は仲が悪い。いざこざが絶えない。キリスト教徒はヤクザ紛いの態度。長崎市民はキリスト教徒を毛嫌いした。キリスト教徒も玄関にれキリスト教徒の紋章を飾る。

それだけでなくキリスト教徒等は長崎市内の山を隔てた場所に自分たちの街を造った。一般人と別れて住んだ。そのキリスト教徒の街のど真ん中に原爆が落とされた。


続く。





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日本人の信仰。その2

2018年12月26日 15時00分04秒 | 信仰
続きです。ここら辺から危ない事を書きます。

はっきり言っちゃいましてキリスト教は戦争兵器。侵略兵器です。

先ず未開の地に宣教師が遣ってくる。キリスト教を地元民に伝道する。キリスト教の信仰が根付いたところで武力を持って侵略する。このやり方で植民地を広げて行ったのです。

日本の場合も当初はそうだったと思います。しかし日本には国教として仏教がある。得体の知れない神道もある。

更に日本人はプライドが高く好戦的な戦闘民族。植民地支配はそう簡単ではない。火の玉になって戦いを挑んでくる。

そこで宣教師たちは天下人になりつつある織田信長に接近。信長を欺いて西欧の文化を餌に信長に布教の許しを受ける。お墨付きを得る。

日本国民は本来、度が過ぎた宗教大好き民族です。神の前では誰もが平等。この新鮮なキリスト教の教えは,民衆に熱狂的な支持を得た。

特に人格者だった高山右近が入信。キリシタン大名となった事で彼を慕う黒田官兵衛等の大名もこぞってキリスト教に入信した。

そして異常事態が起きた。キリスト教にとって異教は悪魔の宗教。仏教も神道も悪魔の宗教。坊さんも宮司も悪魔宗教の教祖。殺すべし。

高山右近等キリシタン大名は神社仏閣を打ち壊した。摂津藩のほとんどの神社仏閣は消滅した。その教徒たちも迫害した

それだけではなく、50万人と言われる女性達を奴隷としてキリスト教国に売り渡した。火薬と引き換えに。

何故、高山右近等は火薬を欲したのか。キリスト教国の手先になって武力で日本を占領し、キリスト教国の植民地にするつもりじゃなかったのか。

何せ50万人の日本人女性を奴隷として外国に売った訳です。キリスト教徒でない者は人ではない。そんな者の命なぞ何の価値も無い。人格者と言われた高山右近でさえこれ程の狂気を演じた。

宗教に関わると自分が神になったつもりになる者が非常に多いです。最近のヒーラーもオウムの麻原彰晃もそう。勿論、新興宗教の教祖もそうです。私もこんなブログを書いてて何度かヒーラーらしき人に非難されています。

宗教で自分と違う考えを持つ者は徹底的に迫害する。人格者だった高山左近にもそんな感情が芽生えたと思います。

私は本能寺の変はキリスト教国から日本を守る為に起きたと考えております。信長が生きていたら日本は大変な事になる。天皇家も消滅させられる。

本能寺の変の黒幕は、朝廷や豊臣秀吉、徳川家康等ではないかとされていますが、キリシタン大名の頑なさに恐怖した事で明智光秀によって決行された。

光秀に限らず秀吉、家康、そして朝廷もキリスト教に恐怖を覚えていたのは間違いない。千利休が処刑されたのも根本にはキリスト教があったと考えられます(機会があれば語ります)。

現に豊臣秀吉は懇意だった高山右近を含めてキリスト教徒を国外に追放した。

家康も島原の乱で37000名ものキリスト教徒を全滅させた。神を頑なに信じて命を投げ出すキリスト教信徒に恐れを抱いた。キリスト教徒を絶滅させなければ日本は滅びる。キリスト教の布教は断じて許さない。家康もそう思ったに違いないです。

キリスト教ではイエスを信じれは、死んだ者でも生き返ると信じられていました。

キリスト教徒は生き返る。そしてまたゾンビの様に立ち向かってくる。それで伊達政宗もキリスト教の宣教師をバラバラに切り刻んで広瀬川に流したとの話が伝わっています。

伊達政宗はスペインに支倉常長を派遣したほどキリスト教には寛容でしたが、支倉常長がスペインから戻って来て政宗と対面した直後、人が変わった様にキリスト教に憎悪を剥き出しにします。

多分、洗礼を受けてキリスト教に入信した支倉常長の姿と狂気を見て、キリスト教を日本に入れてはいけないと思ったのでしょう。

支倉常長は政宗の信任が厚いからスペイン行きを命じた。しかし帰って来たら人が変わっていた。

「キリスト教徒にあらずんば、人にあらず」。そんな対応を支倉常長は政宗に対しても行ったのかも知れません。政宗も後、そのキリスト教徒(カトリック)に対する弾圧は尋常ではなくなりましたので。

キリスト教は疱瘡の如く広まり人々を盲人化させる。日本国民が簡単にキリスト教国の先兵隊になってしまう。このままでは日本はキリスト教国の植民地になってしまう。

度重なるキリスト教の狂気に恐怖を覚えた家康は鎖国を決断した。そんな感じがしています。


続く。











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