諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

青麻神社と瀬織津姫。 その9

2013年08月29日 01時13分22秒 | 瀬織津姫

えーーー、と言う訳で、青麻神社の伝承から瀬織津姫との接点、もしくは関連を探って参りました。掻い摘んで書いたつもりなんですが、結構長かったですね。

ここで一つ、私事なんですが、チョット思案にくれている点があります。

仙台では平家の東の守り本尊である「定義如来」と、源氏縁の「青麻神社」に同じ願い事したら中和するのかどうかは知りませんが、願いが叶わないと言われているんですね。

そこでなんですが、私の家系は平家なんです。そして汚い方法ではありますが、多大な犠牲を強いて平家の為に源氏の頭領を殺しちゃったんです。

そんで平家に喜んでもらって、源氏に命を狙われても対抗出来るだけの領地を頂きたいと思っていたのですが、驕れる平氏は久しからずで、うーんと外れの島一つしかくれなかったんです。

多大な犠牲を出して、源氏に命を狙われるの覚悟で、中傷され、家名を汚しながらも平氏に忠誠を誓い事を起こした訳なのに、「それはないよ」と言ってしまったんですよ。

そしたら平家の棟梁の血筋から怒られちゃって、終いには命を狙われる始末になったんです。

しょうがないんで逃げ回っていたら、殺した源氏の頭領の息子に「当家に忠誠を誓い、平家と一緒に戦ってくれれば昔の罪は許してやる。広い領地もやる」と言われて大喜び。張り切って源氏側に付き、多大な戦果を挙げ平家は滅亡。

源氏の新頭領に「褒美やるから来い」と言われ、喜んで向かったら、「もう、用無しだから、今こそ父の敵を討ってやる」って事になって磔にされ、歴史上、最も惨たらしい方法で殺されたんですよ。

その家系の私は、青麻神社と定義如来のどちらを参拝したら良いのでしょうか。そんな訳で私、平家も源氏も、どっちも嫌いですけど、どうすれば良いでしょうかねぇー。

因みに源氏も平家も弁才天を信仰してまして、どっちも弁才天に必勝を祈願していたと言うか、弁才天を通して呪い合戦を行い、どっちも滅亡した訳です。

っとなると「弁才天=市杵嶋姫=瀬織津姫」と言われてますから、平家も源氏も瀬織津姫が滅ぼした事になるんでしょうかねぇー。

まっ、私にはそんな事分かりませんが、そんなとこも瀬織津姫と関連があるのは皮肉な話だと思います。

あーあっ、それにしても私の家系、困った事してくれましたよ、まったく。思案にくれての事だとは思いますが・・・・・。

 

つづく。

 

 

 

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青麻神社と瀬織津姫。 その8

2013年08月28日 02時43分00秒 | 瀬織津姫

さて、残りは「山神社」と「七福神祠」ですね。

七福神で瀬織津姫との関連があるのは、当然、弁才天です。

このブログで以前にも書いたと思うのですが、大国主の直系の子孫である富氏の伝承を元にして書いた「謎の弁才天女 吉田大洋著」に、「出雲の本来の神である久那戸大神とアラハバキ神が、スサノオ命、そして天孫族に支配・迫害され、その名を消されたが、民間にはダキニ天・弁才天に姿を変えて信仰されて来た」旨の話があります。

私もその説を信じているんですが、ここで問題があります。大国主命と恵比寿神との関係です。一般的には大国主が父親で、事代主とされる恵比寿神が息子です。

そして大国主がニギハヤヒ命で、弁才天が瀬織津姫。二神は夫婦となっています。でも詳細はどうなのでしょうか。チョット疑問に感じています。

先ず恵比寿神は、イザナキ命・イザナミ命の最初の子である蛭子神と同神とされています。っとするとスサノオ命より先に産まれていた訳です。だったら大国主の息子である筈がありませんね。

では、一体、恵比寿神は誰なのか。私、出雲は久那戸大神・アラハバキ神系と、スサノオ命系に分かれるのではないかと思うんです。゛

久那戸大神・アラハバキ神の国であった出雲帝国が、朝鮮から鉄を求めて渡って来たスサノオ命に支配された。支配される前の久那戸大神・アラハバキ神系が恵比寿神で、支配したスサノオ系が大国主命なのではないでしょうか。

うーん、もしかしたら、大国主命はその名の通り「大きな国の主」、つまり役職名と言うが、「その国の王様、支配者」の意味で、個の神を指していない可能性もありますから、断言は出来ませんけど・・・・・・。

でも、もしそうだとしたら、アラハバキ神である弁才天、つまり瀬織津姫はスサノオ系の大国主に殺された可能性もあります。また、支配されて側室にされた可能性もあると思います。

では、山神社はどうなのか。山神と言えば、大山祇神とその子のコノハナサクヤ姫、岩長姫、手長足長のテナヅチ・アシナヅチ、火口神の速秋津姫、謎の大物忌主、金属神の金山彦神・金山姫神が挙げられます。

この神々の中で注目は金山彦神・金山姫神でしょうね。金山彦神・金山姫神の仏号は弁才天ですから。

しかも会津若松市のアラハバキ神社には金山彦・金山姫両神が祀られていますし、ホツマツタエでは金山彦・金山姫両神の娘が二代目・瀬織津姫になった記述があったと思います。

更に瀬織津姫を祀る岩手県の早池峰神社の「山神の舞」に、興味深い点があります。

それは、赤い男の山神の面を被った舞手が段々と激しく踊り出し、最高潮には男の山神の面を外し、山神の衣装を脱ぎ捨てます。

そして現れたのは白粉顔で女性の帯・着物を着たニューハーフの爺様・・・・・・じゃなく、女神の山神です。これは「山神=瀬織津姫」を表しているのかも知れません。

以上が、青麻神社に祀られた神々や伝承から考えられる瀬織津姫との関連です。

 

つづく。

 

 

 

 

 

 

 

 

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青麻神社と瀬織津姫。 その7

2013年08月27日 01時17分14秒 | 瀬織津姫

日、星と来て、次は月です。しかし、月に関しては記紀もかなり暈して書いているんで、難しいですね、これ。だって女神だか男神だかも分からないんですから。ハッキリ言って、月読命に付いて分かっている人がいたら聞いてみたいです。

それでもチョット矛盾しているんですが、その考えを述べたいと思います。

先ず、月読命は保食神に「腹減って死にそうだから、何か食わせてくれ」って頼みました。

「あいよっ」と人の良い・・・・・じゃなかった神が良い保食神は、ご馳走を作ろうと思って口から尻から、そして××から食べ物を出していたら月読命にその姿を見られ、「汚ねっ、そんな物食えるか」と言って切り殺された訳です。

まぁーね、この話、スサノオ命と大宣都姫の話と全く同じですよね。

これ、「月読命=スサノオ命」と言っている様なもんです。

スサノオ命は別名・牛頭天王と呼ばれています。牛の角の形は三日月ですから、インドでは牛は月神の使いとされています。そこからも月読命とイコールになります。

っとすると殺された方も「保食神=大宣都姫」になりますが、大宣都姫は「大月姫」とも表記します。こっちも月なんです。だから何が何だか分からんのです。もしかしたら月の女神が殺れ月黄泉に行き、殺した神が月読命になった。何てことはないでしょうけど・・・・・・。

保食神も大宣都姫も穀物の神、食物の神です。そして豊受大神もお稲荷さんの倉稲魂命も食物の神です。この神々が全て同神だとしたら、またまたアラハバキ神が出て来ますよね。

もう一つは、これと正反対の説です。

京都に二社の大井神社があります。祭神は一方が月読命・市杵嶋姫で、もう一方が御井神と市杵嶋姫となっています。この二社の大井神社には同じ伝承が残っています。

それは「月読命・市杵嶋姫」、もしくは「御井神・市杵嶋姫」が、大堰川を二神で大亀の甲羅に乗って遡って行ったが、途中、急流になり大亀はヘロヘロで上れず、仕方なく大亀から大鯉に乗り換えて急流を上って行ったと言う話です。西暦700年代に大堰川を上って行ったそうです。

こうなると「月読命=御井神」になりますよね。そして市杵嶋姫とは夫婦と考えるのが自然だと思います。そして「市杵嶋姫=弁才天=瀬織津姫」とされています。

つまり一方は殺した相手、もう一方は結婚した相手になっちゃいます。どうなってるんでしょうかねぇー。

そう言えば青麻神社の境内には御井神を祀る御井神社があります。そして御井神は三井神。即ち生井神・福井神・綱長井神であります。朝鮮から渡って来た神です。

坐摩神五座は生井神・福井神・綱長井神・阿須波岐神・波比岐神となりますが、阿須波神・波比岐神は久那戸大神・アラハバキ神と関連が深いので、国津神なのは間違いないです。

つまり朝鮮系の神と地主神とで座摩神になると言う事は、武田信玄が諏訪御前を側室にした様に、戦いで勝利した神が、敗れた側の女神を妻としたと考えるしかないですね。

国津神同士の結婚は聖婚、つまり近親婚となりますが、侵略した側はその土地を統治しやすくする為、敵の女神と婚姻した。それで敵でありながら夫婦でもあると言う関係になるのかも知れません。

今の所、それしか考えが浮かばないです。

 

つづく。

 

 

 

 

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青麻神社と瀬織津姫。 その6

2013年08月25日 00時55分23秒 | 瀬織津姫

そんでは、瀬織津姫と青麻神社の関連を述べたいと思います。でも、まあ、詳しく書くと豪く長くなりそうなんて、今回は掻い摘んで書きます。何れ又、それぞれのテーマで書くつもりでいますんで、そこんとこ宜しくです。

では先ず三光信仰です。三光信仰と言えば星、日、月ですが、その三光の旗??を船になびかせて三韓征伐に行った方がいます。ちょっと神道に詳しい人なら直ぐお分かりだと思いますが、息長足姫こと神功皇后ですね。

まあ、三光の旗??をなびかせていたのですから、神功皇后は三光信仰の信者だったと言えます。

そして神功皇后は天照大神の荒御魂であるマガツヒ神を憑依させて三韓征伐に行った訳です。つまり瀬織津姫を信仰していた。瀬織津姫そのものだった。これが関連の一つです。

一応、信仰していたと書きましたが、実際、息長氏は瀬織津姫を調伏していた家系です。悪魔とされていたマガツヒ神、つまり瀬織津姫を調伏して消し去り、神として復活させたと言う事です。その点、チョット複雑ですわね。

因みに神功皇后は三韓征伐に行く途中、壱岐島に寄ってタク幡千千姫を祀る天手長比売神社に必勝を祈願してます。

私、これって「瀬織津姫=手長=タク幡千千姫」じゃないかと思うんですよねぇー。

因みに天手長比売神社は蒙古襲来の時に破壊され、現在は同じ壱岐島の天手長男神社に合祀されています。

天手長男神社の祭神は、何とタク幡千千姫の旦那さんの天忍穂耳命と天手力男命、アメノウズメ命です。これは興味深いです。特に天手力男命が。

しかも天手長男神社は壱岐島で一番古い神社だそうです。

壱岐島は月読命だけでなく、手長足長の国でもあると言えますね。

天忍穂耳命は本来、天照大神の命令で天孫降臨する筈でした。それを息子のニニギノ命に譲った訳です。っと言う事は、ニニギノ命より早かった。つまりニニギより早いニギハヤヒ命になるんじゃないでしょうか(天比古さんも言っていましたが・・・・)。

だとすると、ニギハヤヒ命の奥さんが瀬織津姫だと言われていますから、「タク幡千千姫=瀬織津姫」が成り立つと思うんです。

そして、タク幡千千姫の別名は「萬幡豊秋津師比売命」ですので、同じ祓戸の神である速秋津姫との関連も考えられます。

またまた因みに、タク幡千千姫は大変美しい機織りの神とされていますが、タク幡千千姫の「タク」は漆科の「勝つ木」と言う木らしいです。つまりタク幡千千姫は、植物神です(繊維も元々は植物ですけど・・・・)。

そして「千千」は蛇神を意味します。合わせて「蛇木(ハハキ、ハバキ)」です。ここ大事です。アラハバキ神にも繋がりますから。

さて、三光信仰は日、星、月ですが、日、つまり太陽で考えれば、瀬織津姫は天照大神荒御魂ですから日に当てはまります。

星の場合は、籠神社境内社の真名井神社の伝承によれば、天御中主神は豊受大神であり宇迦之御魂神、塩土老翁であるとしています。

これは塩竃神社の秘密を解く鍵になると思いますが、豊受大神は久那戸大神とアラハバキ神のニ神であると考えます。アラハバキ神だけですと「豊受姫」、「豊受稲荷姫」になると思います。

っとすれば瀬織津姫の源流はこの点もアラハバキ神と言えます。星も瀬織津姫に繋がると思います。

 

つづく。

 

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青麻神社と瀬織津姫。 その5

2013年08月22日 00時01分38秒 | 瀬織津姫

さて、次の日の朝、あえて気合を入れず、全てを受け入れる気持ちで、再度、青麻神社・三光の瀧に向かいました。

前日は夕方に向かって、得体の知れぬ恐怖に襲われましたからね。今度は天日が燦々と輝く時間帯にした訳です。

すると不思議なもので恐怖心は薄れていました。でも、只ならぬ雰囲気はしっかりとありましたが・・・・・・。

処でブログで青麻神社について書かれているヒーラーの方々が結構います。青麻神社は東北一のホットスポットだ、凄いエネルギーだ、波動だ、オーラだと言っていますが、恐怖は感じないのでしょうかねぇー。

確かにエネルギーと言えばエネルギーなんでしょうけど、私には恐れが先に立ちます。神社から憎悪は感じませんが、何と言ったら良いんでしょうか。威厳と畏怖ですね。恐れ多いと言うの気持ちが強いです。

「萌えぇー」とか、「愛されてるぅー」なんて気持ちにはなれません。私の家系の因縁がそうさせているのでしょうか。

これは私の人生のテーマなのかも知れませんわね。

さて、「三光の瀧」ですが、例の三本の丸太橋から100メートルも行かない場所にありました。落差1.5メートル程度でしょうか。「これが瀧か」と思ったのですが、その場に「瀧の宮」と書かれた小さな祠がありましたから、これが「三光の瀧」なんでしょう。もう、ここしかないと確信しましたね。

それにしてもこんなに近いのであれば、昨日諦めずに行けばいいのにと思うでしょう。でも、昨日は2、30メートル進むので精一杯でした。それ程の場所なんですよ。本当に。

道は小川に沿ってまだまだ続いていましたが、何となく大体分かったと言うか、ここが瀬織津姫の目印だと確信しまして、ここで引き返し本殿に参拝して帰って参りました。

以上、青麻神社の三光の瀧・瀧の宮について書いてきましたが、どこに瀬織津姫が隠されているのかお分かりでしょうか。

前に三光の瀧・滝の宮は瀬織津眼の姫の目印と書きましたが、瀧だからと言ってここが瀬織津姫の全てではないと思います。

この点について、ヒーラーの方に聞いてみたいもんです。

中には瀬織津姫と話し出来るお方もおられるようですが、話が聞けるのであればどうして瀬織津姫が青麻神社に祭られていると言うのか、是非、お話を聞いてみたいですねぇー。

私の考えが当たっているかどうか知りたいですから・・・・・・。

どのヒーラーさんも、その点について全然発言して下さらないのが非常に残念です。

以上、長々と青麻神社を多方面から書いたつもりですが、このブログ読んでいる方は、瀬織津姫を青麻神社の何処に感じたでしょうか。

次回、私の考えを書くつもりですが、お暇な方は次回まで考えてみて下さい。

 

つづく。

 

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