諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

弁当嫌い。

2013年07月27日 06時59分45秒 | 人生

以前、週刊誌で見たのですが、宮城県の小学校の給食が全国で一番しょぼいと言うか、酷いらしいですね。特に利府の小学校が・・・・・。勿論、全体的にも全国ワーストワン。原因は給食費を払わない親が多いからだそうです。

でもね、給食費を払わない割合は沖縄県の方が高いんです。だけど沖縄はまずまずのおかずです。それなのに宮城県の給食は網走刑務所よりも酷く、ギリギリの栄養価ですよ。こんな点も公務員天国の宮城県の酷さだと思いますね。

自分たちは民間の何倍ものサラリー取っていて、給食費払わない親が多いからと言って、あの給食の酷さは無いと思います。情けないですよ。確かに給食代払わない親が悪いと思います。仙台ですから、払える経済状態の親も多いと思いますが、払えう金がなくて払わない親もいる筈です。

ホント、宮城県の行政はは腐っている。必要性の無い箱物ばかり造って、公務員の権限、さらには公務員の為の仕事、天下り先の確保ばかり考えています。

公務員でなければ人にあらず」を地で行ってます。いっそ、夕張市やデトロイトの様に破産した方が良いと思います。

3.11の震災が無ければ宮城県は破産確定で、公務員にも責任を取らせる事が出来たのですが、残念ですよ。

しかし、ここまで給食が酷いのであれば、子供手当てを給食に充てるべきじゃないでしょうか。人間、貧しい食事ほど惨めなものは無いです。子供の心も曲がるってもんです。

なんて書いて見ましたが、私、幼稚園のとき弁当で凄く惨めな思いをしまして、給食には本当に感謝していたんですね。だから、小学校くらいは食べ物で貧富の差を無くして貰いたいんですよ。

私が最初に入った幼稚園は、故郷のいわき市の好間町にありました。常磐炭鉱の町です。近くに江川卓も住んでいました。実は私と江川卓はちょっと遠い親戚であります。確か私の母の従兄弟が江川卓の叔父です。

この常磐炭鉱なんですが、閉山になってしまったんですね。私の親は閉山した炭鉱町で新聞販売業していた訳なんですが、そりゃ儲かりませんでしたよ。だって殆どの住人が失業者になった訳ですからね。新聞取る人も少なかったし、新聞買える人もいなかったんです。新聞代が払えず、農作物で払っていた人もいましたし、私の家、とてつもなく貧乏でしたわ。

子供ながらに貧乏さに身を詰まらせたのは弁当でしたね。何時も毎日の様にサトイモの煮っ転がしと、梅干しか入っていない弁当でしたからね。他の子の弁当には玉子焼きとか赤い皮のウインナーとか、色鮮やかな弁当なのに、私の弁当ときたらモノトーンでしたからね。

灰色のサトイモとご飯の白。そしてたまに梅干の赤。惨めなコントラストでした。何時も弁当の蓋で隠して食べていました。見られるのが恥ずかしくてね。

またまたたまにですが、、豪華な弁当持ってくる友達からイクラとか焼きタラコを貰ったりしたのですが、嬉しさと惨めさが交錯した気持ちになったのを今でも覚えていますよ。そう言えばイクラ食べたのあの時が最初だったっけ・・・・・・・。

でもね、私より酷い弁当持ってくる子がいました。皮のまま横からスライスした半分の蜜柑とご飯だけの子が・・・・・・。

私、ビックリしましたよ。蜜柑がおかずだなんて。蜜柑の橙色とご飯の白のコントラストは綺麗でしたが、どんな母親が弁当作っているんだと、怒りさえ沸いてきました。どれだけ手抜きなんだと。

その子も私同様、他の子に見られない様に蓋で隠して蜜柑弁当食べてましたが、気の毒でしたねぇー。見ていられず、私、サトイモの煮っ転がし、あげてましたよ。これは無いだろと思いながら・・・・・。

その後、私の親は好間町に見切りを付け、逃げるように仙台に出て行きました。

幼稚園は私が引っ越した直ぐ後に赤痢が発生し、休園だか廃園だかしたようです。あの時の蜜柑弁当の子、大丈夫だったのか、今でも時々思い出しています。

まあ、こんな暗い思い出があるもんですから、私、弁当を見るとあの時の惨めな思いが込み上げて来るんです。だから、私、弁当を滅多に買わないんです。特に駅弁なんて高校の修学旅行の頃食べたきりで、30年以上食べてません。気が重くなって食べる気にもなりませんよ。

これがトラウマって奴なんでしょうね。あの時の思いはもう、したくないですね。

 

ではでは。

 

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会津の三泣き。 その3

2013年07月26日 02時17分15秒 | 人生

続きです。

えー、会津人の人の善さについて書いてきましたが、福島県生まれの私がいくら「会津マンセー」しても、読んでいる奇特な方は、今一、信憑性を感じないでしょうね。

そんでは、ある有名人と会津人との関わりをドキュメンタリータッチで語ります。

この有名人ですが、仮にOさんとしときます。Oさんは当時、大学生で東京大学に通っていた訳です。

このOさん、何の病気が知りませんが、病気療養で福島県耶麻郡北塩原村早稲沢温泉の山城屋と言う民宿に、約二ヶ月お世話になっていたそうなんです。

この早稲沢温泉ですが、簡単に言うと裏磐梯・桧原湖の上部に位置します。宮城県寄りです。

泉質は強炭酸泉と言うのでしょうか。無色透明ですが、入ると体中に気泡がくっ付いてきます。掃っても掃っても体中気泡だらけになる不思議な温泉です。この気泡が良いのか、毛穴の汚れもビックリするほど取れますし、体の温まり具合も半端ないですね。

福島県は温泉大国で、硫黄たっぷりの白濁したお湯もあれば、強アルカリ性で緑色のヌルヌルした温泉もありますが、私はこの強炭酸泉の早稲沢温泉が一番好きです。

さて、この早稲沢温泉ですが、住んでいる方の殆どは小椋姓です。山城屋のご主人も小椋さんです。

この小椋さん達がOさんに対し、お客さんと言うよりも身内の如く親身に接してくれたんですね。そして恋人も東京から尋ねて来て、山城屋で将来を約束したんだそうです。Oさんの転機とになったと言う事です。

その後、Oさんは現在の「みずほ銀行」に就職。浜松支店長を経て、本社の部長職まで勤めたのですが、合わせてシンガーソングライターとして活躍し独立しました。

そのシンガーソングライターとしての名は、姓を山城屋のご主人から取って「小椋」、名は山城屋で将来を誓い合った現・奥さんの名「桂」を取りました。つまりOさんは「小椋桂」と言う事です。会津人の人柄に感激したのは私だけでは無いのです。

何故、会津人はこれだけ他人に親身になれるのか。多分、磐梯町恵日寺から発信する徳一大師の仏教観が会津に根強く残っているからだと思います。

徳一大師は唐帰りの最澄、空海と激論を戦わせたと聞きます。唐の流れを汲む仏教観とは異質と言えます。つまり、山岳信仰を汲んだ仏教。更には縄文から続く蝦夷の思想と言えます。

だからこそ、仲間・主君を裏切らず、敵であっても死者を丁重に弔う思想が続いていたのだと思います。

故に、会津人が死者をを弔わず野ざらしにした長州、主君を裏切った薩摩を嫌うのも頷けます。

まあ、その考えが幕末の会津の悲劇に繋がったのは皮肉であり、無念の一言に尽きますが・・・・・・。

 

ではでは。

 

 

 

 

 

 


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会津の三泣き。 その2

2013年07月25日 04時57分39秒 | 人生

続きます。

最後の会津地方ですが、浜通り、中通りとも違う、全国的に見ても異質な精神を感じます。

「会津の人は頑固だからなぁーし」と言いますが、愚直なまでに純粋です。悪く言えば要領が悪いと言えますが、要領よく振舞ってまで利益を得ようとする気持ちが無いと言えます。利益度外視な点が多々見受けられます。簡単に言うと商売っ気が無いのです。

っと言っても、横柄でつんけんどんな対応なんかはしません。金にならない相手であっても親身になって、昔からの親戚の様に付き合う気風です。びっくりしますよ。

私は震災前まで、裏磐梯の桧原湖・小野川湖・秋元湖にスモールマウスバスを釣りに通っていました。多くのペンションやロッジに泊まりましたが、客を親身になって向かい入れてくれます。今まで嫌な思いした事は一度もありません。

それどころか破損したエレキモーターのプロペラ(3000円相当)のスペアを、地元のキャンプ場の方から只で貰った事もあります。お金を払おうとしても受け取りません。困っている人からはお金を受け取れないと言うのです。何度もお金を渡そうとしても頑なに拒絶されました。自分の気持ちを無にするなと言う感じで・・・・・・。

特に「細野ママキャンプ場」では遊漁料700円しか払ってないのに、管理人の叔母様に寒いだろうと地元で採れたキノコのお味噌汁を頂いた事があります。栽培のキノコとは比べられないほど味が濃厚です。今まで飲んだ味噌汁の中でも最上の味でした。感激しました。

私はこれ程の味噌汁を頂いたからには、何かしらお礼をせねばならないと思い、売店の菓子パンを7個ほど買いました。そしたら、「そんなに感謝しなくてもいい」と言われ、価格は800円超しているのですが、500円しか受け取りませんでした。多分、利益は殆ど無い筈です。遊漁料だって委託で売っているのです。儲かっている筈がありません。世知辛い仙台では考えられません。もう、驚きを通り越して呆れてしまいましたよ。

そして思いました。会津こそが古代からの蝦夷の心が息づいている土地だと。

会津には、会津の心を表現した「会津の三泣き」と言うことわざがあります。

「会津に転勤を言い渡され、えらい遠くに左遷されたとして泣き」、「会津に着任し、その閉鎖性に泣き」、「会津の人に受け入れられ、深情けに感激するも、会津を離れる日が来て泣き」と言うものです。

私、本当にその通りだなぁーと思いましたよ。

 

つづく。

 

 

 

 

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会津の三泣き。 その1

2013年07月23日 11時36分28秒 | 人生

私は仙台市在住ですが、生まれは福島県のいわき市です。何と言いますか、それが原因とは言いませんが、仙台に住んでいまして多少なりとも違和感を感じます。

弟は私より6歳年下で仙台生まれですが、私とは正反対の性格してますので尚更そう思います。一概には言えませんが、産まれた場所で少なからず人の性格って変わるのではないでしょうかねぇー。

釣りでも沼・川にいるヘラブナでも渓流のヤマメでも、その川、その場所で性格が全然違います。これって、人間に限らず、すべての生物に言える事かも知れないと思いますね。

さて、福島県ですが、全国的には一番根暗が多いと言われています。福島出身のタレントを見てもその傾向は当たっていると言えます。DeNAの○畑監督なんか、あれで中々の根暗と聞いていますし、当然、私も根暗な性格だと思います。

そんな根暗な福島県人ではありますが、更に性格は三つに分かれる思います。何せ福島県は岩手県に次ぐ全国第二位の面積を誇ります。広すぎるので天気予報でも「浜通り」、「中通り」、「会津地方」に分けて発表していすが、不思議な事に人の性格もこの三つの地方に分かれていると言えます。

まず、私の出身地であり、過去日本最大の大都市(面積が・・)だった「いわき市」がある「浜通り」は、気風か良いと言うか、気前が良いと言われてます。それ、当たっていると思います。私も私の親も貧乏でケチケチした生活を送っていますが、貧乏でなかったら結構、気前がよい方だと思いますね。本当ですよ。貧乏で無かったら、貧乏で無かったら・・・・・・・・(涙)。

「中通り」は押しが強いと言われています。そりゃそうでしょう。福島最大の都市(人口が)である郡山市は、昔からヤクザが牛耳る街と言われいますからね。なんせ学校もヤクザが経営している所もありましたし、役人もヤクザが仕切っているなんて話もあります。いわき市もヤクザは多いですが、郡山市程ではないです。

はっきりと言いますが、ヤクザに高倉健みたいな男気のある奴はいません。奴らは人からたかる事しか考えていません。何時も強請ってやろう、因縁つけて金を巻き上げてやろうと考えている輩であります。昔はヤクザ映画でカッコいい様に描かれていましたが、あんなの嘘です。どうしようも無い連中です。私の親の家業がヤクザな新聞販売業だったもんですから断言出来ます。 

でもまあ、長引く不況でヤクザの実入りが激減し、チンピラヤクザなんかは上納金が払えずヤクザから足を洗う奴が増えているのは、不況の最大の功績ですね。

もっとも足を洗ったヤクザの大半は建設業に流れ、いい加減な仕事しかしないのには腹が立ちますがね。

 

つづく。

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鬼渡神との因縁。【仁渡神社(仙台・古内)編】 その3

2013年07月20日 07時55分20秒 | 神道

前回から延び延びになっちゃいました。失礼しました。

言い訳しますと、パソコンを強制終了したり、空きスペースが無くなったりで、訳の分からないインプットした奴を削除してたら、一文字書く毎にエラー、エラー、エラーとなるようになっちゃいまして、腹が立って、中古のノートパソコンを買って見たんです。

そしたら、使いづらいのなんの。「だったら、エラー続きのデスクトップをリカバリした方がええわい」となりまして、確かDtoDが出来た筈と考え、調べに調べて無事復活させた次第です。

でも、仕様が大分変わっちゃいまして、大変書きづらいですけど・・・・・・・。

さて、前回からの続きです。ここからが本題です。まあ、簡単に言うと従兄弟の亡くなった現場から直線で200メートル以上、300メートル未満の位置で、周りは田んぼだらけの場所に、因縁の鬼渡神社が鎮座していたと言う訳です。

神社名は「仁渡神社」。またの名を「雲水神社」と言います。祭神は水分(すいぶん)さん。つまり、天之水分神(あめのみくまりのかみ)・国之水分神(くにのみくまりのかみ)です。

水分は「水を分ける」との意味ですから、灌漑の神と言えると思います。灌漑用水を分けるのは、当然、溝を使ってです。そうなると三島溝咋姫も関連が深いのではないでしょうかね。何せ、名前に「溝」と「咋(杭)」の字があります。溝と杭なら灌漑ですよね。

現に三島溝咋姫を祀る地元の利府、岩切の伊豆佐比売神社は灌漑用水の神とされていますし、それに付随してお稲荷さんも合わせて祀っています。私は水分さんと三島溝咋姫は同神である様に思えます。

では、何故、仁渡神社は別名・雲水神社なんでしょうか。一応、調べてみましたが、どこにも書いていませんでした。そこで私、またまた考えてみました。

水分神の親神は速秋津彦命・速秋津姫命です。「秋津」は「開津」、「開都」とも表記します。つまり出入り口を意味します。故に山の火口や、川の河口の神でもあります。現に宮城県・阿武隈川の河口に祀られていたり、富山県・立山の地獄谷に祀られているのもその為です。

そして蔵王の山頂に水分神が祀られています。更に山頂に祀られている神と言えば、神じゃないかも知れませんが、会津磐梯山の磐梯明神・手長足長です。手長足長は鳥海山にも祀られています。

蔵王、磐梯山、鳥海山は全て休火山です。磐梯山と鳥海山は、割と最近??も噴火しています。っとすると、もくもくの噴煙が手長で、どろどろの溶岩が足長かも知れません。

しかし、磐梯山の手長足長の伝説では、足長が磐梯山の山頂に立ち、雲を掻き集め辺りを暗くし、手長が猪苗代湖の湖水を手ですくってビシャっと撒き散らし、村人を困らせたとされています。

つまり、足長が雲で、手長が水。手長足長で雲水になります。水分神も蔵王山頂に祀られている訳ですので、「水分神=手長足長」でも可笑しくは無いと思います。

更に足長が雲を掻き集めたのなら「足長=風神」。湖水をすくって撒き散らした訳だから「手長=水神」とも考えられると思います。

以上、長々と書いてまいりました。まあ総括すれば約40年前、永井平九郎から永井神社を通して鬼渡神を知った訳ですが、私の家や店の氏神も、愛する従兄弟が亡くなった場所の氏神も鬼渡神だったと言う事です。ここまで来ると因縁としか言い様がありません。

こうなったら、もう多分、死ぬまで鬼渡神を考え続けて行くんだろうなぁーと、実感している次第であります。

 

ではでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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