諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

綱永井ランキング1位の日本酒・「風の森」。そして神輿渡り。その1

2015年10月30日 12時12分37秒 | 綱永井ランキング

綱永井ランキングですって。あっはははははははははっ、恥ずかしいぃぃぃぃぃーーーーーーー。

まっ、旅の恥じゃないけどブログの恥は書き捨てです。こう言うのも良いんじゃないかと書く事にします。

さて、先日、毎年恒例の神輿担ぎに行って参りました。勿論、仙台市にある友人の神社にです。もう10年以上続いていますかね。歩ける内は出席したいと思ってます。中々良いものですし、楽しいし。達成感がありますので。

神輿担ぎと言いましても、昨年から提灯持ちに任命されてしまいました。今までいた大人の担ぎ手が一人減り、二人減りで、段々と地元の高校生・中学生が加わり、昨年で高校生・中学生による子供神輿となってしまったのです。それだけ大人がいなくなったのです。

今年はとうとう私を入れて4人となってしまいました。しかも身長140センチ前後の男性と、少々知的障害のある方を入れてです。私も欝と知的障害があるかも知れません。これではもう神輿は無理です。大変残念です。

勿論、大人の女性や老人は居ますが、その方達は音頭を取ったり、旗を持ったり、寄付金のお盆を持って歩く役です。神輿は無理。まっ、しょうがないですね。

提灯持ちの私は神輿行列の先頭を歩きます。私の後ろには天狗の面を被った猿田彦尊が歩きます。友人の神社は猿田彦尊は祀っていませんが、猿田彦尊を大切な存在として考えています。その理由は私も察していますが、それはそれ、何時か機会があったら話したいと思います。

提灯持ちは昨年に続き2回目でしたが、今年は大変でした。もう一人の提灯持ちが知的障害の男性だったので。

彼は愛すべき存在です。でもやはり色々問題があるのです。女性に触ったり、アッチ行ったりコッチ行ったり・・・・・・・。

当日、「朝青龍、朝青龍」と騒いでいで何の事だと思ったら、朝青龍は私の事でした。失礼です。ふざけやがって(笑)。

確かに私は太っていますし目も細い。でも朝青龍には似てませんよ、身も心も。勿論、顔も(キッパリ)。

「誰が朝青龍だ。そう言うお前は武蔵丸じゃないか」っと言いたくなりましたが、ここは和の心を大切にする大人の私です。ニコニコ笑ってすましました。

それにしても彼を提灯持ちにするなんて何を考えているんだと思いましたよ。提灯持ちは結構神経を使うのです。神輿のスピードに合わせて歩かねばなりませんからね。

だから私は猿田彦尊と神輿を振り返り振り返り確認しながら、神輿行列のバランスやスピードを考えて歩きます。それなのにあの武蔵丸と来たらずっーと前方に行ったり、横っちょにそれたり、猿田彦尊の後ろに行ったり動き回ってます。提灯を持ってです。あれは見っとも無いです。先頭の提灯持ちは私一人になったりして、神輿渡りバランスが台無しです。完全に人選ミスです。

誘導の警察官に何度も注意される武蔵丸ですが、全然聞きません。彼は本能のままに生きている。チョッピリ可哀想でもあり、羨ましい様な複雑な気持になりながらも、「まぁーしょうがないなぁー」と思いながら、私は一人自分の役目を務めました。

うーん、大人になったなぁー私。51才にもなってこんな事を実感している事自体問題かも知れませんけど・・・・・・(恥)。

それは兎も角、昨年の神輿渡りで私は悔いを残していました。お神酒です。お神酒を飲みたかったのですが、バイクで来ていたので諦めたのです。それが悔しかったのです。未練だったのです。そして私は心に決めました。今年は飲んでやると。例え誰を傷つけても。恋の幕が降りる日まで(何のこっちゃ)。

昨年は旗持ちのオバ様達が寄ってたかってお神酒を飲み尽くしてました。「私のお神酒がぁー」と思いながら紙コップを持って立ち尽くしている私。悲しかったです。悔しかったです。ますますオバ様が嫌いになりました。

そして今年こそ、今年こそと思っていたのです。

 

続く。

 

 

 

 

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天照大神の祟り。そしてスサノオ尊とイエス・キリスト。その7

2015年10月29日 15時48分06秒 | 神道

そろそろ終わりたいと思いながら続きます。

さて話をスサノオ尊に戻します。スサノオの尊は高天原の御殿でウンチ、田圃の畦を破壊、斑馬の皮を剥いで稚日女尊が自害等々の罪を犯してます。ここまだは日本神話に詳しい人なら誰だって判るはずです。

でも、まだあるんです。二つも。どうです、わかりますか。

先ず一つ目。、母親のイザナミ尊が恋しくてヒゲがボーボーに伸びても泣き続けた事があげられます。何時までも死んだ者の事を悔やんでも仕方がない。きっぱり踏ん切りをつけろと言う事です、多分。

うーん、考えさせられますね。これは私も罪を犯している事になりますし。うーん、中々難しいことだと思いますが亡くなった者は記憶の中で大切にしまって、早く一歩を踏み出せと言う事だと思います。私は一歩踏み出したのか、自分でも分かりませんけど。

そして二つ目。スサノオ尊はイザナミ尊を追って黄泉の国に旅立つ決意をします。これも罪です。これ、人間に当て嵌めると「後追い自殺はするな」、「殉死するな」と言う事なのでしょう。

さて、そろそろ総括と行きますかね。まず、スサノオ尊は悪神なのか。天照大神は「汝のような悪神を信じられるか」的な事言ってますので悪神だと言えます。罪も犯していますからね。

でも、記紀に登場する神々は少なからず罪を犯しています。なんせ天津神には天津罪、国津神には国津罪があります。日本の神は罪を犯すものなのです。何で罪を犯すのか。

日本の神々が犯した罪って、全部人間が犯しうる罪なんです。つまり神は人間の鏡。人間の罪を代わりに背負うのが神。人間の罪を背負い祓い清めるのが日本の神の特徴と言えます。

例えば国津罪ですが、ズバリ近親相姦です。イザナギ尊・イザナミ尊も兄妹で結婚した訳ですから近親婚です。結果どうなったかはお判りですね。イザナミ尊は加具土神を産んで火傷をして死亡。黄泉の国行って夫のイザナギ尊を争うこととなります。愛し合っていたのに別れたのです。

手名稚尊・足名稚尊も同様です。8人の娘のうち奇稲田姫を除いて八岐大蛇に生贄になっています。娘を7人も失ったのです。これらの例は近親相姦の罪を犯しその罰を受け事になります。

天津罪は一言で言うと自然破壊でしょうか。神道は本来、自然信仰・祖先信仰です。山を開き稲田を造る。これは自然破壊です。そして山の先住者は蛇です。つまり蛇は地主神であり祖先です。その蛇を殺す行為は天津罪となります。

スサノオ尊は斑馬と稚日女尊を殺した。これは先住の神を殺した。強いては蛇を殺したと言えると思います。スサノオ尊は天津神だから天津罪を犯した。その罪で髯を抜かれ、爪を剥がされ、高天原から追放。流離の苦しみを受けてます。

これらは全て人間が犯す罪。否、人間が犯した罪です。その罪を神々が人間に代わって演じる。実行する。これは人間の罪を神が被る。これは或る意味、善なる神の行為であると私は思うのです。

イエス・キリストは説教をする神??です。人々に神を語り、神の審判の到来を説きます。そしてエクソシスト的癒しで人々の病気を治癒した。同じエクソシストであるユダヤ教のラビ達から嫉妬され、無実の罪を着せられ十字架につけられます。

この話は「熊野の本地・五衰殿」で書きましたが、五衰殿のストーリーと酷似してます。しかし五衰殿は仏教と密教の流れを汲んでます。神道とは根本が違う。神道の仏教的解釈と言えます。

日本の神々とイエス・キリストは人間の罪を背負うとこまでは同じですが、説教ではなく行動で示す。この点が違います。私は説教では誤解を生むと考えます。間違って訳される事もあります。だから違う解釈となり争いを生むのだと考えます。

その点、行動で示した日本の神々は誤解される事が少ないと言えます。故に古代の日本は争いが少なかったと私は考えます。

以上の理由から神道とキリスト教は違うと思います。そして私はキリスト教よりも神道に優位性を感じます。この考えは多分、死ぬまで変わらないだろうと思ってます。

 

ではでは。

 

 

 

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天照大神の祟り。そしてスサノオ尊とイエス・キリスト。その6

2015年10月27日 15時21分40秒 | 神道

続きます。

ここからは非難を受けそうですが、勇気を持って言っちゃいます。私はヒョットコとオカメもそうだと考えています。

東北では風神と水神が並んで祀られているケースが多くみられます。何故か祀っている神名は殆ど書かれていませんけど。

天狗は八手の葉の団扇を持っています。勿論、風を起こす為です。天狗=猿田彦神であるなら猿田彦神は風神と成ります。ヒョットコは息を吹きかける口をしています。ヒョットコの「ヒョッ」というのは風の音とも考えられます。これは風神を意味しているのではないでしょうか。

更に猿田彦神は「彦」の字が付く。彦は日子。太陽の子です。太陽神です。これは風神=太陽神だと考えられます。

風神と言えば級長津彦神ですが、級長津彦神にも「彦」の字が付いています。これも風神は太陽神である事を示していると思います。

オカメの場合はどうなのか。オカメの口は半開きです。ゆだれを垂らしているオカメのお面もあります。ゆだれは水神を表しているのではないでしょうか。更にオカメは「お亀、瓶、甕」等々、水に関連する名前でもあります。

そして問題のオカメ・ヒョットコ踊り。私は宮崎県・老人会のお爺さん、お婆さんがオカメ・ヒョットコのお面を被ったその踊りを見ましたが、まぁー何と言いますか、はっきり言ってエッチな踊りです。お爺さん、お婆さん達がニコニコ大笑いしながらのエッチな踊り。見てて居たたまれなかったです。東北人の私は文化の違いを感じましたわ。

道祖神は夫婦和合の神です。だから男女の性器が御神体であったりするのです。そしてオカメ・ヒョットコ踊り。そのものズバリです。共通していると思いますね。

どうしてオカメ・ヒョットコがこんな道化のような踊りをしているのか。私がそのオカメ・ヒョットコ踊りを見たのは宮崎県です。天孫降臨の地です。それ故、天孫族側から見て本来の日ノ本の地主神をオカメ・ヒョットコとして道化に落としたように考えます。残念ながら。

さて今まで斑馬・稚日女尊ではないかと思われる神々を上げてきましたが、その大元の存在は誰なのか。もう判りますね。そう岐の神。クナト大神です。

クナト大神はイザナギ尊がイザナミ尊に黄泉の国から追われていた時、「こっちに来るな」と投げた杖から生まれています。

杖というと110センチの鼻を持つ猿田彦神を思い出しますが、猿田彦神の源流にはやはり杖を持った沖縄の老婆の神・サダル神に繫がるとの説もあります。そうなるとクナト大神は女神の可能性も考えられます。

猿田彦神の妻となったアマノウズメ尊は猿女と呼ばれています。これはもしかしたらアマノウズメ尊も猿田彦神。強いてはサダル神である事を示している。そして神には男女の性別は関係ないのかもかも知れません。事実、アメノウズメ尊を猿田彦神として祀っている神社も存在しますし。

さて結論です。道祖神は村の境界線に鎮座しています。村への魔の侵入を伏せぐ境界線の神だからです。即ち斑馬はクナト大神であると考えます。

そうすると稚日女尊はどなた様なのか。勿論、アラハバキ神である筈です。同じく境界線の神ですから。そして勿論もしかしてですが、クナト大神もアラハバキ神も同じ神なのではないかと私は考えます。斑馬の死で稚日女尊の直ぐに自決した事がそれを物語っている様に思います。

 

続く。

 

 

 

 

 

 

 

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天照大神の祟り。そしてスサノオ尊とイエス・キリスト。その5

2015年10月25日 21時33分20秒 | 神道

続いちゃいます。

馬と天照大神との共通点がある神社と言えば、岩手県奥州市水沢区に鎮座する陸中一ノ宮・駒形神社が上げられます。駒形大神として主祭神に天照大神を祭っていますからね。でも建立については諸説があって何とも言えません。駒形の駒は高麗との説も有るみたいなので。

どうも境内に鎮座する塩竃神社の方が古いらしいです。宮城県塩竃市の塩竃神社では行事で使うのか馬を飼っていますし、本来の塩竃神と思われる志波彦神社の志波彦神は白馬に跨り川を渡る時に、白馬が川石に躓き頭の冠を落とした伝説が残っています。

その川は冠川と呼ばれていた七北田川。怒った志波彦神は手下の神々に川石を川から全て拾い上げたとされていますが、事実、本当に川石が少ない川です。川石を全部拾い上げたのなら、とんでもない労力だと思いますね。斑馬と稚日女尊との関連は判りませんが。

斑馬と稚日女尊の別の神名、もしくはモデルがあるなら一体どの神々なのでしょうか。先ずは先に挙げた岩手県・宮城県に伝わるオシラサマ信仰です。馬と娘が夫婦になった話しですらね。

オシラサマは雛人形のルーツとの説もありますが、男女の人形の他に馬と娘の人形もあります。桑の木で作られています。理由は勿論お蚕さんです。蚕の繭で絹を作る訳です。つまりオシラサマの女性の方は織姫となります。

そして夫の馬は娘の父親に首を切られた。それで娘は天空に昇って行った。これは斑馬と稚日女尊の話と酷似してます。ここまで似ていると同じ系統の話であるとどうしても思っちゃいます。

更に道祖神、つまり塞の神とも関連がありそうです。道祖神と言えば男女並んだ石碑です。夫婦であります。夫婦は和合。何と言うかそのう、あのう、えーと、うーん、性交ですね(下ネタですみません)。だから道祖神は男女の性器が置かれたりもしているのです。何故なら塞の神だからです。塞ぐ、それは性交の意味もありますので。

斑馬の皮を投げられ、稚日女尊は性器を機織の棒??で突いて自害しています。これって性交が出来なくなる事を示している。つまり道祖神・塞の神の死を意味していると思えます。馬も男性の性器をイメージしますし(重ねてすみません)。

どちらがモデルかは知りませんが、道祖神は猿田彦神であるとされてます。猿田彦神は鼻が長い。これまた男性の性器をイメージします。そして嫁となったのはアメノウズメ尊。アメノウズメ尊は天照大神を天岩戸から出す為に裸踊りをする訳です。女性の性器を出してです。この点も斑馬と稚日女尊をイメージします。

ここで問題です。天岩戸開きの最中、猿田彦神はどこにいたのでしょうか。不思議だと思いませんか、アメノウズメ尊が裸踊りしているのに居ないのは。まっ、まだ知り合ってないからではありますが、私は天岩戸を開いた天手力男尊が猿田彦神ではないかと考えています。その理由は長くなるのでまたの機会に書きますけど。

さて、猿田彦神は天狗のモデルであります。天狗の嫁は誰なのでしょう。判りますか。私は判りません。でも伊豆に天狗の為にちゃんちゃんこだったか陣羽織だったかを編んでいる姥の伝説があります。

姥の本当の意味は「一番最初の巫女」です。そうするとアメノウズメ尊となります。そして織物をしていた。この点も共通していると言えます。

 

続く。

 

 

 

 

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天照大神の祟り。そしてスサノオ尊とイエス・キリスト。その4

2015年10月22日 11時32分33秒 | 神道

続かせて頂きます。

東北に馬はいたのか。実は1万年前の馬の骨が出土しているそうです。

戦国時代の馬はポニーのような小型の馬です。古墳時代にモンゴルから渡って来た馬だとされています。しかし1万年前は縄文時代です。それとは別種の馬がいた可能性があります。多分、山内一豊の妻・千代が10両だかで買った馬、南部馬がそうなのではないかと私は考えてます。残念ながら純血種はいなくなったそうですが。

南部馬は結構大型で人に従順だったと聞いています。故に徳川家康がサラブレッドを輸入して南部馬と交配させ純血種が消えたそうです。これは大変残念ですわね。

話を高天原の斑馬に戻します。

斑馬は残酷な方法で皮を剥がされてます。尻から皮を剥がされたのです。この斑馬が日本の地主神だったらスサノオ尊が残酷な方法で殺した事になります。

それに斑馬って何か価値の無い馬の様な気がしませんか。三国志の関羽雲長の馬の赤兎馬の様に立派なイメージがしません。これは日本の地主神に信仰が向かない為に斑馬とした様にどうしても思っちゃいます。

ここで斑馬は一旦棚に上げて、稚日女尊を考えます。

稚日女尊は機織をしていて斑馬の皮を投げつけられ、急所を刺し自害しています。これはどう言うことか。

先ずは稚日女尊は織姫である点に注目です。縄文時代は既に木や植物で繊維が作られてました。だから縄文です。そして蝦夷は大和朝廷よりも優れた機織の技術があった。以前、福島県の織姫伝説について書きましたが、川の淵の中で織姫が機を織っています。東北で広範囲に伝えられている伝説です。実は大和朝廷の蝦夷討伐は金や馬の外に織物も目的だったのです。

そうなると斑馬の皮を剥ぎ、稚日女尊が死んだのは蝦夷討伐を意味しているかも知れないです。もっともスサノオ尊とどう繫がるかは判りませんが。

ここで斑馬に戻ります。私は斑馬と稚日女尊は一体の様な気がします。現に岩手県のオシラサマ伝説と斑馬・稚日女尊の話は酷似しています。夫婦と考えて良いのではないでしょうか。

斑馬は高天原の馬です。っと言う事は天馬です。ペガサスの様に羽があるとは思いませんが、天空を飛べると考えられます。そして稚日女尊。「幼い太陽の女神」との意味です。幼い太陽の女神と天馬。これは天馬に乗って稚日女尊が天空に駆け昇る。つまり太陽が昇る事を意味しています。

その天馬で有る斑馬をスサノオ尊は皮を剥いで殺した。天馬がなければ稚日女尊は天空に昇れない。太陽は昇らない。これは天照大神が天岩戸に隠れた事と同じ意味合いとなります。

つまりこれは、斑馬と稚日女尊も天照大神である事を示しているのではないでしょうか。

 

続く。

 

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