諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

デザイナーズアパートを見学して来た。

2017年04月30日 07時55分03秒 | 不動産賃貸業

先日、デザイナーズハウスと言いますか、ちゃんとした建築士が設計したとアパートを見学して参りました。空いている部屋の劣化したフローリングとか汚れた壁紙の参考になるかと思って。

私、全然知らなかったのですが、現在のアパートはメゾネットタイプが人気みたいですね。

見学したアパートは正直言って仙台の中心部からチョットだけ離れた、すごぉーく辺鄙な所です。仙台人でも地名は中々知らないと思います。

急な坂道の頂上付近の広場に数棟建っているのですが、正直、地下鉄の駅からも遠いし、寂しいし、夜は怖過ぎです。しかもここ、心霊スポットとされる公園の直ぐ近くです。嫌だな、ここの土地は。

実はこの場所からそんなに離れていない場所に、以前、50坪ほど土地で500万円の中古物件が売りに出されていました。

建物は昔流行った一部屋、一部屋を現場で合体させて建てるプレハブ住宅です。この住宅、子供の頃は近未来的な感じがして憧れたものです。それにプレハブだから劣化が少ない。「500万円は安いなぁー」と思った。しかも地下鉄駅から歩いて直ぐだし。

しかし、或るのです。近所にとんでもないモノが。

そのとんでもないものは処刑場。噂では7000人以上処刑したとされます。私には無理。こりゃダメだ。

でも、この家を貸したら12万円位で貸せそう。利回りは結構良い。借り手がいるなら良い財産になるなと思いました。まあ、住む人の気が知れませんけど。

でも買っていたら、10万円なら借り手が出そうだ。今思うと買って置いても損は無かったと思います。多分ですけど。

その話をそのアパートの受付の女の子に話したら、「今建築中の物件は墓場の隣です」と言ってましたわ。そう言うの気にならない人がいるから、この業者は手掛けているのでしょう。私の感覚では付いていけない部分がある。歳を取ったのかなぁー。

話をデザイナーズアパートに戻します。

このアパートは四角い箱型です。これ、カッコ良いのかなぁー。

ドアを開けるとコンクリート打ちっ放しの部屋。そして簡潔な階段を上がると中二階が有って、二階部分がキッチンとリビング。そしてまた階段でロフト。そこの天井がガラス窓で窓を開けると屋根の上にもスペースがある。何か縦長の5階建てみたいになっています。

私はこのアパートは嫌ですねぇ、階段ばかりで。階段が急で落ちそうになるし、はっきり言って上り下りがキツイ。これ、私のような身体が硬い高体重者と高齢者はダメです。しかも全部の部屋にドアが無い。プライベートが保てない。これは嫌だわ。

新婚の人なんかこんな部屋に住みたいのかなぁー。うーん、結婚したとしても鍵付きの自分の部屋が欲しい私はこんな部屋住めない。こんな所が結婚出来なかった理由なのかも。

家賃は86000円とか。高いよ。そんな家賃払うなら中古のマンションを買った方が断然良い。ここより広く、仙台中心部の古マンションが300万円台で買える筈。ハッキリ言ってこのアパート失敗作じゃないのかなぁー。

否、私の感覚が古いのか。私なら5万円でもここには住まない。断然買った方が良い。中古なら安いのがいくらでもあるから。

でも、一つ参考になった事がありました。実はフローリングと思っていたのですが、床がシールだったのです。

シールだなんて全然判らない。少し緑がかったクリーム色で洒落ているフローリングで気に入ったのですが、シールだったとは。

このシールフローリング、「フローリングそっくりさん」とか言うらしいですけど、通常のフローリングの半値以下だそうです。

キズも付きにくいし、傷ついたらシールを張り替えれば良い。これは良いですね。フローリングをリノベーションする時にはこれにしよう。これだけかな収穫は。

仙台の復興需要は終わっています。このアパートに住む人は家賃を出してくれる大企業の社員しかいないのでは。否、出してくれたとしても、もっと都心部に住んだ方がいいわ、こんなに家賃が高いのなら。

私はこのアパートは要らないですねぇー。こんなの建てたら地獄を見そう。クワバラ、クワバラ。

 

ではでは。

 

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今村雅弘復興大臣の「東北で良かった」発言について。

2017年04月29日 10時31分42秒 | 東日本大震災

まっ、正直な方です、今村復興大臣は。あっ、もう更迭されたから今村さんかな。

そんなのどうでも良いですが、私も日本全体の事を考えれば、関東大震災になるよりは東日本大震災はマシとは思います。政界・産業界もそうでしょう。

でも口に出して言いますかね。この人はやっぱり人の気持ちが判らない。

「復興大臣なんて閉職。もっと力のある大臣になりたい。最低ランクの大臣に任命しやがって、チクショー」とでも思っていたのでしょうか。彼を任命した安倍大臣も震災を甘く見ているでしょう。原発も問題無いとして東京オリンピックを誘致しましたし。正直、かなりガッカリしました。所詮、他人事なんだなぁーと。

私も仙台市在住の震災被害者です。大損しています。しかも故郷は福島県のいわき市。その中間点は原発事故。とことんやられました。母の実家は梨園ですが、風評被害で半値でも売れなくなりましたしね。

でも、私としてはこの東日本題震災を教訓といいますか、演習といったらいいのか判りませんが、来るべき関東大震災に備えるために役に立てるべき。絶対忘れずに東日本大震災での出来事を参考にして関東大震災に備えて貰いたい。東日本大震災で生じた問題点を学習して関東大震災に備えて貰いたいのです。日本の全国民と日本政府に。亡くなった方が生きていた意義を心に刻んで欲しいので。

その為には復興大臣は重要なポストだと思っていたのですが、この程度だったとは。最初の復興大臣である民主党の松本竜復興大臣もえばり散らして最低なヤツだと思いましたが、この人も短気ですねぇー。あの姿を見ると、やはりえばり散らす最低な方だと思いましたわ。

まっ、日本の社会はえばり散らすヤツが出世する悪習があるから、しょうがないのかも知れませんが。

それにしても、あんな発言されるとは残念です。地元テレビ局のニュースキャスターも言葉が震え憤っていました。これでは日本の将来が心配になりますよ。株持っている人は日本株を全部売った方が良いかもですよ、本当に。

東日本大震災の時、アメリカの艦隊が20艇も津波被害地にやってきました。震災から3日後です。

何をしにやってきたのか。トモダチ作戦とか言ってましたが、私、もしかしたら中国の襲来に備えた行動じゃないかと勘ぐっています。

そして関東大震災となり日本の中枢機関が機能しなくなったら、中国が襲ってくる可能性は十分あると思います。バリケードである日本列島が自分のものになれば、ハワイまでの太平洋の半分が中国のものになりますので。

中国人は寿司の食べて、気持ち悪がっていた海の魚の美味しさを知った。食料の獲得こそが中国の生命線。日本を取るべし。太平洋を取るべしと思っている。チャンスは逃がさないと思います。

そのつもりで考えていた方がいい。東日本大震災を経験してつくづく思ったのですが、案外、世の中、最悪のケースに陥るものだと思います。絶対に備えて置くべき。

その為にも東日本題震災の経験を生かして欲しい。復興大臣には震災でのキャリアを積んで欲しいのです。

今度の復興大臣は私の故郷・いわき市出身の吉野正芳さんです。良い眉毛しています。人相的にやってくれる人です。意地を見せてくれる人です。

姓名判断的には「正」の字で押さえ付けが激しい。運も悪そうだとは思いますが、頑張って欲しいです。来るべき関東大震災に備えて。

 

ではでは。

 

 

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瀬織津姫が日本オリジナルの女神である事を証明する。【水の女・祓いの女編】その2

2017年04月28日 20時14分52秒 | 瀬織津姫

続きます。

実はですが、これも話を難しくする要因となっているのですが、日本にもヒンズー教が伝わっています。密教や修験道がそうです。山岳信仰や修験道にヒンズー教が結びついたのです。そしてそれらは根本的に、同じ大陸から渡って来た仏教の教えと相反する思想があります。

例えば仏教は壮大な寺院を建設する。そこに篭ってお経をあげ修行する。それを否定したのが密教と修験道。大自然の中に身を投じ、厳しい修行で神仏と感応するのが基本。仏教を蔑しています。勿論、源流は仙人に成らんとする道教の教えによるものです。

以前「瀬織津姫と吽阿の狛犬」で書きましたが、私は修験道の役行者が左右に従えている前鬼と後鬼は、仏教では弁才天、神道に置いては金山彦命・金山姫命であると考えています。前鬼・後鬼の出身地が弁才天信仰の地ですので。そして水瓶を手にしている後鬼を瀬織津姫とします。

これは密教・修験道にとってにとっては仏教の弁才天や神道の瀬織津姫などは、役の行者の従者に過ぎない。神社の狛犬みたいなものと主張している。密教と修験道、そして役の行者の方が仏教、神道よりも尊い存在である事を示すものだと考えます。

密教・修験道、仏教、そして神道は、重なっている部分があるが、根本の考え方は別。お互いに優位性を争っている。だから瀬織津姫、或いはその源流の神に対しての見方、考えたが当然違う。

ただ一つ言える事は、十王経の奪衣婆・懸衣爺は鬼。修験道の前鬼・後鬼も鬼。つまり仏教や密教・修験道では、神道の神々は鬼に落とされている。鬼が日本の地主神であるのは間違いないところだと思います。

 話を「水の女、祓いの女」に戻します。

日本の神道は「水の女、祓いの女」から始まった。実は天皇家や神道にも奪衣婆の思想が流れています。否、断言は出来ないですが、そうと思われる伝承があります。

宮廷の行事で言えば大嘗会の「御禊の女御(ごけいのにょうご)」、「中臣女(なかとみのめ)」、「御湯殿の上の女房」です。

天皇に天羽衣・天羽裳、更には明衣(あしは)と呼ばれる御湯帷子を着せて脱がせて、禊の手伝いをするのです。勿論、女性達がです。この行事は「水の女、祓いの女」から始まったのはないでしょうか。

また神職は祓い清めに御幣(ごへい)や御麻を使います。幣(みてぐら)とも言います。簡単に言うと、棒に白いヒラヒラの布が付いているヤツです。つまり布で祓い清めをする訳です。これって衣類を脱がせて祓い清めをする「水の女、祓いの女」や「奪衣婆」と似ていませんか。

更には大祓の神事で神社から氏子達に配られる「人形(ひとがた)、形代、撫物」と呼ばれるヒラヒラの人型の紙、或いは布が有ります。簡単な白一色の物から、殆ど雛人形みたいなのまであるのですが、それに息を吹きかけたり、体に擦り付けたりして体の穢れを取ります。

そしてそれを神社側が回収し川や海に流す。これが大祓神事でのクライマックスと言える大祓形代流しです。

私、ここで思ったのですが、祓い清めって水だけでするものでは無い。布で体を拭くのも汚れを取る行為。つまり衣類、そして布も祓い清めのアイテムと言えまるのでは。

誰だってお風呂で体を洗ったら、タオルで体を拭きます。布で体を拭くのと衣類を脱がすのは同じ祓い清めの意味になるのかも知れない。

更に神道には箒神が存在する。ハタキもアラハバキ神の波波木から来ていると言われている。つまり衣類や繊維への信仰が考えられる。

麻は青麻神社、絹は養蚕神社、それぞれの信仰がある。麻は魔を祓うと言われている。絹はオシラサマ信仰が伺える。大祓祝詞の瀬織津姫も水神だけではなく繊維の神ではないのか。

そう考えるといわき市の川の織姫伝説が解明されます。そして瀬織津姫の名前に「織」の字が入っている事も証明出来ます。

この繊維と言うか織物に対しても祓い清めの信仰がある。それって日本独自だと思うのですが、どうでしょうか。

そして紙も繊維です。麻からでも作られます。そう考えると紙は神から来ているのかも。

 インドのガンジス川で沐浴の手伝いをする方、体を拭いてやる方が、神として信仰されているなんて聞いた事が有りません。全世界の事は殆ど知りませんが、脱衣の手伝いをする神、体を拭いてくれる神っていますか。多分、存在しないのではないでしょうか。

そう考えると「水の女、祓いの女」は日本独自。奪衣婆のような鬼婆も日本独自。そして瀬織津姫も日本独自の女神だと私は思うのですが、どうでしょうか。

以上が瀬織津姫は日本オリジナルの女神であるとする、私の考えであります。

正直、突っ込みどころ満載だと思います。ヘロヘロになりながら考えたので、これが私の今の限界です。

期待していた方、納得できない方、申し訳御座いません。

私は瀬織津姫は日本の神道の女神だと思って生きて行きたいと思っています。

 

ではでは。

 

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瀬織津姫が日本オリジナルの女神である事を証明する。【水の女・祓いの女編】その1

2017年04月24日 09時42分35秒 | 瀬織津姫

前回、「瀬織津姫が日本オリジナルの女神である事を証明する」と言う大それたお題で書きました。申し訳有りません。書き忘れていました。「水の女・祓いの女」に付いて書くのを。

この話は神道に置いて重大な意味があります。神道の起源かもしれないのです。

極論、鶏が先か卵が先かになります。流石に誰もが断言出来ないと思います。でも可能性はゼロでは無い。私的にはフィフティーフィフティーです。

以前にも書きましたが、「奪衣婆・懸衣爺」のモデルとされる人達がいた。その人達は人々が川で禊をする時、脱衣の出助けをしていた。何時の日からか「水の女、祓いの女」と呼ばれる様になった。この「水の女」達が瀬織津姫のモデルであると言うものです。

つまり瀬織津姫のモデルは川で禊をする人の脱衣の手助けをする職業の者。つまり人間。瀬織津姫は祓い清めを行う川ごとに居た、人間の女性がモデルだったとするものです。

この説を唱えた人は某大学の名誉教授です。神職を目指す方に神道を教えていた先生です。だからこそ信憑性が高い。

そして黄泉の国から逃げて帰って来たイザナギ命は阿波岐原で黄泉の国での穢れを祓った。禊をした。これって本来は「水の女、祓いの女」から来ているのかも知れない。

古代、もしかしたら縄文時代から続いていた川での禊。禊を手伝う「水の女、祓いの女」から神道が始まっているのではないか。これは十分考えられると思います。伝承が残っていますので。

 不思議な事に私の故郷である福島県いわき市の川に、「水の女、祓いの女」らしき伝承があります。これも以前書きました。鮫川や私の生まれた家の直ぐ裏を流れている好間川の蛇岸淵の織姫伝説です。

不思議なのですが海だけじゃなく、川の淵にも竜宮城みたいなものがあり、織姫が反物を織っていると言うストーリーが一般的です。

これって天の川の織姫と彦星のストーリーなのではとも考えられますが、川で織姫と言ったら瀬織津姫をイメージするじゃないですか。

しかし反物を織っている。これって衣類を作っている。衣類を持っている。つまり奪衣婆ではないか。ここに「水の女、祓いの女」が居て、人々の祓い清めを手伝って、穢れを祓いたい人達の脱衣を助けていたのではないかと思えてなりません。

 川での祓い清めと言えば、ガンジス川の沐浴を思い出します。

ヒンズー教徒にとってガンジス川は聖なる川。ここで沐浴をする事がヒンズー教徒の夢。そして死して肉体を燃やされ灰をガンジス川に流して貰うのが、ヒンズー教徒の願いであります。

仏教もヒンズー教の影響を受けている。そうなると「水の女、祓いの女」もヒンズー教や仏教の影響を受けているのではないかとなります。

ではお尋ねします。体を洗う時、水で洗うのはインドの専売特許でしょうか。そんなのありえませんよ。アフリカ人だってアメリカ先住民だって水で洗うでしょ。

人間に限らず、象だって、カバだって、虎だって、カラスだって水で体を洗います。インドの沐浴が日本に流れて来たなんて言えません。生物なら水で体を洗うのは当然の行為なのですから。。

それに中国4000年の歴史、インド・エジプト5000年の歴史と言いますが、日本の東北の縄文時代からの歴史は14000年です。こっちが本家の可能性もある。何でも大陸の方が古いと考えるのはナンセンスだと思います。

 

続く

 

 

 

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瀬織津姫が日本オリジナルの女神である事を証明する。その3

2017年04月23日 14時58分26秒 | 瀬織津姫

続きです。

判りましたが、私が瀬織津姫が日本オリジナルの女神だと言った意味が。

前回お話した仏教の地獄説とのミックスの十王経は中国での十王経です。日本に入って来たら、また変化してます。

先ず、閻魔王以外の残りの9人の王は消えます。めんどくさかったのか、ややこしくなったのか省略されたのでしょう。そしてその代わりに新たな登場人物が現れます。

その人物とは奪衣婆と懸衣爺。正式には人でも神でもなく鬼です。

奪衣婆と懸衣爺はインドや中国、朝鮮にはいません。存在しません。日本オリジナル。日本にしかいない。日本固有の存在なのです。

仏教は神道に覆い被さる様に布教された。だとすると奪衣婆・懸衣爺は神道の神々がモデルと考えられます。

仏教に取って神道は邪教です。本来は。

日本の神々は敵。軽蔑すべき存在。そして最も恐ろしく巨大な存在。奪衣婆・懸衣爺こそが神道そのものと言い切って良い。

その神道その者である神々を鬼として仏教の下に置く。閻魔大王の下僕として描く。仏教、密教、道教、十王経よりも神道は下。もう信仰はさせない。だから奪衣婆として醜い鬼婆として描いた。

亡き者の衣類を剥ぐ。衣類を身に付けていなければ、鮟鱇の如く皮を剥ぐ。その行為は魔物そのもの。

しかし、剥いだ衣は人の罪。その罪を懸衣爺に渡し、木の枝に懸けて枝のしなり具合で亡き者の罪の重さを量る。裁きの神の役割を果たす。閻魔大王と同様に。

神道でその役割を演じるのは禍津日神と直日神でしょう。この二神は蔵前国技館の相撲の土俵の上の屋根に祀られている。つまり判定の神、裁きの神なので。

そしてこの二神に対して閻魔大王とお地蔵様を仏教は被せた。つまり「奪衣婆・懸衣爺=禍津日神・直日神=閻魔大王・お地蔵様」となる。

一方は貶め、また一方は神として迎える。これが神仏習合の特徴と言えます。

禍津日神ですが、神に対して「禍」と名付ける。これは禍津日神が日本の地主神である証明です。大陸から渡ってきた朝廷としては日本の地主神は敵。禍なので。

この禍津日神は天照大神荒魂であり、瀬織津姫である事は知られています。それは奪衣婆の別名・葬頭河婆で説明出来ます。

河の頭は川の上流。「葬」は「死者を黄泉の国に送る」事を意味する。そして「葬」を「ショウ」と発音したならアイヌ語で「瀧」を意味する。つまり「葬頭河婆」は「川の上流の瀧の婆さん」と意味になる。

この「婆」を「姫」に変えたら「瀬織津姫」と殆ど同じ意味になります。「瀬織津姫」は「瀧の姫」を意味しますし、「ショウリツ(速川神社での呼び名)」と発音すれば、アイヌ語で「毛皮を剥いで背負い入る」、「穢れを背負い入る」との意味になる。入る場所は黄泉の国。つまり「瀬織津姫」は「奪衣婆」や「葬頭河婆」と同じ意味に取れます。だから奪衣婆は瀬織津姫であると考えられているのだと思います。

チョット弁才天に話を戻します。弁才天は武神だとしましたが、記紀に置いて武神である女神は三人ほど考えられます。

一人はスサノオ命が高天原に昇って来た時、武装して対峙した天照大神。

二人目は猿田彦命が行く手を遮る様に現れた時、天照大神に「か弱き女の身でありながら、どんな神にも対抗出来る神」と言われ、猿田彦命に対峙したアメノウズメ命。

そして三人目は、三韓征伐に向った神功皇后。

そのうち神功皇后は天照大神荒魂である禍津日神、つまり瀬織津姫に導かれたとの説がある。八幡神の一人である比売大神は瀬織津姫とも考えられる。だとしたら神功皇后は瀬織津姫の巫女。若しくは瀬織津姫をモデルに創造された可能性があると思います。

その点から考えて弁才天は瀬織津姫となる。天岩戸に入る前の天照大神やアメノウズメ命も瀬織津姫と考えられる。

日本最強の武神であり呪いの神が瀬織津姫。だから荒ぶる天照大神荒魂、禍津日神とした。恐怖した仏教側は奪衣婆として落とし蔑みながらも、呪いや祟りを恐れて閻魔大王・お地蔵様として迎えたのではないでしょうか。

以上が奪衣婆が日本オリジナル故に瀬織津姫を日本オリジナルの女神であると私は考えます。まっ、証明したとは言えないかも知れないけど。

それと瀬織津姫にはやはり源流があると思います。朝廷側が日本の本来の地主神への信仰を恐れて瀬織津姫と呼んだ。瀬織津姫の名でカモフラージュしていると考えます。

では瀬織津姫の本来の名前は何か。それは私のブログのタイトルにしている、ヤマトタケル命の行く手を遮った渡神、境界線の神・鬼渡神だと言えます。瀬織津姫も奪衣婆もあの世とこの世の境界線に座していますし。

そしてアラハバキ神と考えます。懸衣爺は久那戸大神になります。この二神が日本の源流の神です。アメノウズメ命と猿田彦命、そして道祖神もこの二神がモデルと考えます。

長々と書いて参りました。どうでしょう、瀬織津姫が日本オリジナルの女神だと納得いただけましたでしょうか。

納得できない。やはり瀬織津姫は全宇宙のナンチャラカンチャラなのでありましたら、スピリチュアルの専門用語を用いず、判りやすく説明いただき、私を納得させて頂きたいと思います。

私が死ぬまでお待ちしています。宜しくお願い致します。

 

ではでは。

 

 

 

 

 

 

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