諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

インドには墓は無い。その1

2023年03月29日 11時30分13秒 | 
インドには墓は無い・・・・っと言ったら嘘になります。一応、インドのイスラム回教徒には墓はありますので

インドは現在、中国の人口を超えて世界一に躍り出ました。その数、14億人です。因みに中国は13億人程度ではないかと言われています。

更に因みに一人っ子政策のせいで中国の人口の減少率は世界断トツ一位だと言われています。計算では30年後には人口6億人程度になるとか。

労働者の人口が極端に減り老人だらけになりますので、急激に経済力も落ち込み、昔の様に貧しい国に逆戻りします。ざまぁ見ろです。

そうならない為に早急にカナダ、オーストラリア、アフリカ、東南アジア諸国、台湾、そして日本を手に入れなければならない。

出来れば中国の後釜となるインド人は原爆で皆殺しにして、永遠に中国の繁栄を続けたい。そしてアメリカと対峙する。そしてアメリカに勝つ。そのつもりだと私は考えています。

話をインドに戻します。

日本人から見たらインドは仏教の国と考えがちですが、インドには仏教徒は人口の0.7%しかいません。

否、その仏教徒もヒンズー教と集合しちゃっている為、純粋な仏教は存在しないと言っても間違いではありません。

日本の仏教もヒンズー教の影響が見られます。龍神信仰がそうです。

更にもサンスクリット語から中国語、そして日本語に訳されだ段階で誤訳だらけ。中華思想が混ざり合った仏教になっちゃっています。

オウム真理教と同類とは言いませんが、純粋な仏教は世界から消えたと言えます。

さて、またまた墓なのであります。

14億人の0.7%は980万人。インドには980万人の仏教徒がいる事となっていますが、この人たちにも墓はありません。

だったら死者はどうやって弔っているのか。

それはヒンズー教徒同様、ガンジス川に流しています。

川なら何でもよい訳ではありません。ガンジス川でなければならない。

ガンジス川は大河です。支流は千を超えます。その淵に遺体を持って行ってその場で焼く。遠くに住んでいる人はクルマに遺体を乗せて、はるばるガンジス川までやって来て焼いて遺骨をガンジス川に流す。それが仏教を含めたインドの葬儀です。ガンジス川が墓なのです。

また遺体ではなく年老いた人、死にそうな人もガンジス川に連れて行きます。何故か。

それは本人が聖なるガンジス川に遺骨を流されるのに、無常の喜びを感じているから。

早くガンジス川で死にたい。それでガンジス川の淵に座り死ぬのを待っている人もゴロゴロいます。ガンジス川で死ぬのが楽しみなのです。

ただ、何故か乳幼児が亡くなった場合はガンジス川に遺骨は流さず、遺体のまま岸に1メートル程度の穴を掘って埋める。それだけだそうです。

例外はあります。ガンジーです。ガンジーには墓があるのです。っとは言っても遺骨はやはりガンジス川に流します。墓は記念碑として存在しているだけです。


続く。
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またクルマをぶつけた。

2023年03月28日 23時33分08秒 | 出来事
またクルマをぶつけた。2日連続である。

もう、詳しくは言うまい。税理士も敵に回った。嫌いな妹も仙台に来た。禍を撒き散らす弟から電話があった。自分の認知症を認めようとしたない。それでまた私に禍を撒き散らした。出鱈目ばかり言いやがって。本当にお前は認知症だぞ。

タバコ吸っているから血管が収縮して脳に血が回らないのだ。近々母親同然になるぞ。

さて、物件の掃除に行ったら、隣のアパートに住む元ホームレス達が私の物件に枯葉等のゴミを投げていた。

仙台は人口増加を目的としてホームレスを受け入れている。彼らは大阪のホームレスだったが、ホームレスで儲けている悪質な仙台のNPO法人に縁も所縁も無い仙台に連れて来られたのだ。

仙台は大阪よりも生活保護が受けやすいらしい。立憲民主党の地盤だからな。そう言う事なら私も生活保護の生活をしてやろうか。

それにしても左足の膝が痛い。寝たきりに成らない体操で股関節を鍛える為に脚をグルんグルんと回していたら、膝を痛めてしまった。もう半年以上痛い。治らないのかも。

そう言えば亡くなった父も膝を痛めていた。二日に一度ヒアルロン注射していた。これは父の祟りなのかもな。アイッならやりかねない。

そういう事で膝の痛みに耐えて掃除をしていて、喉が渇いたので飲み物を買いに行ってクルマを走らせた。そしてまたバックでクルマをぶつけた。二日連続だ。

どうも父のクルマとは相性が悪すぎる。これも父の祟りか。もしかしたら私も認知症か。

否、私が運転が下手過ぎるのだ。そして注意力が散漫。その上、鬱病で精神状態がおかしいのだ。

この感覚で生きて行くのが辛い。多くの自殺者はこの感覚を味わっている筈だ。不運が不運を呼ぶ。生きるのが嫌になってくる。人と接するのが嫌になってくる。

それで死に逃げたのだろうな。

否、私は朝起きて抗鬱剤を飲んでいた。その副作用で意識が朦朧として事故を起こしたのかも知れん。昨日も抗鬱剤を飲んで事故を起こしたし。

私は本来、心配性である。心配性だから鬱病になったと言える。

しかし、薬で気を楽にさせている。「もうどうでもいいや」と言う気持ちになっている。だから事故を起こしたのかも知れん。困ったもんだ。

今しばらくはクルマに乗らない方が良いな。また事故を起こしたら死にたくなる。死が幸せに感じる。本当に今は危ない状態だ。

こう言う時は引き籠るのが一番だとは思うが、引き籠ると鬱が深まる。どうしたら良いのだろうな。

もう事故で死んでも良いから放浪の旅にでも出ようか。カブ110PROでも買って、日本一周の放浪の旅に。

っとは言ってもそれは出来ない。やらなければ成らないことが多過ぎる。正直、生きるのが面倒だ。それに自分の墓を造らなければならんし。

私は決めている。日本人の本当の墓を造る。お寺の墓は本来の仏教の墓ではない。死者から金をふんだくる商売としての墓だ。そんな墓に誰が入るもんか。

死んだら最高に幸せになってやる。本当の日本人の墓に入って。


ではでは。
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クルマをぶつけた。

2023年03月27日 21時32分40秒 | 出来事
昨年の1月、母親が「お父さんがいなくなった」と言った。父親は歩くのも困難だった。それなのにどこに行ったのか。近くのドラッグストアのツルハか。

私は焦って車に乗り込み、父を探したが見つからない。焦る。

焦りながらお金が無いことに気づく。途中、銀行でお金を下ろそうとしたら、銀行の車止めのバーに思いっきりクルマをぶつけた。バンパーがずれて隙間が空いた。

クルマなんてどうでも良い。父を探し続けたが、どこを探しても見つからない。あんまり歩けなので近くの筈だが見つからない。

それで父のアパートに戻ったら、父は寝ていた。母親が父が寝ているのが分からず行方不明と言ったのだ。忘れていた。母が認知症であることを。

父にバンパーをぶつけたことを言ったら、1か月前に直したばかりだと言う。その点からも父と私の相性が悪いことが分かる。どうせボロクルマなのだ。直さずにそのままにしていたら、ぶつけた心のダメージも軽く済んだのに。

そして現在。2日前に不動産屋から電話があり、28日火曜日に部屋を見たい客を案内すると言う。

昨日は予定があった。それで今日、そのアパートへ掃除に行こうとしたのだが、ウエス(拭き取る布)が無いことに気が付いてホームセンターへ。

ウエスを買ってきて家でゴム手袋を探し、駐車場からバックで出ようとしたら、信号待ちで停車しているクルマにぶつかってしまった。走行してくるクルマしか見ていなかった。全面的に私が悪い。

ぶつかったのは私のクルマはブレーキランプ。ヒビが入っていた。相手のクルマは30代女性が運転しているトヨタのSUV。

私は「私が確認しなかったので全面的に悪いです」と行って謝る。女性は慌てる様子もなく冷静だった。

私は部屋に戻り警察を呼んだ。15分後、プリウスのパトカーが到着。女性と男性の警察官に事情を話す。私の後方確認が不十分だったと。信号待ちでクルマが停車していなかったことに気が付かなかったと伝えた。

通常ならちゃんと確認していた筈だ。しかし、「急いで掃除に行かなければ」との思いで注意力が散漫となる。昔からそうだ。一つの事で頭がいっぱいになり、それしか考えられなくなるのだ。

これは私の器の小ささ。器量の無さ。心の余裕の無さが原因だ。

考えれば私は元々、鬱病に近い精神状態にあったように思える。何でも鬱病のせいにするのは良くないが、気持ちが小さいのである。

父が亡くなり、バイクで3度ほど事故に遭いそうになった。それも気持ちの小ささ、弱さからだ。元々なのだ。

元々、私は弱いのだ。人生を堂々と歩める性能を有していないのだ。生きるのに向いていないのだ。

そんな私が生きて行くのは困難を有する。何で私みたいな人間が存在するのだろう。

それは自然の摂理なのだと思う。この世の中、強弱と善悪で成り立っている。「悪」は本来は「強い」と言う意味だ。

強い者がいて弱い者がいる。強ければ幸せになり、弱ければ不幸になる。それが世の中の摂理なのだと思う。

でも、強いだけでは生きて行けないのも人生だと言える。でも、強さには価値があるのだろうか。

例えば仙台の坊さんが大峯千日回峰行に成功した。山を千日歩き回る修行??だ。更には食べず寝ず、真言を唱える修行もある。それは凄い精神力だと思う。

でも、それって何の意味があるのだろう。疲れても歩き続ける。寝たくても寝ない。腹が減っても食べない。自然の摂理に逆らう。それで名声を得る。凄い人物だと認められる。

そんなのに何の価値があるのか。私は何とも思わない。勝手にやってろと思うだけ。それって無我の境地の真逆ではないのか。欲ではないのか。

何時もの様に支離滅裂になってまいりました。

心配事だらけなのです。税理士もうちの資産の管理をしたいと思ってい居るし、不動産を売れとか余計な事を言い始めたし。

私は弱いと思われている。不動産屋にも騙されそうになったし、税理士も騙す雰囲気が出て来た。誰も信用できない。

自分しか信用できないと言いたいところだが、鬱病故に自分も信用できなくなっている。

安息が欲しい。この感覚、自殺者が通った感覚の様に思う。

そうならない為に抗鬱剤だ。薬に頼ろう。薬だけが私を助けてくれる。

でも、薬を頼り過ぎると薬から離れなくなるのも事実。

何を頼りにして生きればいいのだろう。家族がいない私は、どうしたら良いのだろう。

それは兎も角、また自動車の保険料が上がってしまうな。困ったもんだわ。


ではでは。


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立憲民主党のポンコツ「石垣のりこ」には呆れた。お前も高市早苗の発言を捏造するのか。

2023年03月25日 16時15分30秒 | 政治・経済
「のりポン」と呼んでくださいね。

これ、エフエム仙台女子アナ時代の「石垣のりこ」のキャッチフレーズでした。

もしかしたらポンコツなのを自覚していたから、ポンコツの「ポン」から「のりポン」だったなのかも。

まっ、多分、立憲民主党にやらされているのだとは思います。彼女も辛い立場なのかも。そうだったら気の毒ですが。

そうは言っても不倫の噂もあるから、性根からしてそうなのかも。だとしたら女子アナ時代は借りて来た猫被っていたのかな。

私、店舗で商売をしていた時代、BGM代わりにエフエム仙台を流していたのです。毎日、「石垣のりこ」の声を聴いていたのです。癒されていたのです。ファンだったのです。可愛らしかったのです。

それなのにあんなに険しい狼顔になって立憲民主党議員として、高市早苗に牙を剥き出し噛みつこうとする日が来るとは思ってもいませんでした。

否、民主党議員として立候補した時、ヤバいと思ったんですよねぇー。地元アナウンサーは女子アナに限らず、反日政党・・・・・じゃなかった、親中政党に入る流れが多く見られるので。

例えば安住淳って知っているでしょ。何時も不貞腐れた顔して自民党に噛みついているヤツですよ。あいつも宮城県出身のNHKの記者だったのです。

そして仙台市はコッテコテの反日シティ・・・・・じゃなかった、親中シティです。中国命なのです。

そてれで人気女子アナは民主党に勧誘され議員になる。

亡くなりましたか地元女子アナ出身の岡崎トミ子なる民主党議員は、韓国に渡って慰安婦問題を捏造して日本を攻撃していましたよ。日本の税金で政治家やっているのに。

現仙台市市長の郡和子も東北放送の女子アナ上がりです。勿論、民主党から出馬しています。それだけで分かるでしょ、仙台と言う街の気風が。

だから虐めでの子供の自殺が多い。仙台の給食が粗末だ。仙台人の人柄が悪い・・・っとは言いませんが、仙台よりも東京の方が暮らしやすいし、優しい人が多い。

東京の人は冷たいと聞いていましたが全然違いました。田舎から出て来た者同士の絆が感じられて、私は心地よかったです。

昔から「仙台商人が通った後は、ペンペン草も生えはせぬ」と言われてますが、福島県出身の私から見たら、本当に仙台は人が悪いと思います。

元々は伊達政宗の馬鹿が朝鮮人のルーツが多い、出来の悪い大阪商人・大阪職人を引き連れて創った街だから、仕方がないのかも知れませんが。

さて、立憲民主党の「石垣のりこ」です。

立憲民主党の宮城県総支部連合会の女性議員の顔をネットで調べて見てください。

皆、美人ぞろいです(?)。ルックス重視で選んでいると思えます。そして女子アナをしていて県民に親しまれている。だから選挙で当選している部分は確実にあると思います。仙台、宮城県の男は美人に弱いですからね。私もですけど。

特に「石垣のりこ」は奇麗だった。民主党から立候補した時は、まさかと思った。当選間違いなしだと思った。

そして当選後、「今までの可愛らしい石垣のりこは何だったのだ」と言う発言ばかり繰り返している。

安倍元総理に対してもそう。そして今回の高市早苗に対してもそう。

岸田総理に対して高市早苗の罷免を要求。何時罷免するのかと凶暴に言い放った。高市早苗は「官僚が政治家を殺すのは簡単なんです」といっていると発言した。

その発言に対して高市早苗が答弁をしようとしたら、「答弁は結構です」と遮った。

高市早苗はそれでも手を挙げて答弁しようとすると、「石垣のりこ」は狼狽えて「いえ、いえ、あのぉー」と答弁を断る素振りをする。

高市早苗は議長から答弁を許され、「官僚が議員を殺すと言う言葉は自分のものではなく、そう言っている議員もいると言う事です」と反論。

その言葉には「石垣のりこ」は反論せず無言。

知っていたんですよ、「石垣のりこ」は。高市早苗がそんな発言していないことを。

だから「答弁は結構です」と言ったのです。高市早苗が答弁しようとしたら「いえ、いえ、あのぉー」と狼狽えたのです。

「官僚が議員を殺す・・・」との発言を高市早苗が発したと捏造しようとした。そうやって高市早苗の人気を削ごうとしと思われます。この方式、韓国のやり方と同じですよ。本当に汚いやり方です。

立憲民主党ってここまで汚い。なりふり構わない。親方中国の為の日本潰しとしか思えないです。

日本の議員は反日・・・・・じゃなかった、親中議員だらけです。自民党議員の大半も反日・・・・じゃなかった親中です。日本の議員で頼りになる議員の筆頭は高市早苗です。

だから小西洋之は放送法文書で高市早苗に噛みついた。しかし、高市早苗に簡単に論破された。

続いてポンコツ「のりポン」が嚙みついたが、それも高市早苗に簡単に論破された。

私は疑っています。中国の暗躍を。

中国は日本の反日・・・・じゃなかった親中議員の尻を叩いて、高市早苗を失脚させようとしている。

中国とアメリカの戦いは避けられない。アメリカに勝つ為には日本を仲間に引き入れる。それには高市早苗が一番邪魔。

それでこれでもかと反日野郎ども・・・・・じゃなかった親中議員が高市早苗を攻撃している。日本人の皮を被った中国人・・・・・・じゃなかった、親中議員どもめが。

日本人ってバカだと思われているんですよ。中国からも朝鮮からもロシアからも。

親日国も日本人を馬鹿に見ている部分がありますが、ポンコツでも美人なら議員に成れる日本は本当に馬鹿な国です。反日国に操られているのも分からないバカばかりですよ、日本人は。

私は中国とアメリカの戦いは情報操作の点では中国の方が優勢だと思っています。

このままではバカ日本人はバカのまま中国に蹂躙されますよ。

いい加減、学びなさいよ。バカのままでは命は続きませんよ。不幸が訪れますよ。


ではでは。







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人生100年時代には騙されるな。大抵は80歳代で死ぬ。心配するな。

2023年03月22日 20時59分00秒 | 人生
私、20数年前、老人誌の編集の仕事をしていました。

これから老齢化が進む。需要が伸びると考えて入社しました。

間違っていました。老人となると老眼になるのです。小さな文字が見えづらくなる。本も雑誌も読めなくなる。

全国の老人会と繋がっていたから安定していると考えていたのですが、大失敗でした。今まで一度も黒字化していないと聞いて。

この雑誌は某出版社が出版していたのですが、赤字化が続いて廃刊が決定した。しかし、編集長は諦めきれず、自分が個人で経営を受け継いだのです。

受け継いで15年、赤字は止まらず5000万円以上も女編集長は親からの財産を切り崩しています。まさかこんな状態だったとは。

私、騙されました。発行部数は5万部と言ってましたが、3000部も出ていなかった。大赤字。だからとんでもない薄給です。しかも交通費も出ない。聞いていた話と全然違う。しかも経営者である女編集長は文才が無い。

お金になる記事広告は女編集長が書いていたが、私が書くようになってからは売り上げが4倍にも伸びた。それを嫉妬する。

色目を使われたが完全無視したら、私を馬鹿にするようになった。誰が17歳も年上の女性に恋愛感情を持つと言うのか。馬鹿じゃなかろか。

女編集長は当時48歳。独身。親は資産家だから5000万円以上切り崩しているのだろうけど、まるでこの女編集長の趣味に付き合わされているだけ。

その後、この雑誌は私が辞めてから15年も続いたところでNPO法人となったが、多分、女編集長は30年で1億円は注ぎ込んだと思う。それからNPO法人に追い出された。

女編集長で経営者と言う肩書が捨てきれなかったのだろうけど、1億円も赤字を垂れ流した大馬鹿者だと思う。こんな女編集長に騙された私はもっと馬鹿かも知れないが。

まっ、出版社はどこもダークなのです。今まで関わったマスコミも全てそうだった。

「これはもう編集・記者の仕事は続けられないな」。それで東京を諦めた部分もあります。

さて、当時、日本人の100歳の方が1万人に達しました。そして現在は9万人をオーバーしている。確かに100歳以上の方の人口は増えている。

でも、「人生100年時代の到来」は流石にオーバーな表現です。生命保険会社の悪意が見え隠れします。

自分の寿命が100年もあったらどうしようか。年金は大丈夫なのか。老後の生活が心配だ。長生きしてしまう心配で死にたくなってくる。

そう思わせて生命保険を売りつける。大損する生命保険を。

確かに100歳を超える人の人口は増加していますが、現時点で100歳まで生きる確率は2%なのです。50人に1人の確率です。それが更に増えるのかどうか。

このペースで行けば50年後には10%の人が100歳まで生きる計算になりますが、人間、何事にも限界があります。

「天寿を全うする」と言う言葉がありますが、天寿とは128歳です。

128歳まで生きた人間は多分いない筈です。私の家系の医聖・永田徳本でさえ118歳でしたし。

私の父は昨年、87歳で亡くなりましたが、男の平均寿命は81歳です。戦争を経験した世代が全て亡くなる2040年でも83歳とされています。

そこから考えると100歳を超える人の確率は将来的にも3%程度が限界だと考えます。

勿論、医学の進歩はあるでしょう。

ロブスターの様に脳から内臓まで全て脱皮して、新しく生まれ変わる生物は永遠に生きられると考えられていますが、人間は脱皮など将来的にも出来ません。

死が人間の脱皮で新たに生まれ変わるのかも知れませんが、そんなの誰にも分かりません。そこまで考えても仕方がないです。

確かに90歳以上で亡くなる人も珍しくは無いですが、大抵は80代で亡くなります。

日本人の死亡者数は85歳から87歳がピークですが、大抵は90歳前に亡くなります。100歳まで生きると考えない方が良いです。

人間、歳を取ると苦しみが増えるだけです。

体力が落ちる。病気になる。足腰が弱くなる。身体のあちこちが痛くなる。寝たきりになる。その期間が長くなる。それは地獄と言って良いでしょう。

その苦しみから逃れる方法は死しかありません。死が人生のゴールです。

ころりと苦しまずに死ぬ。病気で苦しいのなら尊厳死と言う手もあります。死を考えれば気持ちは楽になりますよ。

「死ぬまで生きる」。ただそれだけ。それ以上は考える必要は無いんじゃないですか。

死はゴール。誰にでも訪れる。長生きする心配してもしょうがないです。

死を楽しみにして生きましょうよ。


ではでは。




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