諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

私のブログ記事を読むにあたっての注意点。

2018年03月21日 10時21分50秒 | 文章
私、以前は株の業界紙で整理記者をしていました。

正直言いまして私は学力不振者でした。だから誤字脱字が多い。しかも集中力が著しく乏しい。

だから後で読んでみるととんでもない書き違いしているケースが多い。申し訳ないですが、私と言う人間のポテンシャルではこれ、仕方のない事なのです。

書き上げた時、集中力が限界になっていますので校正しないでそのままupしちゃいますが、後で読み返してみるとやっぱり誤字脱字がある。私は間違いをそのままには出来ない性格。当然、誤字脱字を直します。

序にと言っちゃなんですが、結構、文章も直しちゃいます。考え方が変わりますので。

書いた時は勿論正しいと思って書いているのですが、後々考え直すと「これは間違っているなぁー」となっちゃうのです。

これはしょうがないですよね、人間なのですから。

でも神を宿している、神の生まれ変わり、私こそが神であると言っているヒーラーや新興宗教の教祖なんかは間違いを認めない。認めたら自分が偽物である事を認めた事となる。ガンとして認めない。

ネットで色々書き込んでいるヒーラーや教祖がいますが、殆どジョークじゃないか、漫才か、っと言うような情報が出回っているのには呆れます。特に瀬織津姫について。

これは私は結構自信を持っているのですが、「瀬織津姫」の名前はアイヌ語が語源で間違いないと思います。一応、その証明もブログで書いています。

瀬織津姫は宇宙のどこからか飛んできたとか言っているヒーラーがいる様ですが、宇宙語ってアイヌ語なのでしょうか。世界中の言語はアイヌ語が大元なのでしょうか。

弁才天は瀬織津姫だから、瀬織津姫はインドからやって来たと言うヒーラーもいる様ですが、インドよりも日本の縄文文化の方が断然古いのであります。

インドは沐浴をする。川で身を清める。だから水神であり川神である瀬織津姫はサラスヴァーティーだと言っているみたいですが、水で身体を清める文化はインド発祥なのでしょうか。そんな訳ないでしょ。象だって虎だってカラスだって教わった訳でもないのに水で身体を洗うのですから。

そんなの1万年前の日本人だって水で身を清めていたに決まっているでしょ。何でも世界や宇宙が発祥ではないですよ。

日本には40万年前の土器も出てきたりしているのです。日本の文化は世界有数の古さです。古さでは世界に引けを取らない。

大体、日本人の穢れに対する考えは徹底しています。こんな綺麗好きな民族は珍しい。これは遺伝子に組み込まれたものです。日本人に備わっていた美意識です。これがインドとか中国、朝鮮を渡って来たとは言い難い。

これを言っちゃお終いですが、仏教を日本に広める為に日本の神々とインドの仏を集合した。つまり仏教は大嘘を付いたのです。そうしないと何時まで経っても仏教は日本に広まらなかったので。

イエズス会もそう。「大日如来がゼウスだ」。これもキリスト教を日本に広める為の大嘘。日本は大嘘で塗り固めている部分が昔から多くある。偽りの神威を高めたい為、嘘で嘘を塗り固めた情報が累々と広まっている。

このままでいたら日本の文化は元々は全部世界、強いては朝鮮から来たになります。

どっかの国の人は日本に来て国家転覆を狙っています。どこまでも日本を覆そうとしている。だから注意が必要。そして日本の古来からの伝承、文化、民俗を学び伝えるのが大切だと思いますね。

うーん、お題目と全然違う内容になってきた。

まっ、私が言いたいのは「私は断言しません」と言う事。一度書いた事も間違っていたと思った部分は直します。何時までも同じ事は言いません。真実に近づくには自己否定が欠かせませんから。

っと言う事でこれからも私は自分の間違い、或いは情報の更新をこっそりと直して行きます。最初書いた事と全然違う考えになっている事もあると思う。

その事をご理解頂き、たまには過去の記事を読んで頂ければ幸いです。


ではでは。




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何で「ではでは」???

2012年12月03日 13時32分41秒 | 文章

えー、私、これまで色んなところで書き込みしてきました。特に「2ちゃんねる」で。

いやー、「2ちゃんねる」の書き込みは凄いですわ。狂気じみた人が沢山。
私も屁理屈では定評がありますもんで、多くの論客を論破続けてきましたが、流石に意味のないことに気付きました。所詮、私は馬鹿もんでわね。

「2ちゃんねる」だけでなく、人様のブロクでも結構コメント書いています。

それを歓迎してくれるブログ主もいれば、意見が違う事を悪魔のように罵るブログ主も大勢いました。特に神様関連だと、それが多いですね。

私はそのブログで多くを学びたいと思っており、例を挙げてブログ主の書き込みに対して質問や疑問点を投げかけたりするのですが、それがどうもブログ主の怒りに触れるというか、もうブログ主がその宗教の大家、或いは神様の巫女、究極には神様そのものになってしまっておいでで、「この、罰当たり」って感じで糾弾されたりもしました。

相手が神様だと露知らず、無粋な質問してしまった私が悪いと言う事なんでしょうが、自分でブロクを立ち上げる神様なんていないと思うんですけどねぇー。

っとは言っても、私が相手様のブログに質問・感想を書き込んで、その内容がブログ主には不快と感じるケースが多々あるのは間違いないと思います。

勿論、私も質問され不快に感じることはあります。まあ、質問する相手に悪気がないは分かっているつもりですが・・・・・。

んでは、どうすれば相手様への質問・疑問・感想に悪気がないか分かってもらう方法を考えました。その答えが文章の最後に「ではでは」を付ける事です。

まぁー、どう相手が捉えるかハッキリとは分かりませんが、ニュアンスは分かってもらえる気がしています。

大した意味合いではないのですが、そんな気持ちが伝われば良いなぁーと考えている次第です。

ではでは。

コメント (2)
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