しかしこの八坂神社、元々は志波彦神を祀っていました。いや、本当は現在も境内社として志波彦神を祀る冠川神社が鎮座していますが、宮城県民の方にはご存知の通り、志波彦神社として塩竃市の奥州一ノ宮・塩竃神社に並んで鎮座されています。塩竃神に協力した神としてです。
塩竃神社の正式名称??は志波彦神社塩竃神社となります。塩竃神社よりも前に志波彦神社が前に来ます。格式も志波彦神社の方が上です。色々複雑な諸事情からそうなっている訳です。
まっそれは兎も角、元々志波彦神を祀る神社だったのに、何故、後からスサノオ命を祀り八坂神社になったのか。
これは私の想像ですが、「怨霊には乱暴者を」の考えから乱暴者のスサノオ命を祀ったのだと思います。怨霊となってしまった志波彦神を抑える為に。それほど志波彦神は力のある神だと私は考えています。
この志波彦神は元々、現在の奥州一ノ宮・塩竃神社に祀られていた様ですが、何らかの理由で岩切の地に移されたようです。
明治時代、当時の宮司がその旨を記載した古文書を発見し、「天下の一大事」と明治天皇に直訴。志波彦神は岩切の地から塩竃の地に戻され、立派な社を建設してます。
っと言う事は明治天皇も「これゃ、大変だー」と思ったんでしょうね。明治天皇が何故ここまでしたのかはハッキリとは分りませんが、志波彦神がそれだけ重要な神なのは確実だと思います。
この話は塩竃神社の本来の祭神を探る重要な手掛かりになると考えておりますが、長くなりますし、天下の塩竃神社に対しましても諸事情の問題が御座いますので、何れまたの機会にドサクサに紛れて語りたいと思います。しらばっくれて・・・・・・。
さて、この八坂神社の前には川が流れています。七北田川です。二級河川となっています。昔は冠川と呼ばれていました。
冠川と呼ばれた理由。それは何時の時代だか分らないほどの昔、志波彦神がその川を白馬に跨り渡ったそうです。そしたら白馬が川石に躓き転倒。志波彦はひっくり返った際、頭の冠を川に流してしまったんです。
これに志波彦神は「川石がこんなにあるのが悪いんや」と激怒。手下の神々に川石を拾わせ、「そのおかげで川の石ころは全て無くなりましたとさ」と言う話です。
この話、本当かどうかは知りませんが、これが切欠で冠川と呼ばれるようになったんです。志波彦神が冠を落としてしまった事で。
そして今の七北田川、本当に石ころが少ないです。皆無ではないですが、この話、本当ではと思うくらい石はありません。
実際、志波彦神の手下の神々が川石を拾い集めて置いていた場所があります。その場所は八坂神社よりもかなり上流にです。地名は石止めとなっています。
勿論、拾い集められた川石は現在残っていませんが、現在のその場所には石留神社が鎮座。狩野英孝の実家・櫻田山神社の祭神でもある武烈天皇が祀られています。
つづく。