諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

志波彦神と武烈天皇。そして冠川伝説。 その1

2014年04月29日 19時57分48秒 | 神道
私の家の氏神は宮城県の岩切に鎮座する八坂神社となっております。八坂神社ですから祭神はスサノオ命となります。

しかしこの八坂神社、元々は志波彦神を祀っていました。いや、本当は現在も境内社として志波彦神を祀る冠川神社が鎮座していますが、宮城県民の方にはご存知の通り、志波彦神社として塩竃市の奥州一ノ宮・塩竃神社に並んで鎮座されています。塩竃神に協力した神としてです。

塩竃神社の正式名称??は志波彦神社塩竃神社となります。塩竃神社よりも前に志波彦神社が前に来ます。格式も志波彦神社の方が上です。色々複雑な諸事情からそうなっている訳です。

まっそれは兎も角、元々志波彦神を祀る神社だったのに、何故、後からスサノオ命を祀り八坂神社になったのか。

これは私の想像ですが、「怨霊には乱暴者を」の考えから乱暴者のスサノオ命を祀ったのだと思います。怨霊となってしまった志波彦神を抑える為に。それほど志波彦神は力のある神だと私は考えています。

この志波彦神は元々、現在の奥州一ノ宮・塩竃神社に祀られていた様ですが、何らかの理由で岩切の地に移されたようです。

明治時代、当時の宮司がその旨を記載した古文書を発見し、「天下の一大事」と明治天皇に直訴。志波彦神は岩切の地から塩竃の地に戻され、立派な社を建設してます。

っと言う事は明治天皇も「これゃ、大変だー」と思ったんでしょうね。明治天皇が何故ここまでしたのかはハッキリとは分りませんが、志波彦神がそれだけ重要な神なのは確実だと思います。

この話は塩竃神社の本来の祭神を探る重要な手掛かりになると考えておりますが、長くなりますし、天下の塩竃神社に対しましても諸事情の問題が御座いますので、何れまたの機会にドサクサに紛れて語りたいと思います。しらばっくれて・・・・・・。

さて、この八坂神社の前には川が流れています。七北田川です。二級河川となっています。昔は冠川と呼ばれていました。

冠川と呼ばれた理由。それは何時の時代だか分らないほどの昔、志波彦神がその川を白馬に跨り渡ったそうです。そしたら白馬が川石に躓き転倒。志波彦はひっくり返った際、頭の冠を川に流してしまったんです。

これに志波彦神は「川石がこんなにあるのが悪いんや」と激怒。手下の神々に川石を拾わせ、「そのおかげで川の石ころは全て無くなりましたとさ」と言う話です。

この話、本当かどうかは知りませんが、これが切欠で冠川と呼ばれるようになったんです。志波彦神が冠を落としてしまった事で。

そして今の七北田川、本当に石ころが少ないです。皆無ではないですが、この話、本当ではと思うくらい石はありません。

実際、志波彦神の手下の神々が川石を拾い集めて置いていた場所があります。その場所は八坂神社よりもかなり上流にです。地名は石止めとなっています。

勿論、拾い集められた川石は現在残っていませんが、現在のその場所には石留神社が鎮座。狩野英孝の実家・櫻田山神社の祭神でもある武烈天皇が祀られています。


つづく。



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家の守り神だった蛇。そして祟り。

2014年04月26日 21時54分34秒 | 霊体・恐怖

前回に続きまして今回も蛇についての話です。この話は私の母親から聞いたものです。

っとは言っても、私の母が実際に体験した話ではありません。私の母親が産まれる前、母の姉達の身に起きたものです。もうかれこれ74年以上も昔の話となります。

故に詳細は流石に多少違っている可能性は十分にあります。其処の所、ご了承いただきお読みいただければ幸いです。

さて、その前に母の家族環境を説明します。母は両親が40歳を越えて産まれました。

兄弟は男5人、女5人。母は合計10人兄弟の末っ子です。一番上の長兄とは20歳以上歳が離れています。

実家は福島県いわき市上好間田代。古河炭鉱か近くにあった山の中です。梨をメインとした果樹園を営んでました。

事件は母の兄弟の長姉と次姉の身に起きます。長姉・次姉が家に居た所、二匹の大蛇を発見。二匹ともデカい青大将だったみたいです。

二匹の青大将は天井の横の柱??に二匹重なる様に居ました。母の長姉・次姉は「家族に噛みつきでもしたら大変だ」と思い、箒で下に叩き落とし、二匹の青大将をその箒で滅多打ちにしたのです。

ヘロヘロの死にかけになった二匹の青大将は塵取りに入れられ、使わなくなった井戸に落としました。

そしてその日の夜、長姉・次姉2人共に首筋に蕁麻疹が発生。頗る付きの痒みで眠ることもままならない状態だったそうです。

翌日の朝には首筋の蕁麻疹は掻いたことで鱗の模様になってました。イボイボではなくどう見ても鱗。魚の鱗より滑らかな感じの鱗。そう蛇の鱗です。2人共にです。

2人の姉は怖くなり両親に話しました。家に居た二匹の青大将を痛めつけ、使わなくなった井戸に落とした事を。

そして次の日になっても鱗は消えず、ますますハッキリと鮮やかに浮かんできたそうです。しかも首筋から喉、そして胸の上にまで広がっています。家族は大変恐怖を覚えたそうです。

こうなると流石に蛇の祟りに間違いないと確信。氏神の神社で祈祷をしてもらうことにしました。

神主の言う事には、「その二匹の青大将は間違いなくお前達の家の守り神である。それをお前達は叩き殺したのだから祟りを受けているのだ。祈祷をしたから鱗の痣は直ちに引くであろう。今後、こんな罰当たりな事は絶対するんじゃないぞ。判ったか」と、こっ酷く説教を受けたそうです。

蛇の鱗の痣は神主の言う通り、祈祷の後数時間後には綺麗に跡形も無く消えていたそうです。

元々は家の守り神です。家族兄弟に何の恨みも無い。守護していた存在です。だから祈祷で祀り上げた事により、許してもらえたのだと思います。他の家の巳様では、こう簡単には行かなかったと思います。

それにしてもその祈祷をした氏神の神主の力は凄いです。これでこそ神主だと思います。

これは何れ話そうと思うのですが、私の父親も幼少の頃食べ物がなく、家の近所で異常発生していた蛇(シマヘビ)を食べ過ぎて蛇に祟られた事があります。

やはり氏神の神社の神主に祈祷してもらい祟りが消えたそうです。昔の神主、特に福島県の神主は皆、祈祷力があったみたいです。

この話を友人の禰宜に話したら凄く驚嘆してました。今の宮城県には多分、これほどの祈祷力を持っている神主はいないのではないでしょうか。

今の神主はぶっちゃけ誰でも簡単になれるし、「この人が神主していていいの?」と思える威張るだけの神職の方も大勢います。本来の神主は祈祷の力がある正しい人がやるべきだと思います。

さて、蛇は何故家の守り神とされるのか。それは山で蛇を見た事のある人なら何となく判ると思います。

蛇はあれで案外気の弱い動物です(シマヘビ・ハブは除く)。人に見つかればすぐさま逃げます。争いを好まない。自分の巣穴に逃げ込む。巣穴に逃げ込めばホッと安堵する蛇の気持ちが伝わってくる。故に「蛇=家」の構図が浮かぶ。それが「屋敷神=蛇」とのイメージに繋がったのだと思います。

そうは言っても家に居る蛇は確かに神霊です。蛇だけでなく家に出る蜘蛛なんかも福を運んでくれると言われてます。

ヤモリだって屋守(守宮)と書きますし、イモリも漢字で井守です。気持ちが悪いかも知れませんが、家屋敷の守り神(眷属)だったり、井戸の守り神(眷属)だったりするのです。全ては敷地の守り神。若しくはその使いだと思います。

故に家や敷地に出る生物は、出来るだけそのままにしておくに限ります。

祟りは本当に起こります。祟りだらけの人生を歩んでいる私が言うのだから間違い有りません(キッパリ)。

くれぐれも笑い話、ホラー話で終わらせないで(ホラじゃないよ)、家に出る生物を感謝の心で迎える位の心構えが必要だと思います(ゴキブリ・蝿・蚊は場合は分かりませんど・・・・・・・)。

勿論、私みたいに蛇を食べるなんて言語道断です。くれぐれもお気を付け下さい。


ではでは。

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シマヘビの味、マムシの味。 その2

2014年04月25日 06時09分00秒 | 料理
続きます。

蛇を料理する、食べると聞いてビックリしました。

蛇を料理する所なんて見るべきではなかった。すぐさま退散すればよかったんですが、私、好奇心が強い方なんで見ちゃったんですよ、料理するところを・・・・・。ホント、あんなの見るんじゃなかった。失敗しました。

もうね、呉服屋のオバサン、包丁でシマヘビをぶつ切りです。でもシマヘビは生きている。動いている。
そのまま鍋に入れます。金色のアルミの普通の鍋です。それでも生きている、動いている。

実際は蛇の皮を剥がして、内臓や骨を外したのだと思いますが、ぶつ切りにされても煮られても生きている蛇の姿に生きていく業を感じましたわ。

まあ、それで終われば確かに食育となって良かったのかも知れません。それなのに呉服屋のオバサン、とんでもない事を言いました。

「鶏を潰してご馳走つくってやっからねっ」と。

呉服屋さんでは鶏小屋をたてています。そこから余り卵を産まなくなった茶色の雌鳥を出してきて、包丁で首を刎ねたんです。やめてぇーー、はあうぅぅぅぅぅぅぅぅーーーーーん。

それなのに鶏は頭が無くなっても鳴くんですよ「コケコケコケェー」と。そして暫く走り回るんです。もう駄目です。あんな恐怖はありません。あれはお化けより怖い。大変な恐怖です。私、正直、蛇も当然怖いですが、鶏も怖いです。あの恐怖はトラウマになりますよ絶対に。

あれは子供は見るべきでは無いです、絶対。何というか蛇と鶏を難なく裁いた主婦と言う生き物にに恐れを抱く様になります。もしかして私が結婚したいと余り思わないのは、その為かも知れないです。

「食べ物は粗末にしない」。確かにそう心にインプットされたのは間違いないです。皮肉な事にそれが糖尿病の一因になっちゃいましたけど。でもあの光景は見るべきでは無かったです。未だに後悔しています。食育も人それぞれの感情を考えなければ駄目だと思います。それがマイナスに作用する者は確実に居ますからね。

それは兎も角、御馳走が出来上がりました。「シマヘビの煮物」、「鶏のソテー」、「イナゴの佃煮」、「竹の子の煮物」、そしてご飯と味噌汁です。うーん、全部現地調達の御馳走です。見事なもんです。流石、いわき市です。

しかし、私に食べられるのは「竹の子の煮物」位です。あの光景を見て直ぐですからね。シマヘビはおろか、鶏も食べられませんよ。それにイナゴって何なんですか。虫じゃないですか。あれは子供には無理です。文化が違いすぎると思いましたわ。

呉服屋のオバサンは「どんどん食べな。あっそうだ。生卵食べるか」と言い出しました。

私は鶏を解体した時に取り分けた産まれる直前の卵を出すのだと直感しまして、「いいです、いいです」と丁重にご辞退申し上げました。多分、私が生卵を余り食べなくなったのも、この時が原因だと思います。

それでも子供心に「竹の子以外も食べないとオバサンに申し訳が立たん」と思いました。子供の頃から「和の心」を大切にしている私です。何か食べないとマズイと思いました。

メインデッシュのシマヘビに目をやりました。鶏よりはシマヘビの方が恐怖が少ないと思いましたので。形も蛇の原型を留めてないので、何とか成るかと思いました。そして意を決して一口だけ食べました。

この頃には蛇は鶏に似いてる味がすると聞いていましたが、実際に食べてみると魚に近いです。っと言うか、殆どニシンと同じ味です。多分、シマヘビと教えなければ、殆どの人がニシンだと思う筈です。これにはチョット驚きました。それ以来、ニシンも食べられなくなりましたけど・・・・・・。

時は過ぎて約20年後、東京の出版社に勤務していた時、この話を私より20歳前後年上のフリーライターに話しました。

そのフリーライターの実家は鳥取県で養鶏業を営んでいます。鶏を潰すのなんか当たり前だといいます。何の感情も沸かないそうです。現に半生と言うかレア状態の焼き鳥が大好物だとのたまいます。職業病なのかも知れませんが、人それぞれなんだと思いましたね。

そしてシマヘビの味がニシンとそっくり。殆ど同じとの話もしました。彼も「蛇は鶏肉よりも魚に近い味だ」と断言。そして実家にはシマヘビは居ないがマムシはウヨウヨ居た。勿論っ捕まえて食べた。味はサンマとそっくりだったと言いました。

私、この話を聞いてサンマも食べられない事は無いですが、あんまり好きじゃなくなりました。

鶏はかなり駄目。ニシンも全然駄目。サンマもチョット駄目。やっぱり駄目なものは駄目だと思います。

それ故、まぁートラウマになる事はしないに越した事は無いと思う所存です。


ではでは。
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シマヘビの味、マムシの味。 その1

2014年04月23日 00時13分00秒 | 料理

以前、小学校の教室で豚を飼って育て、生徒達で多数決で食べるかどうか決める映画がありましたね。食育と言うヤツで。

私はそんな映画見たくも無いので結果は知りませんが、その考えには反対です。教師のエゴだと思います。私だったら完全にトラウマになってしまいます。

どうしても飼っていた豚を食べると言うなら、私は全力で阻止します。それが出来なければ小学校を辞めます。

確かに食べ物を大切にする考えには賛同します。でも食事をするごとに愛情を注いで飼っていた豚を思い出していたら、精神が崩壊すると思いますよ。

私は心が弱いから精神が狂う筈です。多数決だからと言って決められたら、ショックで登校出来なくなります。本当にそんな学校嫌です。

そんなこと考える馬鹿教師は何でも自分中心に考える「先生病」に掛かっていると断言出来ます。自分はそれで教師として優越感に浸れる。しかし、人間には個性があります。出来る事と出来ない事がある。それは人それぞれです。避けて通るのもその人の生き方です。人によってはトラウマになる事は、やるべきではないと思いますね。

さて、大それた事を述べさせて頂きましたが、私もね、食事でトラウマになっていることがあるんですよ。

第一に私は父親とは正反対の人間です。ハッキリ言って軽蔑してます。だから父親の好むものが嫌いです。

親父はパチンコが唯一の趣味ですが、私はパチンコの音を聞くだけで気が狂いそうになります。
タバコも父親の吸っている姿を見て嫌いに成ってます。臭いだけで咳き込みます。そしてビール。親父は毎晩飲んでいたもんですから、私は自動的に飲めない様に成りました。無理に飲もうとすると吐きそうになります。匂いだけでも駄目です。

これらは皆、精神的な問題から来ている様に思いますね。

それとは別にトラウマになって余り食べれない物があります。その話を聞いてやって下さい。

話は40年近く遡ります。故郷の福島県いわき市に里帰りした時の事です。

以前、小説「洟をたらした神」の舞台となった、いわき市好間町に住んでいました。そこで新聞販売店をやっていたんです。

その向かいの呉服屋さんと私の親が仲良かったもんですから、チョット寄った訳です。

親達は世間話に花を咲かせていた時、私の親とも顔見知りの米屋さんがやってきました。1メートル位のシマヘビを持って。「さっき此れ捕まえたんだけど、食べてくんち」と言いながら・・・・・。

向かいの呉服屋さんも「何時も悪いわねぇー、ありがとねっ」なんて言ってます。これって変でしょ。

普通、魚でも大漁に釣ってきて、御裾分けで魚を持ってくるのなら分かります。でも蛇を捕まえたから食べてくれって持ってくるなんて有り得んでしょ。

そんなデカイ蛇持って来たら、都会なら完璧に嫌がらせになります。警察に通報されて新聞に載ります。こんな事がまかり通るなんて考えられませんよ。

まぁー何と言いますか、いわき市は何故かシマヘビがそこらじゅうに居るんです。そして大変貧しい土地柄でした。特に好間町は常磐炭鉱の町です。炭鉱が閉山になってからというもの貧しさに拍車をかけた様な町です。だから貴重な蛋白源と言うヤツで、蛇も食べる習慣があるようなんです。

私は唖然としました。「蛇を食べるのかよ」と。


つづく。







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インターネットの怖さ。【新聞社編】 

2014年04月21日 04時21分22秒 | 人生
私、今は休業状態と言うか、ネットで細々と食べているのですが、余り世の中で重要視されていない、どうでもよい商売をしています。

ネットのおかげでどうにかやっていけるのですが、ネットのせい衰退している商売でもあります。皮肉です。

しかし、家業の新聞販売業を継いだとしても状況は同じでしょうね。新聞もやはりネットでダメに成っていますしね。

私の父親が新聞販売店を経営していた時、新聞社の社員の三分の一が東京大学出身者でした。

販売店に販売促進を指示する宮城県の担当員は上智大学出身でしたが、上智大学だから新聞の編集には回されなかった。つまり閉職です。

東大で当たり前、出来れば一橋大学位じゃないと新聞記者には成れない世界です。エリートの中のエリートってヤツです。

そう言いましても新聞会社の担当員は毎月100万円まで必要経費が認められています。月の半分は担当の県を「新聞増やせ、何やってんだっ」と言って回る訳です。

販売店は鰻膳とか豪華な昼食を出したり凄い接待をします。割り当て部数を少なくして貰う為にね。自分の特権を行使するのが仕事。優越感に浸れます。

だから仕事はストレス解消豪華トラベルツアーってなもんです。しかも販売店の所長を叱り付けるのが仕事。馬鹿楽です。羨ましいと思いましたよ。子供心にね。

まぁーそうは言っても新聞の販売部数を増やすのが仕事です。新聞屋の所長を叱咤激励と言ったら聞こえは良いですが、脅し透かし怒鳴りまり従順な奴隷へと矯正させ損させてても新聞を増やさせるのが仕事ですからね。私には罪悪感が先に出て勤まらないでしょうね。

当時、上智大出の担当員は27歳前後の若造でしたが、やり過ぎました。凄い横柄でエバリ腐るのです。

何かマニュアルがあるとは思いますが、所長をマインドコントロールし絶対服従を強制します。人間の屑そのものです。うちの親父なんか息子の私とそんなに歳の変わらないその担当員に、ヘイコラ、ヘイコラしてました。

そして事件が起きました。その担当員と宮城県・販売店主組合の会長とにです。

何時も通り担当員は、マインドコントロールをかけたつもりになって怒鳴りまくりです。

しかし相手の会長は東京六大学出身。新聞奨学生上がり。海千山千。身長は190cmを軽くオーバー。ニシキヘビみたいな顔をしていて、ヤクザもビビル様な男です。ルックスは。

でも心は小心者です。気が弱いのです。だから最初は従順に耐えていました。

しかし小心者ほど切れたら怖い者はいません。自分より半分程度の歳の若造にお前呼ばわりされて耐えていたのですが、とうとう堪忍袋の緒が切れで激高。「何だ貴様、コラッー」と怒号を上げて担当員に襲い掛かりました。

怒鳴りまくっていても担当員は受験戦争を戦ってきた程度の男です。生き馬の目を抜くような新聞販売店所長に比べれば、何も判らない素人、子供です。

まさか反抗してくるとは思っていなかったらしく、ショックでニシキヘビに睨まれたカエル状態になっちゃいまして、殴る蹴るの暴行受け放題。とうとう血だらけの半殺しの目にあっちゃいました。ボロ雑巾のように動けなくなっていたそうです。

こうななると勿論、刑事事件です。でも新聞社本社もこの事件は公にはしたくない。やりすぎ担当員と販売店店主の大喧嘩が明るみに出たら、ライバル新聞社の笑いの種になりますしね。テレビで大騒ぎになるだろうし、販売店への今後の方針も変えざるおえなくなる。だから闇に葬られました。

それでも暴行した会長は当然新聞店所長を解任。つまり廃業です。やり過ぎた担当員は更に窓際の閉職に追いやられました。もう出世は出来ないでしょう。そりゃ当然でしょうね。

この商売、「インテリが創ってヤクザが売る」なんて言われてきましたが、実際はどっちもヤクザみたいなもんです。どっちも褒められた状態ではなくなりました。

ニシキヘビの会長はノイローゼになって引きこもりましたしね。私の親父が駐車場の管理人の仕事を探して来て、やっと立ち直りましたけど、「会長を務めてきた俺が・・・・」と言う気持ちが中々抜けない様でした。

そして現在。

新聞社はどこもインターネットに押されて衰退を極めています。親父がやっていた新聞社なんか、東大卒の新入社員が今年はゼロとの事です。正直、何れ潰れる筈です。当然です。新聞よりネットの方が情報はクイックです。新聞の役割は終わっています。

「新聞増やせ、新聞増やせ」と言われ続けてきましたが、私の親父もいい時に辞めて良かったと思っています。私も跡を継がなくて良かった。ざまぁーみろです。ホント、馬鹿な商売でしたね。

今じゃ新聞屋の所長になり手は無く、新聞拡張員の団長に仕方なく所長をやらせていると聞きます。ビックリする位安いギャランティでね。

この世の中、何事も所行無常です。同じ事は続きません。エリートの末路ってのはこんなものです。

インターネットと言う神でもあり悪魔でもある代物が出てきて、これからも様々な産業が淘汰されると思います。

それも時代の流れ。仕方の無い事なのかも知れませんわね。

尚、今回のお話、初めから逸脱しちゃってインターネットとアンマリ関連が無いかも知れませんが、こんな馬鹿げた仕事もあるんだと認識していただければ幸いです。


ではでは。




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