山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

人には人のファッション

2014-08-13 06:39:44 | エッセイ
群ようこの「またたび読書録」の中の「ネガティブでドメスティック」を読んだ。
これは「ちぐはぐな身体」(鷲田清和)を読んで、発想をふくらましたものである。

私は、「ちぐはぐな身体」を読んだことがないので、ここに載っている、その抜粋のごく一部しか知らない。
そして私は「ネガティブでドメスティック」を読んで発想を膨らませる。

「ちぐはぐな身体」の抜粋には、「自分の体は、その痛み等は自分にしかわからないので、自分に最も近く自分自身のものだが、自分の後ろ姿や身体の内部は自分で見ることができず、意外に知らない」というようなことが書いてある。

これは同感である。私もこの度「肩関節周囲炎」というものになって、いったい肩関節の中がどうなっているんだ?と思うが、レントゲン写真に映るわけもなく、私自身もお医者さんも、実際のところはわからない。お医者さんは専門家なので、多少は何かわかっているのかもしれないし、私自身は誰よりも痛み具合がわかるけど、痛いだけで、何がどうなっているかわからない。理学療法でマッサージをしてくれる方々は、どこが固いだの凝っているだの、筋肉が細っただの、私以上にわかる部分もあるようだけど、どこを押すとどのくらい痛いかは、私だけにしかわからない。そこで、どうすると痛いです、だのと伝え、情報を総合しようとするが、結局のところ、私の身体についてわかっている者は私自身を含め、誰もいない。

整形外科の病気というのは、体型や骨格に関係している。ストレートネックだと肩コリになってしまうし、なで肩・いかり肩によって筋肉の張り方が違う。骨盤がゆがんでいると腰や膝が痛くなるらしい。筋肉質の人や筋肉のない人によって、症状も違う。
そうなると、持って生まれた体型が病気を決める。

そして、マッサージ師や指圧師の前に投げ出された身体は、もうごまかしようがない。ゆがみもわかるが、贅肉がどれだけついているか、どれだけ短足なのかも一目瞭然である。

「ちぐはぐな身体」には「ファッションって何?」というサブタイトルがついているらしく、身体の怪我や病気のことよりも、服装のことが書かれているらしい。
ファッションも、第一に持って生まれた体型が問題だ。

「ネガティブでドメスティック」な体型とは、「背が低い」「なで肩」「短足」で着物が似合う体系だそうだ。群よう子さんは、それであるそうだ。
そのため、なかなか格好よく着こなせる服がなく、自分で気に入って買ったコートも、あらためて鏡に映して見ると、その服に本来意図されたステキさとはちがうので、人目を気にして、箪笥の中にしまっているそうだ。

わかるわかる。
私はその前に、人目を気にして買うことさえできないだろう。

「人目を気にする」というのは、はたして自分の幸せになるんだろうか。

最近、電車の中ですごく太った若い女性が、ミニスカートやホットパンツ履いていたりする。あんな太い足を丸出しにしなきゃいいのにと、ついつい見てしまう。一方、ものすごくきれいな足を披露している美人もいる。
しかし・・・
「ネガティブでドメスティック」を読んでみて、あの太った女子もミニスカートを履きたくて履いてるんだからいいじゃないか、と思えるようになった。
ファッションは、きれいな足の人だけの特権ではない。どんなに世間の人が変だと思おうと、自分が楽しめればいいのではないか?多少見苦しいからといって、誰も被害をこうむるわけではない。

そして、本人だってそれが似合っていると思っているとも限らないのだ。承知の上なんだろう。むしろ、ミニスカートやホットパンツのほうが、太すぎる足には履きやすいのかもしれない。丈が長いと足の太さが邪魔してしまうのかも?

人には人の事情があるのだ。

服を買いにいくときに、1人で行かない方が良いと言う人がいる。試着した時に、別の人が後ろ姿を見てあげたり、客観的な感想を述べて、買うか買わないかの的確な判断を促すことができるからだそうだ。
以前、その人と買いものに行ったら、安っぽいとか、後ろ姿が変だとか、太って見えるとか、足が短く見えるとか言って、結局買いたい服を買うことができなかった。

それってどうなの?後ろ姿が多少変でも、鏡に映る自分の前姿が気に入れば、それはその人の幸福ではないのかな?
格好良く見えないのは本人にはわかっているのだ。本人が妥協しているんだからそれでいいのではないか。
どんなに他人が似合うとかステキだとか行っても、自分の好きではない服を着ても幸せにはなれない。安っぽいといわれたからって、高級な服を買う金もないし、無理して予算オーバーした服を買ってどうする?
基準の高い人間と買い物をするのは嫌だなと思った。

そうだ、人には人の体型的、金銭的都合がある。自分の好きなようにファッションを楽しみたい。


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ほったて小屋の美容師

2014-08-11 10:51:40 | エッセイ
今、群ようこの「またたび読書録」という文庫本を読んでいる。これはエッセイ集である。
最初の作品は「小さな空き地の不思議な家族」というもので、西原恵理子の「ぼくんち」を読んで、それに関連して思い出した過去の出来事が書かれていた。
それが、小さな空き地に住む不思議な家族の記憶で、小さな子供2人とその父母の生活の様子だ。ドラム缶のふろに入ったり、女の子の着ている服を洗濯すると、それが干されている間は裸で乾くのを待っているなどというエピソードが書かれていた。貧しいけど、堂々と楽しく暮らしている家族の話だった。
そんなのを読んでいたら、私も急に子どものころのことを思い出した。

私が小学生のころ、家の近所の空き地に、ある日、テントのような、ほっ立て小屋が作られ、そこに中年の夫婦が住むようになった。
そのあたりは新興住宅地であり、新しく建つ家は、みなきれいな家だったし、いくら古い家でも、まさかテントということはなかったので、驚いた。
その家の屋根は布のようなものだったし、きちんとした壁や扉のようなものもなかったと記憶している。
子どもの目から見ても、それは一見して乞食の住みかのようだった。現在のようにブルーシートなどはない時代だったが、今でいえば、河原や公園の空き地に作られたホームレスの住まいのようなものである。

群ようこの「小さな空き地の不思議な家族」では、その家族に対して大人たちは触れようとはせず、なんとなく子どもとの話題を避けていたという。

ところが、私が子供のときの、そのテント住まいの夫婦に対して、私の親は好意的だったし、すぐそばでもないのに近所づきあいのようなことをし始めた。

その夫婦の奥さんのほうは「美容師」だとのことであり、そのうちそこに店を建てて営業するのだそうだと親から聞いた。
子ども心にも、あんなテントに住むおばさんが、美容院をすると言っても、どうもピンとこなかった。
子どものころ、私の髪の毛は母が自宅で切っていた。母は、手先が器用な人間だった。

数か月経つと、テントのあった土地に、本当に家が建てられた。周囲の家は2階建ての新しい建物だったが、そこに出来たのは、最初から古ぼけた感じの木材で作られ、1階建ての小さな家だった。普通の美容院のような店構えではなく、普通の住宅の玄関の引き戸だった。○○美容院という看板がペンキで書かれていた。

そしてある日、親が行ってみろと言ったからだと思うが、友達と髪の毛を切りに行った。

家の中に入ると、一応広い土間があって美容院のスペースができていた。おばさんは、そこで、髪を切り始めた。右側を切り、左側を切ると、左のほうが短くなったので右側をさらに切った。すると今度は、右側のほうが左側より短くなったので、左側を切った。すると今度は左が短くなり・・・、そして私の髪の毛はどんどん短くなっていき、超ショートの男のような髪型になってしまった。おばさんは、さらに切ってそろえようとしたが、さすがにそれ以上切ることはできないと判断し、不揃いのまま終了した。

友人は、先にカットされている私を見ていたので、最初から「長めに」「あまり切らないでいいです」などと注文して、短時間で終わり、災難を免れた。

以後、看板は出ていたが、お客がいたかどうかは知らない。時代とともに、普通の美容院も建つようになった。

その夫婦はどうやって生計を立てていたのか、そこに引っ越して来るまではどこにいたのか、旦那さんのほうは何をしていたのかもわからない。今思えば、土地だけは買って、借家を出て引っ越してきたのだろう。
夫婦に子どもはなく、今はすでに夫婦とも他界したのか、その建物もなくなっているようだ。

最初に、テントのようなほったて小屋に住んでいたので、今思えばかなり特殊な夫婦だと思うが、不思議に親たちは変なうわさもしないし、悪口も言わず、ごく普通に近隣住民として受け入れていた。

それは、その夫婦の人柄がよかったからなのか、また貧しいということに対して、私の親にも近所の人にも偏見がなかったからなのだと思う。
美容師としての技術がほとんどないにもかかわらず店を開くというのにも驚きだが、「へたくそでダメだこりゃ」と思うだけで、それ以上の批判は誰もしなかった。平和な時代だった。



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