山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

ブックオフ

2010-09-30 23:46:46 | 日記


今日は、仕事の後、ブックオフに寄ってみたら、半額セールをやっていた。
見ると、単行本が文庫本よりも安く売っていたので、買うことにした。
最近は、老眼が進んできたので、小さな文庫本よりも大きな文字の本が目が疲れなくていい。
買ったのは、村上春樹の
海辺のカフカ 上下 各150円。
東京奇譚集      200円
国境の南、太陽の西  200円
4冊で700円。
新しい文庫本1冊分の値段だ。
べつに村上春樹のファンじゃないけど、やっぱり現代日本を代表する作家だから、読んでみようと思った。
全く同じ本でも、きれいなのは倍くらいの金額だったりするが、そんなに新品みたいじゃなくても一向に構わないので、一番安いのを選んで買った。

読書も、目標をたてて数をこなしていかなくちゃだめだなと思う。
読書の秋だから、ちょっと腰を入れてみようかな。
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秋到来

2010-09-28 23:24:36 | 運転・車・道路の事


夏は完全に終わったようです。それもそのはず、もう9月も終わろうとしているじゃないですか。初秋がなくて、いきなり晩秋になりそうですが、晩秋はいくらなんでもまだかな?
晩秋って11月ころですね。

そこまではいきませんけど、もう落ち葉が目立つこのごろですね。

夏の間、あまりに暑かったので、クルマをずっと洗っていませんでした。
そうしたら、このあいだの大雨で、みごとに埃が洗い落とされて、ピカピカになっちゃいました。びっくりです。
それに、今日もいっぱい雨が降ったので、またもや洗い流されたようです。
洗う手間がなくなっちゃった。
でも、フロントガラスのわきのほうとか、タイヤとか、汚れが落ちていないところもあるので、近々ちょっと手入れをしておこうかな。

思えば、この夏は、クルマと過ごす初めての夏でした。クルマの中はすごく暑くなることを体験し、日よけシートを使ったり、乗る前に前両側のドアを開けて、片方を開けたり閉めたり数回して、空気を入れ換える方法も知りました。それでも、まだ暑いですけどね。

昨年の夏は、クルマに乗りたくても乗れなくて、歩道橋の上から道路を眺める毎日でしたが、今年は思う存分乗れました。そんな自分を想像もしていなかったな。やっと、遠距離恋愛が終わって、毎日を共に過ごせるようになったって感じだな。
でも、ウチのクルマって、やっぱり性別でいったら女の子だろうな~。小柄だし、色も女色だからね。だから、恋人ではないけどね。

もう1年になるから、新車じゃなくなっちゃったね。でも、ともに過ごす時間が長くなればなるほど、愛着もわくもんだ。一緒に3000キロ近く走って来たねって。

クルマのローンは、26万も残っているので、払うのが大変だけど、貯金をおろして払ってしまおうかな。だって、ローンの利子はETCの値段よりも高い金額なんだ。貯金はゼロになっちゃうけど、その分、毎月払っていたローンの金額を、貯金に回せばいいかなと思う。そうしたら、また、どんどんたまるもんね。

秋のことを書いていたら、クルマの話になってしまった。
これから、またドライブの秋が始まる。ちょっと、遠出しようかな。
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よく降るなあ

2010-09-28 00:06:17 | 運転・車・道路の事
夜になって、また雨の音がするので、ベランダに出てみたら、かなり降っている。
それに、寒い。
つい最近まで暑くて暑くて汗だくになっていたのに、今夜は暖房を入れたくなるほどだ。

それに、秋になるとなんとなく気分がさみしくなってくるなあ。
何が原因でもないのに、郷愁にひたってしまうかんじだ。

夢中になれるものがあるってのは、幸せなことだ。
最近夢中になっているものといえば、「是政橋」かもしれないが、それとセットになっているのは、「クルマの運転」だ。
私の趣味は、「ドライブ」ではなくて、「クルマの運転の練習」なんだけど、走っているうちに偶然発見する場所もあって、今のところその最たるものが、府中の是政橋付近ってところだ。
その前は「小金井公園」だったかな。

クルマっていうのは、新しい世界をもたらしてくれると思う。クルマがなければ絶対に行かないようなところに、行くことになるからだ。

クルマがあったら、子どもを連れて行く場所もずいぶんと違っただろうなと思う。
考えてみると、家族で週末に遊びに行くってことはあまりなかった。多摩川なんか近いのに、そんなところに行こうとも思わなかった。多摩テックとか多摩動物園とかサンリオピューロランドとかも、いろいろあったんだろうけど、どこにもいかなかったな。

今、自分がクルマで走り回って1人で遊んでいるけれど、けっこう楽しくて、けっこう寂しいもんだ。でも、クルマで走り回るという楽しみは、人を載せては思う存分できないもんだから、やっぱり1人で、気のおもむくままにクルマを走らせるのが気楽でいいや。

私は、福山雅治のファンじゃないけど、なぜかクルマのラジオをつけると、FMで福山雅治がしゃべっているから、いつもそれを聞いている。ってのは、いつも日曜日にクルマを運転していて、ちょうど帰るころは4時ころになるのだが、そこに福山の番組が入っているのだ。昨日はちょうど道路が渋滞しちゃったので、気晴らしにラジオをつけた。内容はあんまり真剣に聞いていなかったけれど、「45歳をすぎると俳優はセリフが覚えられなくなるんだって」という話をしていた。たしかに、歳を取ると新しいことが覚えられなくなるんもんだな~と思った。
50歳なんてなったらますますひどいよ。困ったことだ。この年になると若いころに戻りたいな~なんて思うな。
福山雅治ってやっぱりカッコいいよね。あんなにかわいい顔してるのに、男っぽいのはどうしてだろうか。歌もうまいし、俳優もやるし、何でもできちゃう人だ。女からみても、にくらしいくらいだね。
私は、歌や音楽だけを聞くよりも、トークを聞くのが好きだから、混じってるくらいがちょうどいいので、CDではなく、これからもラジオを聞きながら運転をするだろうと思う。となると、やっぱりいつも福山の話を聞くことになるのかな。

あっ、雨の話が、いつのまにか福山の話になってしまいました。
このごろは、竜馬のイメージが福山のイメージにどんどん置きかえられていきますね。
竜馬はあんなにハンサムじゃなかったはずなんだけどね。現実とは違いすぎる。困ったことです。竜馬像が一人歩きしているよ。

ますます、支離滅裂。なんでも福山に置き変っちゃうてことだね。
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是政のけしき

2010-09-27 22:30:45 | 旅行・街歩き


あんまり、土木建設みたいなことばかり書いていてもなんなんで、ちょっと一息。
先週と同じ方向(川上側)からの是政橋の風景です。
先週は、真夏だったのに、もう秋の雰囲気でした。
1年間を通しての是政橋の姿もステキかも。



橋から少しだけ川下に向かって歩いたところに、「是政渡しの碑」があります。
昔、まだ橋がなかった時代には、ここから渡し舟が出ていたようです。



そして、さらに下流に進むと、背の高いポプラの木が2本。
ポプラって日本の木じゃないですよね。どうしてここに生えてるのかな?
右側の木がかなり茶色くなっていたので、ちょっと心配。
紅葉の季節でしょうけど、夏が暑すぎたからかな。
ポプラの右側に生えてる木もいい感じですよね。
なんか、ヨーロッパの絵画に有りそうな木です。
水辺で遊ぶ女子どもなんていう題材の絵があったような・・・。
私も絵でも描きたいです。是政橋の絵も、いいですね。

「是政の渡しの碑」と2本のポプラ」と「是政橋」はガイドブックに写真が載っています。
このへん、海から31km地点らしいです。キロ杭も写してくればよかったな。



河原にはヒガンバナも咲いていました。日当たりがいいからか、まっかっかで、太っています。
そのほかにもいろんな花が咲いていて、お花畑のようでした。
一眼レフを持ったカメラマンのような人もいて、カメラを向けていました。



そして、是政橋をバックにして、ソフトボール大会をしていました。
この辺は実際、野球場・サッカー場などいっぱいあります。



橋と運動場と自転車と木と車と住宅など。



河原からはずれた遊歩道も水が流れていて風情があります。
サントリービール工場がすぐ近くにありますが、府中はきれいな水があるんですよね。

10月2日[(土曜日)には、多摩川ウォーキングフェスタっていうのがあるようです。
人が多いんだろうなあ。ちょっと興味があるけど、歩くのは人がいない静かなときのほうがいかな。


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是政橋のブルー

2010-09-27 21:37:30 | 旅行・街歩き


是政橋は、形もきれいだけど、色もきれいなんだな~と思いながら、戻ってきて、是政橋の下をくぐったら、こんな表示がついていました。



塗装についての情報です。
へえ~、こういうこともちゃんと表示してあるもんなんですね。

色はまさしく、この表示板の周囲の色です。きれいな色ですよね。
きれいに塗装されてますよね。もっとも、まだ新しいからだろうけど、すごいペンキ(っていうかな?)の量なんだろうな。「エポキシ樹脂塗料」で下塗りして、その上に「フッ素樹脂塗料」を2回塗るんですね。
この「大日本塗料」って会社の塗料は、新幹線の車両塗装などにも使われているようです。

あらためて、至近距離で橋の部品を見てみました。

 

あれは、何かな?

橋を作る仕事ってやりがいがあるだろうな。
橋に限らず、建築物とか、いいですね。男だったら建設業だったかも。

橋を作った会社もきっとどこかに表示してあるんだろうと思いますが、みつけられませんでした。
(今、是政橋はまだ片側1車線ずつしか使えないけど、来年2月頃には、2車線ずつになるようです。そうしたら、渋滞も緩和されるんでしょうね。先週も今週もそんなに混んでいなかったけれど、最初に走った時はすごい渋滞でした。)

それから、こんな表示も。



橋の中に電線も通っているのかな。
橋の上に電灯があるのは確かだけど、電気のケーブルは橋を利用して渡すのは当然と言えば当然。人やクルマを渡すだけじゃなく、電流も渡しているってことらしい。

そういえば、多摩川を渡る送電線もすごいなあ~と思ったところでした。



電線だけで渡ったり、橋の中をケーブルで渡ったりしてるってことかな。

是政橋、まだまだ続きます。
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稲城大橋と是政橋

2010-09-27 20:17:43 | 旅行・街歩き
昨日、また行ってしまった府中“かぜのみち”多摩川河川敷です。
先週は、郷土の森博物館と是政橋の間、そして是政橋の上を散策し、写真に撮って来たので、今度は、是政橋を越えて、是政橋よりも下流を歩き、稲城大橋に向かって歩いていきました。

下流に向かってどんどん歩いていくと、広くて野原のようになった場所が開けていて、上流側よりもすっきりした感じでした。人も少なく、川で釣りをする人くらいで、静かでした。

中間地点から稲城大橋方向(写真左)と是政橋方向(写真右)を見たところです。肉眼で見ると、遠くにどちらの橋もよく見えます。写真では無理かな?

 

いや、遠い遠い、稲城大橋まで歩くのは無理なので、だいたいの姿が見えるところまで行って引き返してきました。

下流側には、上流側では見られない是政橋の姿をみることができました。



是政橋は、あの高くそびえたっている上の青い部分(主塔?)だけではなく、橋の横に渡っている部分(主桁?)も青いんだな~と再認識しました。
そう、この橋は青い橋なんですね。ブルーがとてもきれいですよ。センスがいいなあ。
そして、こっちから見ると、後ろが山になるんですね。うん、そこが上流側から見るときにはない魅力でしょう。山を背景にした是政橋は、ますますステキだな~。
それと、川の流れと、この河川敷の曲線を描く道の感じがいいですね。

急に、是政橋を作ったのは誰なんだ?と興味がわいてきました。
誰が設計したのかな?どの会社が建設したのかな?すごいな~~~~。
測量とかも大変だし、橋を作るってのはすごいですよね。



それから、頑張って稲城大橋に向かって歩きました。稲城大橋は、これもまた、いい橋だとは思う。なんてったって中央自動車道に直結しているし、つい最近までは有料だった橋だからだ。
うん、それなりにきれいですよ。実用的に完璧にできてるんでしょう。で、すっきりしていて、まあ、「橋」って言うよりも「川を渡る道路」ですね。

あまりにも遠いし、そばに近づくほどの必要性もないので、だいたいの姿が見えたところで戻ることにしました。
ほぼ満足。それにちょっと空が曇って来たから、そろそろ帰ろう。

このあと、さらに是政橋について書きます。


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レンタカードライブの再現?

2010-09-26 22:28:49 | 運転・車・道路の事


このごろ、気になっていたのは、昨年の8月に次女と初めてレンタカーを借りて走ったときのことである。

それを振りかえると、
レンタカーの記録によれば、走行距離は129kmだった。

えっ、本当に、そんなに走ったのか?
今でさえ、50kmくらいが関の山なのに、よくもそんなに走れたものだと思った。
そのうち、70kmくらいは娘が運転していると思うが、それにしても多い。

どこを走ったかと言うと、新青梅街道をずっと西に向かって行って、それから多摩湖のほうに北上して行った。そして、湖を渡ってうねうねした山道をひたすら走り、新青梅街道に戻り、それから小平のサイゼリアでお昼を食べ、そして、順番はわからないが、国分寺・府中・小金井・所沢の航空公園。石神井辺りを走り、戻って来た。
そのときは、ただナビゲーションでセットして、そのまま走っていたので、どのように地図上を移動したのかよくわからないが、今になって考えてみると、とんでもない方向に移動している。だいたい、多摩湖から府中、府中から所沢って、そんな南に行ったり北に行ったりしたんだろうか?もうめちゃくちゃだ。

それにしても、あれから1年以上経っているのだが、それなら、同じ経路を1人で走ることもできるはずではないか?

と思って、実は今日は、その再現をしてみることにしたのだ。
ナビに経歴が残っている?と思ったら、違う違う、あれはレンタカーで今の車じゃないんだ。だから、記録は残っていない。結局自分の記憶だけだ。

結果としては、一部、似てはいるものの、ずいぶんと違う走りになってしまった。
運転技術は上がっているんだかどうだか。
昨年同様、多摩湖では、駐車場は発見できなかった。そのうえ、昨年走った湖の間の道路も走れなかった。

また迷走に迷走を重ね、途中からは昨年の再現をするのをやめて、また府中の郷土の森駐車場に行っちゃった。そして、是政橋と稲城大橋の間をウォーキングしてきた。是政橋と稲城大橋をクルマで渡った。

ああ、疲れた・・・。いっぱい運転して、いっぱい歩いた。10時に出て、5時に帰って来た。

結果は、昨年に及ばずです。

走行距離、78.9km。
でも、自分の1日の運転距離としては、最高となりました。

運転歴、1年になるんだから、運転技術も初心者の域を脱しなくちゃいけないと思いますが、状況判断、俊敏な対応がまだまだです。
どうにかせねばと思いつつ、どうにもならないトロさ。
とにかく、いっぱい走れば運転うまくなるかな~
走らないより走った方がマシだろう、って感じです。

詳細は、またあらためて。。。
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車、この悪い奴

2010-09-25 21:38:00 | 運転・車・道路の事


車っていうのは、悪い奴で、
悪玉コレステロールみたいなもんだよ。

いくら低燃費だとか、エコカーだとかいっても、
完全電気自動車じゃなきゃ、排気ガスを出すし、
環境を破壊する。
電気自動車だとしても、真夏にエアコンかけて道路を走ったら、
さらに周囲の空気を加熱させるだろう。
地球温暖化を加速させる。
振動も起こす。歩行者や自転車を危険にさらす。邪魔だ。

ガソリン車に乗るのは、煙草を吸うよりも悪いことだよ。

必要もないのに、車に乗って遊ぶなんていうのは言語道断。
荷物を運ぶトラックや、通勤の人々を運ぶバスとはわけが違うのだ。

ああっ、やってはいけないことをしている。
好きになってはいけないものを好きになってしまった。

そんな罪の意識にさいなまれながらも、
車を運転してしまうのだ。

悪いことをしていることで、さらにわくわくしてしまう。
困ったことだ。
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車、この不便なもの

2010-09-25 20:17:27 | 運転・車・道路の事


車って言うのは便利で、・・・便利だから、どこにもでも行けるので、・・・それで人々は車を愛する。

いや、そうではないということに気がついた。

車とは結構不便なものです。
少なくとも、都会にとっては・・・、車はなくともどこにでも行けます。

車なんかに乗ったところで、渋滞に巻き込まれる、車が多くて車線変更できない、道路が複雑でわけがわからず、曲がりたいところで曲がれない。有料駐車場も満車で停められない。
駐車場には入るのも大変、出るのも大変。入りたい方向から入れず、出たい方向に出られない。

それでも、なんで車に乗るのか?

それがわかったのだ!

つまり、その“困難”に立ち向かうことが、
面白いのであった。
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ジムに熱中

2010-09-25 19:09:26 | 日記


といっても、私のことではございません。
私と同じ歳の友人なんですが、毎日スポーツジムに通っています。
最初は、週1回くらい通っていただけだったのですが、だんだんはまっていって、最近ではもう1日も逃さず通っているようです。エアロビクス・ヨガ・ピラティス・・・私にわかるのはそのくらいしかありませんが、その他にもいろいろなクラスがあってインストラクターが指導してくれるようです。その他、トレーニング機器を使ったり、プールだとかサウナだとか様々なものがあるらしく、それらすべてがいつでも利用し放題という会員になっているようで、月額1万何千円くらいの会費だとか。すっかり体脂肪が減ってスマートになり、さらに筋肉隆々になってしまいました。もうスポーツジムに行かない生活は考えられないそうです。そんなに楽しいのかな~、ジムっていうのは。

それで、今日、その友人とお昼を食べてお茶を飲んで買いものをして帰ってきたのですが、友人は午前中ジムに行き、また夕方からジムだとのことで、その合間に会って来たというわけです。

確かに運動をすることはいいことですね。その友人に勧められますが、私は予算も時間もないので、民間のジムではなく、区の体育館などで開催されている、週に1回くらいのヨガなどのクラスがあれば、参加したいな~と思っているのですが、区の広報を見るのもついつい忘れていて、10月からの募集の申し込みの期を逃してしまいました。
それに、週末2日のうち、1日はドライブをするので、それ以上ほかの何かに時間を取るのは無理かなと思います。
放送大学もあるし、週末は空けておきたいです。後は、平日の夜くらいならできるかな。

今、私がしたいのは、やっぱりクルマの運転で、車でどこかに行って、そこから歩くのが一番いいかなと思っています。

そんなわけで、今日はジム熱中症の友人と過ごしたので、ドライブには行けなかったよ~。
私も午前と夕方、ドライブしようと思えばできたんだけどね。友人のようには時間を有効に使えない性分だな~。

隣町の駅から徒歩で帰り、30分くらいは歩きました。このごろ太っちゃったので、なんとかしなくては・・・。


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今日の日記

2010-09-24 00:55:28 | 日記
今日は一日中雨でした。近所の川は中段まであとわずかという水量で、なみなみと流れています。にごり川となっています。
この川、途中から神田川に合流し、最後には隅田川に流れ込むようです。隅田川って、なんか全然違う方向のような気がして不思議です。
多摩川は今頃どうなっているのかな?見に行きたいけど、雨の日は運転も怖いので、今日は一日中家にいました。天気が良かったらドライブにいきたかったんだけどな。

家にいながら、家事も何にもしないで、パソコンやったり昼寝をしたり、相変わらず実のない生活をしています。
明日、会社に行ったらまた休みだから、まあいいか。
昼寝と夕寝をしたので、また夜更かししてます。

会社は、上半期が終わろうとしているのに、追いこみの仕事も少なく、新しい仕事も少なく、大丈夫なのかな~という感じ。馬車馬にならなくて済むのはいいのですが、少々不安ですね。
そういえば、昨日は以前やった仕事の書類をもう一度点検したところ、以前見落としていたミスを2カ所発見しました。
それはうれしいことなのか良くないことなのか、ビミョーです。

というのは、それは5年前に私が誤記をチェックしたものですが、その時見落としていたということは、未熟だったってことかな?使えね~って感じ。
じゃあ、今度見つけられたってことは、成長した、熟練したってことかな?
まあ、そう思うことにしよう。過去の自分より今の自分のほうが腕が上がってるってことだと思えば嬉しいじゃないか。
でも、過去の記録が残っていて、その時も結構ミスを見つけてはいたのだ。そのミスを訂正した後で、それ以外のミスを見つけるのは当たり前だとも言える。もしかして、今、同じものをもう一度調べたら、最初のミスを全部見つけだすことができたかどうかはわからない。いや、実際このごろボワッとしていることが多いので、気をつけなくちゃと思う。
年齢を経て老化し退化しているのか、まだ成長するのか、よくわからない。
ま、とにかくしっかりしなくてはいけませんね。

放送大学の学費を、昨日やっと払ってきました。給料日が21日だったので。
放送科目は再履修の科目と、面接授業のときに教科書を買ってあった科目なので、教科書の送付はありません。だから急ぐこともないです。
学費は42000円払ったので、ちょっときついです。調子に乗って面接授業をいっぱい申し込んだらそんなになってしまいました。節約しなくては・・・。
今月の給料から家計簿でもつけようかと思います。(と言いながらまだつけてない。レシートだけためてる。)

今日は、先日JAFメイトが送られてきたので、それを読んだりしていました。それからホームページで運転適性検査をやってみたら、最初は総合評価がDでした。やばいです。
もう一度やったらCにあがりました。こんどまたやってみようと思います。その他にも運転の注意事項などが載っていて役にたちます。
実際の運転の講習会などにも参加してみたいなと思っていますが、運転歴1年以上の人対象ということなので、もう少し経ってからにしようかなと思いました。来月の末ころ開催されますが、そのころでぎりぎりクルマを買って1年経過になるところです。
それに、その頃は放送大学の面接授業も始まるので忙しいです。
そのうち参加したいです。

クルマのことと、仕事のことと、放送大学のことなど書きましたが、カテゴリーは日記にするしかないですね。
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東京ミッドタウン

2010-09-23 16:31:05 | 旅行・街歩き
9月になって、再び六本木に行きました。今度は長女と一緒です。
というのは、実は、8月末に次女と六本木ヒルズに行ったときに、ミッドタウンのサントリー美術館に足を運んだわけですが、な、なんと火曜日で“休館日”でした。
まず、六本木ヒルズに行って映画制作発表の整理券をもらい、それからミッドタウンに行き休館日であることを知り、またヒルズに戻ったということです。汗だくで片道10分くらいかけて、それらを行ったり来たりしたわけで、もう疲れたのなんの。
そんなわけで、9月になって再度ミッドタウンを訪れました。

サントリー美術館では「誇り高きデザイン“鍋島”」というのをやっています。以前、世田谷美術館でアンケートを書いたときに、このチケットを1枚いただいてあったので、それを利用。2人で行っても1枚だけ買えば1人当たり半額で見ることができます。

鍋島とは何かというと、以下、HPの説明。

「鍋島は、江戸時代に佐賀藩から徳川将軍家や諸大名への贈り物として作られた最高級の磁器です。染付を基本として、赤、緑、黄の色絵や青磁釉がおりなす繊細で格調高い世界は、つねに多くの人々を魅了します。堂々とした四季花鳥の皿は、近世磁器の精華ともいうべき鍋島の地位をまさに象徴する作品です。一方、桃・宝尽くしなどの吉祥柄や、壺・糸巻・組みひも・本・水車・ウサギまでも洗練されたモチーフに仕立ててしまう鍋島のデザイン力は、明快かつ斬新な感性にあふれています。
本展は、5件の重要文化財を含む貴重な鍋島作品によって、「技」「色」「構図」「モチーフ」の側面からデザインの魅力をご紹介していきます。また、現代における色鍋島の名門・十四代 今泉今右衛門氏の作品も登場します。正統ながらも新しく、上品ながらも分かりやすい。この夏、展示室でお気に入りの一枚に出会ってくださることを願ってやみません。」

とのことです。

瀬戸物や器については、特に興味があったわけではありませんが、これはすばらしいものでした。美しいだけじゃなくて、几帳面に整った図柄の中にも、斬新で大胆な構図などがあり、目を見張るばかりです。一見の価値あり。

どうせなら、日常生活でもステキな器を使いたいものだな~と思いましたが、やはり、現代の製品でも、ものすごいお値段ですね。


記念に、器と同じ模様の丸いはがきを3枚ほど買ってきました。
お皿に花瓶の模様っての面白いです。
それから、桜の花びらはハート形なんです。このわらの塀みたいなのも図柄になっちゃうところが面白いな~と思います。風情がありますね。

長女は、器にはあまり興味がなかったようですが、食べ物にも関係あるから目の肥やしにしておけと言っておきました。この娘の趣味と言ったらおいしいものを食べるくらいで、そんなんでいいのかな~と思います。若いうちにもっと勉強しておかないと、後で後悔するよ~。

ミッドタウンは国立新美術館に行ったときに寄ったことがあるので、3回目くらいです。
でも、中のお店は高級で、私には関係ない世界と言う感じ。しかし、土曜日だというのに洋品店などはお客さんがあんまりいないようで閑散としています。つぶれないのかな~。
にぎやかなのは、無料のワイン試飲コーナーなどでした。

長女と一緒に、インド料理のバイキングを食べました。見晴らしがいいです。

 

外ではドイツのビアガーデンが開催されていたので、そのあたりを散歩してみました。

 

 

 

これも自分と認めざるを得ない展」というのもやっていて、8月に来た時、次女はこれを見たいと言っていましたがここも火曜休館でした。私も面白そうだな、と思っていたのですが、長女は全く関心なしなので入らず。姉妹でも全然違うものです。
夫だったらビアガーデンですが、おつまみも結構高いようで、実際に来たら、やっぱ家に帰って飲もうということになったのではないかと思います。
ま、たまには場違いなところに来るのもいいかな。
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六本木ヒルズ

2010-09-23 14:43:16 | 旅行・街歩き
8月の末に「雷桜」の制作発表を見に、次女と六本木ヒルズに行きました。六本木ヒルズってのは、あまりにも有名ですが、実はこの場所には初めていきました。
地下鉄日比谷線の駅を出て、地上に出てきたのがこのあたり。



こりゃなんだ?クモ?
まさか、クモじゃないだろうと思ったら、本当にクモだった。
「巨大クモ・ママン」 のオブジェだそうだ。

六本木ヒルズの本体となるビルは、これ、森タワー。



このビルは、我が家からも見える。上のほうに展望台があったようだが、値段が高いし時間もないので行かなかった。

そして、テレビ朝日。右側の透明な建物。



入口を入るとちょっとした土産物屋があり、その奥に番組等を紹介したちょっとした展示があるが、その奥は関係者以外は入場できない。

ビルとテレビ朝日の建物の間にある、この丸い屋根のあるところが、アリーナ。

 

映画の製作発表はここで行われた。しかし、厳重に撮影禁止となっていたため、その時の様子はおろか、開催時間外の会場の風景さえ、全くカメラに収めることはできなかった。残念!
肖像権とか著作権とか放映権とか、色々あるんでしょう。テレビ等で発表される前に素人のブログで発表されたり、画像を公開されたりしたら、意味がないし、雑誌等に載せるプロの写真の価値もなくなってしまうでしょうからね。

これらの現代的な建造物の谷間に、なんとオアシスのような水辺がありました。



毛利庭園。きれいな池があり、宇宙メダカが泳いでいます。
宇宙メダカとは、宇宙に連れて行かれたメダカですが、もう10年以上も前のようなので、おそらくそのメダカ本人ではなく、その子孫たちでしょう。宇宙飛行士毛利さんが持ってきたのかと思ったら、向井千秋さんの時の実験らしいです。毛利庭園は毛利元就の孫の毛利秀元が江戸時代に作ったものだそうです。
宇宙メダカは特殊なメダカなので、他の池や川に放流して別のメダカと混じって交配したりしてはいけないらしいです。この池は、孤立しているのでここに放流したとのことで、そのような理由から、別のメダカを入れたり、ここのメダカを連れだしたりしてはいけないということです。池を見ると普通と変わらぬメダカたちが泳いでいました。



この場所の風景は、テレビ朝日の天気予報のときに写っている景色ですね。
というのも、今まで全然気がつかなかったのですが、最近初めて知りました。

この場所から見ると、現代風の透明なガラス(プラスチックか?)と、茶色いレンガのような素材と、そして、水や植物などの自然からできた池のある庭というのが、不思議な調和を醸し出しています。



そして、向こうに見える2つの縦長のビルは、六本木ヒルズレジデンス。
あの押尾学事件の現場らしいです。入口の柱の植え込みに携帯電話を隠したとか言われていますが、そのあたりを通ったとき、ついつい目を止めてしまいました。
こうやってヒルズのきれいな写真を見ても、あの事件を思い出してしまって、イメージ悪いです。

ところで、六本木って、特に用もないので、あまり行かず、位置関係もよくわからなかったのですが、地下鉄大江戸線と日比谷線の駅が、同じ六本木でありながらすごく離れています。そして、日比谷線の六本木近くは「六本木ヒルズ」、大江戸線のほうは「ミッドタウン」が近いようです。
この日、ヒルズとミッドタウンを行ったり来たりしたので、もう大変でした。

途中、首都高の下の道路を歩いてて、次女と一緒に「ここはとても車で走れないよね~」と話しました。一応都内に住んでいますが、「都会」の道路とは、漠然とこの辺りをイメージしています。六本木とか銀座とかかな?実際走っちゃえばどうってことないのかもしれませんが・・・。
新宿は一応都会だとは思うけど、中野はもうすでに田舎ですね。
それにしても、六本木は都会に違いないけど、実際汚いです。ごたごたです。とてもステキな町とは言えないな~。なんとかならないものですかね。

最後に、制作発表が始まる前に時間をつぶしながら次女と食べた氷。



かき氷なんて、久々だったな~。
見本とはかなり違ってびっくりしたけどね。

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家族のありがたみ

2010-09-23 11:08:12 | 日記
このあいだ、長女と一緒に六本木にでかけて電車で帰ってきたのだが、2人してヒールの高い靴を履いて結構歩き回ったので、もう足が痛くてたまらなくなってしまった。
いつも履いている靴なので、慣れていないわけではないが、普段歩く距離に比べると、すごく長かったわけだ。
街中を歩いていて、足が痛そうな人は見かけない。世の中の人はよくも痛くないもんだと思う。私たちは電車の中で靴から足を出したりしていた。

それで、駅についたあと、自宅までも自転車ではなかったので、徒歩で帰らねばならなかった。歩くと15分くらいかかるので、こんなときに駅まで夫が車で迎えにきてくれたらいいのに・・・と話した。夫は、免許を取ったもののいまだに運転をしないので、迎えにも来ることができないのだ。いったい、なんのために免許を取ったんだろうね、などと娘と話した。

しかし、考えてみると、以前はクルマなんかないのが当然だったから、そんなこともあてにしなかったし、なんでも人の助けを借りないでやってきた。そして、それが誇りでもあったことを思い出した。どんなに疲れても荷物を持って自力で帰る根性がウチの娘たちにも私にも身についているはずだった。しかしそんな根性も環境によって一気に変わるもんだと思った。
それに、考えてみると歩いて帰らなくてはならなくなったこと自体、前夜に娘を車で迎えに行って自宅に連れてきたからであり、本来なら自転車で自宅と駅を行き来しているのだから、痛い足で歩かなくてもよかったわけだ。
だから、頑張って歩くしかないなあ。

さて、話は変わるが、先日、1人暮らしの近所のおじさんと話をしていたら、その方はもう70代なのだそうだが、元々独身だったそうだ。ちょっと見た感じでは、子どもさんたちは独立して家庭を持ち別居していて、その方は奥さんを早くに亡くされたのかな?という感じだった。趣味などもされていて悠々自適に生きているという感じである。
ああ、それならずっと独身貴族だったわけだ、と思ったのだが、御本人の話では、若いころはそのつもりだったけど、やっぱり一人はさびしいよ、ということだ。
何でもお金を出さないとやってもらえないしね、という。

ああ、確かにそうだなと思う。例えば、その「車で迎えに来て」と頼むにしても、家族にお金を払うわけではない。タクシーだったらお金を払わなければならないのは当然だが、親しくしている隣人や友人にもそんなことは頼めるものではない。
また、夫が日曜大工をしたり、妻が家事をしたりするのも家族なら普通のことだが、建具屋さんに頼んだり家政婦さんを頼んだりしたら、有料である。
そういうことを考えると、家族とはいかに経済的で便利なものであるかということがわかる。

また、最近知人が病気になって入院などしたのだが、独身で一人暮らしだった。自活しているから、仕事を休んで入院し、退院してまた仕事に復帰している。
偉いなあと思う。主婦だったら、入院するまえに仕事をやめていると思う。知人は実家も遠くではあるが、近くに兄弟はいるので、その協力は得られたようだ。

自分が元気なときは一人でも支障はないけど、病気になったり何かトラブルを抱えたときには、家族や同居人の助けはありがたい。失業した時なども収入を補いあったりすることができる。

1人で強く生きて行くことも立派なことだと思う。
でも、家族がいるという環境はありがたいことだ。感謝しなくては、と思った。
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保証人制度

2010-09-23 02:02:51 | 日記

今朝、テレビをつけると保証人紹介会社のトラブルについて放送されていた。別のことをしながら耳に入ってきただけなので、間違いがあるかもしれないのだが、内容は以下のようなことだった。

就職のときや家を借りるときなどに、保証人が必要だが、身近に保証人になってくれる適度な人が居ない場合、保証人会社に依頼して、報酬を払って他人の保証人を紹介してもらう。
ところが、この会社が悪質な場合、お金ばかりとってちゃんとした保証人を紹介してくれない場合がある。保証人でありながら、架空の会社に勤めているひとだったりするらしい。
また、保証人を引き受けた側でも、実際に多額の金額を負担するような保証の必要が出た時は保証人会社が負担するという話だったにもかかわらず、結局、名目の保証人が保証することになり、何千万円も払ったのだとか?名前を貸して何万円か貰えるくらいの軽い気持ちで保証人になったらしいが、とんでもない結果となったようだ。
依頼した方は、途中で依頼をやめようとすると、多額のキャンセル料を払わされたりするらしい。
結局、儲かるのは、その会社だけのようだ。

そこで、テレビでは、このような保証人会社に気をつけるように、という注意とともに、現代社会において、保証人制度というのは時代遅れのものでは?という問題点も投げかけていた。

これには同感だ。

一昔前までは、親戚もたくさんいる時代だったから、伯父(叔父)さん等が何人もいて、その中の誰かに依頼するということができただろう。また、兄弟もたくさんいたから、その中の一人くらいは、保証人になれる人がいたのだった。
ところが、現代では、親戚も少ないし兄弟も1人か2人という程度だから、身内や親せきに保証人を頼める人が居ない場合が多い。親戚以外に保証人になってくれるほど親しくしている人はあまりいないと思う。
また、親しかったとしても、非正規社員なども多く、条件としてなれない場合も多い。
また、その時点では正社員であったところで、いつ失業するかもわからない。例えば賃貸アパートの保証人になって、アパートを借りている本人が家賃を払えなくなったなどという場合に、家賃を数カ月分肩代わりできるかといえば、そんな金額は出せないということで、当然に保証人は引き受けられないということになる。

保証人が引き受けられる人は、かなりの安定した財産のあるものでなければできるものではない。

自分自身のことで精一杯な人ばかりだというのに、保証人を立てなければいけないなんていう風習にそもそも無理があるのだ。

以前ここでも書いたことがあるが、この公営住宅に移転するためにも保証人が改めて必要になり、就職したばかりの別居の娘がなんとかなることができたのでよかった。もし娘が居なかったら別の人を探さねばならず、大変だった。
叔父等は生きていてもみな年金暮らしになってしまったし、従兄弟にはあったこともないし、夫は兄弟もいない天涯孤独の身である。

思えば、そもそも夫の兄が早死にしてしまったのも、保証人問題が影響しているともいえる。夫の家庭は子どものときに父親が早くになくなってしまった。それで、母子家庭だったわけだが、夫の兄が田舎から東京にでてきて就職するときに、親切な叔父の1人が職場を紹介してくれた。しかし、夫の兄はそこが気に入らなくてほどなくやめてしまったのだそうだ。それで保証人もいらないようなバイトをしていたらしいが、一念発起してとある会社の入社試験を受けたところ合格した。それで、別の叔父に保証人を依頼し了解を得て叔父の家を訪問したところ、その叔父の妻が猛反対し、結局保証人にはなってもらえなかった。その叔父は一流企業に勤めていたものの、婿に入っていたので自由がきかなったそうだ。最初の叔父にはもう頼めないし、もう一人いた伯父は身体が弱く仕事もしていないような状況だった。弟である私の夫はそのときまだ高校生だった。それで、結局保証人が立てられないため、兄はその会社の就職を断念したそうだ。
合格した会社は安定した良い会社だった。もし、そこに入っていたならば安定した家庭も築けたのではないかと思う。結局、いろいろな職業を転々として一人暮らしをしていたが、身体を壊しても医者にいかず手遅れになって30代で亡くなってしまった。夫は兄の保証人を断った叔父叔母にはいまだにわだかまりがあるらしく、かかわりを持とうとはしない。

夫自体は、その最初の親切な叔父にいろいろな保証人になってもらったそうだ。
私も東京で就職するときは、都内に住んでいる父方の親戚が2軒あったので、その一人に引き受けてもらった。

娘たちの職場では意外にも保証人を必要としなかった。長女の会社は大きな会社であるが、保証人を必要としないのは、現代的な考え方からかもしれない。
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