山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

入試の結果がでる季節

2006-02-28 21:18:51 | 未分類過去
2月も今日でおしまいですね。
明日は都立高校合格発表だそうです。
会社のパート仲間の中に、今年受験生を持った方はいなかったのですが、最近昼休みの会話となると、その人たちのお子さんの今後の中学受験や高校受験の話題になることが多いです。
パートのお母さんたちの中では、私が一番年上の子供を持っているために、何かといろいろ体験や受験対策などを聞かれたりします。でも、なんだかその人たちが知りたいような答えをすることができません。
なぜならば、ウチの子は中学受験はもちろんしていませんし、考えたこともないです。
貧乏だから私立なんかいけるはずもなく、関心もないし、地元の区立中学しかアタマにありませんでした。
中学受験の情報なんかは、まったくお話しになりませんが、高校入試についてもほとんど役にはたちません。
学校見学や説明会に足繁く通うものだという話を聞きますが、都立に行こうとしているのに、私立を沢山受験したりするはずがないし、万が一試験日に高熱でも出して都立高を受けられなかったときのために、併願で一校受けるだけだったし、その私立も交通費のかからない範囲で確実に受かるところと言えば選択の余地がなく、学費だけでも払えるかどうかわからないんだから自転車で通えるところにしなさいなどと言って、必然的に受ける高校はきまってしまいます。
塾には直前の冬休みくらいしか行かなかったし、絶対に落ちない程度の都立高校に入ってしまいました。だから、受験対策などと言えることはしていないのです。
これも全ては親の責任だなあと思います。
自分自身も、勉強とか偏差値とか学歴とかに関心のない親に育てられたのですが、自分の子供に対しても、結局は自分が育てられたようにしか育てられないんです。
こどものことに時間をかけている暇もないですが、それ以前にお金がないですから、もし受験に関心をもったところで、塾や予備校に行かせることはできないのです。
子ども自身も自ら勉強に燃えるというタイプでもありませんでした。

しかし、人の話を聞いていると、親として、やはりいい高校に入るように導くべきだったのかなあと悔やまれます。
うちの子の高校は、本当に全く勉強熱心な学校じゃないなあと思います。
偏差値が高ければ高い学校ほど、生徒は勉強をしているようですが、偏差値が低い上に勉強もしないのですから、差は広がるばかりですね。
結局のところ、「勉強の量」が左右するんじゃないんでしょうか。

それでも、この2~3日は、学年末試験を控えていつになく机に向ってはいるようです。

もっと可能性があったはずの子供を、親として引き伸ばしてやれなくて、悪かったなあと思います。
うちの子には華々しい学歴はありえませんが、見たところ、やるべきことはやり、自分で生きていく力はありそうです。だからまあ、それでいいことにしようと思います。
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春が来た

2006-02-27 23:57:32 | 未分類過去
きのう、カエルが冬眠から目覚めたらしい。
庭から、ぐわっ、ぐわっ、ぐわっ、ぐわっ、という声が聞こえてきた。
このへんは昔沼だったという話であり、そのせいかカエルがたくさんいる。
黒っぽくて汚いカエルだ。
水がないのにどうしているのか不思議である。
それで、あたたかくなると、カエルが道路を歩いていることも多く、
車につぶされてしまうものもよく見かけることとなる。
                        
それから、今日、台所で小型の長細いゴキブリを目撃してしまった。
殺虫剤を取りに行っているうちに逃げられてしまった。

それで、そういえば、昨夜カエルが鳴いていなと思い出し、
やっぱりゴキブリも出てくるんだなと思った。

みんな一緒にでてくるのねえ。

春だなあ~



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おかねかせぎたい!

2006-02-27 22:26:30 | 未分類過去
米を切らしていたので、買わなくちゃと思ったら、なんと財布に1000円札が1枚しか入っていなくて、しかたなく2キロ850円のを買いました。
小銭があったので、夕飯の食材の分も入れて、1600円くらいでおさまりました。
何とか、まにあったけど、ふところがさびしいなあ~

そして、もう月末だと気づき、子供のアパートの家賃をおろさなくちゃと思い出しました。
駅の反対側に回って、自分の銀行に行かなくちゃいけません。
なんだ、どうせ反対側にいくのなら、クレジットカードで買えるスーパーに行けば、財布の中身も減らなかったし、お米も5キロ買えたのに、バカだな~と思いつつ、

銀行に行って、こどもの家賃6万と、あまりにも財布の中身がお粗末なので、1万追加して引き出しました。
普通、生活費は夫の給料から下ろすのですが、夫の口座のキャッシュカードを家に置いてあるので、とりあえず自分のところから出します。
と言っても、いつもそんなことをしていて、戻ってはきません。

それにしても、私のパート代は全部子供の部屋の家賃に消えてしまうので、情けないなあと思います。
1月はお正月があったので、今回の給料は6万9千円しか入りませんでした。
やはり、もっと稼がなくちゃいけません。
子供は自分でもアルバイトをしていますが、光熱費もあるし、家賃以外に3万は渡さないとやっていけないようです。

ビジネス・キャリアの試験が終わったら、単発のパートの仕事でも入れようかと思います。
派遣で登録してあるので、土日のみの仕事の紹介がメールで送られてきます。
主に、デパートなどの販売の仕事です。
そんな仕事も、机の仕事と違って面白いのではないかと思います。

週に20時間くらいしか働いていないので、収入が少ないのはあたりまえで、やはりもっと働きたいですね。

でも、月から金の9時から5時、フルタイムでパートをしている人の話を聞くと、いろいろ引かれて手取りは11万くらいなんだそうです。
2倍ちかく働いて、手取りが毎月3万くらい増えたところで、バカらしい気もします。
今の会社じゃこれ以上長い時間雇ってくれないし・・・
やはり、単発の稼ぎしかないかなあ

いずれにしても、自分の稼ぎの少なさに愕然とします。



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やりとりのすれ違い

2006-02-26 23:49:28 | 未分類過去
世の中には波長の合う人と合わない人というのがあるのだが、どうも自分の意図がそのまま伝わらなくて、もどかしく感じる人というのがあり、相手もまた同様に感じているのだろうと思う。

私は、何でもはっきり言ってしまう性格で、それが少々極端だ。
もう20年も前、夫の友人夫婦の家を訪問したことがあるのだが、そのときに新婚の奥さんの手料理とともに奥さんが漬けたという自慢のきゅうりの漬物を出してくれた。
夫はうまいうまいと言って食べたのだが、私はきゅうりだけには手をださなかった。なぜなら、私は「きゅうり」が嫌いなのである。
冷やし中華やサラダに薄く切って入っているなら食べるが、あの漬物の分厚く切ってあるのはどうも苦手だ。
ところが、夫の友達はおいしいですよと強く進め、夫も私がきゅうりを嫌いなのに頓着なく、すごくおいしいから食べろよなどというので、「ああ、私きゅうりはキライですから」とはっきり断ってしまったのだった。
そうしたら、後で夫が、そんなきつい断り方をするもんじゃないよなどと言っていた。
普通は、もう少し言葉を濁すとか、がまんして食べておいしいとかいうものらしい。
「だって、私はきゅうりは嫌いなんだから、どんなに上手に漬けてあっても、私にはきゅうりはすごくまずいものなの。我慢して食べておいしいなんてウソが言えるわけないでしょ!」と夫に言ってやった。そして、相手に私がきゅうりがキライなことがわかれば、パクパク食べなくても納得するだろうけど、おいしいですねと言いながらまずそうに無理をして少しだけ食べたら変だと思うのである。だから私は表面を整えることはしないで、本音を言う主義である。

しかし、そんなことがあって初めて、世の中の人というのは、思ったことをそのままストレートには言わないし、できるだけ摩擦をなくして付き合いたいんだなと気がついた。

そして、私の場合、キライなものが出てきても食べなきゃいいことだし、逆に自分が作って出したものがたまたま相手のきらいなもので、その人が食べなかった場合、「ああそうでしたか」と思うだけでなんとも思わないのだが、人によっては、キライなものを出してしまって申し訳なかったと逆に心を痛める人もいるのかと思った。だから、なるべくソフトに相手を傷つけないようなあたりさわりのない上手な応対をするべきなのかもしれない。

それでも、こんな性格でありながら特に支障はなく過ごして来たが、あるとき非常に心がきめ細やかそうな人と接する機会があり、面食らうことがあった。
私が話すことがどうも相手を傷つけているような気がした。
例えば、同じ部屋で、その人や私のいるわきで別の知り合いがちょっと意見の相違で白熱し、ある人が強く意見を主張しているようなことがあったあと、私がそのことに対して何気なく、「今日はいつになく○さんは強い口調で言ってたね~」などと感想を述べると、「でも、本当はそんな悪い人じゃないのよ」(○さんを批判しないで)というような返事が帰ってきたのだ。
実は、私の意図は○さんを非難することではなく、むしろ「真剣に主張してて迫力あったね~」(かっこよかったね)というような気持ちなのである。
私の言葉に対して、波長が合う人というのは、「ほんとほんと、すごかったねえ~」(おもしろかったよ~よくやってるね~やっぱりあそこで自分の意見を折ることはできないんだよね~)のような反応が返ってくるのだが、それが「(いつもは仲良くやってるいいひとたちなんだから、そんなこと取り上げて言わなくたって・・・)」という、どうやら私の心無い感想に傷ついている様子なのである。そのような予期しない反応がくると、もう返す言葉がない。
「いや、べつに○さんが悪いとか言ってるんじゃなくて、ただすごい迫力だったって言ってるだけで・・・仲がいいから言いたい放題できるんだし、・・・意見を言うことは別にいいことなんじゃないの?」みたいな変な返事になってしまい、会話が続かなくなる。

その人の場合、あるときある催しの予定があったのだが、何日か前に会った時に、身近にいた他の人たちの多くは出席しないと意思を表明しており、私は誰か行く人はいないかなあと思い、その人に「一緒に出ましょうよ」というようなことを言って誘っていたのだが、そのときその人はニコニコしていて行くとも行かないとも言わなかった。そして、数日後出欠確認を主催者に提出するときになって、メールで出席するかどうかその人にあらためて聞いてみたところ、「○○さんと○○さんが出席するとおっしゃっていましたよ。飛鳥さんも楽しんできてね」という返事が来た。
ということは、この人は行かないということなんだな、と何度も読み返してから読解したわけであるが、こういうやり取りが自分にとっては非常にわかりにくいのである。
私の場合、誘われたときに行く気がないなら「別に用事はないけど、それは面白くなさそうだから行かないわ」とか「私、××には興味がないから遠慮する」などと、はっきりと言ってしまうのである。
メールで聞かれた場合も「私は欠席で出しました」というようなストレートな文面の返事を出すと思うのである。
しかし、このような人の場合は、ニコニコしている状況において、行くと言っていないなら行きたくないんだなとこちらが察するべきだったのだろう。その人にとっては、私は察しの悪い人間と言うしかない。そして、「一緒に行きましょうよ」などというはっきりした強い誘い言葉は、相手に断ることができないような威圧を与えてしまっているのかもしれない。

同様に意見の相違や揉め事を嫌うある友人の話によると、夫と口論になるのはいやだから、家庭の中では絶対に夫に反論しないで、全部夫の言うとおりにしていると言うのである。だから、夫が早期退職して休職中で毎日家にいて、だんだん息が詰って、ストレスがたまるのだそうだ。自分がしたいこともできないし、正直いって邪魔なのだそうである。
その人の息子さんは残念ながら浪人したにもかかわらず、早くもあきらめてしまって今年も目的の大学に合格できなかったのだそうで、ご主人が奥さんに「子供の育て方失敗したなあ」と言ったのだそうである。奥さんはそのことばに非常に傷ついたと言っていた。しかし、そのときには何の反論もしなかったのだそうだ。
私だったら絶対にその場で言い返すと思う。夫に向って「そんなことで失敗なんて決め付けないでよ!ふざけたこと言わないで」と怒鳴りつけるだろう。
でも、こういう奥さんは、ご主人とやりあうことを好まないので黙って心の中で耐えてしまうらしい。

このようなタイプの人を相手にした場合、私のような人間は、どうして相手がはっきり自分の意思を伝えないのか、どうしてそういうことを躊躇するのか不可思議で仕方がない。私との逆意見をなんとか控えながら、すごく苦労しながら自分の意思を遠まわしにあたりさわりなく伝えようとしているようで、こっちまで苦しくなりそうである。
だから、こういう人は、逆にはっきり反対意見を言われたり断られたりすると、内心すごく傷つく人なんだろうと思うから、こういう人にはこういう人がするようにソフトな対応をしなければいけないのかなあと悩んでしまう。
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事件の前の記憶2

2006-02-26 02:28:04 | 未分類過去
4歳ころのことで、もうひとつ覚えていることがある。
それは、子供用のプールに母と2人でいて、私だけが水着に着替えてプールで遊んでいる。
母はもともと泳げない人なので、水の中には入らず近くで見ていた。そのプールは浅い岸辺から始まって奥に行くにしたがって深くなるプールだった。
私が楽しく遊んでいると、母がちょっと行ってくるところがあるから、ひとりで遊んでいるように、しかし、絶対に深いほうに行ってはいけないよと言って出かけていった。
私は一人で遊ぶうち、他の子供も奥のほうに行っているし、あまり深くはなさそうだと思い、奥に進んで行って見た。そうしたら、足もついて大丈夫だった。
しばらくすると、母が戻ってきたので、奥に行っても大丈夫だったよと答えた。

私の記憶はそれだけだったのだが、最近、そのときに何が起きていたのかを母の話から知ることとなった。

私が小さい頃、父と姉が交通事故にあったことがあり、姉は足に包帯を巻いて帰ってきて、しばらく不自由な生活をしていた。その傷跡はあまり大きくはないが、そのときから姉の足に残っているのを知っている。
私には、その記憶は残っていたのだが、その交通事故があったのが、上に書いたプールで私が遊んでいた日の出来事だったことがわかった。

それは昭和30年代の後半頃のことであるが、日本は当時、今の東南アジアの発展途上国のような状況であり、一家に一台あるスクーターに、家族がいっしょに乗れるだけ乗って移動するような生活をしていた。私が赤ん坊の頃までは、父の前に姉をのせ、後ろに母が私を負ぶって4人でスクーターに乗っていたこともあるという。しかし、子供が大きくなるとそれもできなくなり、その日は、家族で水族館に遊びに行くのに、母と私はバスに乗り、父が小学生の姉をスクーターの後ろに乗せて水族館に向ったのだった。
ところが、母と私が到着してずいぶん時間が過ぎても父と姉は一向に到着しないので、母はおかしいと思いつつもとりあえず私をプールで遊ばせていた。
と、そのときに館内に母を呼び出すアナウンスが入り、母は私をプールにおいて、呼び出しのほうに行ったのだった。
その呼び出しは父からの緊急連絡で、水族館に向う途中で交通事故に会い、姉がケガをしたという内容だった。母はそのあと私のところに戻り、私を連れて急いで水族館を出たということになる。

父と姉の乗ったスクーターは、交差点で左折するバスに巻き込まれて、姉が放り出されてマンホールのところに落ち、足に傷を負ったのだった。一方的にバスが悪かったのだそうだ。幸いにして、大けがではなく済んだが、一歩間違ったら大変なことになっていた。

私の中では、自分のその日の記憶と、その事故のことが、全くつながっていなかったのであるが、今になって、プールの出来事を鮮明に覚えているわけが判ったしだいだ。
母と2人だけでプールにいるという不自然さ、そして、私を置いて母がどこかに行ってしまうという不自然さが、その出来事を脳裏に刻んでいたのであろう。


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事件の前の記憶1

2006-02-26 01:12:47 | 未分類過去
不思議なことに、私の場合、小さいときに身の回りで起こった重大事件そのもののことは全く覚えていないのだが、その直前の記憶が残っている。
それも、つい最近、その記憶に残っていることが、事件の前のことだったというつながりに、初めて思い当たるのである。

私が、3~4歳のころのある日、母が急病になった。母は自分の体の異変に気づいたが、当時は自宅に電話などなかったので、そのまま横になり父の帰りを待つことにした。
その日、私は何もわからず母に話しかけたが、母はコタツで寝ていて相手をしてくれず、私にひとりで外で遊んでいろと言った。そして、母は夕方会社から買えってきた父にタクシーを呼んでもらい、病院に運ばれて緊急の大手術をして、命を取り留めたのだった。
それは、最近母から病気になった日のことを聞いて知ったことだ。

私が、覚えていたのは、ある日コタツに寝ていた母が、「外で遊んでな」と言ったので、さびしいなあと思いつつも言われたとおりに外に出て行き、ひとりで近所のゆきお君の家の前の階段を登ったり降りたりして遊んでいたということだけだった。ゆきおくんは、保育園に通っていたので、まだ帰っていない時間だなあと思い、ゆきおくんの家と自分の家の間をうろうろして遊んでいた。
そして、どうしてそんなことを記憶しているのかまるで判らなかった。ただ、自分は母のいいつけを守ったという妙な誇りのような記憶のみが残っていたのだ。

数年前、カウンセリングの講座のようなものを受けたときに、幼児のころの深層心理を引き出す体験のようなことをした。安らかな気持ちで眼を閉じて自分を子供のころに戻して行き、一番小さかったころの記憶を呼び戻すのである。
そのときに、思い出したのが上に書いた記憶である。
他の参加者たちもそれぞれ自分の幼児期の記憶を呼び戻し、涙を流す人が多かった。例えば、自分が顔や手をべとべとにして何かをおいしく食べていたら、母親がそれを見て汚いと怒り、それがすごく悲しかったという記憶が浮かんできたという人もいた。深層心理に強烈に残った記憶が人それぞれ呼び戻されたのであろう。しかし、私が思い出した記憶は無感情だった。他の人たちが感動する中、「私は何も感じることができませんが・・・」と講師の方に言うと、「たまに、こういうことを受け入れない人もいるものです」と言われた。すなおに催眠術にかからない人というように思われたらしい。
しかし、私は自分が思い起こした記憶が何を意味するのか知りたいと、ずっと思っていた。

何度もその記憶をたどり続け、あるとき母から急病になった日のことを聞いたとき、事実と記憶が一致することに気がついた。

そして、不思議なことに、私は母が病院に運ばれていったときのことは全く思い出すことができず、母が入院中に自分がどうやって生活していたかも全く覚えていないのである。

ただ、母の手術が無事に済んだあと、初めて母の病室に呼ばれて入ったときのことだけを覚えており、父や親戚の人たちがいて母のほうにおいでと言うのであるが、私は病室のベッドに横たわっている母に近づくのが恐くてすぐには近づけなかったのを覚えている。幼児の私は、手術と聞いて、母の体のある部位から、あたかもまだ内臓があらわになっているかのような気がして恐かったのである。当時、「しゅじゅつ」と発音することがまだできず、「しじつ」などと言っていた。

記憶と事実が一致して初めて、その出来事はおそらく私が生まれて初めて「孤独」を感じたときだったのだろうと思った。
そして、母は母自身が大変な状況にあり、私はそれを理解できずとも、直感的に母の言いつけを守ったので、そのけなげな自分を思うと、とたんに涙があふれてきた。

小さい子というのは、事実の出来事を客観的に記憶するのではなく、体で感じる予感を記憶するものなのかもしれない。


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不思議な記憶

2006-02-25 18:15:37 | 未分類過去
私の記憶では、幼稚園の時まで暮していた借家の玄関の外のわきに、木の格子でできた小さいウサギ小屋が置いてあって、そこで一匹の白ウサギを飼っていた。そのウサギには、野菜屑やおからなどを与え、母はウサギは水をやらなくていいんだ、と言っていた。
そのウサギは、引っ越すときに親戚の伯父がトラックの荷台にそのままのせてきたところ、途中で飛び出して、逃げてしまい、見失ったという。
山で草でも食べて生きていればいいが、というような話だった。

ところが、最近、そのウサギの話を母にしたところ、母は引越し前の借家ではウサギは飼ったことがないという。そんなウサギは飼った覚えはないし、引越しで持ってきたという記憶もないそうである。
母は昔、自分の実家ではウサギを飼っていて、それはペットではなく食用だったそうだ。

私が子供のころ、新しい家でウサギを飼おうとしたことはあった。父が子ウサギを山から捕まえてきたのだ。茶色くて小さくて、かわいかった。しかし、そのウサギは最初は部屋の中を飛び回っていたが、物を与えても全然食べようせず、なぜか石油ストーブの足の底面の溝にこぼれてたまっていた石油をなめた。そして、翌日には死んでしまった。
母も私もその記憶は一致していた。
今思えば、ちゃんと乳離れしていなかったのだろう。かわいそうなことをした。

昔飼っていた白ウサギについて、果たして母の記憶が無くなってしまったのか、私が架空の記憶を造っているのか、まったくわからない。
私にはそのころのウサギ小屋の情景まで思い出せるのだが、母から当時の記憶がごっそり消えているとしたら、母の脳がおかしくなっちゃったのだろうか?
でも、私にはウサギの名前についてまったく記憶がないので、それも不自然だ。
本当に飼っていたのだったら名前があったはずである。

引っ越したころのことはミステリーが多い。
今度、姉に聞いてみよう。

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喪失した実際の記憶

2006-02-25 17:48:06 | 未分類過去
子供の頃のことを思い出すと、ある時期の記憶が喪失していることにこのごろ気づいた。

それは、私が幼稚園のときに、新しい家を建て引っ越したころのことなのだが、出来上がりそうになっている新しい家を見に行ったことは覚えているものの、引越しの日のことはまったく記憶にないのである。

そして、本当に最近気づいたことなのだが、私が幼児のころ古い家でかわいがっていたピンクのふさふさした毛の「ピコちゃん」という犬のぬいぐるみが、新しい家に来てからはなかったということである。ぬいぐるみを店に買いに行って、それを選んだときの嬉しさはよく覚えている。そんな記憶さえあるのに、その大事なものがなくなっていることについて何年もまったく意識も記憶もないというのが不思議でならない。
私にはそのほかに、同様にかわいがっていた母が作った象の「ジャンボくん」というぬいぐるみがあったのだが、そのぬいぐるみは引っ越した後もあって、古くなったので飼い始めた仔犬におもちゃとして与えたところ、犬がぼろぼろにしてしまい、ショックを受けたのは覚えている。
だから、何よりも大切にしていた「ピコちゃん」がなくなったり、処分されたりした時のことを覚えていないのは絶対におかしい。
つまり、私は何かが原因で、自分で自分の記憶を排除したのではないかと思う。
もしかしたら、ピコちゃんを失った悲しさを乗り越えるために、そのこと自体の記憶を排除してしまったのではないだろうか。
引越し後もピコちゃんはあったのに、放り投げておいて知らないうちに親が処分して、それにも気がつかなかった、なんていうことは考えにくいと思っている。

ところで、その引っ越したのは2月で、幼稚園の卒園を前にしたころだが、私は通っている幼稚園が遠くなったために何回か慣れないバスで通ったのを覚えている。しかし、そのうち体調を崩して発熱などし、何日も治らず、卒園式にも出ないまま終わったらしい。小学校の入学式には、なんとか回復していたという記憶がある。

思うにそのころの記憶が途切れているといえる。
しかし、家族の口からは、特別な出来事があったと聞くことはなく、ただ、引っ越したあと風邪をこじらせてなかなか治らなかったね、と言われているので、何かを隠されているようでもない。

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白紙のテスト

2006-02-25 17:14:17 | 未分類過去
みんながテストをやっている間に、自分はいったい何をしていたのだろうか。
たしかに、教室でみんなと一緒にテストを受けていたのに、
私は最後の地理のテストをまったく解いていないのだ。
しかし、もう時間は過ぎて、先生が回収してしまった。

まってください! 
私もやっていたはずなんですけど、
私のテストがないんです。
時間が足りない・・・
急いでやらなくちゃ!

どうして?
みんな、いつのまに解いたんですか?

おかしい、
時間は一科目分何十分もあったんだから
何も解いていないなんてことはありえない。
この空白の時間、私は何をしていたのだろうか?

思い出せない。
記憶がない。

もうテストの時間は過ぎているから、
いまさら解くことはできない。
もうとりかえしはつかない・・・

というところで眼がさめた。

このごろ、無い記憶を思い出そうとする夢をよく見る。
演劇で舞台の上に立っているのだが、まったくせりふを覚えていない夢もよく見る。

考えて見れば、夢の中の時間空間で、
それ以前の記憶がないのはあたりまえなんだ。
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荒川静香さん、ありがとう

2006-02-24 21:05:50 | 未分類過去
トリノオリンピックのフィギュアスケートで日本に初の金メダルをもたらしてくれた、荒川静香さんに、感激です。
ほんとうに優雅ですばらしい演技でした。
氷の湖の上を伸びやかに泳ぎ舞う、大きな白鳥のようでした。
水色と青の衣装もすごく似合っていて、袖口やスカートの裾のカットがやわらかく美しくなびいていました。
荒川さん、今本当に光り輝いていて、笑顔もすばらしい。
オーラがあります。最高にきれいです。

最近の日本といえば、ライブドアだの欠陥住宅だのいやなニュースばかりです。
オリンピックではメダルもなかなか取れなくて、それが何か日本社会を暗示しているような気がして、もう日本はおしまいだ、なんていう投げやりな気分になりそうだったのでした。
でも、荒川さんの金メダルで、突然、日本は捨てたもんじゃないと感じることができて、何かすごく幸せな気分になってきました。

それから、「人の成長」というのは、本当にすばらしいものだなあと思います。
荒川さんも8年前の長野オリンピックでは10何位だったそうで、昔の映像を見ると、普通の女の子がなんか失敗したりしているじゃありませんか。それが、8年後には洗練されてあんなに完璧なすべりができるようになったんですね。
本当に大人の女性の魅力を感じさせてくれます。
だから、安藤美姫さんも、いろいろな面でこれからどんどん洗練されていき、将来が期待できるし、浅田真央ちゃんもまた、順調ではない道乗りも経て成長していくんだろうなと思います。村主さんも、がんばってくれました。村主さんは紫のスミレのようでした。

今回のオリンピックの他の競技で失敗した若者たち、例えば、成田童夢や今井メロなども、きっと次回には本番に強くなって、いい結果をもたらしてくれそうな気がします。

このごろは、私も年をとって、親の気持ちで見てしまうのですが、オリンピック選手になるような子供を育てた親というのはすごいなと思います。そんな子供を持てたら親として本望でしょうね。
けっしてくじけず、スランプを乗り超えて、物事に打ち込んで成し遂げることのできる子供は貴重です。
スポーツに限らず、そういう人間を育てていかなくちゃいけないし、社会としても、若者をそういう風に成長させていかなくちゃいけない。
そのためには、打ち込みがいのある社会をつくっていかなくちゃいけないと思います。

荒川さんの金メダルで、みんなが元気付けられたでしょう。

ところで、「荒川静香」って名前もすごいですね。「荒←→静」この対照的な文字もとても貴重な人材を象徴しているかのようです。
荒い川の流れをものともしないで、何事もないように優雅な香りを放っている一輪の花のようです。
強くて美しい花ですね。

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母は美人

2006-02-23 23:57:53 | 未分類過去
私の母は比較的美人のほうらしい。
あまりにも自分の身近にいる人の顔というのは、生まれたときから見ているので、そんなもんだと思っているから、客観的に感じることができない。
だから、小さい頃から自分の母が美人であるかそうでないかは考えたこともなかった。
しかし、確かに母親がブスで恥ずかしいと思ったことは一度もない。
だが、美しいだろと自慢に思ったこともないので、特別の美人というわけではないことも確かである。

5歳年上の姉は、同級生の母親に比べ、自分の母は若くて美しいと感じていたそうだ。
私の場合、年齢的には若い母ではなかったので、あまり感じなかったのであろう。
同級生の母親に対する関心といえば、やはりきれいかどうかよりも、若いかどうかの方が重要であり、だれそれのお母さんはすごく若いという噂で、それがイコールきれいだということを意味していたような気がする。

今はもう70を越して普通の顔のおばあさんだが、うちの子供が赤ん坊だった頃の母の写真を見ると、50代であったが、確かにきれいなほうかもしれないなあと思う。少なくとも、46歳の今の私よりは顔立ちが整って美しいことは確かである。
母は私と違って顔が小さくてきれいな二重まぶたで鼻すじが通っている。
父は何度も見合いを繰り返して断っていたらしいが、母と見合いをしてすぐに結婚を決めたのだそうだ。
母は父の弟たちからも姉さんはきれいだと言われていたようである。

ところで、母は根性はよくないと言われている。特に自分で言っている。根性が悪いというのは、自己犠牲になって人のために尽くすようなタイプではないということである。
自分の思ったことをはっきりいって自分の意思のままに生きるかんじである。だからといって人には迷惑をかけないし、働き者ではある。
叔母たちの話によると美人で根性が悪いのは、母の母譲りなのだそうだ。

私は、母の性格を受け継いでいて、根性が悪い。何でもストレートに自分の意見を言ってしまう。人に対してこまやかな気配りをしない。
だから、無意識のうちに人の心を傷つけたりしてしまったり、逆に気を使わせてしまうことがあるようだ。それで、自分自身は全然ストレスがたまらないが、ことによると、相手にストレスを与えているかもしれない。
自分が何でもはっきり言うほうなので、相手からはっきり言われないと気づかないことが多い。また、自分が反対意見を言ってもそれはただ思ったことを表明しているだけであって、それが受け入れられないのは承知のことも多いから、別に特段の意味はなかったりする。言うだけで目的は達成されているのである。
しかし、相手によっては、私が反対意見を言っていたので、何とかしなければとか大問題だとか、何とかそれに応じなければいけないのだろうかなどと悩んでしまう人もいるようである。

私は母と違って不細工なので、その上に根性が悪くては救いようがないなあと思うが、なかなか性格は直らない。

気をつけよう。
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好きな顔・似た顔・違和感のない顔

2006-02-23 01:23:54 | 未分類過去
有名人の顔になるなら誰の顔になりたいですか?の質問に答えて。

自分の顔が誰の顔になったらいいかなあと思うが、やはり、他人の顔にはなりたくない。
多少ブスでも自分の顔がいいなと思う。

では、その顔にならないとしても、どんな顔が好きかな、と改めて思うと、
原田美枝子 と 鈴木京香 が浮かんだ。
好きな女の顔は、知的で清潔感があって、かわいいというよりもちょっときりっとした感じがある人が好きだ。

私は自分の顔の形が好きではない。
顔が大きくて、額が狭く、美しくもかわいくもないので、前髪はなるべく下ろしている。
だから、額がある程度の広さをもち、その美しさをアピールできるような顔にあこがれる。
原田美枝子は額が広く、鼻筋の通り方が好きである。

ところで、私には自分と似ているような親近感をもてる女性の芸能人はほとんどいないと思う。
ところが、男の芸能人では特に似ているというわけではないが、妙に懐かしく感じる人が何人かいる。
(好きな顔というわけでもないし、もちろんその顔になりたいわけではない。)
まず、役所広司。この人は父の弟の中の一番見栄えのいい弟とどこかが似ている。
役所広司を見ると、亡くなったその叔父が中年だったころを思い出す。私は父親似である。
佐藤浩市石橋貴明、・・・なんか顔の面積や配置が自分と同類であることを感じる。
特に、石橋を見ていると、おでこと眉毛のあたりになんかやな感じが・・・
この3人、顔だけじゃなくて、なんとなく心持も似ているような気がする。
あまり神経質じゃなさそうだろう。そして、わが道を進む感じだろう。

それから、私は以前ネットで男脳女脳検査というのをやったところ、男脳だったのである。
そして、雑誌の顔型分析をすると、男顔・女顔・大人顔・子供顔に分類されているが、私の場合は、男の大人顔の分類となる。

もし、私が男だったら、こんなかんじの男性だったのかもしれないなあと思う。

原田美枝子や鈴木京香では自分と違いすぎるのだが、自分の顔にして違和感がないあたりでは、
真野あずさ」かなあと思った。

あっ、そういえば、天海祐希の顔も好きでした!

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ふたたびキャンデロロ

2006-02-22 21:48:53 | 未分類過去
今、フィリップ・キャンデロロについて、ブログを検索したら、400何十件もヒットしました。
すごいですね。
やはり、あの魅力にひきつけられたのは、私だけではなかったのですね。
みんな、今また、8年前のオリンピックを思い出しているのも同じですね。

長野オリンピックのあとプロになったそうですが、今はちょっと年をとっちゃったかもしれないな。

でも、あの姿はいつまでも消える事なく、人の心に残っています。

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素敵なキャンデロロ

2006-02-22 20:57:06 | 未分類過去
最近、男が無精ひげのようなあごひげを生やすのが流行っているようで、気持ちが悪いねえと、よく娘と話します。
芸能人でも大部分は不潔感やいやらしさを増すばかりで、あごひげに限らず、ひげがステキだなんて思えるような人は皆無だとも思えるほどです。

しかし、この冬季オリンピックを機に思い出すのですが、ひげがあってステキだった男性は、8年前の長野オリンピックのフィギュアスケート選手、フランス人のキャンデロロでした。そのスケートの演技力はすばらしいもので、魅了されていました。
銅メダルをとった「三銃士のダルタニアン」は忘れられません。

やはり、ヒゲというのは、日本人よりも西洋人に似合うものだと思います。
まずは、端正な顔立ちじゃなきゃいけません。
鼻が高くて、さらに鼻の下が短く口元の品がよくなくちゃいけない。
鼻の下が長くて出っ歯だったり唇が分厚かったりしたら最悪ですね。男性には、まずは、自分の顔をよく研究してからヒゲを生やして耐えられる顔かどうかよく吟味してもらいたいものです。

ところで、8年前といえば、まだ私が顔面神経麻痺の治療を終えて間もないころですが、顔面麻痺の時に通っていた病院の先生が口ひげを生やした先生でした。
その先生は、初めて見たときに「夏目漱石だ」と思いました。そのうち、「野口英世だ」と思いました。
50歳くらいだったと思いますが、端正な顔立ちで、品格と知性があって、患者さんにかける言葉が生きている先生でした。

ひげがあって素敵な男性だと思ったのは、その先生とキャンデロロですね。

実は、その先生の白衣の肖像写真も病院のホームページに載っているのですが、ここでは紹介しないことにしました。
たまに、懐かしく拝見しております。


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勉強の快感

2006-02-21 18:04:40 | 未分類過去
ビジネスキャリアの試験の勉強を1日1時間はしようと思います。
過去の模擬試験の問題は手に入れてあるので、それを解いてみて、その解答についている解説を読み、さらに、うやむやな部分やひっかかった部分の教科書の記述を再確認したりするという形でやっていくと、もつれていた知識が整理されて、さらに関連事項を記憶しやすくなり、問題の傾向と対策がわかってきます。
その作業が着実に進み、この手の問題が出たらそれは大丈夫と思えてくると、その繰り返しは、非常に快感になってきます。

しかし、範囲は広いから、試験当日まで全部できるかどうかが問題ではあります。

繰り返すということは、私のように記憶力の弱い人間には非常に重要なことです。
教科書も最初に授業を受けたときに読んだだけでは、全然アタマにはいらなかったのですが、数回のセミナーを受け、家で練習問題をやり、また1日講座を受け、さらに教科書を読み、同時に法律の条文を確認するということをして、初めて教科書と講義と条文と問題の内容をアタマの中でひとつにつなげることができるように思います。

本当に下地つくりがたいへんで、私の場合、ざるのような底面をふさいでいくところから始めないとだめなようです。そこまで頑張れれば、あとは知識が蓄積することでしょう。

最近は、仕事をしていて、妙な安らぎと落ち着きがあります。
ビジネスキャリアの試験勉強で得た知識のおかげで、周りから聞こえてくる社員さんのやり取りも、ああ、あのことだな、などと思いますし、その答えはあそこに書いてあったな、とか、そのことは法律の改正でいつから変更になったんだよな、などと思うことができるからです。

以前は、自分のまるで未知なる会話を耳にして、自分はついていけないと思っていたのですが、今では専門外ながら最低限の知識くらいはあるぞと思えるようになってきました。

だから、絶対に受かりたいです。頑張ります。




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