山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

24 匿名でマスコミに売る女

2007-08-31 19:39:12 | 読書
村上龍「ダメな女」

“ダメな女の範疇にも入らない女たち”

概要
著者村上はフランスとイタリアへ行ってきた。南仏のアルルはゴッホが晩年を過ごしたところだが、ローマによって作られた街なので、ローマの名残がある。
古い僧院やその回廊を歩くと心が落ち着き、京都や奈良の古い寺か庵にいるような感じでもあった。
アメリカにはこういうところが無い。そのアメリカでは、銃の乱射事件があり、映画ではサイコサスペンスやサイコホラーなどが作られるが、それは多くの人がわけのわからない孤独や不安や恐怖を抱えているからだろう。映画は「大衆」のものであるので、こういう類の映画が多いということは、孤独や不安や恐怖がアメリカ社会に一般化しているということが言える。
アルルでの僧院では、歴史的に連続しているという安定感を持つことができ、自分は1人ではないという感覚がもてた。
歴史と文化のないアメリカはそういう点では病んでいるといえる。
しかし、そのかわりにフェアネス(公平さ)という概念を持っている。正義という概念も持っている。
日本では、今年(1999年)の4月、匿名の女の告白で検事とニュースキャスターがクビになった。彼らがどうなろうとかまわないが、匿名の告白で個人が簡単にダメージを受ける社会というのはあまりにも幼稚だと思う。匿名の告白者はリスクを負わないし、何を言ってもいいのだ。
男たちにセックスを売り、その告白を匿名でマスコミに売る女というのは最低の女だ。ダメな女の範疇にも入らない。汚い女だ。
著者は、モニカ・ルインスキーという女が大嫌いだったが、彼女は実名で大統領と対決したからダメな女でも汚い女でもない。
恥のない汚い女はいくらでも居るが、そういう匿名の女の告白に何の疑いももたない社会にも問題がある。マスコミはスキャンダルだけを追い、他人の不幸を生きがいにする。
このようなことに嘆いてもしかたがない。新しい不快な現象の大半は昔から存在していたことがあらわになっただけのことである。
以上。

匿名の告白によって個人が大きなダメージを受けるというのは、つい最近の話では、参議院議員に当選したばかりの横峯さくらパパの愛人と賭けゴルフのスキャンダルがある。
本人も全く愚かな男で、こんなのが国会議員かと思うとうんざりしてしまうが、この話をマスコミに売った元愛人というのもどういうものだろうか。

まあ、こんなことにいちいちコメントを書くのも馬鹿らしいです。一時は自分もいい思いをしていたのでしょうが、うまくいかなくなると今度は相手の秘密を暴露し、貶めて不幸にするというのは、哀れな女ですね。
きっとうまくいっていたらそんなことはしないでしょう。だから卑劣です。

しかし、事実が発覚したことは、世の中にとってやはりよかったと言えるでしょう。
どんな男なのか実態がわかりましたから。
横峯議員は事実と違う部分があるということで、怒っているようですが、自分に何らかの落ち度がある場合は、それ以上に大げさな話になって、ダメージを与えられても仕方が無いと覚悟しなければならないでしょう。マスコミなんてそんなものです。
こんなことで裁判など起こし、自分のことでごたごたしている人にまともな議員活動などできるものでしょうか。
辞めてもらいたいところです。

いざぎよく反省しろ!
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速さのストレス

2007-08-31 17:43:32 | 読書
このごろ、友人と本の貸し借りをすることがある。貸したり借りたりすれば新刊でもいちいち買わずに読めるので、経済的で便利ではある。
しかし、友人のお勧めの本というのが必ずしも自分に適しているわけではないので、読むのが億劫になってしまう場合もある。
それより恐ろしいのは、ものすごく読むのが速い友人で、次々に貸してくれるし、また、私が購入した本を借りに来ることである。
「この間買ったと言っていたあの本、貸して!」という具合だ。
ところが、私の場合自分で買っておきながら一ヶ月もたっているのにいっこうに読んでない。
「ああ、あれ?まだ読んでない・・・」とのことで断ることになるが、近々読み終える予定も特に無いという具合だ。
こういうときの他人のパワフルさというのは、どうにもついて行けない。
おそらく、貸したらまた直ぐに読み終えて持ってくるだろうから、先にその人に読んでもらったほうが支障がないくらいである。
しかし、やはり自分で買った本は先に自分が読みたい気がする。
だからといって、人が待っているからと急いで読むというのも苦痛だ。
また、友人に本を借りたから、今度は自分のを貸さなくちゃと思うと、中の文章にやたらと線などを引くことができない。それもなかなか不便なものである。
最初は、「貸すから線を引かないようにしよう」と努めていたのだが、なんだか本末転倒のような気がしてきた。自分の気に入った本は好きなように読むのがいいのだ。
「この本は線を引いちゃったから、買ったとは言わないことにしよう」と思うようになってきた。
不便なことに、線を引きたくなるような本というのは、自分でも好きな本であるから、人にも薦めたい本であるが、そういうのに限って貸す状態ではなくなるのだ。

友人の読書の仕方はすごいもので、何でもかんでもすばやく読んでしまう。
しかし、その人は特に読書が趣味であるわけでもないようだ。趣味は別にある。趣味でもないものをそんなに消化できるということは、趣味にはどれだけのエネルギーを費やしているのだろうか。私のようにボーっとしたり昼寝などしていることなく、有意義な毎日を送っているのだろう。
そういうひとは、食べることに喩えて言えば、好き嫌いなく、何でもたくさん食べる食欲旺盛な体質の人のようなものである。
私などは、食欲もなく好き嫌いがあり食べ方も遅いというような人間にたとえられるだろう。

こういうことがあると、子どもの頃のことを思い出すが、私はどうも団体行動や他人と足並みをそろえることが苦手だった。鬼ごっこなんかも嫌いで走って逃げるのがいやで、どこかの物陰にじっと潜んでいたいほうだった。そうすれば逃げなくてもいいのだ。
テスト勉強を友人と一緒にやるのも大嫌いである。一緒に歴史の年代を暗記したり、英単語や英熟語を暗記して、その場で問題を出し合い覚えたかどうかを確かめるというのが大の苦手だ。他人と同じ速さでものを覚えることが苦痛である。おそらくやってできないわけではないと思うが、とにかくそういうのは嫌いだ。多くの友人は、面倒な勉強はその場で人といっしょにやってしまえばはかどるというが、こういうのがいやでならない。

読書もマイペースでのんびりとしていきたい。


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何をしようか・・・

2007-08-30 21:55:17 | 読書
木曜日は休みだが、何をしようかということで悩み続けた。
せっかくの休みだから有意義なことをしたい。
掃除や片付けなど、家の中をきれいにすることが望ましいが、なんだかヤル気がしない。
図書館の本はまた借りっぱなしになっていて、もうすぐ督促状が届くだろう。
村上龍の「冬の花火」だけは読んだが、そのほか「有機EL」や「プラスチック」に関する本はまだ読んでない。
とりあえず図書館に返した上で、図書館でそれらを読もうかとも思った。
図書館には喫茶店もあり、一度利用してみたいと思っていた。
だが、なんとなく決断力がない。
お台場のほうに「日本科学未来館」というのがあるようだ。
自然科学系の博物館に行ってみたいと思っていたのだが、ちょっと遠い。
涼しいので、いよいよ出かけようかと思ったが、着替えをしたらGパンにしみがついていた。今年買ったサマーセーターの裾がなんだかよれよれしている。電車に乗っていくのにはみすぼらしい姿である。化粧をするのも面倒くさい。
もっと近くに美術館でもないだろうか。絵画でも見れば心が落ち着きそうだ。
美術館を検索しているうちに、三鷹に「山本有三記念館」というのを見つけた。
三鷹には美術館もあるようだが、こっちのほうがよさそうだ。
山本有三の小説はひとつくらいしか読んだことがないと思うが、真面目でポジティブな人であるというイメージをもっている。建物もちょっといい感じだ。
三鷹から歩いて散歩にもなる。
だが、また土壇場で行く気を失った。こっちは誰かと一緒に行ってもいいなと思った。
やはり、出かけるのはやめることとする。
中途半端にしていることはたくさんある。
村上龍の「ダメな女」については、はまだ途中までしか書いてない。
「空港にて」は読んだが、同じ文庫本に載っている他の作品はまだ読んでない。
「カンブリア宮殿」も全部は読んでない。
それから、この間買ってきた芥川賞の載っている「文藝春秋」も読んでない。
なにもかもがやりかけである。
その中で、結局「限りなく透明に近いブルー」の続きを読むことにした。
そして、読んだ。
表紙の女の人の横顔は作中にでてくるリリーだということがわかった。
小説の読み応えはあったが、なんと書いたらいいのか・・・。簡単には書けないのでやめておこう。今井裕康氏の解説のとおりというところだろう。
この作品は1976年のものなので、31年前のものである。31年前には私は高校生だったので、そのときに読んでもわけがわからなかっただろうと思う。
読みながら途中で昼寝をした。さっきまで元気だったケージの中の動物が来客後に急に死にそうになっている変な夢を見て目を覚ました。
また続きを読み、また眠くなって昼寝をした。今度は、学校や店や様々な施設が併設されている新しい公営住宅を夫と見学している夢を見た。子供部屋は柱のでっぱりで二つに区切られていて妙に狭かった。その廊下を隔ててすぐ横に教室や体育館があった。同じ施設内に家具を作っている木工所のようなところもあり、小物や服を売っている店もあった。カナリアの棲む鳥小屋もあった。
子供部屋と言っても、子どもたちはすでに成長していることに気がつき、その家はそぐわなかった。家の中がそのまま無防備に公の施設へと続いている様子がなんとも落ち着かなかった。また目を覚まし、続きを読んだ。
昼寝の夢はまるで幻覚症状のようだった。なんとなく不安になるような、むなしさの残るような夢だった。
しかし、とりあえず小説をひとつ読み終えたということで、今日の務めを終えた。
結局、ひとつづつ消化していくしかないでしょう。



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⑥海の市

2007-08-29 23:45:01 | 旅行・街歩き
魚市場のすぐそばにある「海の市」です。
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⑤気仙沼魚市場

2007-08-29 23:42:21 | 旅行・街歩き
魚市場の外観写真も載せておきます。

「気仙沼」という言葉はよく聞くのですが、実際に行ったのは初めてでした。
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④気仙沼漁港

2007-08-29 23:22:16 | 旅行・街歩き
気仙沼市場のそばには、大きな船がたくさん停泊していました。
船って格好いいですね。
今朝、漁を終えて帰って来たものなのでしょうか?
また、夜中に出て行くのかもしれませんね。
それとも、これだけ大きいと、しばらくは帰ってこない遠洋漁業の船かな?

気仙沼は、カツオやマグロがたくさん水揚げされるようです。
そのほかに、サンマやイカも獲れるようです。
フカヒレも有名なようです。

海というのはやはりいいものですね。
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③魚を食べよう!

2007-08-29 23:12:04 | 旅行・街歩き
ウニまぐろ丼 2200円也
おいしかったです。
宮城県気仙沼魚市場のそばの海鮮市場「海の市」にある“まぐろ屋”で食べました。
さすがに鮮度も質もいいです。

このくらいの金額を出せば、東京でもけっこうおいしいものが食べられるんでしょうけど、ふだんは海鮮丼になかなかこのくらいの金額を出しません。
旅行などに行くと、日常とは少し金銭感覚が変わります。

東京の築地にもおいしい店があるようです。
今度行ってみたいと思います。

この前、テレビ「カンブリア宮殿」で築地の魚市場のことをやりました。
それ以来、市場や魚に興味を持っています。
魚は高級なものも多いですが、安くておいしいものもあり、体に良いです。
これからは「秋刀魚」ですね。
今年はいい秋刀魚がとれているようです。

魚をたくさん食べましょう!

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パートタイマー

2007-08-28 22:06:08 | 未分類過去
パートタイマーというのは、主婦にとっては都合の良い労働形態ですが、子供が小学校・中学校と大きくなっていき、高校生以上になると、保護者会や学校行事に出ることもなくなり、同時に学費がかかるようになるので、もっと長い時間働きたくなります。
また、もっと若い人でも、幼児が大きくなって小学生くらいになると、家のローンのためなどで、フルタイムで職場に復帰したいと考えます。
そういう人たちにとっては、週に3~4日のパートタイマーは実に中途半端なものとなります。それで、短時間ならばより時給の高いところに移ろうとか、できれば別の会社で正社員になろうとか考えます。
だから、定着率も悪くなります。

今日、会社で、健康診断のことが話題になったのですが、会社はパートタイマーにも無料で健康診断を受けさせなくてはならないのが大変なようです。短期間でやめてしまうかもしれない人たちに多額の負担はかけたくないということでしょう。確かに最近は数ヶ月でやめていくパートタイマーが多いようです。
でも、考えてみたら、正社員も結構すぐにやめるんですよね。正社員はもともと給料が高いし、研修だのなんだのといろいろと教育しても、それでやめていってしまうのですから、正社員が辞めるほうがよほど損失だと思うし、そういう短期間の正社員にかける健康診断や様々な経費は、安い給料のパートタイマーよりも会社にとってはマイナスなんじゃないかな~と思いました。
でも、なんだか会社側はそうは思っていないようなんです。
仕事の内容が違うんだろうか?それだけ、正社員は働きがあるということなのか?

最近、辞めたパートさんがいるのですが、その人はお子さんを産む前はバリバリに働いていたらしいです。そのひとが、私の勤める会社に入ってきてお茶の準備や備品の補充や簡単な事務をやっていたのですが、別の会社の正社員になるとのことで、退社しました。
考えてみたら、職歴としたら今の会社の20代の正社員よりもベテランじゃないでしょうか?
しかし、パートタイマーだから仕事の内容が違います。正社員はお茶や備品のことはやらないそうです。頭を使わず責任の無いような単純な仕事ばかりやらされていたら、いやになるのも決まっていますよね。
この職場は、大勢の正社員の中に少数の補助的パートという形なので、よりいっそう正社員との区別を感じるのですね。
会社側はパートは長く働かないと言うけれど、時給が上がるわけでもなく、仕事内容が進展するわけでもなく、自分が成長できるわけでもないような場に見切りをつけるのは当然のことでしょう。

2年も前、このブログを始めたころに「パートタイマーの身の上」という記事を書いたのを思い出しました。
読み返してみると、ほとんど考えることが変わっていないようです。
ただ、今現在は、自分はこの会社ではパートタイマーの身の程でやっていくしかないという悟りの境地に至っています。

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②夫婦の情景

2007-08-28 01:11:21 | 旅行・街歩き
団体のバス旅行に行くと、中高年の参加者が多く、そのうちの半分くらいは夫婦である。
今回の旅行も私たち夫婦と同じかもう少し上の年輩の夫婦が多かった。
結婚20年以上にもなると、どの夫婦もかなりさめていて、ほとんど空気状態である。一緒には居ても大した話もしないし、常に並んで歩くわけでもないが、まあ、誰と誰が夫婦であるかは自ずとわかる。食事の時に一緒に食べている、バスで隣に座っている、団体写真の時にペアになっている、互いに写真を撮りあっている、といったことでわかる。
まったく、陳腐というかなんというか、それでも長年連れ添って一緒に旅行にいけるということは幸福なことであろう。
中には、観光バスの中でもそれぞれ熱心に読書にふけっている夫婦などもいて、いったい何をしに来たのだろうかとびっくりしたりするが、そういう人はそういう人同士の組み合わせでうまくいっているのだろう。

それにしても、ふと気がついたことに、大部分の夫婦というものが、バスの座席を、夫が窓側、妻が内側の固定位置にしているのだった。
これが日本人の習性というものであろうか。初めにバスに乗る時は夫に先に行かせ、夫が窓側をしめる。その後トイレ休憩や見学の後、妻が先にバスに乗り込むことがあっても、中の通路で夫を待ち、夫に奥に座らせる。夫が窓側というのは常識のようになっている。

私の場合、電車の向い合わせの席では、夫が必ず進行方向を向いた窓側に座るように譲り、バスも当然夫を窓側に譲っていた。
しかしこの旅行で、ふと「たまには窓側に座って外の景色を見たいなあ」と思った。夫の場合、私が「窓側に座らせろ」と言うか、勝手に窓側に座ってしまえば、文句をいうことは無いだろうが、夫から「席を交替しようか」という言葉は絶対に出てこない。長年の間、妻が夫に良いものを譲るということが定着しているのである。

それで、周りの夫婦がどうなっているかを見まわしてみたところ、みんな夫が窓側の定位置になっていたのだった。

きっと結婚前や新婚旅行のころには、窓側の席を譲ってくれたのではなかったかと思うのだが、いつからこうなったのでしょう。
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①浄土ヶ浜

2007-08-27 00:30:17 | 旅行・街歩き
きれいな海でした。
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旅行前夜

2007-08-23 23:23:28 | 未分類過去
明日から短い旅行に行ってきます。明日早朝に発ってあさっての夜帰ってきます。
それで、今夜はいろいろと準備をしなくちゃならない。
まあ、着替えなどは一枚持っていけばいいわけですが、出かける前は食器などを流しに漬けっ放しにしていくわけにはいかないと思うので、いつもしない家事を余計にすることになります。
食べ残しとか、生ものとかも、たった二日ですが、先に食べてしまおうとか、古いものは捨てなくちゃとか思うわけです。
次女が留守番しますが、ほとんど家にいない子なので、あんまりあてにはなりません。
ウサギの世話はしてくれるでしょう。

それでこういうときにムカつくのは、夫です。
だいたい、男というものは気楽なものです。ただ、ぐうたらしていればいいのです。
こっちは、夕方仕事から帰ってきて、夕飯を作り片付け、それからゴミの始末やら洗濯やら掃除やら準備やらを延々としているのに、ただ寝っころがってテレビを見ているのです。
しかも、夫は夜勤明けで午前中から家にいるのです。夜勤とは言っても夜はちゃんと寝ているのです。だから、全然疲れてなんかいないのです。

今日、私の仕事は暇だった。こんな暇なら休んでもよかったわけですが、パートタイマーにはどのくらい仕事が入っているのかもよくわかりません。
いつ仕事を頼まれるかもわからないから、なるべく休まないほうがいいと思っているのです。でも、最近は暇な日が多く、毎日過去のデータをもとにして、資料を作っているだけです。
ところが、この急がない単調な仕事が逆に恐ろしく疲れるわけです。
私が勤めている会社の仕事は、関連会社からの依頼で動くものだから、関連会社が動き出した後、しばらくして動きだすんでしょう。
他の会社のお盆休みが終わって、本格的に仕事が動き出してから、こっちに仕事が回ってくるんでしょうね。
社員さんも休みを取っている人が多いです。

もうすぐ夏もおしまい。
今日は、涼しくなり、朝は念願の雨も降りました。
夫は全然遊んでいないので、短い旅行くらい付き合ってやろうと思います。 


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芥川賞作品

2007-08-23 01:27:31 | 未分類過去
いつも、芥川賞受賞作品は読んでいないのだが、今年は読んでみようと思って「文藝春秋」を買ってきた。受賞作は「アサッテの人」というのだそうだ。
私は村上龍氏のメールマガジンJMMを配信してもらっているのだが、それの書評によると、村上龍氏はこの作品は好きではなく「主題歌」というのが気に入ったそうである。
文藝春秋は買ってきたものの、「アサッテの人」はまだ読んではいない。
まずは、選評などは読まずに読んでみようと思う。

ところで、このごろは村上龍氏にかなり関心を持っており、カンブリア宮殿などで垣間見せるとぼけた本音などもかわいらしく、しかし、世の中の目を見る目は鋭いと思い、一種のファンになっている。
かつて芥川賞を取った作家は芥川賞を選ぶ人間になっていることが多いようであり、村上龍もその一人であるが、そうなると村上龍という人間を知るのに「限りなく透明に近いブルー」を読まなくては、どうにも始まらないだろうと思うようになっていた。

それで、今日は「文藝春秋」とともに文庫本の「限りなく透明に近いブルー」を買ってきた。そして、こっちを1時間くらい読んだ。
う~ん、若者の退廃的な乱交シーンばかりが続くのでちょっとイヤになってきた。この後どうなるのか、とにかく読もうとは思っている。

2004年の芥川賞「蛇にピアス」は村上氏も高く評価しているようだ。これも私は読んでいないのだが、10代の終わりか20代くらいの世代でなければ書けないようなものらしい。
その年齢の感性というのは、独特のものがあると思うが、「限りなく透明に近いブルー」もそういう年齢で書かれた作品であり、それらが「芥川賞」というお墨つきをもらったということで、それによって文学作品としても動かぬ地位を得ている。
芥川賞というのは、新しい社会に新しく発生したような斬新的な作品が多いような気がするが、それを書いた作家も年齢を重ねるごとに社会人として知識人としてそれなりのような作品を書くようになっていき、若いころの奇抜な感じが失せていく。
村上龍氏も最近はまったく常識人のようになっており、作品もそれなりの内容になっている。石原慎太郎の「太陽の季節」なども当時は驚くような内容だったのだろうが、今の石原氏もまた、全く常識的な人となっている。でも、やはりどこか普通の年配者とは違う豪快さがあるなあとは思う。
尾崎豊の感性はすごかったが、もしおじさんになるまで生きていたら、また違う歌を歌ったはずだ。
なんだか、支離滅裂になってきたが、若い頃に書かれた鮮度の良い作品はそれなりの価値があると思うので、それにも目を通したいと思うわけだ。

ところで、村上龍の本を買おうと思うと、どの会社の文庫本が出ているかというので、本屋の中を探すことが多い。いろんな出版社から少しずつ出ているという感じだ。それで、一箇所にあまりたくさん並んでいるところを見たことがない。
「限りなく透明に近いブルー」も以前から探していたが、なかなか売っていなかった。
今日は、大きい本屋さんで講談社文庫の中に見つけた。
表紙は青く、うつむき加減の女の白い横顔のデザインとなっている。
誰が表紙を描いたのかと見てみると、「カバーデザイン 村上龍」と書いてある。
あれっ、龍さんって、絵なんか描けるんだ、と一瞬意外に思ったのちに笑ってしまった。
村上龍さんは、武蔵野美術大学中退でした!
こっちも本業になり得たじゃないですか。
なんか、絵が下手そうなイメージなんですけど、そんなわけないんだ。
しかし、表紙を眺めるにつけ、村上龍さんが描いたのかな~と思う。
やっぱり、ちょっとイメージと違う。

本当に面白い人です。
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生きがい

2007-08-22 23:48:56 | 未分類過去
今日も汗だくだくだが、
東京は電力が足りなくなるかもしれなかったので、
家では冷房をしないで、頑張った。

明日は本当に雨が降って気温も下がるらしい。
楽しみだな~

雨が降ったり涼しくなったりすることを
生きがいにするようになってしまった今日この頃です。
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折を見るとき

2007-08-20 23:59:33 | 未分類過去
いつもの土日を休んだだけなのに、随分長く休んだような気がした。
暑さが和らいだのと休みが同時に来たからだろう。
そのまま涼しいと思っていたら、ほとんど雨も降らないまま、また暑さがぶり返してしまった。でも、確かに暑さの絶頂期よりもマシである。そして、今夜も遅くなると涼しい風が北の窓から入り始めた。やはり、秋に近づいている。

休日に職安に行ったりしていたら、なんだか落ち着かず、仕事をしていても、別の新しい仕事についてついつい考えてしまう。先日みつけた仕事は、理系分野の会社だったので、非常に興味深いのだが、やはり通勤が遠いのでやめようかと思う。しかし、そういうところで働いてみたら良い経験にはなっただろうな、とちょっと惜しい。
だが、やはりもっと近いところで探そうと思う。

週1日などという仕事はなかなかないし、ダブルワークをするならば、それよりもひとつの会社でちゃんと働いたほうがいい。そうなると、今の会社をやめるという選択肢も出てくるということに気付いた。
今の会社は気に入っているので辞めたくはないのだが、一日5時間という勤務時間も中途半端で困ったものだ。

アクセルを踏むとき、ってあると思う。
ここ30年ほど自家用車というものに乗ったことがないが、子供のときは実家で父の運転する車に乗っていたので、車で走るという感覚とその記憶はある。
前に遅い車が走っているときなど、その後についているとあまりにもゆっくりでいらいらしてくる。そして、折を見て追い越しをかけるのだ。そのときの決断みたいなのがそれだ。追い越した後はすいすいと進むことができて壮快であるが、追い越すときはちょっと緊張したものだ。

ゆっくりでもいいから、安全運転でうしろに着いていこうかな~などと思うものの、やっぱりこれじゃ遅すぎるだろ!と思いつつ走っている。
後から来る車が自分の車と前の車をまとめて追いこして行ったりする。
そして、自分も前の車を追い越す。そうだ、そんなゆっくり走ることに見切りを付けるときがくるのだ。

今は、まだその決断はつかないのだが、
“前の車、この速さじゃ遅すぎるな~”というような気分である。
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模様

2007-08-19 23:50:46 | 未分類過去
昨日、ハローワークに行ったときのこと。
新宿西口からエルタワーへ行く通路がこんなデザインになっていました。
帰る時に新宿駅を写してみたのですが、
それよりもこっちのほうがいいやという感じ。

何をやっているのかな~
1日終わったな~
道路の模様が少しだけ心を慰めてくれた・・・
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