山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

3月末日夫への愚痴

2006-03-31 22:49:36 | 未分類過去
なんだか今日は非常に疲れた。きのう夜更かしをしていたせいかも知れない。
仕事は文献を2つ読み、ちょうど時間内におさまった。
帰ってきて夕飯を食べてから一眠りしてしまった。
今月は90時間以上働いたので、来月の給料は9万円を超える。それはちょっと嬉しい。
しかし、フルタイムで働くとこのように疲れるんだろうなと思う。

水曜に残業をして7時頃帰ってきたら炊飯器にご飯がなかった。
いつも早く帰ってくるので、帰宅してから米をといでも充分間に合うのだが、その日は勝手が違った。
夫はその日は夜勤明けで朝から家にいて、いつものように夕方コーヒーをいれ、私の分が保温状態で煮詰まっていた。それを飲みつつ急いで夕飯作りにとりかかったのであるが、一日中家にいるなら、夫がご飯ぐらい炊いておけば、もっと早くできるのに、とちょっと腹がたった。
そして、そのとき台所に持っていったコーヒーを食器洗浄器の上に置いたまま、翌日まで忘れていた。
翌日の朝、夫が休日でまたコーヒーを入れようとして、食器洗浄器の上のカップを空だと思い、手に取ったところ、中のコーヒーを床一面にこぼしてしまった。
夫は何でこんなところにコーヒーが入っているんだと怒り、そのせいでこぼれた、何とかしろなどと罵倒していた。
私がコーヒーを忘れていたのはたしかに悪いかもしれないが、こぼした本人は夫である。それで、無視していると、自分が買った食器洗浄器の側面にかかったコーヒーをバカ丁寧にいつまでも拭いていて、床の上にはこぼれたコーヒーが池のようになっていた。夫は新しい電化製品ばかりを大切にする人間である。床は私に片付けさせようという魂胆だったが無視していると、仕方なくいいかげんに拭いていた。後で見ると、ストーブの側面にまで大量のコーヒーが飛び散り、それがそのままこびりついて乾いている。まったく頭にくる。

だいたい、狭くなるからと反対していた私を無視して夫の意思で食器洗浄器を買ってから、その上にしか物を置くところが無くなってしまったから、そこに置いていたわけであるが、洗浄器の高さが高いので、その上は私の視線よりもずっと高い場所となり、そこにあるものの存在を忘れてしまうわけである。私より背が高い夫でもカップの中に入っているかどうかが見えない高さである。
そのほかに電子レンジの上や、時には175センチの高さの食器戸棚の上にまで、鍋やざるなどを置いたりするしかない。

夫は今日も休日で朝、昼のご飯はあるのかなどと言っていたので、そのぐらい自分で炊けと伝え、水の量などを教えて会社に行った。帰ってきて見ると釜のなかに茶碗一杯分くらいのご飯が保温状態になっていた。昼に1合炊いたそうである。
何で一合ぽっち炊くんだ!!!それにどうしてこんな少ない量を保温し続けているの!!
夫は元から炊いてあったご飯を昼にレトルトカレーなどで食べ、スプーン一杯くらいのご飯の塊を残して保温したままにしていることも多い。
そのたびに切れと言っているのに全く改善されない。
ほんとうに頭にくる。

食器洗浄器は夫が自分で買いたくて買ったが、夫が食器を洗うことはめったにない。
この間帰宅したときに珍しく食器洗浄器が動いていると思って見ると、たった2個の食器を普通の洗浄コースにかけているのだった。その前に朝と昼間使った食器(それでも機械にかけるのには少なすぎる量)を普通コースで洗ったところ、汚れが落ちていないものがあったので、その中の2個をもう一回洗っているのだそうだ。信じられない。

そのくせ、夜、風呂場の電気などはもったいないと言ってすぐに消してしまうので、ベランダで洗濯をしている私が突然暗闇の中におかれてしまうこともよくある。(洗濯機置き場は風呂の窓からの明かりを頼りにしている。)
ベランダに行く前に風呂場の電気をつけて、部屋のほうから回って外に出ることになるのだが、洗濯機のところに着いたときには真っ暗闇。トイレに行った夫が通りすがりに消してしまうことが多い。今つけたのにどうして消えてるんだ!!!ということになる。

いいかげんにしろ~



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クリーニング

2006-03-31 01:56:48 | 未分類過去
今日は会社が休みで、何か有意義なことをしなくちゃと思いつつも、午前中は何もせずにごろごろしていて、昼からは昼寝をし、夕方起きてやっと活動を始めました。

うちは夫が最近「じいさん化」しています。朝の6時ころから起きてごそごそ始め、うるさくて目が覚めてしまうのです。今日は資源ごみの日だったのですが、夫も会社が休みなのに、早朝から新聞紙などをガサガサ動かすし、空き缶や空きビンをガチャガチャ始めました。
それでこっちは全然眠っていられないわけです。久々に娘も部活が午後からなのでゆっくりできると思ったのに、いつもより早く起きる羽目になってしまいました。

この夫の行動は失業して以来であり、その前まではゴミなどにはいっさい関心がなかったのに、最近はずいぶんと熱心になっています。隠居した人のようです。さらに夫は高血圧なので朝は強いのです。夫の最低血圧が100くらいで、私の最高血圧が90くらいです。

古新聞は昼ごろ区の人が取りにくるというのに、どうして6時に外に出さなければならないのでしょうか?しかも、早く出すと古紙回収業者の新聞泥棒が持っていってしまうのはわかりきっているのに、何度行ってもききません。

そういうわけで、朝思う存分眠れなかったという思いが、午後の昼寝につながっていきます。それで、夜はまた夜更かしです。だいたい私は夜行性なのです。

今日したことと言えば、夕方クリーニングに服を出しに行っただけでした。娘から制服を頼まれていて、それと自分の冬のジャケットを出しました。
季節の変わり目はクリーニング代がバカになりません。今後もいっぱい出さなければなりません。

クリーニング屋から戻ってきて、しばらくしたら、クリーニング屋から電話が来ました。制服の袖口のボタンがすでにひとつ取れているので、ご承知くださいとのことでした。娘に聞くと確かにすでに取れていたとのことでした。袖のボタンはそんなに目立つものでもないのでなくても支障はないなと思いました。
クリーニング屋さんは、後で「ひとつなくなっていた弁償しろ」などと言われないようにクリーニング前に確かめて連絡してくるようで、以前もそんなことがありました。

ところで、以前そのような電話が無く、私の夏物のスーツの上着の前ボタンのひとつがクリーニング後に取れていたことがありました。家に帰ってきて気がついて、そのボタンが無ければ着れないし、クリーニングによる紛失だということが確かだったので、すぐに持って行こうとしました。その上着を自転車の前かごに入れて走っていったところ、なんかの拍子に上着がカゴから落ちて、しかも運悪く、自分の車輪でそれを引いてしまったのです。そうしたら、薄い生地だったために摩擦で破れてしまいました。
無残にももう着られる状態ではなく、紛失したボタンをとりもどしてつけたところで意味がありません。だからクリーニング屋に言いに行くのも中止です。自転車で轢いてしまったのは自分の過失なので、元の原因がクリーニング屋から始まっていると訴えるわけにもいきませんでした。
くやしい~
そして、上下ともグレーの地に花模様のスーツだったので、スカートだけ履くのにうまく組み合わせられるものがなく、結局スカートも履かなくなって、そのスーツはお陀仏となってしまいました。すずしくて軽くて着やすく、デザインも好きなスーツだったので非常に残念でした。

そのスーツは、クリーニングの方法を見ないで買い、後で見てみるとアセテートで、家庭での水洗いが不可だった物でした。夏物は汗をかくので自宅で洗えないと非常に不経済です。しかし、木綿だとアイロンをかけなければならず、アイロンかけは面倒な上に夏は暑くて苦痛ですから、自宅で洗えてアイロン不要の素材に限りますね。やはりポリエステルが一番ですね。最近は、そういうこともよく考えてデザインが気に入っただけでは買わないようになりました。

夕飯を買いに行ったら、春物のブラウスやシャツが売っていて、欲しいなあと思いましたが、アイロンが必要な綿のブラウスは私には無理なのでやめておきました。

それにしても、今日の夕方は寒かったなあ~!
クリーニングと夕飯買いに行ったとき、北風びゅーびゅーで凍えそうでした。

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さくら満開

2006-03-30 18:32:34 | 植物・花・木
家から見える桜

桜って写真に撮るの難しいですね。カメラがよければもうすこしマシかもしれませんけど携帯だとなおさらです。
とても淡いピンクなので、光の具合で目で見たのとは全然違うように写ってしまいます。見える範囲も目で見たのと違ってフレームの中に入れる構図感覚がよくわかりません。

反対方向の窓からはもっと沢山見えるのですが、夕方撮ったら、桜かどうかもわからないような色あせたものばかりで、この一枚を使うことにしました。

古い公営住宅の長所と言えば、こんな桜の木が何本もあることです。
写真に写っている木は、それでも新しい木で、20何年も前に引っ越してきたときはまだ小さな木でしたが、今は古木を追い越して立派なものとなりました。

公営住宅では、桜論争が時々おきます。
切れ、切るな、の争いです。
秋は落ち葉で大変なんです。花の後も花びらとガクの掃除は結構大変です。
新緑はまたすばらしいですが、葉が茂ると、日陰になっていいと言う人といやだと言う人がいます。
落ち葉は私が全部片付けるから切るなと頑張っているおばあさんもいます。
「桜切るバカ梅切らぬバカ」と言うようですが、
桜も伸び放題にしていると、枝が茂りすぎて、たしかに近くの家はうっとうしいようです。
大きくなった木は何年かに一度、かなり思い切って枝を落とされ、縮小単純化され、翌年は花もちょぼちょぼですが、また2年くらいする茂って元通りになるかんじです。

花見に行っても青いシートと酔っ払いばかりなので、家の窓から見てるのが一番ですね。


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変な電話

2006-03-30 12:29:20 | 未分類過去
最近、わけのわからない電話がかかってくるんです。
はい、山本です。
ハロ~ もしもし ママ? ×○△■~~~~~(大人の女性の声でわけのわからない外国語)
は? 山本ですけど。
ママいる?
えっ?なんですか? 違いますよ。
ママ出して~!
そういうひとはいません。番号違うんじゃないですか?
バチン

そして、すぐ電話が鳴り、同じことを繰り返し

また電話が鳴り、
もしもし
バチン

もしもし
無言

こういうことを何度も繰り返しています。
あきらめたかと思うと翌日またかけてきます。

日本語は片言で、夫が英語で話してみてもまともな返答は無く、そのまま切れるのですが、
またしつこくかかってきます。
おそらく東南アジア系です。

こんな電話は以前にもかかってきたことがあり、ママの代わりになんか名前を言っていたこともありますが、やはり国籍不明の外国人からで、日本へ行ったらここに電話をすれば面倒を見てくれるよということで、渡された電話番号に日本に到着したばかりの外国人がかけているという様子。あきらめきれないしつこさでした。
こちらが思うような返答をしないと知ると、知らばっくれているのだろう、とにかく当人を出してくれと引き下がらない態度にでした。

今回の人もその類のようなのです。片言を覚えるくらいは日本で暮しているのかもしれませんが、頼りにできるはずの人の番号にかけてみたら違っていたわけで、他に連絡するあてもなく、この番号が違うはずはない、とにかく何度もかけてみるしかないと思っているようです。
そして、こちらが普通の家ではなく、お店か雑居的な場所で、いろいろな人が出入していると思っているのか、私が出て「違います」と言っても、何度もかければ事情のわかった「ママ」が出るか、ママに取り次いでくれる人が出て応対してくれ、寝泊りするところを与え、風俗とか飲食業に雇ってくれると思っているんじゃないんでしょうか。なんとなくいかがわしい感じがします。
そして、まともなやり取りができない点で、頭も悪く、ろくな人間じゃなさそうな感じです。

誰がうちの番号を間違って教えたの?
そういう世界が踏みこんでくるようで、なんかいやだなあ~


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卒業論文

2006-03-27 23:29:49 | 未分類過去
4年制大学と言えば、卒論を書くものだと以前は思っていて、4年制大学と短大とでは、卒論を書くか書かないかも大きな違いのひとつだと思っていました。

しかし、娘の学部でも卒論は書かなくていいようですし、放送大学も卒論を書かなくても卒業できます。

私は、以前から卒論というものを書いてみたいと思っていたのですが、放送大学では昨年の夏ごろの決められた時期に18年度の卒業研究の申し込みをしなければならなかったのを、うっかりしていて申し込みそこなってしまいました。
しかし、考えてみると、普通の授業の単位をとることさえままならない生活をしていて、卒業研究なんていう手間のかかることができるわけがないようにも思いました。
以前は、在日外国人に関することなどを日本語学習や異文化摩擦などの視点で考えるとか、日本文学と中国文学の作品を取り上げて比較するとかやってみたいと思っていたのですが、もう外国人と接することもなくなり、人文系のことにはかかわらなくなってきたので、そういうことにエネルギーを使うのも面倒くさくなってきました。
だから、代わりに6単位専門科目をとって卒業すればいいやと思いました。

こうなってくると、私は一生論文なるものを書くことはないのかもしれません。

普通卒論は原稿用紙100枚くらい書くんでしょうか?論文と言うほどではありませんが、短大1年のとき、ゼミで夏目漱石の「それから」について、原稿用紙20枚くらいの論文を書いたことがあります。同じゼミの友人と毎日近代文学館に通って漱石に関するいろんな文献を読み漁り、それを参考に自分なりの考えをまとめました。もちろん「それから」そのものも一文一文をこと細かく読みこみました。
一応成績は「優」だったと思います。残念なのは、その当時はコンビニのコピー機などが今のように普及しておらず、コピーするなら文房具屋さんに行って店の人にお願いしてコピーをとってもらうというような時代だったので、私は期限ぎりぎりに自分の論文を提出して、コピーをとっていないのです。だから自分の書いた論文は手元には残っていません。レポート用紙のようなものに下書きを書いたのは覚えていますが、それももうないでしょう。

2年になって、近代文学のゼミに入り、1年間夏目漱石を研究することになりました。そのときのテーマは「漱石作品における女性像」というもので、一通りの作品を読んだ後、ゼミのメンバーで分担してひとつひとつの作品に女性がどのように描かれているかを万遍なく調べ上げました。
このとき初めて客観的な研究の仕方を教わったと思うのですが、単なる読後感や印象で漱石は女性をこのように描いているなどと論ずるのではなく、登場する女性に関する全ての記述を抜き出すという作業をしてから結論を導くというものでした。
このときは私は「彼岸過迄」を担当しました。「彼岸過迄」はどちらかというと駄作とされていて、「三四郎・それから・門」そして「こころ」などに比べるとまとまりがないような作品ですが、意外に多くの女性が描かれていて、興味深い点もありました。
このときの研究は短大の機関誌にゼミ研究として載せられ、その個人の持分は非常に少ない文字数しか取れませんでした。ゼミのメンバー10人程度でひとつのテーマをまとめるという形です。書く内容といったら「作品上の事実とそれから導かれる結論」というようなもので、自分で書いて面白くもなんともなかったものですが、最初に自分が書きたいように思ったことを書いたときは教授からダメ出しされてしまい、自分にはつまらないと思える客観的な報告のような内容にして、初めてOKをもらうことができました。これもひとつの勉強だったなあと思います。

いつかまた、どの分野のことかわかりませんが、何かを集中的に研究し、客観的に把握した後に、自分の考えをまとめてみたいと思います。
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外から開かない不安

2006-03-27 21:17:46 | 未分類過去
昨日、娘と防犯フィルムを窓ガラスに貼っていて思ったのですが、泥棒が入ろうとしても絶対に入れないと言うこと、
これって何かあって外から窓を開けようとしたとき、当然開かないよなと思いました。

例えば、火事で一酸化炭素中毒かなんかになって、娘が部屋の中で意識を失って倒れているのを外から助け出そうとしたときに、消防士さんが窓から入ろうとしても、簡単に割れないんじゃないでしょうか?

また、地震で家がつぶれかかって中に閉じ込められたときに、窓ガラスを割ってそこから救出しようとかいうときも難しいんじゃないでしょうか?

窓ガラスを割るのに手間取っているうちに救出が遅れたらどうするんだ?

などと、あらぬ心配をしてしまいました。

ひとつのことに効力があるとすれば、それに対して逆の必要が出たときには、裏腹な作用を及ぼすことになります。

う~ん
災害などで、こんなケースがないことを願うばかりです。

泥棒が入らないための防犯フィルムを張ってある場合、
防犯フィルムを貼ってあっても、救出のために窓を開けられる道具が必要。
しかしそれは、防犯フィルムを貼ってあっても泥棒が窓を開けられる道具であるわけで、
どうしたらいいんでしょうね。



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空き巣対策

2006-03-27 00:34:43 | 未分類過去
うちの近くは最近空き巣がはやっているようだ。それで、区では防犯パトロールなどし、危機管理を強めているようであり、うちも娘のアパートが少し心配なので区の対策課の方にどの程度の侵入危険度があるかを診断をしてもらった。
玄関の鍵は2重カギになっており、鍵の形式も新しいものなので大丈夫のようだが、窓は塀をよじ登れば敷地内に侵入できる状況であるため、窓の鍵近くのガラスを割って、外から内側に手を回しこみ、鍵をはずしてから窓を開けて泥棒が侵入することは可能であるとのことだった。しかも道路側から丸見えでないのが、返って泥棒の作業がしやすいのだとのことである。

区の犯罪対策の方は元警察の方々であり、いろいろアドバイスしてくださった上に、アルミサッシの上部にもうひとつの鍵を無料で設置してくれた。
これで、万が一泥棒が窓ガラスを割って中央の鍵を壊して入ろうとしても、さらに上部の鍵があるから、その辺のガラスをも壊さなければ窓は開かないということになる。
まあ、このくらいしておけばいいかと思ったが、それでは時間がかかるだけのことで泥棒が入れないというわけではない。さらに鍵の近くに防犯フィルムという透明なシートを貼ると、その部分のガラスを割ることが不可能となるとのことだった。
それで、今日は数日前に夫が買ってきたそのフィルムを娘のアパートに行って娘と一緒にはるという作業をした。

多少面倒ではあったが、一応すべきことはできたというかんじだ。これを最初は業者に頼もうとしていたのであるが、2万円くらいかかるとのことで躊躇した。また、防犯ブザーと言うのがあり、外から開けようとすると大きな音が鳴る装置もあるそうであるが、それもかなりの費用がかかるとのことであった。

貼ったフィルムには「侵入禁止・防犯装置設置済み」などと書いてあるシールがついていてそれを窓の鍵の近くに張るようになっているが、そこにはさらに英語と中国語とハングルで同様の意味が書かれているようだった。
ということは、泥棒は日本人、アメリカ等の英語をつかう外国人、中国人、韓国人を想定しているということになる。日本語は当然ながら外国語でもわざわざ表記されているという事は泥棒が外国人である可能性の高さを想定していることの表れのような気もした。こんなの外国人から苦情が来ないかなあなどと一瞬思ったが、確かに外国人による犯罪は多いようである。何でこの言語でこの順かといえば、在日外国人の人数の割合からいってもそのようになるのであり、特にある国に対しての偏見などがあるわけでもなさそうだから、まあ妥当かもしれない。

元警察官の人の話では、泥棒の侵入する窓辺などには音の鳴るものや鉢植えや置物などを置くのもいいそうで、そのようなものがあると音で周りの人が気がついたり、泥棒がそれを避けたりどかしたりするのに時間がかかるため、そんなささいなものでも効果があるとのことだった。

アパートの前に防犯パトロールの車を止めた状態で、防犯係の方の話を聞いていると、近所の人が何事かと思って出てきたようだった。確かに、一見パトカーのようにも見え、離れたところから見ると、もしや泥棒か事件発生かとさえ誤解されそうである。

様子を見に出てきた近所の主婦の人は、先日夫が娘のアパートにパソコンの光ケーブルを引くのに工事の人と出入していたときも出てきて、「何ですか?」と声をかけてきたという。怪しげな男が若い女のアパートの周辺で何をしているのだろうと不審に思ったのであろう。
こういう人が近所にいるのはかえって安心である。

考えて見れば、娘の部屋には金目のものはほとんど無い。まず、現金と貴金属は皆無である。しかし、パソコン・テレビ・デジカメ・電子辞書・MDやCDデッキなどを盗む泥棒もいるらしい。
集合住宅の場合は、同じ建物を集中的に狙って複数の部屋に侵入するケースも多発しているという。
ゴミ出しやちょっとした外出にも必ず鍵をかけるようにとのことだった。

元警察官の方のアドバイスは有益で、区で無料でこのようなサービスをしてくれることが非常にありがたかった。
まだ、空き巣や引ったくりなどの犯罪が毎日のように何件も発生しているようであるが、このような地道な対策によって犯罪がなくなることを望むばかりである。



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学部による違い?

2006-03-26 12:54:02 | 放送大学
娘が通っている大学は私大の経済学部であるが、不思議なことに必修科目というものがないのだそうだ。決められた一群の科目の中から何単位以上必要というようないわゆる選択必修はあるものの、必ず取らなければいけない科目というものはひとつもないそうである。
また、一般科目・外国語科目・保健体育科目については、全くとらなくてもよいのだそうだ。
そんなことがあるのだろうか?にわかに信じられない。私の学生時代の大学は1年のときに一般科目を一通りとって、そのあと専門科目に移って行くパターンになっていたような気がする。バカな娘が単位の取り方を勘違いしてるんじゃなかろうかと思ったのであるが、友人なども取っていないと言うのでそうなのだろう。

放送大学の場合、一般科目・外国語科目・保健体育科目は必ず一定の単位数を取らなければならないことになっている。
それは私が以前通った私大の短大の基準とほぼ同じであるため、そのおかげでそれらの単位を編入学後に改めて取り直す必要がなかった。
しかし、昔の記憶では、私が行こうとして調べた4年制大学では、短大よりも一般科目の必要単位数が多かったと記憶している。だから、当時4年制の大学に行っていたとすれば一般科目をもっとたくさん取っていたはずなのだ。

当時短大では、専門科目については4年制大学とそう変わりがないくらい勉強するのだというように聞いていた。短大では卒業するまでに全合計で100単位くらい取るのが普通だったと思うが、4年制では130単位くらいで卒業できるから、倍の年数通っても単位数としては30単位ほどしか差がないことになる。だから、短大が4年制の半分とは一概には言えないなどということで、大学と比べて卑下するものではないなどといわれていた。

自分が昔行こうとしていた4年制大学の履修科目を頭に描いていた私は、娘の経済学部のあまりにも自由な履修条件には驚いてしまった。(今調べたところ、同じ娘の大学でも文学部では放送大学と同様の規定になっているようである。)
娘は英語と中国語を自分の意思で取っているが、同じ学部の中では大学に入ってから卒業するまで外国語を全く学ばない学生も少なくないそうである。

一方で、大学に行ってまでさらに体育や一般的な科目を勉強する必要があるのかという考えも確かにある。娘の学部がそのような科目を履修しなくていいということは、逆にそれだけ専門科目を沢山勉強することができるということを意味する。

このような違いは、文学部など教養的な学部と経済・経営など教養中心ではない学部の違いなのであろうか?放送大学では経済なども学ぶが教養学部の中のものであるから、娘の大学とは体系が違うのであろうか。

大卒とは言っても、様々な大学があるので、その人たちの一般教養や専門知識の度合いはまるで様々だということだろう。
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昨年の今頃

2006-03-26 00:45:02 | 未分類過去
娘は明日中国語検定を受けるそうです。それで、娘の話によると昨年の3月に私と娘は一緒に中国語検定を受けに行ったとのことです。
へえ~そうだったっけ、それは一昨年じゃないかなあ、と思ったのですが、娘が大学に入ってからのことなので確かに昨年のことでした。

考えて見れば、昨年の1月頃まで私は安くない月謝を払って中国語を習っていました。もともとは日本語学校の学生に中国人が多いから、学生の言語を学びたいというのが動機で、日本語教師になってからずっと続けてきました。それが、一昨年の前期かぎりで日本語の非常勤講師の契約が切れてしまい、その後は失業状態で収入が一時なくなったこともあるし、今の仕事に転職したら、まるで中国語とは縁のない世界となり、収入も日本語教師とスーパーの店員を掛け持ちしていたときより減ってしまい、自分の貯金が底をつき月謝分を捻出できなくなって、やる気もなくし、ついにやめてしまったのでした。

そんなことは、なんかず~っと昔のことのように感じ、中国語なんか全部忘れてしまったような気がするのですが、1年前にはまだ試験なんか受けてたんだなあと懐かしく感じました。
昨年は3級を受けたのですが、5点不足で不合格でした。その後続けていれば今ごろは3級は受かっていただろうなと思います。
また、中国語を勉強したいなとも思いますが、どちらかと言うと恥をかかない程度の人並みの英語力のほうが必要な気もします。

人間の方向性なんか本当に短期間のうちに大きく変わるものです。
その後は今の仕事に関係する知的所有権の知識のほうが必要だと感じ、そっちに向って歩き始めた結果、今年の3月は「ビジネスキャリア知的所有権に関する法務」の試験を受けているのでした。中国語からは離れてしまったものの、まあ、自分なりに代わりのものに挑戦はしているわけです。受かればいいなあ。

娘は大学で中国語の授業を取り、昨年はいきなり4級を受けてダメだったので今年もまた4級を受けるそうです。検定は年に何回かあるのですが、3月だけが暇で受けやすいようです。今年も大学で中国語をとっていますが、基本を過ぎて読解のような形式になってきたために、返って基本文法を忘れてしまい、試験の自信はないと言っていました。

私は放送大学で中国語Ⅱと中国の言語文化の単位を取りましたが、中国語Ⅲで挫折したままやっていません。せっかくいくらか勉強してきたものです。やらないとどんどん忘れていくばかりなので、忘れない程度にも少しは勉強したほうがいいかなと思います。



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埒のあかない話

2006-03-25 14:43:22 | 未分類過去
夫は野球・映画・音楽・海外ドラマなど、なんか複数の会社のいろいろな有料放送を受信しているらしい。私は全然見ないので、全く関知していないが、そのために毎月何千円という金額を払っているようである。
この度、夫はその中のひとつのチャンネルを不必要と考え、解約しようとしたらしいのだが、その会社ではその1つだけを有料契約していたため、それを解約すると、今まで無料サービスで見られた他のチャンネルも見られなくなるらしい。それで、何か別に良さそうな有料チャンネルがあれば、そっちに変更し、もし良さそうなものがなければ完全解約しようと考えたようである。

それで、今日夫が電話でその会社に問い合わせていたのであるが、3月いっぱいで解約するためには、はがきで退会申込書のようなものを送らなければ電話では受理されないとのことであった。となると今すぐに退会申込書のはがきを送ってもらい返送しなければ今月中の手続きが間に合わないということだった。

それで、夫は、とりあえず退会はがきと番組案内を同時に送ってもらい、有料放送の中にいい番組が見つかればそっちに変更し、もしなければ退会はがきを出したいと伝えた。

ところがである、先方はその相反する用途の郵便を同時にすることはできないのだと主張しているのだった。それで、ずっとずっと電話で押し問答を繰り返しており、「だから、一緒に同封できないんなら、別の便で送ればいいでしょ?」などと夫が言っているが、一向に話はつかない。「退会と申し込みは別の窓口ということですか?じゃあ、そっちにまわしてください。」しかし別の窓口があるわけではなかった。「じゃあ、一回切って、別の件として申し込めばいいんですね。わかりました。それではとりあえず番組案内を送ってください」などということになり、そのあと改めて電話をして、解約届けを申し込んでいた。

「まったく、マニュアルどおりなんだよなあ」と夫。
そうです。土日のパートだよ、それは。
私もテレホンオペレーターなんかやったことあるけど、研修もいい加減で教えるほうもわかってなかったりする。それで書かれているマニュアルどおりにやるわけで、電話で相手のいうことを聞きながら、マニュアル本をめくって該当用件のところを見ながら応対する。だから、マニュアルから外れたことには対処できない。勝手にマニュアルから外れると怒られる。電話を切った後は何の用件だったかを用紙の中の項目から選んで記録する。書類上、申し込みと解約が一緒なんてありえないわけだ。
それで、窓口はみんな機械みたいな人間になっちゃってるわけだ。

それにしても、なんかストレスがたまりますね。
今この時代にはがきで送らなきゃだめだなんて信じられません。
夫が言うには簡単に解約させたくないからだろうとのことでした。
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みじめったらしいのはイヤだ

2006-03-24 21:57:49 | 未分類過去
今日は修了式で高校生の娘が高校から学費減免のための書類を配布されて来ました。今まで減免されていた生徒が配布対象のようなので、うちの子だけが貰ってきたのかと思ったら、何人か渡されていた人がいたそうです。その学校にはウチと同じように他区の公営住宅の団地に住んでいる人も多いと聞くので、所得の少ない家庭の子も少なくはないのかと思いました。

その書類のことで、さっきから夫と大喧嘩しています。
私が「もう失業していなんだから関係ないでしょ」といって、ほったらかしたら、夫が「そんなことはない、中をみて今回も手続きをしてくれ」と言って聞きません。「そんなにもらいたいんなら自分で調べればいいでしょ」と言っても、私にやれといって聞かないのです。
どうせ前回と同じように給料証明書とか課税証明書とか家族全員のものを提出するわけですから、夫自身が減免してもらいたいと思うなら、まずはその本人が自分で用意する書類についてくらいは自分で説明を読んで準備すればいいでしょう。なのに、あくまでも私に読んで調べろというのです。だいたいうちの夫はバカです。文系の大学を出ていても読解力ゼロですし、さらに計算なんかはもっと苦手ですから、確定申告の計算法なんかも理解不能で、まず根っから人任せにしているのです。自分のすべきことをしないで人を頼り、自分の考えを押し付けて、人が自分の思い通りにならないからといって非難するなんて、なんてくだらない男なのでしょう!

ところで、うちの場合去年は夫が失業したので学費の半額減免になりましたが、今はボーナスはないものの、一応給料は貰っているので、なんか「生活保護世帯」というものに当てはめられるのは、私はいやな気がするのです。
確かに、今の給料で全ての出費をまかなうのは無理なので、貯金を少しずつ食いつぶしてはいるのですが、失業中だって課税されない退職金や雇用保険という収入はあったのですから、お金がなくて食べるのに困ったりするようなことはなかったのです。
だから、安易にそのような減免制度に甘えるような人にはなりたくない気がします。

夫は、「何でも前向きに考えなくちゃダメなんだよ!」などと言って、もらえるものは貰う、頼れるものは頼る、という生き方を「前向き」と考えているようです。
しかし、私にはそういうのを「前向き」というのだろうか???と思えてなりません。
「前向き」というのは、夫が今しているような老後の人間がするような楽な契約社員の仕事ではなく、同年代の人が負っているくらいの責任のある仕事をして、もっと稼ぐように、「生活保護と同程度の家庭」などというものから脱出すべく頑張ることではないでしょうか。

そんなことで、さっきから罵倒しあっていたのですが、
夫は「それなら、フルタイムで働けよ!パートなんかじゃなくてもっと稼いで来い!」などとぬかしました。
このくそばかやろう!

妻がパートで月8万くらい稼ぐのは人並みじゃないんでしょうか?
たしかに、正社員として働いている妻もいるでしょうよ。
しかし、うちが貧乏生活をしているのがまるで妻の私が稼がないからだと言うようなこの言い草は何!!!
ほんとにアタマに来た!

こうなったら、私は自分の力で低所得家庭から脱出したい!!!
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ヒヤシンス

2006-03-23 16:46:29 | 植物・花・木
庭に咲いてました。

公営住宅のうちの庭の持分は1畳半くらいですが、怠慢な私には管理しきれないくらいです。春になって草が出てきてるなと思っていたら、隣のおばさんが今日「きれいにしておいてあげたわよ」というので見に行くと、雑草がなくなっていて、にょきにょきといろんなところに出ていたヒヤシンスのつぼみが満開になっていました。
うちのヒヤシンスは植えっぱなしで放置してあるだけなので、売っているような立派な花はつけませんが、こんな感じの花が毎年たくさん咲き、勝手にどんどん増えていきます。チューリップは球根を買ってきてもだんだん咲かなくなってしまうのですが、ヒヤシンスは毎年自然に花を咲かせます。一番多いのが白で、あとは薄いピンクです。紫はほんの2本くらいで意外と大きいのですが、ジャスミンの根元の見えないようなところにあります。
それから、今年はなぜかラッパ水仙が自然発生して花を咲かせていました。

今日はベランダのプランターに植えてあったパンジー3株とカーネーションを庭に下ろしました。私は温かくなってくると必ず水遣りを怠って枯らしてしまいます。春になって2度ほど水切れさせてパンジーがグニャグニャになってしまい、あせって水をやり生き返らせたのですが、こんなことをしていては枯らすのも時間の問題です。カーネーションも葉の一部が茶色くなってしまいました。それで庭に下ろしました。
庭は、黄・紫・白のパンジーとピンクのカーネーションが加わって結構華やかになりました。


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諸君はすばらしい!

2006-03-22 21:35:22 | 未分類過去
WBCの日本の優勝はほんとうによかったです。
私はあまり野球には興味が無いんですが、やっぱり嬉しいです。
特に、意欲と熱意をもってチームを引っ張っていくイチローという人のすばらしさを再認識しましたし、王監督も長年にわたって野球を構築しているすばらしい人物だなあと実感しました。

力を合わせて大きなことをやり遂げた人々の表情ってほんとうに素敵ですね。
優勝パーティーでシャンパンをぶっかけあうときの様子が何度も放送されていましたが、
王監督がチームのメンバーに向って「諸君はすばらしい、今日は思いっきりやろうぜ」とか言っていたことばがすごく印象的でした。
いいなあ、「諸君はすばらしい」って、私も言われてみたいですよ。
そういう言葉は、本当に頑張った人たちに与えられる言葉だろうな。

私が今、人と一緒に頑張っていることといえば、やはり会社の仕事でしょうか?
パートで後方支援の補助的な仕事ですが、みんなで仕事を分担してそれぞれが自分の部署で頑張って力をあわせることが、会社としてのひとつの社会的業務を全うして、それが社会に貢献しているなら、やっぱり「諸君はすばらしい」と言われる対象であり得るでしょう。華々しく業績があがったり、忙しい中をうまくやり遂げられたりしたら、社長に「諸君はすばらしい」って言われて、私たちは「われわれはすばらしい」と思うことができるでしょうか。

なかなか、そんな華々しいこともないし、そんな気持ちになれないことも現実ですけどね。

夫は外国人に毎日会っているんですが、アメリカ人の審判が納得できない判定を下したときには、アメリカ人が夫に向かって「すみません」と言ったんだそうです。そして、今度日本が優勝したら夫に向って「おめでとう」と言ってきたんだそうです。「自分が当事者でもないのに不思議だなあ」と夫が言っていました。
それで、優勝の様子を見ていると、当事者でもないのに、我がことのように感動して、なにかいいことがありそうな幸せな気分になってしまうんですよね。

それは、錯覚に違いありませんが、自分たちも何か力が湧いてきそうな気がしてしまいます。少なくとも、イチローみたいな意気込みで、物事に向って行きたいものだと勇気付けられました。

優勝パーティーの映像でもうひとつ印象に残っている言葉は、イチローがチームのみんなからシャンパンをかけられながら
おまえらっ、先輩を敬え、もっと!」と言っていたの笑っちゃいました。
いい人間関係を築いているんだなあと感じました。
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昔のペンフレンド

2006-03-21 15:54:27 | 未分類過去
ふと、昔のペンフレンドの名前をgoogle検索してみたところ、ヒットしまして、そこに出ていた地域が確かに文通していた住所でした。
それは、45歳以上の人のマラソンの上位者とかいうもので、確かに文通相手の地域で名前と年齢も一致していることから、その本人であることが間違いないと確信しました。
ふ~ん、走るのが得意な人だったのか、などと驚きました。
さらに、あるセミナーの参加者の感想文というのが載っていまして、そのセミナーというのは、全然遠い地方で行なわれたある専門業種の人を対象としたもののようですが、その人の文とともに所属会社名が載っていて、その産業の発展のためにするべきことなどを論じていました。
その会社を調べると、確かに文通先に支社があることが判明しました。
地方では、けっこうエリートっぽいし、いろんなことで活躍しているんだなということがわかりました。

このペンフレンドは男性で、中学のころ、その地域から転校してきた女の子と私が友達になり、その子を通じて文通を始めた相手でした。確か、クラスの集合写真を見て、その中から私が気に入った人を選んだのだったと思うので、顔もけっこういいほうだったと思います。
何年か続けていましたが、そのうちに途絶えたままとなりました。
「忙しくて返事が遅くなってごめん。」と書かれている手紙の返事に、「忙しかったら無理して書かなくてもいいよ」と返信してから返事が来なかったのだったと思います。
転校してきた友達も違う高校に進学してからは付き合いも無くなり、今では連絡のとりようもなくなっています。

ペンフレンドだった人は、そのほかにも、小学校から高校くらいまででは、男女何人かいるのですが、名前を入れてヒットするのはこの人だけで、懐かしいなあと思います。
女性の場合、苗字が変わってしまっているのでよけいにわかりません。

一度も会ったことがないのですが、妙に懐かしくて、連絡をとってみたいなあなどと思いました。これからも活躍してもらいたいし、私も同じように活躍できたらいいのになと思いました。


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睡眠剤

2006-03-21 14:36:45 | 放送大学
月曜日に会社から帰ってくると、新聞受けの入り口に茶色いボール紙の箱が無理無理に挟まっていた。放送大学からだった。
教材にしては、いつもより小さいなあと思いつつ開けてみると、「学生生活の栞」と「著作権法概説」の2冊だけが入っていた。何かのミスかと思ったら、他の2科目は2006年の新設科目でまだ教材ができていないので、後から送ってくると書いてあった。

暇だったので夕飯の後、著作権の教科書を読み始めた。目次を見ると、最近ビジネスキャリア知的所有権ユニットで勉強した内容と同じようなもので安心した。
ざっと読んでみようと前書きを読みおわり、本文に入った直後あたりから、急に眠気が押し寄せてきて、ストーブの前に寝転がったまま熟睡状態となった。
そのうち熱風でノドがからからになって目を覚ました。老眼鏡をかけたまま、教科書をその辺に放置して寝ていたので、メガネをはずして部屋に行き、自分の布団を引っ張り出してねてしまった。

つい最近、夫がたまたまテレビで放送大学を出していたのだが、ラジオ用の放送なのか画面には人間の姿は無く、講義の声だけがしていた。
「放送大学ってこんなのなの?」と聞くので、「ラジオはそうだよ」と答える。
「これじゃおもしろくないなあ」と言う。
「そうだよ、ラジオは教科書を読んでるのと同じだから、何度聞いてもいつも寝ちゃうんだよ。自分で教科書を読んでても寝ちゃうし、だから単位をおとしてばっかりなんだよ」などと答えた。
以前、放送大学を受講している人たちに話を聞いたところ、ラジオの科目は絶対にとらず、テレビの科目だけを選んでいるという人がけっこういた。

別の話だが、この間道で、以前私に講演会を勧めた人に会った。その講演会には結局行かなかったのだが、ぜひその講演会の時のテープを聴きに来ませんかと誘われた。
内心、まっぴら御免だと思ってしまった。
何年か前、聖書に関わっていたときに、エホバの証人の地域大会のテープを聴きませんかなどと誘われたことがある。実は、今回の団体の大きな講演会やエホバの証人の大会に私は行ったことがあるのだが、私は実際に行って聴くほうがまだいいと思っている。
以前、今回の団体の講演会に行ったときには、朝早く出発してきた周りの人間はみんな講演中に寝ていたので、なるほど本番で寝ているものだから、帰ってきてから数日後にまたテープを聴くのか、などと思ってしまった。その人たちはありがたいお話なので何度聴いてもいいとか言っている。宗教団体にしても同じようなことをいい、行けなかった人のためにも、みんなでテープを聴きなおすのだそうだ。

私はどうもテープを聴くのが苦手でならない。
放送大学のラジオ講座と同じで、絶対に寝てしまうと思う。

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