山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

どうしちゃったのナビ

2010-01-31 23:12:31 | 運転・車・道路の事
今日、ナビゲーションが不思議な反応を示した。
量販店の地下駐車場で「自宅に帰る」をセットすると、いきなり「何十メートル先右です」などと得意げに案内を始めた。
地下駐車場の通路まで把握してるのか?そんなことないだろ、
と受け流しながら地上に出た。そして幹線道路を走り出した。すると、ナビはなぜかむっつりと黙ってしまった。
おかしいなあ、次の交差点を左に曲がるんじゃないの?
よく知っている地域ながら、車では走ったことのない道順を行くので、ナビの裏づけがほしかったのだが、ナビは案内をしゃべらない。
もう1回、「ここへ行く」「計算」などを押すと、再びしゃべり始めた。確かにその先を左に曲がれと言ってくれたので、安心して曲がった。
すると、今度はその後、またおかしなことを言い出した。
いつもいつも走っている道で、ずっと直進してから左に曲がるはずであり、いつもはそのように案内してくれるのに、すぐ先のまがったこともない交差点を左に曲がれといいだしたのだ。
えっ、いつもと道が違うじゃない。どうしちゃったのナビちゃん。こんなところで曲がったら、わけがわからなくなっちゃうよ。
ナビの言うことを無視していつもの道順を進んでいった。
すると、今度は家に帰れる正しい道を示したが、そこは普段ナビが案内する道順ではなかった。そこを通り過ぎて、いつもナビが案内する交差点を曲がり、家の近くまでくると、ナビはまた黙ってしまった。いつもそのあたりでは、右に曲がれない道を曲がれと言い、次に左に曲がれと言い、更に分岐が続きますだとか、最後の曲がり角でも自宅とは反対の方向に行けとか、ウソの道順をこまめに得意げに教えるのである。そのウソはいつも同じだったのだが、そのうそを全く言わず口をつぐんでいる。なんか具合わるいのか、機嫌わるいのか、と心配してしまう。
そして、いつもは自宅近くに来ると、けろっと「目的地付近に到着しました」と、さも自分が案内して来たように言うのに、今日は到着したのにもかかわらず到着したといわないのだ。途中はどうでも最後は到着したと言ってくれないとすっきりしない。
頭ボケちゃってるみたいだね、まだどこかわかってないのかな?
地下通路をぐるぐる回ってるうちに、こんがらがっちゃったのかもしれませんね。

と、思ってたけど・・・
今思うに、
私が路上で押した「ここに行く」「計算」っていうの、「自宅」じゃなかったのかもしれません。
じゃ、どこだったのかなあ???
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単位認定試験

2010-01-31 22:36:53 | 放送大学

今日は、夕方5時55分から放送大学の単位認定試験だった。
今期は秋に宅建の試験もあったため、1科目だけしか取っていなかったが、その1科目もずっと怠け続けていた。
さらに、前日や当日になってまでも、教科書を読んでも全く頭に入らず、心そこにあらずであり、もう試験を受けるのもやめようかと思ったが、だめもとで受けることにした。
幸い、教科書持込可能の上に択一型だった。
問題は教科書の内容に忠実であり、正しいか間違っているかを問う選択肢も、ほとんど教科書どおりの文章だった。
この科目(「市民と社会を生きるために」)は、ひととおり教科書に目を通しておけばたぶん大丈夫ではないかと思う。だが、私の場合、一通り目を通してないし、試験会場で初めて教科書を読むような部分もあって、かなり強引な試験の受けようだ。
これで、単位をとろうなどとは、なんて虫が良すぎるのだろうか。
しかし、お金も払ってあるし、その中には試験を受けたり採点したりしてもらう金額も当然含まれているんだから、やっぱりやってみることにした。
試験をすっぽかして、車でどっかにでかけちゃおうかと思ったが、それではあまりにも不真面目すぎてバチがあたりそうだ。車ででかけもしないで、試験も受けに行かないのなら、なんのためにそれらの物事を中止しているのか、まるで意味がない。両方ともやらないということこそ愚の骨頂だ。そう思って試験にでかけた。

それで、試験の結果はわからない。そのうえ、腕時計を忘れてしまった。どんだけ気合が入っていないのだろうか。人生50年もやってれば、いくらかあてになる腹時計くらい体内に備わっているんじゃないかと思ったけど、やっぱりアバウトすぎる。
でも、試験監督の人が30分経過と終了5分前を知らせてくれたので、それでなんとかなった。自分の時計をにらんだところで余計にあせったかもしれない。

試験を終えてみて、今頃になって、この科目結構興味深い内容が書いてあったなと気がついた。だから、もっとしっかり勉強しておけばよかったな~と残念に思う。これから復習したっていいのだけど・・・。
サボるだけサボって、終わった頃にその科目の良さを知るというのは、私の場合よくあることだ。すでに後の祭りではあるのだが。

今度からちゃんと勉強しよ!・・・これもいつも思うこと。
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洗車

2010-01-31 15:44:35 | 運転・車・道路の事
このあいだの土埃で、相変らず屋根の上は悲惨な状況になっているので、今日は車を洗うことにしました。
ガソリンスタンドに持っていけば簡単にやってもらえるそうですが、なんだか様子がわからないので、自分で洗うことにしました。

そのためには、屋根の上に水をかけるのに脚立が必要です。それで、まずは脚立を買いにいかなければなりません。近所の人がいつでも貸してくれるとおっしゃっていたのですが、どうせこれからもずっと使うものですし、自宅の天井などの作業をするときにも便利なので買うことにしました。

さて、それで、どこに買いに行くか?車で行かねば・・・ということで、近所の大型量販店の地下駐車場に挑戦することに決めました。
そこは近いので、普通、車で行く必要はないし、また、いつもかなり混んでいるようです。入り口までの道路に車が行列になって並んで待っている光景をよくみかけるので、これでは駐車場の中も満杯に違いなく、順番を待って入っていって一個だけ空いているスペースに車を駐車させるなんて、私には絶対に無理だと思うため、その店に車でいくなんて想定外でした。

しかし、他のホームセンターなどを調べてみたところ、どうも駐車場に入るために都合のいい方向から、車を走らせるためにはどの道を走っていったらいいか、というのがわからないのです。
また、入りやすそうなほうの店は、今度は出た後で、どのように走ったら戻って来られるのか、というのが一向にわからない店もあり、それらは没となりました。

それで、結局、近所の大型量販店に決めました。午前中早い時間ならばそんなに混んではいないだろうと思いました。電話で聞いてみると300台くらい置けるとのことでした。(実際は業者や関係者の車を含めて300台、お客さんの車はその半分くらいのようです。)
今まで、27年もその店を利用していますが、地下の駐車場なんて一度も見たこともなく、興味もないことで、今さらながら、地下はそんなふうになってたのかと驚きました。

「とにかく、いつまでも、駐車場に入れられるだろうかと悩んでいても全く進歩はないし、“案ずるより生むが易し”だよ、きっと」と思いましたが、「万が一、“生むが難し”だったとしても、やるしかないだろう」ということで、でかけていきました。

そうしたら、入り口では、歩行者や自転車もいつもほど多くはなく、車の行列にもなっていなかったので、スムーズに入れました。地下駐車場への通路は、勾配がかなり急で、さらに狭くてカーブもきついのには驚きましたが、なんとか入っていきました。後ろから続いて2台もやってきているので、なるべく奥まで行って、後ろの車がついてこない場所まで進んでからバックして駐車させました。まだ空きスペースもたくさんあったので、よかったです。

そこで、まず脚立を買いに行き、駐車場に戻って、車に脚立を載せてから、また売り場に戻り食料などを買ってきました。
3000円分のレシートがあると1時間の無料駐車券がもらえます。脚立だけでも3000円を超えていました。
食料を買うと40分くらい経過し、1時間なんか結構あっという間だなと思いました。食事なんかしていたらどんどん時間がかかるだろうし、ウィンドーショッピングなんかして時間を無駄に使うことも、車の場合はできませんね。自転車ではレシートは関係ありませんが、規定時間を超過すると1時間ごとに100円かかり、うっかり超過することがありましたが、100円なら仕方ないかという感じでした。しかし、車だとちょっと越えて400円なので、これは時間厳守となります。

車を持つと、時間の使い方とか計画性が必要になるなあと思いました。

帰宅して、脚立に上り、バケツの水を車の屋根からかけて洗車用のスポンジでこすって洗い、車を買った時についていた「アナターゼローション」というのを噴霧して、説明書通り水をよく絞った濡れ雑巾でふき取りました。その後、乾拭きをしました。
つちぼこりはこびりついてはいなかったので、簡単にきれいになりました。
バケツの水も3杯くらいで済み、思ったほど大変じゃありませんでした。
でも、全部で1時間くらいかかったでしょうか。
ちゃんと車を洗ったのは、車を買って以来、これが初めてです。

車を持つと、計画性のある人間になり、働き者になるかもしれませんね。
今日の走行距離はたったの5kmですが、「地下駐車場の利用」と「洗車」が“教習項目”ということでいいかと思います。

来週はいっぱい走ろう!

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品川からの眺め

2010-01-31 01:07:49 | 日記
今日は、品川に行ってきました。
品川から見渡す東京は、ビルばかりでした。
よくもこんなにいっぱい造ったものです。
緑なんかなんにもないと思ったのですが、皆無というわけではなく、
冬だから目立たないようです。
でも、緑が少ないことに間違いはありません。
このどこまでも続くビルの中にどれだけの人間がうごめいているのでしょうか。
外から見たのではわかりませんが、
これは、ある生物が作った巣のようなものですね。
やはり、蜂とか蟻とかそういう類の生物の仕業としか思えません。
宇宙人が見たら、地球には変な生物が大量繁殖していて、
妙な構造物を際限なく構築しているとしか思えないでしょう。

この反対方向には品川駅があり、線路もまたいっぱいあります。
そして、電車が蛇のように行ったり来たりしています。

品川から見る都心に比べたら、うちなんかすごい田舎だな~と思います。
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つちぼこり

2010-01-30 01:07:58 | 運転・車・道路の事

最近、風の強い日が続いていますね。

今日、夫の仕事が休みだったので、「夕方、車で一緒に買い物に行ってもらおう、今日は休みだから疲れたと言って断りはしないだろう」と思っていました。
それで、会社からまっすぐ家に帰り、「今から遠くのスーパーに車で行くよ、一緒に行こうよ」と誘うと、「だめだ」との返事。
なぜかというと、車が汚れているからなのだそうです。「車がものすごく汚くて、前も後も見えないから危ない、買物に行くより車を洗え、あんな汚いのはうちだけだ」とのこと。
「フロントガラスが汚なきゃ、拭けばいいし、外が見えないほど汚いわけがないでしょ」と言ったのですが、まったく聞く耳を持たず、「なんであんなに汚いんだ、後のガラスも屋根の上も横の窓も全部だぞ、今すぐ洗え」という剣幕です。
「こんな夕方に車を洗ったら、流れた水が明日の朝凍っちゃうんじゃないの?何も今から洗わなくてもいいでしょ」というと、「とにかくあんな汚い車じゃ危なくて乗れない、でかけるのはやめろ」の一点張りでした。
そんなに汚いなんて、なんかよくわかりませんが、「それじゃあ、拭いてから行くからいいよ」と言って、濡れ雑巾と、サイフや免許証の入っているカバンを持って、1人で車のところに行きました。

「よその車はみんなきれいなのにうちだけものすごく汚い」と夫が言っていたので、まず、歩きながらよその車がどんなにきれいなものか見て歩きました。
そうしたら、きたないのなんの。みんなほこりだらけですよ。なんだよ、みんなきたないじゃん、と思いましたよ。
それで、うちの車のところに行ったら、うちの車もよその車と同じように、いつになく、今までになく、すごい汚れ。土ぼこり。黄砂じゃないとは思うけど、最近の強風でホコリが飛んできたらしいです。

「うわあ、すごいなあ」と思ったものの、夫の騒ぎようは、さも私が何か悪いことをして車を汚しているような、私を攻め立てるような言い方だったので、それはおかしいだろうと思いました。しかも、こんなのは、自然現象で土ぼこりが飛んできたのは明らかであり、とりあえず応急的にきれいにすればそれで済むことだし、夫のように「もう車に乗れない」なんて騒ぐほどのことではありません。車のボディーがきたないからって、走りには関係ないし、どうして、こういうことで大騒ぎする人間なのかほんとうにわかりません。

それで、いつも大喧嘩になり、こんな精神状態では運転も冷静にできないので、「落ち着け落ち着け」と自分に言い聞かせて、夫のことは忘れ、運転に神経を集中させて出かけていきました。結局、夜勤であろうとなかろうと、付き合ってはくれない人間です。

全くもう、夫はどうでもいいです。

それにしても、このつちぼこりには驚きました。
これから春になると、こんな日が多くなるのかな。
それだったら、洗っても洗ってもすぐ汚れてしまうのかもしれませんね。
屋外ではなく、ガレージがあったらいいな、と思ってしまいます。





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勤務後の運転

2010-01-29 19:42:51 | 運転・車・道路の事
明日は、長女につきあって電車で出かけなければならないので、今日のうちに少しでも運転しておこうと思って、勤務後帰宅してすぐに、車でスーパーに買い物に出かけました。
なんか、自分でも思うけど、運転下手だな~。とろいな~。って感じ。
それは、日曜日から4日間運転してなかったというのもあるけれど、どうも私の仕事というのが、机に向かってジ~~~~ッとしている仕事だというのがいけないような気がする。
そう、つまり静止モードなのだ。
そういえば、仕事の後自動車学校に行って路上教習受けたときもなんか調子がでなくて先生に叱られっぱなしのことがあった。
そのころのような運転はしていないけれど、それでもなんかぱっとしないよ。

まず、黄色信号で急ブレーキってのが多かった。これは、以前黄色信号で直進していたときに右折車が曲がってきて危うく衝突しそうになったことがあって、それからというもの、黄色ではしっかり止まろうと思うようになったのだが、助手席の荷物が前に落ちるくらいのブレーキで止まったりしていると、後ろから追突されるんじゃないだろうか、と思う。なんか、今になって難しいなあと思うのだった。
幹線道路で、一回目の黄色急停止でカバンが落ち、2日目の黄色急停止で刺身や卵、それにプリンアラモードの入った買物袋が助手席の前に落ちました。やっぱり、こんなブレーキで止まるのってよくないよな。ちょうど後には車がいなかったからよかったけど、黄色信号のときの対処の仕方はこれからも研究しなくては・・・。信号ばかり見つめてないで、対向車に右折車が待っているような信号なのかをすばやく察知する必要があるかもしれない。それに、今日黄色で止まった信号は黄色の時間がものすごく長いし、右折車なんかいなかった信号もあったので、そんなに急いでとまらなくてもよかったようだ。人間の信号を見ているともうすぐ黄色になるとかわかるのだけど、人間の信号なんか見えないようなところもある。どうもわかんない。

それから、前方第一車線にバスが停止していて、前を走る車も次々に車線を変えて追い越していくので、私も第二車線に移動して抜かそうとしていたとき、ちょっと距離があるから譲ってくれるだろうと思ってウィンカー出して右によっていったら、全然譲ってくれない車がいた。逆に絶対に入れるもんかと速度を速めてきたみたいな感じさえする。どの車も親切ってワケじゃないんだなと思った。これからはもっと慎重にならなくちゃいけないと思った。

今日は、どこからともなくサイレンが聴こえ、そのうち、幹線道路前方から救急車がやってきていることがわかったので、自分のほうじゃないから関係ないかなと思っていたら、救急車は交差点のむこうから右側通行をして進んできていた。
交差点の信号は赤から青に変わったけど、隣の第3車線真正面から救急車が進んでくるのだった。自分の車線ではないけれど止まって待っていたほうがよかろうと思って待っていると、救急車は「このまま進みます」と言いながら進んできて、両方向の車が停止している交差点をつっきり、その後自分の走行車線を走って進んでいった。
そういうこともあるんだな、と思った。

帰りはナビのいうことを受け流して進んでいたが、さらに案内をしてくれるので、そのとおりにしてみたら、ものすごく狭い道に入ってしまった。あたりはもう真っ暗で、その道は一方通行で最高速度20キロの道だった。自転車の対向車が多かった。
どうなることかと思ったが、やがてバス通りにでることができてほっとした。夜は様子がわからないので、やはり怖い。

今日は10kmしか走らなかったけど、なにかしら勉強になることがあった。
駐車場はスーパーも自宅も一発で入れられた。
とにかく経験しかない。



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取り急ぎUP

2010-01-28 23:40:25 | 日記
今日は、久しぶりにテレビドラマを見ました。
8時からの刑事物(題名わからん)と10時からの「不毛地帯」。
寺脇なんとかという人、水谷豊主演「相棒」の相方役を降ろされちゃったかと思ったら、こっちで主役じゃないですか。なかなかよかったです。
そして、9時から田舎の母に電話して、10時からは唐沢主演の「不毛地帯」ですが、なんか一時代昔のドラマで、唐沢が実年齢よりもずっと上の役をやっていて、ちょっと変な感じでした。これから毎週見るかどうかはわからないけど、もしかしたら見るかもしれません。
それにしても、こういうのを見ていると、ブログを書く時間はないですね。

さて、今日はトヨタのことでも書こうと思っていたけど、けっこうパワーが必要なのでやめときます。
大量のリコールは仕方ないですね。アクセル部品に不具合があったからには、やはり安全第一でしょう。正しい決断だと思います。信用が失われるもなにも、もう仕方がないです。
それにしても、日本で作っている部品じゃなくて、アメリカ現地の部品メーカーが作っているものを使用していたというのが、変に納得できてしまう。
日本で作ってたらそんなことはないのだと思って、日本の車は大丈夫だとちょっと安心したりしてしまうのでした。
でも、やはり日本のトヨタにも影響してくるだろうし、やっぱり一大事ですね。ヨーロッパのほうも同じ部品が使われていて同様らしいし・・・。
私の車はダイハツだけど、ダイハツもトヨタグループだから、何か影響があるのかなと思います。
外国で作る場合は、トヨタ方式を徹底することもできず、また、車を大量に生産したことも、品質があまくなった原因のひとつだとか。同じ部品を多数の車種に使うので、ひとつの部品に不具合が起きると、多くの車種が同時に不良となってしまうようですね。
まあ、これを教訓として、これを乗り越え、とにかくトヨタには頑張ってもらいたいですね。

今日、仕事で読んでた文書にも不良品のことがあったんだけど、たとえばプラスチックなどを作るときも、複数の材料を調合するときに、その割合や混ぜ方(温度・時間・方法など)に間違いが起きると、その製品が粗悪なものになってしまうそうですが、見たところではわからないようです。
それで、そのまま気づかずにどんどん作り続けてしまうと、本当に大量の不良品が発生し、大変なことになってしまう。しかし、いちいち生産を止めて点検をしていると時間がかかりすぎて効率があがらないし、それも困るということです。
物を生産するということは、本当に大変な神経を使うことなんだな~と改めて思いました。

ちょっと駆け足ですが、そんなところです。

放送大学の試験が迫っていますが、なかなか勉強できずヤバイ状態。
困ったな~。
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ドキッとするとき

2010-01-28 02:28:12 | 日記
男性のどこに魅力を感じるか?なんていうアンケートが時々あるようです。
それとは関係ないけど、急にドキッとする場面てのがあります。
それが、男性の身長
高い!って思う時かな。

私は、特に身長の高い男性が好きなわけじゃありません。
それで、ウチの夫は小柄なんです。だから、いっしょに立っているときに見上げるということはありませんね。私よりも9センチくらいは高いんですが、このごろちょっと背中丸まっているし、私がヒールなんか履くとあんまり変わらない感じです。

それに対して、よその男性が何かの用事でそばに立ってたりして
何かやりとりするために向かい合ったり顔を見たりするときに
視線が上に向く
向こうは見下ろしている
あっ、この人 高いな
と思う。

どのくらい高いんだろう。
夫よりは10cmくらいは高いかなと。

このあいだ、用事である人と行動を共にしたのですが、
途中で、その人と私がトイレに行って来ました。
そのとき、「じゃあここで待ってますから」と言って
その人が、トイレから出てきて良く見えるような適当な場所で待ってたんです。
だいたい、女性のほうが時間がかかりますからね。

そして、私がトイレからでてきたら、
その人がこっちを向いて立っていました。
うわっ、男性が私を待っている と思ったら
なぜか、ドキッとしてしまいました。

そのときの姿。
あっ、身長が高いな、と思いました。

その人にも奥さんがいるようですが、
逆に私を見た時に、
あっ、妻より高いとか低いとか
やっぱり思うのかな~
と思ったしだいです。

お待たせしましたといって、その人のそばまで行き
並んで歩くと、やはり身長が高いことを感じました。
ちょっと緊張しました。

そう、たぶん日常、身長が高い人間というのが身近にいないので、
そういう人とたまに行動を共にすると
違和感のような魅力のような
未知なる感覚を持つんだと思います。

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紙だ~!

2010-01-27 20:19:04 | 日記
初詣のおみくじのこと、また思い出していたんですが、
「職は木か糸に縁あるもの良し」とのことでした。

わっ、わわわわわっ!!!
縁があった!!!

つまり、校正者の仕事ってのは、もう 紙、紙、紙 ですね。
いくら電子化が進んでいるとはいえ、結局「紙に印刷された書類」とのお付き合いです。

その紙の原料は「木」じゃないですか!

紙とは
「木材などの植物から取り出した繊維状の物質(パルプ)を水の中に分散させ、それを網や簾の上に均一な薄い層、いわゆるシート状を形成するように流出させ、からみ合わせてさらに脱水した後に乾燥したもの」
だそうです。
紙への道

繊維状というのは言ってみれば糸のようなもの。というか「紙」って字の中に「糸」があるし・・・。

ハハハ
この職業でいいってことですね。

それ以外にも、読書でもして知識を増やそうかな~
本も紙でできてる。
木が原料だもんね~。
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かぐや姫

2010-01-27 17:59:07 | 日記
富士山は、かぐや姫だよ。
あの光ってるのが富士山です。

今日は、うろこ雲もきれいでしたよ。
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金屏風

2010-01-27 17:54:48 | 日記


もう1枚、横形のものを載せてみます。
金屏風の前の富士ってかんじ。
そもそも、金屏風ってのは、
これを真似したんじゃないんでしょうか。

それに、よくホールの舞台にかかっている
“どんちょう”っていうの?
こんなデザインのありませんか?

富士山と太陽と雲の
共同作品だね。

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金富士

2010-01-27 17:47:02 | 日記

ダイアモンド富士ってものを見たいと思っていたのだが、
ちょうど夕暮れ時に帰宅すると・・・
まばゆい太陽が富士山の上に沈んでいくところだった。
うわっ、まぶしくて、これじゃ写真なんか撮れないよ、と思った。
それに、なんと
あれっ?
真上じゃないよ
右に寄ってるじゃん
ああ、真上は過ぎちゃっている。
つい、このあいだまで、富士山の少し左に沈んでいた太陽なのに、
今日はもう右にいっちゃった。
つまり、真上に沈んだのは昨日くらいだったのかな・・・
あああああ
今度はいつ真上に来るんだろうか?
次の冬かな。

沈むときには、あまりにもまばゆいので
沈んでから撮りました。
ダイヤモンドじゃないけど、“金”です。
“ゴールド富士”でした。

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時々変な鳥

2010-01-26 19:49:37 | 日記

以前住んでいた家のところには、「かっくう~、かっくう~」と鳴くカラスがいた。
カッコウ~ではない。
「か っ く う」のアクセントは「低 低 高 低」となる。
変なカラス。どうしてそんな、鳴き方になったんだろう。

その鳥がいたのもずいぶん前のことで、いつしかその声も聴かなくなった。

そうしたら、
今度引越してきた家で
「ばかあ~、ばかあ~」と鳴くカラスの声が聴こえた
バカ~バカ~  バカ~バカ~
と盛んに鳴き続けている。
なんで、「カア~」の前に「バ」をつけるんだよ。

なんかバカにされているみたいな気分だ。
この近辺に住んでいる人が、みんなそんな気分になってるんじゃないかな?

その鳥の声も、最近は聴かないけど、
どこにいったのかな?

元気にしてるのかな。

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夕方のつぶやき

2010-01-26 17:32:06 | 日記
昨日のアクセスは、訪問者数も閲覧数も増えなかったなあ。
日付が変わる前に記事を1個くらいしか書かなかったし、「職場のこと」なんていう、面白くもなんともないタイトルだからだろ~な~と思います。

じゃあ、なんか面白い題名をつけてやろーじゃないか、と思いますが、
なかなかおもいつかないね。
それに、題名ばっかり面白くても、内容がおもしろくなくちゃ詐欺でしょうよ。

このごろは、仕事から帰ってくると、すぐにパソコンを開く。
一種の中毒じゃないかな。
そして、車のことを書く。
これも一種の中毒。
ビョーキ。

食べ物のことはこのごろ書いてないけど、
三日坊主。

でも、ちゃんと作ってますよ。
この家に来てからは、とても料理が作りやすい構造なので、
立派なキッチンってわけじゃないけど、不自由なく料理ができます。

それで、あんまり外食をしなくなった。
買食=できたお惣菜を買うことも少なくなった。
レトルトカレーみたいなものを食べると、気持ちが悪くなるようになった。
とは言っても、クックドゥーとかはよく使っているけど、
なにかしら自分で手を加えたり、自然素材を使っていると思う。

以前に比べると、健康的で経済的だ。
便通もよくなった。
以前から便秘症だったわけじゃないけど、
私の場合、朝だの夜だのと時間がばらばらだった。
それは生まれてからずっとで、
朝、コーヒーを飲むと刺激されて出るってことはあったんだけど、
目を覚まして直ぐトイレにいくということはほとんどなかった。

ところが、この家は不思議だ。
目を覚ますと、何もたべていないのに、もよおすのである。
まぶたを開けたとたんに、腸が動き出すのだ。
それで、快便である。
ほんとうに不思議な家だ。

たしかに、この家は、人間の体にとって良い家に違いないと思う。
横になれば、ころっと熟睡してしまう。
朝、おきてカーテンを開けると富士山が見える。
仕事からまっすぐ帰ってくると、だいたい夕日を見る。
地球の回転を感じる。

たぶん、風水がいいと思う。

さて、夕飯を作ります。


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ひとつの通過

2010-01-25 23:17:24 | 運転・車・道路の事

このごろ、ほんとうに自動車学校の教習段階は通過したと感じる。
以前は、免許を取ったあともペーパードライバー教習を受けたり、路上で出くわす教習車に注目したりしていたものだが、このごろは自分自身、もうペーパードライバー教習を受ける必要性を全く感じないし、自動車学校の車を見ても、教えてもらっている生徒が羨ましいなどと思うこともない。だから、特に目もくれずに通過するようになった。
また、歩道橋からうらめしげに路上を走る車を眺めることもなくなった。
ついに、その段階は脱皮したんだと確信する。
それでもまだ未熟だから、まだまだ自分自身の自分自身による教習生活は続くが、とにかくホントに生徒の段階は卒業だ。

レンタカーを借りてやっていたら、未だにこんな状況にはなれなかったと思う。
やっぱり車を買ってよかった。

それと、今の私があるのは、多くの先生方のおかげであることはもちろんだが、ペーパードライバー教習の先生の言葉が心の支えや励ましになっていることが大きい。
免許を取らせるための教習とは違った状況で、運転のコツや楽しみを教えてくれた。
そんなことを心の糧にして、運転がんばっていけそうだ。

人と人の出会いは、単なる職務上の出会いであることも多く、それはその場かぎりのものだけれど、それでもなんて貴重な出会いなんだろう。
子どもを産んだときの助産婦さん。
ペインクリニックの先生。
アパートを探してくれた不動産屋さん。
運転を教えてくれた自動車学校の先生。
その人たちは、ただ自分の任務を全うしていただけなのかもしれないけど、特別に私の心に響くものがあった。
人生のうち、何年かに一度、そういう人に出会う。

その人たちと会えなくなるときは、私も1段階成長しているっていうこと。
世話にならずに、自分でやっていくときだ。
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