山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

3日目の残業

2008-07-31 23:56:30 | 日記
今日は1時間残業をした。まだまだ仕事は残っているが、夕飯を家族と外で食べる約束をしていたので、いいかげんなところで切り上げておいた。明日もまた戦いだ~。

家族と6時に待ち合わせていたのだが、5時40分ころ集合場所に着いたので、近くの本屋で時間をつぶした。
そこで、石田衣良というひとの「傷つきやすくなった世界で」というエッセイ集に目を留めた。ちょっと立ち読みすると、なかなか読みやすい文体だった。昼休みにご飯を食べに店に入ったときなど、待ち時間にでも読もうかと買ってみた。

立ち読みしたのは、その本の中の「残業大国ニッポン」というエッセイ。これは2006年5月に書かれたものらしい。
2年前も今も結局はたいして変わらないかな?
私は今まで、次のように思っていた。
日本が大国になったのは、人々が残業して高度成長したからであり、その当時こそ残業は必要不可欠なものだったが、その後の近年に至っては、世の中の多くの人が、残業に対して否定的な価値観をもつようになり、残業自体も減っているのではないか、と。
しかし、実際はそうではなく、相変らず休みなしで深夜まで働く人が多いようだ。

本屋には、「残業をしない有能な人間」「残業をしない賢い働き方」などについての本がいっぱい並んでいる。それは、「残業は無駄なことだ」「有能な人間は残業をしない」という意見が優勢のように思えるほどの量だが、そんな本がいっぱいあること自体、世の中が残業だらけであるということの裏返しなのだろう。

そういう自分も、パートの分際でありながら、このごろは残業に追われてしまっている。
なんで、残業をしなければならないかを考えると、どうにも効率化することができないチマチマとした作業であるからである。書類のミス探しなんてものは、全く内職の手作業みたいなもんで、機械化できるわけでもない。しかし、機械でできない以上は誰かがやらなきゃならない。

この間、テレビでバネを作っている会社が紹介されていたが、バネはオートメーションでできるものの、その製品の完成度を一つ一つ見て不良品を除外する仕事は人間の目でしかできないとのことだった。それが一番確実なんだそうだ。
それと同じことで、文書の誤字脱字、誤変換なんかはやはり人間が目を通すしかない。

それでも、どんなに時間がかかってもいいものならば、仕事をどんどん翌日に回していけばいいのだから、残業は必要がない。
「期限」というものがあるから、どうしても残業が必要になる。なぜ期限があるのか?
それはどうしようもない。もし、ある製品を夏に売りたければ、夏になるまでにその製品を作らなければならないから、そこから逆算して間に合わせなければならないわけだ。
そういうことで、取引会社や親会社や顧客から頼まれればそれに応えるしかない。もし応えられなければ、その仕事はキャンセルされ、もう2度と新しい仕事が来なくなり、閑古鳥が鳴いて収入がなくなり倒産してしまう。
だから、人間は時間に追われて走り続けなければならないのだ。

・手作業でしかできない。
・期限がある。
つまり以上の理由によって、残業が必要不可欠になっている。

社会保険庁だって期限内に不明年金を明らかにしなければならないから必死だろう。
北京だって、オリンピック開催日までにしなければならないことは何が何でもするだろう。
プログラマーをしている知人は、ある会社の合併のために、その合併のときまでにプログラムを完成させなければならず、連日連夜作業を続けているとのことだった。
期限があるのは苦しいが、期限がなければいつになったらできるかわからない。どんどんずれこんで行くだろう。

今、私の会社で抱えている仕事は、なぜか期限が8月1日、8月4日のものが多い。
8月1日は明日金曜日であり、4日は来週の月曜なので、やはり明日中にメドをつけておきたいという流れである。とにかくここを乗り切らなくてはいけない。

ところで、石田衣良の文によると、外国人はそんなに仕事ばかりしないで自由な時間を謳歌しているという。
そういえば、私の勤めている会社にも国際部のようなところがあり、そこは英語が堪能な人間が集まっているわけなのだが、必然的に帰国子女が集まっているようだ。
そこに翻訳など頼むと、「できません」とか「1週間かかります」などという答えが平然と返ってくるのだそうだ。
ちょっと頑張ってくれれば2~3日でできるだろうに・・・と思うようだが、それが全然ヤル気がないらしいのである。仕事に対して気力がないわけではないが、何が何でも2~3日でやってあげようという価値観がないらしい。
その辺の温度差をいつも感じるとぼやく社員がいる。
顧客は依頼先を変更するなどと脅してくるし、困ったことだ。
もし、変更したところで、どこでも日数がかかる状況なら問題がないが、日本の場合、絶対に頑張ってやってしまうところがあるから、うかうかできない。
どうしても時間の競争になってしまう。
世の中のみんなが、帰国子女みたいになってしまえばいいのかもしれない。

私の仕事はかなり立て込んできて、ただ頑張ればいいという段階を越えてきているように思う。何でも応えるというのは限界が来ている。
本当に必要なものと省けるものを考える必要があるかもしれない。
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残業

2008-07-31 01:02:30 | 日記
今日も残業を1時間半した。それでも仕事は3件残っている。明日締め切りが2件あり、もう1件は昨日からやっているものである。
ひとつのものをやっている途中で急ぎのものが入るので、中断して後回しにすることになる。期限までは余裕があるものでも、できるだけ引き受けた順に消化していかないとどんどん後回しになってしまう。

別の部署の別種の仕事も手伝っているが、昨日と今日は手をつける暇もない。なんとか明日はできるだろうか?1時間くらい割けばできることなのだが、その1時間がなかなかとれない。

本来は私の担当ではなく、今日休みの人が担当するはずの仕事を依頼に来る人がいた。担当が決まっているのでしょうか?と言われると、完全に分けているわけではないので、こちらでもやりますと答える。
しかし、本来の自分の担当分も消化しきれないのに、それ以外のものにまで手が回せるはずもない。だから、よほどの急ぎでないかぎり、欠席している人の机に置いておくことになる。だが、意外にこれがプレッシャーになる。
今までは部署が違っていたので、他人の仕事が山になっていく状態を見なくても済んだのだ。持ってくる人も、いない人のところに書類を置くのなら手がつけられないのはあたりまえと思うだろうが、いる人間に手渡したのに、結局やらないとなると不満に感じるのではないだろうか。

だから、自分の居場所は担当の部署の中にしてもらいたかったのだが、なぜか別の場所に設定された。所属だけ所属していて席がとんでもない別の部署にあるというのはどういうことなのだろうか?
逆に以前は、席が担当部署にあったので仕事はしやすかったが、組織上は別の部署に所属していた。そのため連絡事項などのメール配信が私だけ別ルートになるという不都合があった。
座席の位置を担当の部署の中におき、組織上の所属も一致させてもらいたいものだ。

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ブログ通信簿もちょっ飽きてきましたが、一応書いておきます。
この記事を書いた後のブログ通信簿は、「51歳 女性」。
ちょっとだけ若くなりましたが、まだ実年齢より上です。
営業職をめざせとのことです。

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疲れた~

2008-07-30 02:38:54 | 日記
今日は、残業1時間半。いつもはせいぜい1時間なので、久しぶりに長くやった。
正社員ならばこれで普通だろうが、普段6時間しか働いていないので、身にこたえる。
帰宅して夕飯を作り食べた後、テレビを見ていたら、大して面白い番組もやっていなくて、そのうち眠くなり寝てしまった。10時過ぎに寝たのかと思うが、起きたら1時を過ぎていた。
食べたものはそのままだし、それから食器を洗って風呂に入り、麦茶を作ったり米をセットしたりで、すでに2時半になろうとしている。

仕事は今日の午後になって急に忙しくなってきた。次の予測ができないからとにかく早め早めに回しておかないといけない。
配置換えがあって、同じ仕事をしている他の部署の人と一緒に働くようになった。会社のほうの意図としては、以前よりも担当を区別せず、お互いに仕事を分け合ったり助け合ったりしてやるようにすると便宜上良いということらしい。
確かにそれはそうなのだが、こうなると、ついつい相手をあてにしてしまったりする。
または、自分の手が空いているからと仕事を請け負ったところ、後で別の仕事が入ってきててんてこ舞いになったりする。
そのへんの調整が難しい。

まあ、今日は遅いのでこのくらいにしておこう。
明日は1人なので、これもまた頑張らなくてはならない。


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ブログ通信簿・・・ 女性 52歳 歴史家をめざせとのこと。

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エネルギー学の基礎

2008-07-28 23:56:01 | 日記
今日は帰宅すると誰もいなかった。
他人は不思議かもしれないのだが、私は夫の仕事日程を毎日把握していない。壁にはシフト表というものが貼ってあるのだが、ほとんど見ない。
帰宅してみて、朝在宅していた夫がいなくなっていると、そこで初めて「夜勤なのか」と思う。夫の仕事は昔から夜勤・日勤のあるシフト制だった。その動きに合わせて気を遣っているときっと疲れるに違いない。相手の日程には我関せずで、勝手に暮らしている。

夫がいないとなれば夕飯は手抜きでいい。
娘もどこにいったのか姿がない。バイトか友達と遊びに行ったに違いない。となれば、娘も夕飯はいらないようだ。娘の場合、どっちにしてもダイエットをしているので、夕飯はたいしたものを食べない。

そこで、夫の居ぬ間に放送大学の録画を見ようと思い立った。エネルギー学の基礎の最後の4回分くらいを見ていないのであった。近頃夫がいると野球中継ばかりだから、全然見たいものも見られないのだ。
DVDをまわしていると、ついついまた睡魔に襲われて眠ってしまった。ほとんど意識のないまま3本くらい再生していたが、再び目を覚まして見直した。

15回の放送のうち、前半はエネルギーそのものについての自然科学分野の勉強だったが、後半は趣を変えている。石油産出国のことや、世界のエネルギー問題、経済や国際関係などにも視野を広げていて、興味深い。ちょうど今、石油の値が上がりで大変なことになっているし、エネルギーや環境問題も深刻になってきている。これが普通の大学の講義だったら、今現在の状況についても解説しているはずだが、放送は2007年用に作られたものだから、内容は2006年までの状況しかない。しかし、それでも、石油の価格が上がることによって経済が悪化するという関連性の解説など、役に立つ情報が多かった。
この科目は単なる知識の習得ではなく、現実に関連して非常に有意義な内容だと思った。

今度の日曜が試験だけど、それまでまた放送を見たり、教科書を読んだりしてみよう!

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この記事の後のブログ通信簿は
男性 52歳でした。
昨日より3歳若くなったものの、相変らず実年齢よりも高いままです。
しかも、「男性」でした。
50代の男性にはなりたくないなあ・・・

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黄色ブドウ球菌!?

2008-07-28 22:56:31 | 日記
やばいことになっています。
何か、体のあっちこっちに炎症が起きているんですよ。
まあ、一つ一つは大したことはないんですが、やっぱり夏バテかな~と思います。
まず、目が先週末ころ、ものもらいになりました。
まばたきすると痛いなあと思っていました。目頭が痒いなあ~とも思っていました。
仕事中、メガネの内側に指を突っ込んで掻いたりしていました。
翌朝起きたら、目の下が赤くクマになっていました。あまり腫れてはいないのですが、目の周りの皮膚の柔らかい範囲に炎症が起こってるという感じでした。ものもらいっていうのは、上まぶたが腫れるものだと思っていたのですが、それだけではないのですね。麦粒腫とも言うらしいです。自宅にある目薬をつけていたらよくなってきました。
それと同時に口角炎みたいなのにもなってしまいました。これは、1日で治ったんですが、最近時々なります。口の端が切れて口をあけると切り裂かれるような痛みが走ります。
さらに、なんと股の足の付け根にも変なしこりが・・・。これは、ごくたまに起きたことがあります。とくに中学のころかな、体育のブルマーのゴムが食い込むのがきっかけのようでしたが、脂肪の塊みたいなのができて痛いです。別にゴムのきついものなんか履いてないのにそれがまたできました。結局、それは毛穴にバイキンが入ってできる腫れ物らしいです。そのバイキンというのが「黄色ブドウ球菌」ということです。毛穴が化膿して数日でしぼんでいきますが、それまでがちょっと痛いです。
今日、家庭の医学をぱらぱらと見ていたら、多発性のものとか、炎症がひどくなった場合とかいろいろ恐ろしい病気が載っていて怖くなってきました。
でも、病院に行かなくても大丈夫そうではあります。
だいたい、これらの炎症は同時に起こったものなのか、どこかを触った手で別のところを触ったから菌が移ったのか、よくわかりません。
でも、この「黄色ブドウ球菌」は食中毒の原因になる菌だそうで、要注意だそうです。
指などに傷のある人が調理なんかすると、集団食中毒になったりすることがあるようです。
指に傷がなくても、体のどこかにある炎症をさわって、この菌が手にでも残っていたらアブナイです。だから、生ものの料理はしばらくしないことにしました。作り置きもやめ、必ず火を通してから食べることにします。
自分が食中毒の原因になると思うと、おそろしいですね。
それにしても、ちゃんとお風呂に入っているのに、なんか不潔っぽいな~。
暑さで抵抗力が弱っているようです。職場の配置換えもストレスになっているかもしれません。
皆さんも、気をつけてね~。

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風鈴注意

2008-07-28 01:05:35 | 日記
夏の風物詩と言えば、風鈴ですね。
今日、街中で風鈴を見かけました。ちょうど人が歩く頭の上にいくつかの風鈴がぶら下がっていました。
それらの風鈴は、風が吹くとチリンチリンときれいな音がして、涼しげでいいものですね。
でも、ちょっと怖いこともあるんですよ。

何年か前、我が家で風鈴を窓際のカーテンレールにぶら下げていたんです。
うちは、公営住宅の3階ですが、その窓っていうのは、ベランダの無いほうの窓でした。
だから、窓の真下が地面です。ちょっと離れて道路もあります。

その風鈴は、もう何年も前に使っていたものをその後何年も使わずにしまってあり、それを久しぶりに出してきたものでした。ある日風の強い日に、チリンチリンさかんに鳴っていたかと思うと、カーンといって急に音が止まったんです。
何かと思ってみてみると、なんと、風鈴をぶら下げていた紐が切れて、風鈴本体が外に飛び、下に落ちたところでした。紐が老朽化していたようです。
カーンという音は、南部鉄の風鈴本体が落ちる時に、窓の外についている鉄格子にぶつかった音でした。

急いで下に行って風鈴を拾ってきましたが、もし下に人がいて、その人の頭にでも当たっていたら・・・と思うと恐ろしくてたまりません。
小さな風鈴でしたが、あんな鉄の塊が人を直撃したら怪我どころでは済まない可能性が高いです。

風鈴は北の窓の室内側にぶら下げてあったのですが、南側から強い風が吹き込んで北側に勢いよく抜けたので、家の内側から外に向って飛んでしまったのでした。

風の強い日は、こんなことも起こります。
高い場所にぶら下げるのは言語道断ですが、それほど高くないところでも、下を人が歩くような場所は要注意です。
万が一、子どもなどの頭にでも落ちたら大変です。とくに長年使っていて紐が古くなっているようなものは気をつけましょう。

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単位認定試験

2008-07-27 23:07:31 | 日記
今日は、放送大学の単位認定試験だった。
科目は「身近な統計」のみ。
この放送授業担当の渡辺美智子先生は、とてもわかりやすい講義で、最高である。
全く、満足だ。
にもかかわらず、怠けてばかりいて、最近になってなんとか溜まった放送を一通り再生してみたが、途中で熟睡してしまうことも多く、ちゃんと勉強していなかった。
そしてついに当日になってしまった。試験が夕方なので、それまでは時間がとれる。朝からまとめて復習すればなんとかなるだろうと思って教科書で復習し始めたが、今日も相変らずものすごく暑いので、全然集中できない。
昼過ぎに居間のほうに冷房を入れたので、その中で勉強をしようとしたのだが、夫がわきで野球中継を見ているから、これもまた集中し辛く、挙句の果てにまた昼寝をしてしまった。
もうどうでもいいや。とにかく受けに行ってみれば、どんな問題が出たかわかり、万が一単位を落としたときにも、次回の参考になる。
そんなつもりで試験を受けに出かけた。
夕方はちょっと雷が鳴って、にわか雨が降った。
すると、試験の帰りには、信じられないような涼しさになっていた。
こんな涼しさは、何日ぶりだろうか。
今夜は、快適だ~。

それにしても、ちゃんと勉強しておけばよかったな~といつもと全く同じ反省。
この科目はエクセルの表計算やグラフの練習のCDもついていて、しっかりやれば、かなり役に立つものである。
試験が終わったあとも活用して勉強したほうがいいな。

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この記事を書いたあと、ブログ通信簿を実施したところ、
なんと、また年齢が1つ上がってしまった。
55歳。
まさか、そのたびに年齢が上がっていくようになっているわけじゃないと
思うのだが・・・。
しかも、男性になってしまった。
学校生活の知識を活かし、芸能人を目指せとのこと。意味不明。

大学のことを書いたら少し若返るかと期待していたのだが、残念!

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インコ

2008-07-27 01:04:21 | 日記
このあいだ、道を歩いていたら緑色の鳥が1羽飛んでいた。
どう見てもインコなので、どこかの家から逃げてきてしまったのかと思い、心配になって目で追っていると、電線に止まった。
ふと見ると、そのそばの別の電線にも鳥が3羽とまっていたが、それらの鳥も全く同じ種類の鳥だった。
どうみても、鮮やかな緑色の南国にいるインコである。
飼っていたインコが逃げて野生化し、それが繁殖しているという話は聞いたことがあったが本当のようだ。
それにしても、インコが繁殖するためには、少なくとも、雄雌2羽のインコが逃げて出会わなくてはならないことになる。そんなことがあるのかな?
つがいで飼っていたのが夫婦で逃げて子孫を増やしたのかな?
あるいは、飼っていたインコではなく、温暖化のために南国のほうから移住してきたのだろうか?
どっちにしても、私が見たのは少なくとも4羽のインコの群れだった。
ひとりぼっちで生きていけるかと心配する必要はなくなったので、一安心だったが、この繁殖力にも驚きだ。
湖などに外来魚やザリガニなどが繁殖するのと同じで、生命力が強く、生態系を壊すこともありうるかもしれない。
思わず携帯のカメラで写してみたのだが、肉眼でははっきりと緑色に見えた鳥も画像になると遠くて小さくて、何の鳥か全くわからない。色も黒いだけである。
これを撮ったのは6月のある日だった。
こんな画像じゃしかたないなと思っていたが、今日はほかに話題もないし、せっかく写したので、載せておこう。

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追伸
この記事を書いた後、ブログ通信簿をやってみたところ、ブログ年齢が54歳になった以外は変化ありませんでした。
うう~っ、更に年齢が2歳上がるとは、この記事も年寄りくさい内容だったかな。

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ブログ通信簿

2008-07-26 00:30:07 | 日記
「ブログ通信簿」というのをやってみた。
ブログ年齢52歳。
ムムッ、実年齢より高い。内容がフケてるってことかな。

主張度 2
気楽度 3
マメ度 5
影響度 3

こうやってみると、このブログで評価できるのはマメに書いているっていうだけのことだけど、それも図書委員タイプで、特におもしろくもなんともないものだ。
内容に工夫を!というところだろうか。
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またまたひと悶着

2008-07-24 21:43:59 | 日記
最近、我が家のトイレが異常な音を発するようになっていた。
それは、水道管がうなるのである。
使用後に水洗を流すと、ブォ~~~~~~~~という大きな音。
ときには、ガガガガガガ~~~~みたいな音もする。
それは、しばらく続き、そのうちにとまる。
そして、隣のお風呂場の水道管までが、なにやらブルブルブルブル~~~と振動している。
音は日ごとに大きくなり、夜遅くトイレに入るとその後しばらくの間、近所迷惑なくらい響き渡るようになっていた。
それで、ついに修理を頼んだ。
公営住宅だから、住宅供給公社の修理窓口に依頼する。
夫が電話したところ、受付の人が、「何かつまってるんじゃないですか?」と答えたそうだ。「いいえ詰まりではなく、水道管が鳴っているのです」と言っても、どうにも理解してくれなかったらしい。「ビニールなんかが詰まっているとそういう音が鳴ることもあります」などという返答だそうだ。
「だから、便器が詰まってるんじゃなくて、便器はちゃんと流れてるんです。水道管が振動して鳴ってるんですよ」と言っても、「水は流れても異物がつまっていると音が鳴ることがあります」などと言っているらしい。
「だから、便器の詰まりじゃないと言ってるでしょう。とにかく業者の方に来てもらいたい」
「詰まりの場合は、個人負担で有料になりますがよろしいですね」
「だから、詰まりじゃないので、業者の方がきてくださればわかります。とにかく見てもらわないとだめです」
「見るだけというのはできません。有料になりますがよろしいですか?」
「だから、詰まりじゃないんです。とにかく見てもらわないとわからないでしょう。どうして詰まりだとか、有料だとかと、きめつけるんですか!」
夫はついに切れたらしい。
そして、業者の方が来て見てくれたところ、やはり水道管が老朽化して振動し、音が鳴っていたのであり、個人負担の範疇ではなかった。「これではうるさくて夜トイレに入れませんね」などと言っていたそうである。
それで、タンクの中の水道管を新しいものに交換してもらい、めでたく騒音からは解放されたし、手を洗うところの水の出もよくなった。

全くもう、修理を依頼するのも大変なことだ。
これは夫から聞いたことを想像によって再現したので、会話の詳細は事実とは違うのかもしれないが、ざっとこんな風だったそうだ。

公社では、できるだけ修理費をかけないようにしている。節約したいのはわかるが、詰まりでないと言っているにもかかわらず、けっしてそれを理解しようとせず、何がなんでも詰まりにしてしまおうとするかのような受付には、もう疲れ倍増、ストレス最大である。


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ペットボトル回収容器のその後

2008-07-24 01:18:55 | 日記
先週清掃事務所からもらってきたペットボトル回収容器をいよいよ使う日がやってきました。それで、いっぱい溜まったペットボトルを入れて出しておきました。同じ回収場所を使う人にも伝え、他の人も利用してくれました。

ところが、今日帰宅すると、同じ回収場所の人から聞いた話なのですが、回収作業の人が、「団地内に一箇所だけこの回収容器を使っていると紛らわしい」と言っていたのだそうです。
なんでも、回収に来た若い人が、うちのところの回収容器からペットボトルを回収したあと、他の回収場所を見渡してペットボトル専用回収容器がないので、他はペットボトルはないのだと思って、そのまま行ってしまったそうです。
しかし、ベテランの人が念のために後から他の置き場も確認してみたところ、レジ袋などに入れて出されてるペットボトルが何袋かみつかったようでした。
だから、置くなら置くで、全部置くようにしてもらいたいという風な口調だったらしいです。

それで、近所の人が私に言う話では、他の場所にも置くようにしたらどうかしらということでした。
確かにもらうときに、他の場所の分はどうしようかとも思ったのですが、6個も容器を自転車で運んでくるのは無理だし、それぞれのゴミ置き場の意向なども聞いてみなければわかりません。出したら片付けなくてはならないものなので、そんなものいらないというところもあるかもしれないのです。
そのような事情を話したところ、山本さんが持ってくるのは大変だろうから、それぞれの置き場所の役員さんに話して取り寄せるようにしてもらったらどうかということでした。

う~ん、それもどうでしょうか?
こっちから、取り寄せてくださいとか回収容器を使ってください、と言うってのはどうなんでしょう。そんなこと、その回収場所の人が決めればいいことであって、もしその容器がほしいなあと思ったらもらえばいいんじゃないでしょうか?
何か、本当に面倒くさいです。

だいたい、「1箇所だけおいてあると紛らわしい」というのはどうなんでしょうか?
回収作業をする人の怠慢じゃないですか。そもそも回収場所はそれぞれ別の人たちが出す場所なんだから、すべてを見てまわるのが義務だと思います。ペットボトル回収容器があるゴミ置き場でも、レジ袋で出しているものを見かけることは多々あります。
団地の入り口から奥を見渡して、「無いようだ」などと決め付けるのは仕事の手抜きです。

そして、団地の住民も、一箇所の人たちがペットボトル回収容器を使っているために、他の場所の回収をしてもらえなかったから、その容器を使っている人が悪いんだ、そんなことをするならみんなの分ももらってくればいいのに・・・などと考えるのも、方向違いだと思います。

持っていかなかったのなら、それは清掃事務所の人に文句を言うべきことでしょう。その上で、やはりあったほうがいいと思うなら、自分たちで手続きをしてもらってくればいいでしょう。

以前の会長さんが、何かのごみ容器だかネットだかを全箇所のためにもらってきたところ、当番さんたちが「いらない」などと言って返品したこともあったようです。
もらえばもらったでそんなことになるし、もらわなければもらわないでいろいろ言うし、
本当に何をやってもいろんなことが起こって疲れます。

何かをして文句を言われるよりは、なまじ何もしないほうがいいという結論に至っています。ペットボトル回収容器は各置き場で勝手にしろという考えに変わりはありません。


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今日の昼ご飯

2008-07-24 00:24:24 | 日記
きょうはガストに行ってみた。ガストは他のファミレスよりも店の大きさが小さいようだ。そして、値段も全体に100円くらい安いように思う。
そのせいか混んでいて、人が並んでいた。それでも、回転が速そうだったので名前を記入し禁煙席希望に丸をして待っていると、程なく順番が来た。
ところが、なぜか、私の後で来た人が先に名前を呼ばれた。店員さんは、その人に向かって「ただいま喫煙席が満席で禁煙席しかございませんがよろしいですか?」と聞いた。その人がいいですというと、私に向って「順番が変わりますが、禁煙席のお客様を先にさせていただきますが、よろしいですか」と聞いてきた。
???
「私、禁煙なんですが、そう書いてありませんでしたか?」と聞くと、少々お待ちくださいませと言って確かめに行き、失礼しました、どうぞ、と2人一緒に各テーブルに案内された。
???
やっぱり不思議ですよね。
私が先でもし喫煙席を希望していたとしたら、禁煙でもいいかと確かめて先に案内するはずだし、順番を間違えていたのなら、禁煙席のお客様を先にさせていただいてよろしいかと聞くはずはありません。私の順番が先だということはわかっているわけです。
何をどう間違ったのかわかりませんが、何か、忙しくて頭がこんがらがっちゃったんでしょう。

今日の日替わりランチは和風の豆腐ハンバーグでした。安いけどまずくはなかったです。洋風のほうもありましたが、カロリーが高そうなので和風にしました。
ある友人によると、ガストはまずくて食べられないから絶対に入らないなどと言っていました。高級な口の人はそうなのかな~。そんなことを聞くと、やっぱりおいしくないのかな、安い食材使っているんだろうな~などと思ってしまいます。
ガストは2人がけのテーブルが多くて、会社員風で1人で食べている人が多かったです。
やはり600円程度で定食が食べられるってのは、サラリーマンにとっては貴重です。
また、オムライスも700円台で食べられることを知りました。
安いから混んでいるんでしょうね。このあいだ行ったデニーズはおいしかったけどちょっと高いです。あと行ってないのはロイヤルホストかな。
やっぱり、ガストよりサイゼリアがいいかな、などと思います。
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ジェロの服装

2008-07-22 23:59:44 | 日記
見た目はアメリカの黒人であって、中身は日本人の血も引く演歌歌手ジェロについて、私は総合的に好感を持っている。
歌も上手だし、礼儀正しく、悪いところは何もない。学歴も職歴もあり、演歌歌手にならなくても、その道で能力を活用し生きていくことも充分できる人だ。
それでいて、演歌を愛し、演歌歌手として歩み始めた。
充分個性もあり、実力もある人だと思うので、売れてくれたらいいと思っている。
ジェロが演歌を歌うことについてはなんら違和感はない。

じゃあ、何が違和感かというと、あの「服装」である。
どうして、あんなラフな少年の普段着のような格好をしているのだろうか?
あの斜めにかぶった帽子を見るたびに、何か心にしっくりと来ないものを感じるのだ。
普通演歌歌手が演歌を歌うときは、だいたい正装に近い。
女性の場合は着物かドレスが多い。男性も着物・時には袴、洋装ならスーツである。
けっしてGパンとTシャツなどでは歌わない。
歌の内容からしても、あの服装は合わないのではないだろうか。

しかし、異文化というものを考えた時に、「日本の演歌歌手と同じ格好をしろというのはおかしいし、そういう服装をしないから歌もだめだとはいえないだろう。あれがジェロの文化であり、個性なのなら、あの服装でいいのだと思わなければならない。」と思うようにしていた。

だが、ちょっと待てよ・・・。
ジェロ自身、あの格好は自然なんだろうか?
有名大学を出たエリートで、コンピューターの仕事もしていたというその人が、普段そんな格好をしているんだろうか。1981年生まれと言えば27歳である。その年の人が遊び着みたいな格好をしていますか?休日はしているにしても公の前にでるときにそんな格好をするのが普通ですか?NHKののど自慢ではなく、ステージ衣装があれで本当にいいと本人が思っているのでしょうか?

だから、ジェロがどんなに礼儀正しくお辞儀をしても、あの格好ではどこか違うんだと思う。ジェロが正装して歌ったら、きっともっと売れるんじゃないかと私は思うし、私はきちんとした服装で歌ってもらいたいと思う。そういう姿を見てみたい。

実際、あの服装でもヒットしているのかもしれないが、演歌の好きな実家の母の口からジェロがいいとかいう話は聞いたことがない。年寄りにはなおさらあの服装は違和感なのかなとも思う。

この間、朝のフジテレビの朝の番組で盆踊りの歌を歌っていた。朝のフジテレビではジェロが何度か出ていると思うが、改めて聴いていてうまいなあと思った。盆踊りの歌だったらあの服装でも違和感はなかった。
あの服装を変える気がないのなら、この夏、あの盆踊りの歌がヒットすればいいですね。


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キムタク効果

2008-07-22 00:29:02 | 日記
一応書いておこう。
このブログの訪問者数が7月20日、334という、ブログ開設以来ここでの最高記録を出した。
閲覧数は585であり、前日の1004よりは少なかったが・・・。
これはどう考えても「木村拓哉」と「石川遼」の名前が記入されていたからだろう。
今回は、名前だけではなく、内容もこの2人のことを書いたので、検索して訪問してきた方にも迷惑はかけていないはずだ。

有名人の名前効果というのはすごいものだな~。

しかしながら、なるべく、有名人の名前なしで訪問者数を上げたいものですね。
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昼夢

2008-07-21 18:57:56 | 日記

白日夢というのは、眠っていて見るものではなく、起きていて見る幻想のようなものらしい。じゃあ、昼寝をしていて見る夢はなんだろうか?白昼夢か?と思ったら、白昼夢は白日夢と同じ意味だった。つまり「白」はいらないってことか・・・。
ということで、「昼ゆめ」です。

スーパーで品だしをしている私は、その朝、人手が足りないから別の売り場を手伝うように言われて、そこをやってた。そこは、お菓子やパンの売場だった。
そういえば、以前はパン売り場を担当してたんだよね、と顔見知りの同僚に言いながら、品出しをした。インスタントラーメンなんかもあったが、どの商品をどこに並べるのか、慣れない場所なので探すのが大変だった。でも、いろんな商品があって楽しかった。
ある人が、チョコとレートの包みをはがして、中身を私に食べさせながら、このチョコレート品切れだから発注しておいてね、と言った。おいしいチョコレートだ。いっぱい仕入れておこうと思ったが、中身はわかっても商品名がわからないと注文できない。これは、この人の魂胆だな、と思いつつ、その人の手元を見てチョコレートのパッケージをすばやく確認した。
仕事の手順はどうだったっけ、品だしをして、それから発注しないといけないな、と記憶をたどった。
そして、ふと、あれっ、いつもやっているあっちの担当は今日は誰がやってるのかな?と思った。牛乳とかそっちの部門はいつもわたしがやってるが、今日はだれともなくこっちをやるようにと言われたのでこっちを手伝いにきたのだった。いったい誰がこっちをやるように言ってきたのか、なんかよくわからなかった。そして、元々のところは誰がやるという説明も受けていない。もしかして、あっちは担当がいないのでは・・・。
となると、この時間だと、もうすでに品出しを終えて発注をしていなければならないが、これではもう間に合わないかもしれない。どうなっているんだろう・・・。
そして、こっちにはやたらとぞろぞろ働く人が有り余っていた。
そもそも、こういうことは店長から命令があるべきではないだろうか。でも、店長からは命令がなかった。店長に確かめにいこう。
店長のところに向おうとしていると、遠くから手招きする同僚がいた。店長の指図を受けずに自分たちでやっていきましょうと言っている。これからやることがあるからここに立ってちょうだいなどと言っている。
私はそれを振り切り、店長に聞くことがあるからと言って、店長のいるほうに向った。
店長に聞けばわかる。早く判明させたい・・・。
そう思ってあせっているところで、目が覚めた。
後で考えると、ずいぶんと現実的な夢だが、かなりのトラウマである。
結局、スーパーで働いていたときの同僚は、私にとってはこういう感じの存在だったのかな~と思うとさびしいばかりだ。
実際には、こんなひどい人たちではなかったはずだが、この夢ではずいぶんと強調されているようである。

スーパーの仕事の夢を見ることはほとんどなかった。スーパーの仕事は嫌いではない。夢の中でも、「私はできる、まかしといて」という心持ちだった。

目をさましてから、今の仕事を考えた。今の仕事は本当に楽しいのだろうか?
この仕事をやめたら、転職しなければならないけど、また、スーパーで働くこともあるのだろうか。おばさんにできることはスーパーの仕事くらいかな?と思う。

思えば、スーパーの仕事は時間との戦いだった。
もう一回やるとすると、やっぱり覚悟が必要だな。
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