山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

転記されてる

2008-04-30 07:47:38 | 未分類過去
ブログに書いた記事で、ちょっと関係者に読まれたらまずいかな、と思って削除したり非公開にしたりしているものがあるのだが、先日、ある語句をキーワードにして検索したところ、その中のひとつのホームページ(ブログ?)に、私が自分のブログに書いた記事がいくつも掲載されていて驚いた。
一部の引用ではなく、全部が転記されているのだ。あるテーマに基づいて書かれた様々な人の記事を全部まとめて載せているらしいのだ。元の記載場所である私のブログの題名やアドレスなども記載されてはいるものの、全文を載せるとは著作権法違反ではないだろうか。
アドレスを貼り付けるのは著作権法でも認められていることである。そこで、アドレスから元記事を開いた時に、元記事は著者の意思で非公開か削除などがされているわけである。
ところが、全文を転記して掲載したのでは、著者の意思は関係ない。いくら一度は公開されたものとはいえ、ずいぶん勝手なことをしてくれたものだ。
(ちなみに一部を引用しながら、意見などを書くことは認められていることである。)
自分で記事を書く事なく、人の記事を寄せ集めて読者にサービスするというのは、いかがなものであろうか。
多くの人の記事を掲載し、閲覧数を増やし、アフェリエイトかなんかで儲けているとしたら、けしからん話だ。しかし、私が金銭的な損害を受けたわけではないので、訴えるほどのことでもないとは思うわけだが・・・、とにかく、記事を書くときは要注意である。
一旦公開されたものはどこに転記されたりしているかもわからないので、変な記事は書かないようにしよう。

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しごとしごとしごと

2008-04-29 22:10:18 | 未分類過去
何だか、飛び石連休で、1日休みだと思ったら、
解放的な気分になってしまって、
そのまま仕事モードに戻るのが大変な気分である。

休みは今日1日だけなんだよ~
明日から3日間、いつもどおりの仕事を続けなきゃいけないんだ。

でも、たぶん、“ヒマ”ではないかな~
“ひま”だと期待してるんですよ~

社員さんも休みを取ってる人が多いし、
関連会社も休みのところが多いですから。

だから、適当に仕事をして、定時に帰りたいな~

なんか、気が抜けちゃってるよね。

とりあえず、朝起きて会社に行けば、それなりの仕事モードになるかな
と思います。
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成人式の振袖

2008-04-29 21:15:00 | 未分類過去
なんで、こんな季節に成人式のことを書くかというと、もう、すでに成人式の準備をしなくちゃいけない時分になっているんだ。
次女の友人たちも既に着物を買ったりしたそうである。
それで、長女が振袖を買ったお店から案内が来たので、行ってみる事にした。
長女はたまたま買ったのだが、もともとはレンタルのお店である。ちなみに、長女と次女は身長が10cmくらい違うので、長女の着物を着ることはできない。また、雰囲気も違うので似合う着物も違う。

次女の場合、美容師の学校で着付けを習っていて、下着や着付け小物などは全部持っているので、中古の振袖と帯を買うのが安く済むかな~と思っていた。
でも、ちょっと見て歩いたのだが、中古は確かに安いものの、枚数が少ない中から選ぶので、なかなか気に入ったきものが見つからない。いろいろな店を歩いたり、何度も足を運ぶのも面倒である。

それで、結局レンタルで、着付け・髪結い・写真などすべてセットになっているのにした。
値段は着物自体は13万円台だったが、その他もろもろで16万円台になった。
わあ~、写真の前撮りと式当日に振袖を着るだけで、こんな金額か~とため息がでる。
私の1か月半の給料分だ。

たくさんある振袖の中から、これはと思うものをみつけるのは、ほんとうに大変だ。
どれもそれぞれに良さがあるが、一生に一回の成人式に、どんな着物を着るかと考えるともうわけがわからなくなってくる。やっときものと帯が決まったところで、半襟だの帯あげだのの色でもまた雰囲気が違ってきて、とにかく最初から最後まで悩み続けた。
それで、やっとめでたく一揃いの振袖を決定した。

私は、なにかとお金を使うことにためらいを感じる性分である。次女の場合は、美容師の卵ということで、仲間内で着付けをするとか、学校から着物を借りるとか、いろいろ方法はあるらしい。それも勉強になりそうである。
でも、一方、プロに任せて、プロがどのように接客したり、着付けやセットをこなしていくかというのを体験するのも意味があるのではないかと思った。

今日もレンタル着物の店で、店員さんがいろいろな着物を着せてくれ、仮に帯を結んでくれたりすることに接して、それもいい体験だったのではないかと思ったしだいだ。

振袖って、やっぱり華やかで豪華なものだな~
それに、こうやって試着したり着付けしたりするのにも、時間も手間もかかるから、すごいお金がかかるってことだ。
内訳を見ると、写真撮りと当日の2回の着付けと髪のセットで2万何千円かかかるということになっている。
やっぱり、こういうことは、人の手の技だから高いんだな~
お客の身になると高いと感じるが、うちの子にしてみれば、将来それを職業にしたときのことを考えると、高いお金が取れるのは悪いことではないということになるわけだ。

なんだか、何を書いているのか、支離滅裂になってきたけど、
とにかく、成人式の振袖が決定してよかったってことです。

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「放送大学エキスパート」について

2008-04-29 10:02:41 | 放送大学
「科目群履修認証制度」のことを、そう言うようです。
今日、いよいよ「芸術系博物館プラン」の申請を送ろうと準備したところです。

ところで、改めてエキスパートの手続きガイドを読んでみると、「合計20単位、つまり10科目」とれば、各認証状が取れるということでした。そして、1年後に取るとすれば、1年で10科目取れば取れる、つまり半年に5科目づつ取れば取れるってことです。
ええ~っ、そんなに短期間で取れるのか!
そうか、その気になれば、取れるんだ!とびっくりしました。

何と言っても、私の場合、7年間かかってやっと「芸術系博物館プラン」に必要な単位を取ったからです。まあ、エキスパートの制度ができたのは最近のことだし、それに関係ない単位を取っていたからなんですが、エキスパートのことだけを目標にして取れば、もっと近道なんだということがわかりました。
1年では無理だとしても、2年あればできそうな感じですね。

意外に、簡単に取れると思ったところで、そういえば「歴史系博物館プラン」も「博物館」ということで、重なる単位が多いから、取れるんじゃないか?と思いました。
調べてみると、あと6単位、つまり3科目とれば取得できることがわかりました。

ただし、あまり古い単位はだめで、有効な単位は、その科目の開講年度から8年間までのものが有効で、それを超えると無効になるとのことです。
となるとですよ、私の場合「ヨーロッパの歴史(01)」ってのを取っていて、それが、今年いっぱいで切れちゃうんじゃないですかね。
それを生かすなら、今年中に歴史系博物館関係の科目を3科目とって、早く認証状をもらってしまわないといけません。
歴史は苦手な科目だから、「ヨーロッパの歴史」も私にとっては奇跡的に取れた単位のようなモンでした。だから、それとは別に新に歴史の単位をたくさんとるのは私にとっては難しいことなんです。せっかく取った「ヨーロッパの歴史」を無効にしたくはいなあ~

それに、そうこうするうちに、他の取得単位もどんどん古くなって無効になってしまいますし、取るなら今のうちだなと思うわけでした。

いやあ、でも、「放送大学エキスパート」って面白いですね。
これを取ることに、はまっちゃうかもしれません。
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認証状申し込み

2008-04-29 00:44:06 | 放送大学
この前、放送大学に問い合わせて、私の取得単位で「芸術系博物館プラン」の認証状がとれるかどうか調べてもらったら、OKということでした。

それで、いよいよ申し込もうと思っていたのですが、平日の毎日が仕事なので、料金を払うのになかなか時間がとれませんでした。
認証状は、認証状そのものが1000円、それには証明書が1通ついているそうです。証明書をもう1通つけると200円の加算になります。

料金の支払い方法は、銀行振り込みか、郵便定額小為替か、現金書留となります。
どの方法がいいかな~と思ったのですが、「郵便定額小為替」の手数料が安いようなので、今日、昼休みに郵便局に行ってきました。

そうしたら、なんか、すごく混んでいるんです。ATMにも長い行列ができていましたが、窓口も10人くらいの待ち状況でした。
昼ごはんを食べて12時30分には郵便局につきましたが、なかなか順番が回ってきません。間に合わなかったらやめて後日来るしかないかな、と思っていたのですが、なんとか50分頃には終わりました。

私が、小為替の申込書を提出すると、窓口のおにいさんが、ものすごい速さで処理をして、為替を渡してくれました。
そんなに急がなくてもいいのに、と思うくらいです。どうやら、私が会社のカードを首から下げていたので、昼休み中に会社に戻らなくちゃいけない人だって思ってくれたようでした。
為替は1000円で100円、200円で100円の料金がかかり、1200円の為替のために200円かかりました。200円の為替に100円の手数料というのも高いなあと思いますが、銀行振り込みや現金書留よりは安いんでしょうか?

ま、とにかく、昼やすみ中に事が済んでよかったです。

今日、混んでいたのは、月末が近く、ゴールデンウィーク前だったからのようです。

認証状早く届くといいな。
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放送大学のとき

2008-04-29 00:18:10 | 放送大学
このごろ、なんとしても、自然科学系の知識をなんとか身に付けたいな~と切実に感じています。
会社では、私はやっぱり「文系のおばさん」っていうイメージだと思うのです。
パートタイマーの中には理数系の大学を出ている女性やおばさんもいるんです。それで、ちょっと化学式に関わる作業があって、社員さんたちがてんてこまいしてた時に、「パートのAさんとBさんは、理系の大学出てるそうですよ~、Aさんは専攻が化学だし、Bさんは物理が専攻だけど本当は化学のほうが得意だったんですって~」などと言ってみました。そうしたら、「ええ~っ、そうなの?いいこと聞いたよ」ってことで、さっそくその1人に白羽の矢が当たったしだいです。
社員さんたちは日頃文系の私を見ているので、パートタイマーはみんなそんなもんだと思っているのかもしれません。ところがどっこい、すごい人が多いんですよね。今は主婦でも昔はバリバリに働いていた人や、若くしてパートタイマーやってても、ちょうど就職の氷河期で不運にも正社員になりそこなってしまった人で、ちゃんとした大学を出ている人とか多いんです。そういう人材を有効に使わなきゃもったいないだろ、と思うわけです。
それで、それは良い結果となっただろうと思うわけですが、一方で、私に理系の知識があったらよかったのにな~と、役に立てない自分がくやしくもあるわけです。

一応、放送大学の自然の理解コースをやってるけど、そう一朝一夕に知識が身につくわけではありません。それに、さぼってるからなあ・・・

そこで、今度こそ本気でやらなくては、と思いました。

と、思っている矢先、今日は放送大学の提出課題が届いていました。
放送授業は録画したものを少しずつ見ているのですが、なかなか頭に入らなくて困っています。でも、「身近な統計」はエクセルで表やグラフを作るCDがついていて、それをやってみると、単に放送を見たり、教科書を読んだりしているのとは違い、実際にやったと言う手ごたえがあります。

今期こそは3科目ちゃんと単位を取りたいです。
そして、なるべく早く「環境科学プラン」の認証状を取りたいな~と思っています。
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人間関係のバロメータ

2008-04-27 02:25:49 | 未分類過去
人が自分に親しみをもっているかそうではないかということは、だいたい感じ取れるものである。
視界に入りながら、気付かぬふりをして通り過ぎたら、それはあまり親しみをもたれていないということである。
すれ違いに、最低限の挨拶をして視線も合わせずに通りすぎるとしたら、それはあまりかかわりを持ちたくないという意思の現われであろう。
だいたい、親しくしている人間ならば、相手の存在に気がついた時点で必ず近寄ってきて何か言葉を交わすのが普通である。
だから、そのようなことで、人の自分に対する意識というものが感じとれるわけである。

会社に勤めて3年たつと、以前とはずいぶんと変わってきたなと思う。
書類を持ってきた時に、社員さんが私に向って「山本さ~ん、これおねがいします」などという。
この○○さん、という声かけはひとつのミソである。だいたい、親しくない人に向かって個人名で声をかけることはしないものだ。親しくない人間には「すみません、~」とか、「失礼します」などと言ってとっかかるのが普通である。
これを逆に使うならば、あまり親しくない人にもわざと名前をつけて呼びかけると、相手の緊張がほぐれたりするし、自分自身もそのことによって相手に対する親近感を増す効果がある。

このごろ、私に仕事を持ってくる人は、「忙しいですか~」「今どんな感じです?」などと余計なことを聞く。「長さは短いです」「内容は易しいです」「ちょっと面倒くさい書類ですが~」「今日中って言ったら、殴りますか?」「このあいだのと似てるんですけど・・・」などといろんなコメントをつけながら依頼してくる。そういうどうでもいいことをつけ沿えるのはかなり仲間的な存在に昇格したもんだと思うようになった。

残業をして帰るときに、廊下ですれ違い「あれ、遅いですね」などと声をかけてくてる社員の人も多くなった。

そういうふうになってきたのは、やはり飲み会などに参加し、雑談などをするうちに気心が知れてきたからだとも思うのだった。また、日ごろ、こちらからも相手にどうでもいいことを声かけしたり、思っていることを言葉にするようにもしているのが、効を奏してきているのかもしれない。

うるさいオバサンだな、そんなのどうでもいいじゃん、と思われるかもしれないが、「あれっ髪型変えました?」「いつも来るのが早いですね」などと声をかけるようにしている。

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慣れるということ

2008-04-27 01:42:30 | 未分類過去
職場に新しい上司や新しい社員の人がやってくると、その人が現れるたびに緊張するということがある。
仕事中、見慣れない上司が顔を出すたびに、来なくてもいいのになあ、などと歓迎しない気分になったりするものだ。

以前、スーパーに勤めていたときは、新しい店長になったときに、そんな気がしたが、不思議なもので、慣れてくると、新しい店長がいるのが普通になり、むしろ店長がいると安心したり、嬉しく思ったりするものだった。
その人の存在を敬遠するか親愛するかということは全く反対のことのようだが、敬遠から親愛へ変化する過程は、意外にもふとしたことで、それが連続していたりするから不思議だ。昨日敬遠していたものが翌日には親愛の情を抱いていたりするわけだ。

慣れない人間に何か言葉を掛けてみると、この人は何者?何でそんなこと聞くの?などと何かぎこちない反応があり、警戒心のうちに返答が戻ってくることなどがある。逆に向こうから声をかけられたりしても同様のことが言える。
しかし、それが2度3度あると、警戒心もなくなり親しみが湧いてくる。

職場に新しく入ってきた人が、今までみんながしているのとは違う動作で仕事を推し進めていたりすると、違和感があることもある。どうして、そういう声の大きさで、そういう言葉で声をかけるのか、などという細かいことにも違和感を覚える人がいるようである。

しかし、不思議にも何日かすると、そのひとはそういう声で話をする人なのだということが自然に受け入れられてきて、そういう声で声をかけられることがなんともなくなり、そのうちに、そういう声で声をかけるやり方も悪くはないと思えて来て、そのうちその人の声が聞こえないと何か物足りないという風にさえ感じるようになってくる。
聴きなれず違和感をもった声が、慣れ親しんだ声に変化してしまうのである。

それで、今まで顔を見ても挨拶をしてもぎこちなかったような人同士が、いつの間にか気心の知れた人としてお互いに親愛の情を抱いていることを認識する。



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きっかけ

2008-04-26 19:54:48 | 未分類過去
このあいだ、職場の飲み会があって、ちょっと気になっていた人のそばの席に座ることがあった。
若者ではないので、「気になる」とは言っても、恋愛感情とかではないが、普段仕事をしているときに、この人感じいいなあ~、この人の仕事振りは尊敬できるな~と思うようなことがあるのだ。だから、飲み会などのときに近くの席になるようなきっかけがあれば、いろいろ話をしてみたいと思っていたのだが、今まではそういう機会がなかった。

たとえば、若者などの場合は、飲み会なんかの席で、なにげなく気なる異性のそばに座ろうとか意図することもあるのだろう。自分の意思でどうこうするわけではなくとも、偶然にもそうなるといいなあ、などと願うこともあるのかもしれない。
今回の私はそういうところまでも思ってはいなかったのだが、運良く、そんなチャンスが現われたのだった。

会社では、ある種の人間たちがなんとなく同じ行動パターンを示している。飲み会には絶対に参加しない人たち、一次会には参加するが2次会には行かない人たち、2次会にも必ず参加し夜遅くまで飲み続ける人たち、タバコを吸いながら酒に浸る人たち、酒を飲んで議論をぶちかまし喧嘩ごしになるひとたち、毎度のことのようにいつのまにか若い女性の隣に位置を変えセクハラもどきのことをしかねない人たち、などがいる。

今までは、なぜか「あくどい」部類に入る飲み方をする人たちのそばの席になることが多かった。しかし、先日の場合は、日頃いいなあと思っている人、きれいに酒を飲む人たちのそばに座ることができた。
たばこは吸わない、酒はほどほどに飲み、1次会に参加し2次会には参加しない部類だ。その人たちは、いつも遠くのほうにいて、どういう話をしているのかもよくわからなかったので、自分からその中に入っていっていいものかな~と思ったのだが、たまたま店に入った順番でその人たちの近くに座った。

後から入ってくる人たちを見ていると、やはり何気なく場所を選んでいるようである。
最初に座っている人を見て、そこから遠いところに行こうとする人や、そばに近づいていく人など、その様子を見ていると、誰が誰と親しいのか、敬遠しているのか、などがよくわかる。

私が座っていたかたまりは、比較的平均年齢が高く、あんまり人気はないであろうと思ったわけだったが、意外や意外、若い女の子が何の迷いもなく一目散にやってきた。
そこで、わかったことだが、私が日頃の行動に好感をもっている中年男性社員に対して、若い女子もかなりの好感をもっているらしいということだった。そして、そのひとたちは以前もいっしょに同席していたという雰囲気だった。
そうか、ふだん酒の席で幅を利かせているように思える男性社員よりも、実はやっぱり、日頃から紳士的できれいにお酒を飲む男性社員をいいと思う女性社員がいるんだな、と思った。
そして、お酒が入っていることもあり、普段は聞くことのできないような本音や面白い話を聞くこともでき、さらにその人のよさを確信した次第だった。
また、やはり類は友を呼ぶというのだろうか、その女性社員も、ただのいまどきの女の子かと思っていたのだが、意外に仕事の面で広い関心を持っていたりし、興味深かった。
同じ男性に好感を持つとは、敵だ~、と思いつつも、同士だなと思ったしだいです。

お酒の席って言うのは面白い発見があるものです。
相手は迷惑かもしれませんが、今度はまた、あの人のそばに座りたいな~と思ったりしています。へへっ。

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たらいまわし

2008-04-26 10:05:26 | 未分類過去
家の近所の歩道のようなところに突起物があり、そこを歩いていた人(遠くから来た人)がつまづいて転んでしまいました。
つまづいた人から話を聞いた私は、そこが区道だと思ったので、区役所に連絡すると、即日調べに来てくれて、危険箇所をいくつか確認してくれました。
しかし、その歩道は、区道の脇に沿って続いているものの、区のものではなく、都の所有地なので、区では管理していないとのことでした。厳密に言うと、そのそばに建っている都営住宅の敷地らしいです。それで、区から都に連絡してくれるとのことでした。その時に、区役所の人が、私の名前を伝えてありました。

そうしたら、そういうものは都が業者に工事を委託しているらしく、業者から私に電話が来て、場所を確認するので立ち会ってくれと言ってきました。
しかし、私は昼間仕事をしているし、区では私が立ち会わなくてもちゃんと危険箇所を確認し、別の危険な部分までも発見してくれたわけなので、いちいち立ち会わなくてもわかるだろうと思い、立ち会うことはできないと伝えました。
するとその後、工事に来たらしく、そのそばの腐食したガードレールを直してありましたが、かんじんな地面の突起物は直されていませんでした。
それから、もう何ヶ月もたちますが、あいかわらず何の変化もありません。街路樹も植わっているので、秋になると落ち葉が落ちて、更に足元の突起物が見えなくなってしまいます。夜も足元が見えないので危ないです、実際、つまづいた人は夜歩いていたそうです。

このあいだ、そこを通りかかったときに、その都営住宅の人たちが外の掃除をしていたので、歩道の危険箇所を直すよう、都に申請してくれないかと言ってみました。すると、役員は全員働いているひとなので、立ち会うことができないし、その住宅の人がそこにつまづいたという話は聞かないので、直す必要もないと思う、悪いけどそれはできない、という答えでした。思うに、そこに住んでいる人たちは、その突起物のことを知っているのでつまづくことはないのでしょう。むしろ、そこを初めて歩く外部の人にとって危険なんだと思います。

都営住宅の敷地内の工事や補修などは、依頼した人が立ち会わなくてはいけないというルールのようです。だから、補修が必要だと思った個人が都に依頼し、その個人が都の委託する工事業者とやりとりし、立ち会って工事を済ませなくてはならないようです。
でも、そこの土地の関係者(都営住宅の住人たち)が必要ないと思っているのですから、外部の人間が、その人たちに無理なお願いをすることはできません。
だからといって、その土地の関係者でもない外部の人間が個人的に工事を注文するのは変だと思います。

そもそも、一見道路にしかみえず、一般の人が歩いたり走ったりする公共の通路として使われている部分について、土地の所有者である東京都(住宅供給公社)は自ら状況を把握し、管理する義務はないのでしょうか。一般人が委託業者とやりとりするのではなく、東京都か住宅供給公社かの職員が状況を把握して業者に依頼し、立ち会って進めるべきだと思います。

そのようには動く気配はいっこうにないので、道路の危険状態を解決するには、問題だと思っている当人の私が立ち会って工事をしてもらえばいいことです。
しかし、私一個人が、仕事を休んでまでそんなことをするのは御免です。

だから、危険箇所はそのままです。

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ふきげん

2008-04-26 01:50:02 | 未分類過去
今日、スーパーみたいなドラッグストアに行ったんだけど、ひとつのレジに向かったところ、レジ台の上に「ただいま閉鎖中、他のレジをご利用ください」とかいう表示が立ててあった。
そのレジには、ちょうど会計を済ませている人がいたのだが、その人の後はもう受け付けないという意味なんだな、と思い、他のレジに回っていった。
そっちのレジには、これからたくさんの品物を会計してもらおうとする先着の客がいて、かなり時間がかかりそうだった。

ふと見ると、今断念した向こうのレジで「どうぞ」という声がして、会計をしているお客がいる。あれっ、再開したのか、と思って戻っていくと、やはり「他のレジをご利用ください」という表示が立ててあった。
「閉鎖中じゃないんですか?他のレジにって書いてあるので、あっちに回ったんですけど・・・」と言うと、
「それは、真ん中においてあるときです。端にあるときは関係ないです」という。
関係ないと言われても、客の目の前に向けておいてあるんだ。裏返しにでもしたらいいのに・・・。
「まぎらわしいですよ」と言ったのだが、
「真ん中に置いたときだけですから」と店員はいっこうに直そうともしなかった。
むかつく~

そういえば、以前も「他のレジに~」という表示を見て、別のところに回ったことがあったが、直後にレジをやっていたことがあった。そのときは、ちょうど再開されたんだな、タイミングが悪かったな、と思いつつ、別のレジで会計を済ませたのだった。

今にして思えば、いつもそこにそれが置いてあったので、勘違いしていたらしい。

しかし、そのように間違えるのは、私ばかりではないはずである。
確かに毎度のように買物をしているお客には、そこにそれが立ててあっても関係ないということがわかっているのだろうが、そうでない客は間違える可能性が高い。
お客が「まぎらわしい」と言っているにもかかわらず、その表示の置き場所を改善しようとしないとは何たることか。

けしからん!

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好きなようにやる

2008-04-26 00:59:57 | 未分類過去
B型人間の特徴は、「我が道を行く」ってところがありますが、まさしく「それでいいのだ」という気分のこのごろです。

仕事は好きです。自分自身がパートタイマーだろうと準社員だろうと、そんなことはどうでもいい。仕事が好きだから一生懸命やります。
そのことで、他のパートさんと足並みをそろえようとは思わなくなりました。

また、飲み会にも参加しますよ。情報収集とコミュニケーションのためにね。
そのことで、すごく人生の勉強、社会勉強になっていると思います。
中高年の男性から、若い女の子まで、どんなこと考えているのかわかるし、業界のことや顧客のことなどで知らなかったことを知ることもできます。
だから、貴重な機会だと思う。

そして、自分の足りない部分もわかり、さらに頑張ろうという気がでます。

あと、酒の席で言いたい放題のことをしゃべってしまったりするので、照れ隠しというか、言いたい放題のことを言うほどずうずうしいという気まずさを、仕事で頑張って帳消しにしようという気分になります。

後には引けないです。

自分の仕事に誇りをもって、やるだけのことはやります。


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満足

2008-04-25 00:30:29 | 未分類過去
こういうタイトルも変なんですが、それが一番近い表現かな、と思います。

先日、仕事で顧客から、無理難題っぽい急ぎの仕事依頼があり、それを担当していたのが若い社員さんでしたが、無事に済んだとのことでした。
それで、そのとき作業に携った人たちに対して、その社員さんからメールがきていましたが、そこにパートタイマーの分際である私も入れてくれてあったので、なんかとても嬉しかったです。
それが「満足」ってことです。

私は、書類の点検をしているだけなのですが、まあ、一連の作業の中の終わりのほうにちょっと関わったということです。
書類の不備はほとんどなく、たとえば、文の中の3という数字のうしろが意味もなく全角空いていたので、つめるように指示をした程度のものでした。
ほんの小さなことですが、完璧なものとして整えるには、それも大切なことではあります。

みんなで協力して1つの困難を成し遂げるっていうのは、気持ちのいいものです。
そういうことがあると、大変だなと思ういやな気持ちより、達成されたときの喜びが予測でき、ぜひ頑張ろうという気もちになります。

その仕事は普通4~5日でやることを、先方が不機嫌な態度で2日くらいでやるよう強要してきて、若い社員が「規定では4日のはずですが・・・」などということで、困難を感じていたところ、上司がなぜか急に「今日中にやれえ~」などと極端な号令をかけたようなのです。
ええ~っ、今日中ですか~っっっってことになり、目の色を変えて血眼でやりだしたら、先方の態度が柔らかくなり、協力的にもなって、妥当なところで作業がスムーズに進んだようでした。

仕事っていうのは杓子定規では動かない、不思議なものだな、と思いました。
でも、いっそう面白いな~と思ったしだいです。

上司からもご苦労様の返信があり、若い社員さんもこの経験で成長し自信も持てただろうし、職場のみんなもまとまって良かったなと思いました。
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自治会日記

2008-04-24 23:47:17 | 未分類過去
集会所の改装、結局やることになったんです。
団地の建て替えが近いかもしれないということを伝えたのですが、耳を傾ける人もほとんどなく、
そんなら、私も知りませんという気分です。
・公務員ていうのは、言うだけ言ってもなかなか動かないものさ
・係の人によって言うことが違うんだよ(あなたが聞いた人がたまたまそう答えただけ)
・議員さんに裏を取ったら、当分建て替えはないそうだよ
・建て替えの話が出たところで、住民が動かなければ話は進まないよ
・5年や10年はそのままでしょう
という反応だった。
多数決で改装することになったなら、それならそれで発想を180度転換し、改装を積極的に進めなければならない。
ってことで、実際、もう改装を終えたんです。

「会長というのは昼間いないと意味がない」とか「今年の会長は昼間いなのでみんなが代わりに苦労している」とか言われるので、かなり気を遣います。
会長が昼間いなけりゃいけないんだったら、私は即刻会長を降りたいです。でも、ほかにする人がいないからやってるんじゃないですか。
私が留守のときは、副会長さんとかが協力してくれるということで、それでいいんじゃないでしょうか。
そうです、実際、副会長さんも会計さんも、そのほかの役員の皆さん、みんな気持ちよく協力してくれているんです。だから何も問題はありません。
でも、どこか外部から、ちらっとそんな批判めいた声が聞こえると、つい気になって、いじけた受取り方をしてしまいがちです。

工事が終わった日には、会社から戻ってきてすぐに、昼間いろいろと携わってくださった方にお礼回りをしてきました。
でも、それもなんか変なんじゃないかな~と思いました。
だって、私個人が集会所の改装をお願いしたわけではないし、集会所は私のものでもないし、改装は私のためにしたのでもないし、私がお礼をいうのは変ですよね。
私が昼間やるべきことをやらなかったから、みんなに詫びてお礼をいわなきゃならないってことですが、考えてみればみんなの集会所をみんなが直したってことですから、私は単にその一員であって、そもそも、本来私ひとりがやるべきことを別の人たちに押し付けたわけではないはずです。でも、会長が昼間いて中心になってやるべきことを他の人にお願いしたので、やはりこういうことになるってことか・・・。あれっ、なんかどうどうめぐりの文になってしまいました。

このごろ、役員会を開催するにも、草取りをするにも、みなさんにお願いして、お忙しいところすみませんとか、しきりにお詫びをしたり感謝したりしている自分にふと気がつきます。
みんなは、私のためにやってるんじゃないよな~
私のせいで犠牲になっているのでもない。
みんなはみんなのために、自分たちのためにやっている。

考えてみれば、そういう構造は、私が会長ではなく、自治会の一員のときもそうだった。私が何か手伝って、会長さんなんかが感謝してくれたりすると、いかにも自分が協力してあげたんだ、というふうな気分になっていた。
それは、何も協力しない人もいるから、そういう人に比べたら、「いいひと」だったかもしれない。でも、会長さんに「ありがとう」と言われて、「そうだよ、やってあげたんだよ」って思うのは変なんだ。やるのは当然のことなんだ。

会長さんのほうこそ大変なわけだ。
でも、会長はやはり責任を負ってリーダーシップをとってやっていくのが役目だから、協力してくれる皆さんに対する感謝を忘れちゃいけない。

今まで、見えなかったことが見えてきた。
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温度差

2008-04-24 00:15:33 | 未分類過去
温度差を感じるこのごろです。
気温ではなく、情熱です。

はっきり言って、周りが冷めてると感じます。

一生懸命やっていて、うまく行かないとき、それを人に相談することがありますが、
・「どうして、あなたがそれをしなきゃならないの?他にやる人はいないの?」
・「そんな大変なこと、ほったらかしておけばいいじゃない」
・「適当にやってれば、いいのよ」
・「また、めんどうなことに首を突っ込んでいるのか」
などという反応が返ってきて、余計にストレスを感じます。

みんな、「事なかれ主義」です。そして、「誰か別の人がやればいいんだ」と思っています。

私はそうは思わない。
自分が任されたら、自分が負うべきだと思います。
また、誰もやらないことなら、誰かがやらなきゃいけないと思う。
そこに、健康で元気な自分がいるのなら、
それをひきうけなくちゃいけないと思う。

物事に携っていると、そのことによりいっそう関心を持つようになります。
いつもしている作業というのは、だんだん簡単になってきます。
小さな山を越える経験をしていると、さらにもう少し大きな山を越えることもできるようになっています。
だから、もっと大きな山も越えられるという目安ができます。

しかし、多くの人は、それは絶対にできないことだと思います。
なぜならば、小さなこともしようとしないから、いきなり大きなことができるわけがないからです。

自分が関心を持っているからと言って、他の人には関心のないことも多いものだということがわかりました。
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