山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

日曜散歩“代田橋”(沖縄タウン)

2012-07-31 21:51:53 | 旅行・街歩き
お待たせいたしました。やっと、到着。
代田橋駅北側。いよいよ、杉並区和泉明店街「沖縄タウン」です。

といいつつ、まずはやっぱり道路です。
ここを超えないと、行けないんです。



甲州街道は、本線4車線、側道4車線あるので、8車線分を超えて歩道橋を渡らないと、沖縄タウン側には行けません。陸橋の下に甲州街道が走り、上に首都高速が走っています。
道路には横断歩道などはありません。車いすの方などは、エレベーターを使います。
自転車は、歩道橋の緩やかなほうを引いて移動するようです。

上の写真、左の赤いクルマのあたりに、沖縄タウンの入り口があります。



歩道橋を渡って地上に降りると、正面に看板が立っていました。左に進みます。



ありました。沖縄タウン入り口です。正面からは近すぎて撮れないので、通り過ぎて右のほうから撮影しました。



確かに「小さい」ようです。狭い路地の入口はこんな感じ。奥には沖縄タウンがあるようです。



中にも、幕が。できてから7周年なのですね。



沖縄のお酒などを売っている酒屋さんとかも有ったのですが、この店が一番沖縄っぽいようです。



沖縄では、「そば」のことを「すば」というらしい。



おお、ゴーヤがなってる!!!



金物屋さんの入り口には「シーサー」の置物。



空には、オリオンビールのちょうちん。

う~ん。しかし、やっぱり・・ちょっとさびれてるかな?

右の方にもうちょっと進んでみましたが、あとはふつうの住宅が多く、とても狭い路地ばかりで驚きました。
建築基準法上の道路4mは全然足りないようですね。

戻ってきて、今度は左(西)のほうの路地に入ってみる。



パナソニックの電気屋さんの名前は「ゴウヤ電器」。お休みでした。

コーヒーショップみたいなのもあったけど、戻ることにしました。



ここに、とてもいいホテイソウがあったので、買いたかったのですが、店の人がいないので、どうやって買ったらよいのかわからず、あきらめました。



このあたり、ゴーヤのツルがいい感じですけどね。

結局のところ、沖縄のインスタントラーメンみたいなのが、店頭に置いてある店はあったのですが、沖縄のお菓子やシークワーサージュースや、ラ―油や、一般に沖縄のものというような食べ物がいろいろ売っている入りやすい店はなく、ちょっと残念でした。

パイナップルやトロピカルなジュースが気軽に買って飲めるような店もないし、それどころか、普通のドトールとかマックとかもない。
結局のところ、あんまり人がいないようですね。

それで、何にも買わずに写真だけ撮って戻ってきてしまいました。



写真は、歩道橋から甲州街道の西側をみたところ。
またここを渡って、代田橋の駅に戻りました。



甲州街道沿い、駅側に京王ストアがあります。
このへんの人は、ここで買い物をするのでしょう。

駅から少し離れた昔ながらの小さな商店街は、さびれてしまうところが多いようですね。
自動車専用道路のようになってしまった甲州街道で、駅からの流れが遮断されてしまったのも、要因かと思います。

「昔ながら」を生かそうとしているようでもありますが、ちょっと無理がありそう。
こじんまりとしながらも、新しくセンス良く生まれ変わるという道もありかと思いますが、むずかしいかな。









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日曜散歩“代田橋”(世田谷区側)

2012-07-30 20:33:54 | 旅行・街歩き
昨日、夕方になってから、急に散歩に行こうと思い立った。行き先は、以前行こうとして到着しなかった代田橋の沖縄タウンである。
今度は、方南町から歩くなんてことはせず、京王線で直接最寄駅の「代田橋」に行ってしまうことにした。そうすれば、間違えようがないだろうと思った。

ところが・・・なのだ。
代田橋=沖縄タウンのように思いこんでいた私は、代田橋で下車するとそこら一帯に沖縄風の店が並んでいるんだろうくらいに思っていた。あるいは、そうでなくても、「沖縄タウンはこちら」のような判然とした何かがあるものとばかり思っていたのだった。

ところが、駅を降りてみると、何にもないのだ。
あれっ?駅のどっち側だっけ? 2週間もたつと、以前調べたはずのことも忘れてしまう。
ま、いいや、適当に歩いてみよう。

電車を降りてから、線路の北側に出てきたのだが、さびれた飲み屋みたいなのしかないから、踏切を渡って南側に行ってみた。
こっちも、なんもないなあ~

そうだ、方南町から環七に沿っていくと有るんだから、環七に出てみるか。

東に向かって行くと、遊歩道のようなところに小さな青い橋があった。
“ゆずり橋”。 
なんか説明がかいてあったけど、読まない。
橋の上から川のようなものを写してみる。これは何川?



今調べたところによると、「玉川上水」だった。しかも、このあたりだけ川のようになっていて、橋を挟んで反対側は暗渠というのか、地上からは水路が見えない構造になっている。その部分は公園である。


(橋を渡りきってから振り返って写した写真)

そのまま進むと、
北側の高いところにひときわ目立つ看板が見えた。



この時、4時59分。どうせなら17:00で写せばよかったかな。

しかし、なんか、いや~な気分になってきた。
なんだって、こんなところに散歩にきてるんだろう。



そのまま進むと、環七に出た。
環七を渡った先にも、街中の狭い道がつづいている。
が、環七にさえぎられて、あちら側は渡れず、全く別の遮断された区域となっている。

ついでに車の道路研究をしておくことにした。
駅から離れて行くが、取りあえずは南に進んでみた。
環七が井の頭通りと交わっている「大原2」という交差点があった。へえ~~~。



この交差点のところに、面白い壁画のお店がふたつ並んでいた。





色合は南国っぽいって言えばそうだけど、沖縄とはかなり違うようだ。
まあいい、とりあえず撮影しとこう。

壁画の前の大原2丁目交差点で、環七の路面ごしに都心方向を見ると、向こう側の井の頭通りはすごく広くてきれいな道路だ。



片側2車線以上あり、中央分離帯まである。

井の頭通りって何処までつづいてるんだっけ?
あとで調べると、代々木のほうまで続くらしい。

それに反して、この交差点の東側の井の頭通りは、あまりにも狭かった。(その実態を写真に撮っとけばよかった。残念)
井の頭通りは、環八近辺や武蔵野市あたりでも、だいたい片側2車線はあるはずだが、ここではやっと片側1車線の狭い道路だ。しかも、曲がっている。

井の頭通りに沿って西に進むと、さっきの公園と遊歩道の続きに出てきた。



花畑がきれいだ。このへんの人が手入れをしているようだ。

すぐそばに、「和田堀給水場」という都の水道施設があった。この施設はかなりの面積を有しているらしく、道路地図を見ると、井の頭通りはこの給水場のために直進できず、迂回して京王線に沿って進んでいるのだが、その部分の道路がとてもせまく、線路や駅に近く、踏切も渡らなくてはならない状態である。

そういえば、以前道路地図を見たときに、このへんの道が変だと思って、井の頭通りを都心に向かって車でまっすぐ走って行ってみるというのは実行してなかったことを思い出した。駅のそばの細い道と踏切なんてのは、近づかないに限るからだ。でも、この日に歩いた限りでは、人もクルマも多くはなかった。

線路の南側には沖縄タウンはないことがわかった。
やっぱり、北側だったようだ。駅の北側に行くことにした。

ふたたび、ゆずり橋を渡って、玉川上水に沿って地下通路のようなところを通って、線路の北側にでた。
線路の南側は「世田谷区大原」という住所だ。
北側が杉並区で、沖縄タウンは「杉並区和泉」にあるのだから、やっぱり北側だった。
北側にでると、甲州街道が走っていた。上は中央道からつづいている首都高速だ。

このあたりは、環七通りや甲州街道によって、街が分断されてしまっているように思える。
幹線道路というのは、街には溶け込まず、通過するための道路だ。



(写真は、甲州街道を渡る歩道橋に上る階段から、新宿方向(東)を見たところ。
甲州街道本線は、環七と立体交差するために、地下にもぐっていく。
測道は地上にあり。上は高速道路。)

歩道橋を渡って、甲州街道の反対側に行く。

(次に続く)



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ジレンマゾーン

2012-07-29 23:44:40 | 運転・車・道路の事
信号が交差点にかかる少し前に黄色になったときに、進むか止まるか迷う範囲。

今日は、田無のニトリに行き、そのすぐ近くのスシローでお昼を食べた。その帰りに青梅街道を走っていたのだが、ある交差点に近付いたときに、信号が黄色になった。
60キロ以上のスピードで走っていて、黄色になったときには、交差点まではいくらか距離があるものの、停止線で止まるのはかなりきつい。普通なら通過してしまうところだ。

しかし、その時、対向車に右折車が待機しているのを発見。あれがいきなり曲がってきたらどうする?と思った瞬間、止まることにしてかなりきつくブレーキを踏んだ。
そうしたら、停止線では停まれず、ちょっと出てしまったが、横断歩道の前では止まった。

ここで、反省すべきは、後ろの車はどうだったかということだ。後ろの車にもかなりのブレーキをかけさせることになってしまったかもしれなかった。

普段、黄色信号できわどいなと思いながら私が通過するとき、後ろの車も通過してきてしまうことが結構あるので、他の人の場合、かなり強引に黄色でも進んでくる習慣らしいと思うことがある。

しかし、黄色になったとたんに対向車がいきなり右折して来たりしたことも複数回あるため、交差点に差し掛かる手前で信号が黄色になった場合は、なるべく止まりたいと思っている。

だが、こういう場面で、急停止すると、後ろから追突されることも多いようだ。
ブレーキを踏む時に、前ばかり見ていて後ろを見てはいなかったので、これからは気をつけよう。

対向車に右矢印信号が出るのであれば、こちらの直進が黄色で慌てて停止する必要もないわけだが、右矢印が出るにもかかわらず、後続する右折車が前の右折車をせかして行かせようとし、クラクションなど鳴らすこともあって、鳴らされた車が強引な右折をしてくることもあるので、要注意だ。

・・・・・・・・・

今日、もう1つ怖かったのは、同じあたりの青梅街道で、第一車線のバスがいきなり第二車線に移動してきたことだ。
一般の車は、公共交通機関の運行を妨げてはいけないということになっており、バスが発車などをしようとしているときには、進路を譲らなくてはならない決まりは知っている。
しかし、それにしても、すでにバスの後部付近を並走するくらいの距離で走っている車があるというのに、いきなり右に移動してくるバスはひどすぎるのではないか。
そのまま走っていてはぶつかってしまうので、あわててハンドルを右に切って第3車線側に逃げたが、もし、第3車線に車が走っていたら、そっちとぶつかってしまっていたかもしれない。それも、第3車線を確認する暇さえない状況だった。

いくら、公共交通機関の運行が優先とはいえ、そんな無謀な優先はないだろう。
バスの運転手はプロだから、軽自動車がすぐ横後ろを走っているのを把握しているのであろうか。第3車線に車がいないことを見て、軽が右によければいいだろうとまで思っているのだろうか。それとも、見えていないのか。

これとても、もう少し私が後ろの位置を走っていたのであれば、当然にバスに進路を譲っているわけだが、私が左車線のバスのそばにさしかかったときには、バスはまだ右ウィンカーを出していなかったのだ。

バスがどうしてこんな無謀な運転をするかといえば、第一車線の停留所でお客を乗り降りさせた直後に、第三車線まで移動して右折をしなくてはならないかららしい。
右折する交差点まで、あまり距離がないからのようだ。

こういうのも、バスにとってのジレンマゾーンで、直後右車線に車がせまっていても、強引に右に出てしまえるかという微妙な位置というのがあるのかもしれない。真横に居ればバスとても絶対に出ないはずだけど、ちょっと後ろだとすれば、公共交通機関としては当然に優先権を主張・・この行き先が見えぬか・・みたいなことになっているのかも。

こちらは、バスがどこ行きかを見て、どういう動きをするかを予測し、気をきかせなくてはいけないようだ。


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週末の到来

2012-07-28 09:21:47 | 日記
やっと1週間が終わった。仕事はずっと忙しく、書類は次々にやってくるので、結果的に溜まりっぱなしだ。結局のところ、休みなど取れる状況ではなかったので、ちょうど、試験勉強もする必要がなかったということになる。

ただ、お金が、もったいな~い。
授業も受けず、試験も受けず、授業料だけ払っているという愚かさである。
今期は、放送授業1科目、面接授業2科目が没。
まあ、過ぎたことは忘れてしまえ~~~。

週末の解放感で、昨日は仕事帰りにブックオフに行った。
目的物は蓮池透氏の「私が愛した東京電力」という本だが、やっぱりなかった。
ブックオフで、最初から買おうと思って行って、みつかった本は1度もないようだ。
それで、全然違う本を買ってくることになるのだ。

ところで、昨日は、前回買った日本人の著書の本棚のあたりを見たあと、奥のほうに行ってみると、なんと奥には奥に同じ分類の本棚があり、そっちは全部200円均一になっており、そこにも私が以前買った「奪還」や「半島へふたたび」が並んでいるのを発見した。

なんと同じ本を以前は1冊800円くらいで買っていたので、なんたることかと愕然としてしまった。本の汚れや傷み具合で金額が別れているようだが、汚い本で充分だったなと思う。
今まで、奥のほうはコミックだと思い混んでいて、入っていかなかったのだ。
それで、昨日は200円の本を3冊買ってきた。

その中の1冊に、「人は道草を食って生きる」という本があって、まずは、これを読み始めたが、この本の裏表紙の内側に、レシートが1枚挟まっていた。

MARUZEN名古屋栄店。2002年8月28日(水)11:44
現計¥1680 預¥2000 釣¥320

へえ、この本は10年前の8月28日に、名古屋の丸善で誰かが買ったんだ。
2000円出して、320円のお釣りをもらったんだ。

なんか、不思議な気分である。おそらく、本人はいつどこで買ったかなんて覚えていないに違いないけど、元の持ち主さんのことが垣間見られる。

このまえなんて、店の中で村上春樹の本を開いてみたら、女の人の写真が2枚挟まっていた。
それが、なかなかきれいな人で、30歳くらいかな。
写真を挟んだまま買おうかと思ったけど、知らない人の写真を持っていても仕方がないし、
別の本に挟んじゃうのも何だし、それは買わずにそのまま書棚に戻してきた。お店の人に言ったところで、本人に返されるはずもないし・・・。
本人が、自分の写真を挟んだまま忘れていて、まとめて売ってしまったのだろうか。
まあ、写真のおまけつきってことでいいのかな。

古本を出すときには、間に大切なものが挟まっていないかどうか気をつけよう。

先週は、勉強をしないでドライブに行くとバチが当たるかもしれないので、どこにもいかなかった。
今週は、夏に無くてはならない家電製品の調子が悪いので、買いに行かなくちゃならない。
修理をすれば直るようだけど、もう耐用年数が過ぎているから、買い替えたほうがいいらしい。

出費がかさんで大変だ。どこから出すのか・・・。真っ青である。

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地震があった

2012-07-28 00:49:25 | 日記
小さな地震だけど、午後11時40分ころ地震があった。
あっ、揺れてる、と思い、安全な場所に移動しようかと迷う間もなく揺れはおさまった。
で、一応、震源地を確かめようとテレビをつける。
ところが、テレビでは何の速報も出ていない。
そんなにすぐに震源地はわからないだろうが、「ただいま地震がありました」くらいの字幕はでてもよさそうなものだ。

パソコンで地震速報を開いてみる。午後8時頃のトカラ列島近海を震源とするいくつかの地震が表示されているが、それ以降は出ない。

あれっ、やっぱり地震じゃなかったのかな?
いや、確かに揺れていた。

パソコンの地震情報を再読み込みなどしてみるが、新しい情報は更新されない。

11時48分頃見てみると更新されていた。
震源はいつもの茨城県南部だ。震度は2で、東京は1であった。
数分で各地の震度と震源地が出るならば、遅いというわけではないのかもしれない。
こんなに小まめに正確な情報を出す国は少ないかもしれない。
テレビにも速報が表示された。

しかし、その数分をすごく遅く感じてしまうし、
最近は、地震がきても、なんか情報を出すのも面倒くさそうなふりさえ感じてしまう。
小さい揺れだし、震源地が出てからでいいや、って手を抜いてる感じか。

テレビ局の人なんか、週末だから、もうあんまり残っていないのかな?等と思う。

で、その後、0時4分ころ兵庫県南部で震度1の地震あり。
どこも小さな地震だけど、今日あったのは、その他に、福島県沖・山梨東部(富士五湖)・千葉県北西部・茨城県沖と全国に広がっている。

トカラ列島は1時間に渡って6回も起きている。トカラ列島なんて名前初めて見るもので、外国ではないかと思ったが「吐噶喇列島」と書くらしい。むずかしいのでカタカナにしてしまったようだ。

いつ、大きな地震が来ても全く不思議ではない日本。
原発の下にまで断層が走っているのだ。

地震が来れば来るほど、おそろしく感じなくてはならないはずだが、
逆に慣れてしまうというのは、いかなるものか。

放射能にも慣れてしまう、なんていうのは大間違いだ。

異常なことが日常的に続くと、それが正常になってしまうのだろうか。
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わがままなかぶくん

2012-07-26 23:06:28 | 日記
土をケースの底に敷きつめてから、カブくんはもぐらなくなった。成虫は土の中にはもぐらないのか・・・。
それに、水分の調節が難しいので、ぱさぱさしちゃって、かぶくんがむせてしまうのかもしれない。
なかなか、むずかしい。

今日は、一日中昨日のスイカに抱きついたまま固まっているので、新しいスイカを入れてやった。
それで、古いのから離れなさい、とカブ君を捕まえて移動させようとしたのだが、
いやだいやだ、これがいい
といい張って、古いスイカを離そうとしないのだ。

1センチくらいのスイカと1枚のクヌギの葉にしっかりとかじりついているので、だきついたまま、それらとともにひっくり返ってしまった。

それで、むりやり新しいスイカのところに連れて行き、顔のところに新しいスイカをくっつけてやったら何も考えずにかぶりついていった。

全く、美味しいものをなめることしか考えていないようだ。

うちのペットたちは、ほんとうに食べることしか考えていない。

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雨が降ったらしい

2012-07-26 18:03:57 | 日記
今日は、午後になって一時、すごい雨が降ったらしい。夕方会った複数の人に、「すごかったですね」などと言われて、そのたびに、「は? はあ そのようですね」のような煮え切らない返事になってしまう。
なんと自然環境から離れた生活をしているのか。会社に居ても、窓はあり、外を見る事はできるのだが、窓からはいくらか距離が離れている。自分の席から外の様子までは見えない。周囲が暗いか明るいかくらいはわかる。そういえば、パリパリ音がしていたようだったが、雨の音だったらしい。しかし、すごかったのかすごくなかったのか、そのあたりは実感としてまるでわからない。

夕方になって、近所の川を見ると、なるほど濁流が流れている。茶色く濁って水位も高い。もう何時間も経っているのに、こんなになっているということは、やっぱり、短時間でよほど激しく降ったのであろう。

家に帰ってベランダに出ると、ベランダの床がかなり湿っている。相当吹き込んだようだ。洗濯物も一部濡れていた。そんなことで、結構降ったようだと察しはつくものの、やっぱり雨そのものを見ていないので、なんとも感想の言いようがない。

雨が降ったのに、涼しくなるどころか、ますます蒸れ蒸れ状態だ。

ところで、いつどのくらい、どの地域で雨が降ったのか知りたいと思って、天気予報のサイトを見たところ、過ぎた時間の天気のところは、「晴れ」になっており、降水確率は「ゼロ」であった。
あれえ????と思ったら、その部分は「過去の天気予報」なのだそうだ。
つまり、予報は晴れで雨は降る予測はなかったらしい。では、現実はどうやったらわかるのか?ピンポイントの天気、なるものを見てみたが、それもやっぱり過去のものは載っていない。
現実は自分で見た通りです。過ぎ去ったことですから、教えられなくても経験した通りですよ。

ええ~~~~っ?
雨がどんだけ降ったのか、見る事が出来なかったから知りたいんだよ~
予報ではなく、現実に起こったことを教えてくれるサイトはないのか・・・。
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日記

2012-07-26 00:39:30 | 日記
今日も暑い。昼間は冷房の効いた会社にいるので、暑いといっても耐えられない程ではないが、夜になると自宅でやたらと暑くなってくる。
日が暮れてから暑くなるというのは、本当に不思議だ。そこで、夕飯を作るころに夫が冷房を入れて、それからずっと入れたままになっているが、私が10時頃には自分の部屋のエアコンを消して、キッチンと玄関を開けてしまう。なんだか体の具合が悪くなってくるし、朝まで冷やしっぱなしでは光熱費も大変だ。
ベランダのゴーヤはだいぶ伸びてはきたけど、日よけになるほど茂ってはいないし、たとえ茂ったとしても、ゴーヤでエアコンがいらなくなるほど涼しくなるなんてのは、ウソだ。
そもそも風がないし、日光が当たるわけでもない夜にこんなに暑いのはどうにもならないだろう。

今日、拉致被害者の横田めぐみさんのご両親がテレビに出ていて、めぐみさんが大切にしていた人形などを展示すると言っていた。蓮池さんたちが戻ってきてからもう10年が経ったそうだ。横田さんご夫婦はだいたい私の母と同じくらいの年齢であり、かなり高齢になってしまった。あれ以来、拉致被害者の件は全く進展がなく、いったいどうなってしまうのだろう。

以前から、疑問に思ったのは、横田さんご夫婦はなぜ北朝鮮に行かないのだろうか?ということだった。自分の娘が北朝鮮に連れていかれて、そっちで暮らしていたというのは事実だ。亡くなったことは信じられないかもしれない。生きていると信じるのだったら、どうして北朝鮮に行かないのだろうか?親だったら絶対に娘を探しに現地に出かけたいはずだ。北朝鮮も、当時は来るようにと言っていたはずだ。

このことで、蓮池透氏の本を読んで、ちょっとわかったことは、最初は蓮池さんたちも、日本に帰国させる気は北朝鮮側にはなく、日本から家族を北朝鮮に招待し、こんなに幸せにくらしているということを強調して、納得させて帰してしまうという魂胆だったようだ。
本人たちも、北朝鮮に来てほしいと言っていた(言わされていた?)ようだ。
だから、横田さんご両親が北朝鮮に行けば、ものすごく手厚く持てなして、北朝鮮はすばらしい国だということを印象付け、めぐみさんも幸せに暮らしていたが、不幸にも亡くなってしまったという筋書きで、親を丸めこんでしまうというおそれがあったらしい。その手には乗らないということで、北朝鮮側の申し出を断ったようである。

しかし、本当はご両親は行きたかったに違いないと思う。だから、ご両親が生きているうちに行けたらいいのにと私は思う。行ったところで、思い通りの行動などは許されず、むこうのお膳立て通りにしかならないかもしれない。でも、めぐみさんが暮らしていた場所かもしれないところを、自分の目で確かめられたらいいのではないか。

ご両親がめぐみさんの人形を大切に持っていたのは、とても心が痛んだ。私はめぐみさんと同じくらいの年齢だけど、自分が子どものときの人形は1つも残っていない。全部実家の母が処分したようだ。なぜかといえば、私がいるから、母は人形を残す必要がないのである。そして私も引っ越しのときに、娘たちが小さいときに遊んでいたジェニーちゃんやリカちゃんを全部捨てたのだ。つまり、80歳の母からみたら、子の人形も、孫の人形も捨てるような年月が経っているのである。でも、横田さんの心は、高校生だっためぐみさんを思う気持ちのまま、時が止まってしまっている。

心の中の時計の針を進めるためにも、現地に行ってみたらどうなのだろうか。
孫のヘギョンちゃんも大きくなっただろう。

横田さん以外の拉致被害者の家族の方たちも、現地に行けたらいいと思う私の考えはおかしいだろうか?
しかし、ここで北朝鮮にそんなことをお願いすると、借りを作ってしまうことになるということなのだろうか。そもそも向こうが悪いのに。
そして、政府と政府の問題になってしまうし、そういうことで、もう動きようがなくなる。

めぐみさんが大切にしていた人形を見ると心が痛み、ご両親の気持ちがわかる。拉致という非道な行いが許せないと思う。でも、それ以上のところには、何も進みようがない。

進みようがないから、展示会をすることしかできない。どうにもならないことがわかっていても、もうそれをするしかない。

全くどうしたらいいのかわからない。これを書いていても終わりがなくなってしまった。

来月、日本橋高島屋で、めぐみさんの写真展が公開されるというので、行ってみようか。

親が子にしてやれること、子が親にできること。
別れ別れになってもいないのに、何もしないで日々がすぎていく、自分自身の家族のことも色々と考えてしまう。
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カブトムシの習性

2012-07-24 23:50:30 | 日記
我が家のカブトムシは、狭い家の中で、ストレスを感じながらも生活しているようです。
今朝、ゴミを出しに行った夫が、また変な虫を拾ってきました。緑のメタリックに光る姿は玉虫かと思いきや「カナブン」でした。
カナブンまで飼うつもりか!
外に置いてきなよ、というと、こんなにきれいなのはめずらしいのだという。
そんなに珍しくもなかろう。このうえ、カブトムシと一緒にカナブンまで飼うのはイヤだ。
すると夫は、玄関の外の廊下のコンクリートの手すりの上に、カナブンを置いて来た。

カブトムシも逃がしたらどうかね、というと、だいたい、このカナブンでさえ、おそらくここに飛んで来たら、もう山に帰ることはできないだろうということだ。外灯の光に誘われてきてしまったのかもしれないが、夏は、コンクリートの上に転がったまま死んでいる姿をよくみかける。ここに自分で飛んできたからって、帰れるわけではないのだ。
昔、子どものときに飼っていたカブトムシも、窓から逃がしたら、2~3日後の雨の日に、玄関のところで死んでいた。なんでそのカブトムシかとわかったかというと、背中にうちの名字をクレヨンで書いて逃がしたからだった。戻ってきたんだね、と子どもの同士で話していたが、戻りたかったのではなく、飛んでいく方向もわからなかったのだろう。

さて、我が家のカブトムシは、枯れ葉だの水苔だのを入れていたのだけど、どうも足場がわるいので、数日前に木のチップを買ってきたが、これもどうも、いごこちが良くなさそうで、もぐりにくそうであり、結局今日は土を買ってきたのだった。全く養育費がかかりすぎる。

それで、相変わらず樹液ゼリーはあまり好きではないようなので、今日も398円のスイカを買ってきてやった。ゼリーを食べさせようと、そばに連れていって置いても、なんかすごく反抗的な態度で、いやだいやだというように勝手な方向を向いて動いてしまう。
それが、スイカを当てがうと、もうすぐさま口をつけて夢中で味わっているようである。しばらくすると、スイカの小片が移動している。どうやら、食べるうちに、押しからかしていくらしい。そこがなんとも不器用というか、無骨というか、変なヤツなのだ。自分でどんどん隅のほうに押しからかして行くもんで、今度は自分の角が邪魔でスイカに口が届かなくなってしまう。コツンコツンと変な音がすると思ってみると、プラスチックの容器の壁に角を打ちつけていた。そこで、スイカを真ん中のほうに持って行き、カブトムシもそこに連れて行って、口をスイカにあてがってやると、もう夢中でなめている。そのあたりは非常に従順である。

ひっくりかえったら自分では起き上がれないし、どうも運動神経も鈍そうだし、ちょっと鈍臭いやつなのである。
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爆発的増殖の阻止

2012-07-24 22:20:40 | 日記
このまえ、テレビ番組をみていたら、汗臭さの原因なるものをやっていた。汗自体は臭いものではないが、それにいろんな細菌がくっついて、温かく湿ったところで増殖するものだから、臭くなるのだそうだ。5時間経つと爆発的に増殖し、臭いも強くなる。
だから、汗をかいたら、皮膚などは、洗い流すか濡れたものでふき取っておくのが良い。服は木綿などの吸湿性のある下着を着ていれば、外側の服までは汗が染みて来ない。下着を着ないでじかに化繊のものを着ると、もろに汗がつくから、それが臭ってしまうらしい。
汗がついても、体温と共に湿ってムシムシしていなければ細菌の増殖が抑えられるから、脱いで干して乾かしておけば、着ているよりはにおいがひどくならない。しかし、洗濯をしないで汚れたままの服を長時間放置しておくとやはりにおいがひどくなる。

朝、会社に通勤するとき、その途中で汗をかく。それを着たままでいると5時間経ったときに臭いがひどくなるから、勤務中にすでに臭くなるというわけだ。そこで、汗が引いたところで、下に着ていた木綿の下着を脱いでしまえば、身体からは、臭いのもとがなくなりそうだ。
その下着の処置には要注意だ。

仕事中は、エアコンが弱くて午後になると特に暑くなってくるので、そのころロッカーに行って、下着を脱いできたりしている。汗のついた下着を「削除」する。そして、薄着になることで涼しくもなる。今度は、じかに着ている服で汗をかくことになるが、5時間以内に帰宅するから大丈夫だろう。

昨日の夕方、スーパーでレジに並んでいたら、自分の前の男性がものすごく汗臭くてたまらなかった。鼻では息ができないので、口でしていた。Tシャツだったけど、いったいいつから着ているのか、朝かいた汗が臭っているのであろうか。

なんだか、最近は「爆発的細菌の増殖」の恐怖に取りつかれそうだ。それで、もうじゃんじゃん洗濯をしているのだ。日本はきれいな水がいっぱいあってよかった。湿気も多いから汗もいっぱいかくけど、洗い流すこともできる自然環境だ。日本は「桃太郎」の国で、昔から「おばあさんは川へ洗濯」、つまり豊富な水で小まめに毎日洗濯をする国だ。風呂にも毎日入って汗を流すし、シャワーだけではなく浴槽に浸る。
飲むことができる水で、トイレを流したり、風呂に入ったり、洗濯しているなんて、なんという贅沢な国なのであろうか。洗濯機もドラム式ではなく、水をためて水流で洗うのが適しているのだ。軟水だと洗剤がよくとけるのだ。
これは、誰かから教えてもらった受け売りだけど、なるほどと思う。

臭いや細菌の爆発的増殖の恐怖について書き始めたのだけど、それを流すことのできる美しい水が豊富にある日本がありがたいという結論になった。
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近況

2012-07-24 01:51:32 | 日記
やらなければならない試験勉強があると、なぜか関係ない本なんかを読みたくなってしまう。

本を読むのは楽なことである。テレビや映画を見るのと同じようなものだ。なぜ楽かといえば、勉強で教科書を読むのと違い、書いてあることをすべて覚えなくても良いからである。自分の好きなところだけが勝手に記憶にとどめられる。

ところが、勉強はそうはいかない。必要な知識や情報が網羅されていて、それを端から順に全部、記憶にとどめていかなくてはならない。試験勉強となれば、重要な部分、試験に出そうな部分を、自分の関心や好みにかかわらず覚えなくてはならない。

おそらく、私は子どものころから、そういうことができない人間なのである。
要するに、わがままで、怠け者で、自分の覚えたいことしか覚えられないのだ。

だから、客観的に必要な知識なんか何1つ身に着かない。

・・・・・・・

今日、会社にいくと、また書類が1つ増えていて、今日は関連する4件の書類の誤記を点検して、ぎりぎり残業なしにおさめた。
書類は、まだ4件残っていて、その他に事務用品の在庫チェックなどもしなくてはならないので、なかなか厳しい。しかも、先週中ごろから、点検した書類の結果を項目ごとにまとめて転記する暇がまるでないので、そのままになっている。普通は1件を終えたごとに記入しておくので、5分か10分以内に終わるが、それが10件以上も溜まっていると、1時間以上かかったりしてしまう。考えただけでもうんざりである。

そんなわけで、水曜に休みなんか取ってるどころではないので、試験勉強もする必要が無くなったというわけだ。

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このあいだ、その書類の点検をしているときに、化学構造式があって、CH3 が勝手に H3C に変更されていると一瞬思った。
普通、変更した部分は、変更したと書かなくてはいけないので、何で変わってるの?とあわてて、いろいろ見てみると、あっちこっちの化学式が変わっていた。

どういうことなんだ?と思って、とりあえずgoogleで検索してみたら、あったあった。

H3Cはベンゼン環の左側、CH3はベンゼン環の右側にくっついているもので、どちらもメチル基を示しているそうだ。メチル基は普通CH3と書くが、ベンゼン環の左に結合するときには、メチル基の炭素の部分が環と結合するので、H3Cと書くのだそうだ。

見れば、最初の書類は、どの化学式も、ベンゼン環の右も左も同じCH3がついていたが、新しいほうでは、左側のものがH3Cに訂正されていたのだった。
別の担当者が厳密に正しい書き方に直したらしく、物質自体が変わるわけではないので、いちいち変更したなどとは記載していなかったようだ。

こんな、常識的なことも知らないと、本当に恥をかいてしまうから、勉強はしなくちゃならないなあと、つくづく思う。

インターネットで検索すると、そんな解説までちゃんと出てくるので、非常にありがたいが、わからないことが出てくるたびに探していると、そのたびごとに5分10分を要してしまう。そして、単に断片的な知識を得る。もし、基本からちゃんと化学を勉強していれば、こんな無駄な時間は使わないはずである。残業になってしまうのは、こういう時間の浪費もあるので、やっぱり基礎知識は必要である。
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「奪還 引き裂かれた二十四年」

2012-07-24 00:44:46 | 読書
北朝鮮に拉致された蓮池薫さんのお兄さんが書いた本を読みました。
この本は、2003年3月、薫さんと奥さんは日本に戻ってきたものの、まだお子さんたちが北朝鮮に残っている時点でかかれているものです。

子どものときの思い出や、行方不明になる前のこと、行方不明になってからのこと、家族のやりきれない気持、薫さんを探すための行動、10年以上も経ってからわかってきた拉致の疑い、その後の拉致被害者家族会結成と活動、中大生を救う会の協力、国際機関への働きかけ、日本の官庁・警察・政治家・マスコミの態度や対応・弟が帰還してからの思い・政府の動き、戻ってこなかった拉致被害者のことなど、単に弟が戻ってきてよかったというのではなく、本当に割り切れない様々なことが綴られており、いろいろと考えさせられた。

私たちが、テレビニュースなどをなんとなく耳にして、いい加減な感想などを思い描いているあいだ、当事者がどんな思いをし、どんな苦労をしていたのか、影で物事が実際にはどう動いていたのか、今さらながらこの本を読むことによって、わずかながら垣間見られる。

編集された放送や他人が書いた週刊誌の記事などとは違い、当事者本人が書いたものである。客観的ではないにしても、本人から見た事実が記述されている。
ただ、弟が戻って来た事に関して、政府に対する感謝の気持ちはほとんどないようで、批判のほうが強かったのには驚いた。でも、感謝できないのが事実なのだったら、しかたがない。戻って来れなかった人もいるからなのかもしれない。
そして、北朝鮮問題は、拉致に限らず、今も全く解決されていないということを、認識させられた。

蓮池透氏は、元東京電力原子燃料サイクル部に勤めていたそうで、今はまた、原発問題でも思うところがありそうだ。東京電力時代の事を書いた著書もあるようなので、読んでみようかと思う。
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試験勉強をしなくちゃならないが

2012-07-22 12:10:19 | 日記
水曜日に単位認定試験があるので、今になってまとめて勉強を始めている。この土日の2日間が勝負だが、試験はたったの1科目だから、ちゃんとやれば大丈夫かもしれない。
でも、これが意外に難しい。以前だったら、ざっと教科書を読むだけ、あるいは放送を見るだけで、なんとなく頭に入れて乗りきってしまったが、このごろどうもその方法ではやっていけないのだ。自習問題などをやろうとしてみても、まるでわからなかったりする。
自分の頭がぼけたのか、本当に内容が難しいのかわからない。前者の可能性も高い。

あと、問題なのは、水曜日に仕事が休めるのかということだ。本当だったら前週の金曜日に休暇届けを出すところ、あまりの忙しさに用紙を書く余裕もなく、しかも30分単位で残業代が加算されるので、最後は30分未満の時刻でタイムカードを押さなければならないため、全く時間との戦いであった。そうしないと、今度は残業手当に割増料金が発生してしまうため、そうなるとまたいろいろと面倒なことになりそうなのだ。

それに、実は、仕事はまだまだいっぱいあって、月曜の締め切り5件あり、これで明日は目いっぱいだ。そのほかに、先週中ごろから保持している急ぎでなかった書類も、いい加減期限が迫ってきたし、その他にも3件来ている。さらに新しいものが来る可能性も高く、水曜日に休んでいたらどうにも動きが取れなくなりそうなのだ。どっちにしても1日休むのは絶対に無理なので、半日休にする予定だけど、いずれにしても、仕事の状況を見て休暇届けを出すしかない。しかし、前日や当日というわけにもいかないから、月曜日しかないけど、月曜にめどが立つとは思えないのだ。

やっぱり、前期に試験を受けなかったのが悪い。勉強しなかったのが悪いのだ。
平日に仕事を休んで試験を受けに行くのはダメなのだ。
7月や1月は忙しい時期なのだ。7月末は、お盆前の山ってことのようだ。

朝から2時間放送授業をみて、2時間目の途中には寝てしまった。その後目を覚まし、回を飛ばして後ろのほうの授業を見ようとしたら、講師の先生がやたらに不自然なにこやかさをふりまいていて、いきなり気持ちが悪くなってやめてしまった。私はどちらかというと、ぎこちないぶっきらぼうの先生のほうが好きなのかもしれない。なんとなくイライラしてきた。
そんな楽しく笑ってる場合じゃないよ、こっちは。

まあ、こっちの精神状態がひねくれているせいなのだ。

車でどっかに行きたいなあ~。
せっかく早く起きたし、夫も朝からいないので、今日は遠出のチャンスだったのだが・・・。
涼しいからエアコンもいらないし。

昨日も、なんとなくぐずぐずしていて、勉強もしないし、全く外には出ず、1日に100歩も歩いてない感じ。完全運動不足だった。

勉強やめて沖縄タウン行こうかな~。
実は、沖縄の食べ物は、特に好きなわけじゃないから、何を買うわけでもないし、それに代田橋は、けっこうショボイという人の話である。
でも、先週現地に到着できなくてあきらめたのは悔しいなあ。

勉強したくないから、仕事が忙しくて試験が受けられないせいにして、勉強をやめよう。
せっかく勉強しても、試験が受けられないのでは、やっても意味がない。
でも、もしかして、いきなり暇になったらどうするんだ?
もう、考えがまとまらない。

とにかく、昼ご飯でもたべようか。
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番組中の運転

2012-07-21 21:55:43 | 運転・車・道路の事
今夜、テレビで「土曜スペシャル~絶景アルプス縦断ふれあい旅~」というのをやっていた。芸能人仲間が車を運転して旅をするというものだ。それで、運転をしている人と、助手席や後部座席の人たちが会話を交わす車中の風景などが放送される。

いつものごとく、私はテレビをあまり真剣に見ていないので、適当に目に入ってくる程度の意識なのだが、まず、渡辺正行が運転している場面にはひやひやしてしまった。運転中に話をしながら助手席を見たり、後部座席の人をひんぱんに振り返ったりして会話を交わしている。
前を見て運転しなくて大丈夫なのだろうか?後部座席を振りむいているときに、路上に何かが飛び出してきたりはしないだろうか? しかもほぼ片手運転だった。
こういう運転をしているのは、この渡辺正行に限らず別の芸能人でも、テレビの場面でよく見かける。撮影のためのもので、普通の運転風景ではないのかどうか知らないが、運転に対してあまりにも緊張感が無さ過ぎるように思える。
交通量が少なく、信号なども無い道路では、そんな感じで大丈夫なのかよくわからないが、それにしても驚く。

しかし、実際に日常道路を走っていても、携帯をかけながら、ひげをそりながら、片手をぶらりと窓の外にぶら下げながら、マンガを読みながらなど、緊張感の感じられないドライバーがいることも確かだ。
だからこそ、余裕しゃくしゃくの緊張感のない運転ではなく、せめてテレビでは良い見本になる運転を見せてほしい。会話をするのに、いちいち横を見たり後ろを振り返ったりする必要はないだろう。

次に、元横綱の花田虎上がプリウスを運転していた。これは数秒の映像だったが、普通に走っている車でありながら、まるでハンドルから両手を離しているように映っていた。運転はしていなくて合成なのだろうか?と思ったくらいだ。もしかしたら、片手でハンドルの下側を持っていたのだろうか?これも不思議な映像だった。

最後に運転していたのは、パンチ佐藤だった。長年、無事故無違反ゴールド免許だと本人が言っていた。会話中も目線は進行方向からそらさず、ハンドルは10時10分の位置で両手できちんとにぎっていた。
そうだ、番組中の芸能人の運転は、世の中の人のお手本になるような、このような運転であってほしい。

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めだかの生と死

2012-07-21 08:48:55 | 日記
先週の金曜日、今まで飼っていた立派な白メダカが死んでしまった。そのメダカは、最初のころに買ってきたもので、それだけが長生きしていたのだ。
以前、白メダカに普通のメダカを5匹足したりしたが、それらも死んでしまい、また白が1匹になったので、今度は小さい白メダカを3匹足したら、そのうちの1匹がまた死んでしまって、最近は3匹で暮らしていた。
最初の白は体が大きく、健康そのもので「白ちゃん」と呼んで特に愛着を持っていたが、ある日急に力がなくなり、筋肉がにぶったような泳ぎをするようになった。水質が悪いのかと思って、バクテリアを入れたり、水を少し取り替えたりしてみた。それから数日はなんとか持ちこたえていたのだが、底のほうに沈んだまま泳ぐ力もなくなり遂に亡くなってしまった。もう寿命だったのかな。これまでに、メダカは何匹も死んでいるのだけど、この1匹の死はかなりショックだった。

白ちゃんが死ぬ1週間ほど前、私はベランダにあるホテイ草が入ったバケツをぼんやり見ていた。
家の中のメダカの水槽のホテイ草が日光不足で枯れてくるので、外のものと取り替えるために置いてある。
すると、水面になにやら小さな虫のようなものが動いているのだ。ピン、ピンと瞬発的に動く。老眼で見えないから、水の中に自然発生するといえばボウフラかと思ったが、どうもボウフラとは動きが違う。もっと細いし、横に進んでいくのである。
家に入り、老眼鏡を持ってきてかけてみてみた。それは、本当に小さな透き通った魚である。頭だけが目があるので黒っぽい。体長は2ミリもないくらいだった。
それは、ほかならぬメダカの子供だ。

いったいいつ発生したのであろう???
記憶をたどると、白ちゃんはたぶんオスである。白ちゃんと一緒に暮らしていた普通のメダカは、お腹が大きくなって死んでしまい、卵を産みつける場所がなかったからだと反省し、ホテイ草を買ってきた。
しかし、その時は産まずに死んでしまったのだから、そのメダカの子どもではない。
そのあと買ってきたのが今の白メダカだけど、買ったときはまだ子どもで、今でもそんなに大きいわけではない。
でも、ホテイ草がある状況で飼っていたのは、今いる白メダカしかないのだ。
家の中のホテイ草に卵が産みつけられており、それを外のバケツに入れておいたから産まれたに違いない。

父親は白ちゃんに違いない。

メダカの子は16匹くらいいて、その後ベランダに別の水槽を準備して移動させている。なかなかつかまらないので、まだ3匹くらいはバケツにいる。少し大きくなってきて、色も白っぽくなってきた。大きいのは5ミリくらいになった。やっぱり白メダカの子だ。

白ちゃんは死んじゃったけど、子孫を残してくれてよかった。
今、家の中の水槽には2匹の大人のメダカがいるだけだけど、子どもたちが大きくなるとにぎやかになりそうだ。


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