山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

前進したい

2016-02-29 23:27:55 | 日記
今日の夕方は寒かった。
普通のコートを着て行ったのだけど、ダウンの方が断然温かい。
普通のコートの素材をみると、ポリエステル70%・毛30%だった。ポリエステルが多いから寒いのかな?
同じ安物なら、ダウンのほうがいい。
普通の布のコートは、冷たい風が内側に通ってきてしまうのである。

北風が強く、帽子とマフラーと手袋でなんとか寒さがしのげた。明日まで寒いそうだ。

そんな夕方の道を歩いていて、ふと思った。

このごろ、読もうと思った本も全然読み進むことができない。

これを歩くことに喩えたら、毎日1mも前に進んでいないことと同じだ。

若いころは、毎日100mくらい歩く感じだった。

50m・100m・30mと歩いて進めば、距離はかなり伸びる。

ところが、今は、1歩も進みませんでした、なんて日が毎日なのである。

これは、まるで歩く気がないということだろう。

毎日たった1歩でも進めば、10日で10歩は進むのに・・・。5mくらいは前進できるだろうに・・・。

本を1ページずつでも読めば、いつかは1冊読めるはずなのに・・・。

そして、50代でこんなことでは、これからもっと年を取って、今以上にできなくなることはあっても、
できるようになることなんかないだろう。

なんでもいいから、何かをしなくちゃだめだろう。

「下町ロケット」も停まったままだったので、今日はほんの数ページ読み進んだ。

本当は、池井戸潤の小説を次々に読んで、銀行のこととか特許のこととかも勉強したいのだけど、
全然進まない。

まるで「亀」である。でも、亀だったらいいのだ。わずかでも進んでいけばいいのだ。
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100万円なら墓石かな

2016-02-29 22:35:42 | お題
冗談じゃないんですよ。

故郷のお寺にお墓を買ってありまして、そこに義母と義兄のお骨が眠っているのですが、
石塔がないのです。(ちなみに義父は若くして亡くなったため、故郷東北のかなたの本人の実家の墓に入ってます。)

墓の区画は義兄が亡くなった30年くらい前に、60万円くらいで買ったんですが、
お骨を納めるところはあるものの、その上に墓石を建てていません。
そして、10年前くらいに義母がなくなりましたが、そのときも墓石を建てませんでした。

最初の頃は、墓地が造成されたばかりだったので、周囲のお墓も石塔が建っていないものばかりでした。
でも、あれから30年も経つと、もうみんな立派な墓石を建てていて、うちの墓だけが、更地になっています。

盆暮れ彼岸には、ちゃんと花と線香をあげて墓参りしていますが、石塔がないのはちょっと恥ずかしいかな。

お墓の下で、義兄と義母が、悲しがってるかな。

生きてるときも亡くなってからも、自分の家がないのは、肩身が狭いかも。

でもな~、
♪ 私はお墓には居ません~~ ♪
ってことかもしれないし、あんまり気にしてないかな~

石塔は無いけど、お骨が入ってるところはみな同じ造りだからね。

でも、ここで100万円あって、1日で使い切るなら・・・

墓石はちょうど100万円くらいなんです。

一番安いのが、白御影80万円とかって言ってたので、

消費税とかいろいろつけて100万円あればできるでしょう。

造るんだったら今度の法事の時かと思ってるけど、

貯金を解約して、お墓を建てるって、なかなか決意がいることですよ。

だって、老後食べていけなくなったらどうするんだ。

お墓を建ててきちんとご先祖様を供養していると、家が繁盛すると言うけれど、
どうしても、今現在や今後の生きてる人間の経済状況ばかり考えてしまう。

お墓を建てる余裕があるのか?

今や、うちだけ石塔を建てていないという世間体で、建てないといけないかな~~と思うようになりましたけど、

100万円は大きいな~

しかし、よそのうちって、どうしてみんな墓を建てるほどお金があるのか、不思議です。
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世田谷美術館へ

2016-02-28 17:44:07 | 美術・美術館
どこに行こうかと思ったのだけど、世田谷美術館に行くことにした。

美術館用の駐車場に到着。まず、梅を見てみる。

 

梅はもう終わりそうだった。



沈丁花が咲き始めていた。近くでは匂わなかったが、ちょっと離れるととても良い香りがしている。
春だなあと思う。



今やっている展示は、「ファッション史の愉しみ」というもので、昔の貴族の衣装などが年代の変遷とともに展示されていた。

そういえば、ダウントン・アビーで、イギリス貴族の服装が興味深いのだけど、ドラマでは、縛り上げるコルセットから、だんだんラフな感じに変わってきているようだ。
先週のダウントン・アビーは、物語から離れて、貴族の習慣についての解説だったけど、一日に何度も着替えて、不便な形式ばった生活をしていて驚いた。そんなことも思い出しながら見ていた。

展示はフランスとかもっと古い時代とかいろいろあって、アタマをものすごく盛り上げた貴婦人のいでたちなど、びっくりした。でも、衣装は本当に素敵だ。後ろ姿とかもきれいに見えるようにできている。
服飾などを勉強している人には、たまらないだろう。
「石山彰ブック・コレクションより」ということで、この石山彰と言う人は、西洋ファッション史研究の第一人者だそうだが、お茶の水女子大や、他の女子大などでもファッション史を教えて来られたかたらしい。

そういえば、朝の連続ドラマ「あさが来た」でも、明治になって日本人女性もドレスを着始めるが、あさの娘千代が、ドレスのお尻が金魚みたいでおかしいと言っていたけど、1860年代ころは、ああ言う後ろを膨らませるデザインが流行っていたというのが、展示でもわかった。

日本の着物姿の女性がドレスを作ってる絵などもあって、興味深かった。

私は、ファッションには縁もないような人間だけど、子供のころは本当にお姫様の着るドレスにあこがれたものだ。



そういえば、着物を今風に着たきれいな若い女性の2人連れが見学していて、1人は着物にベレー帽をかぶっていた。
すごいファッショナブルな2人で、展示よりもその人たちにひきつけられてしまったが、きっとファッションを道の人なんだろう。

着物や洋服って、人間を本当にきれいに見せてくれるものである。

それから、2階に行き、小泉淳作と小林敬生の絵や版画を見学した。

展示を見た後、セタビカフェでランチを食べることにした。
ここには、ル・ジャルダンというフランス料理のレストランがあるのだけど、1人では入りにくいし、値段も高めなので、1人の場合はセタビカフェが良い。



ひさびさに、ガレットでも食べようと思ったのだが、展示を見てから行くと、ガレットは終わってしまっていた。

そこで、ワンプレートランチを頼んだ。混んでいて20~30分かかるとのことだ。

室内の席は満席なので外に行った。



滝を見ながら食べることにする。それほど寒くはなかった。

先にコーヒーを持って料理を待つ。コーヒーの写真を写したのが1時ちょうど。



やっと、料理がきた。
な、なんと、料理が来たのが1時42分であった。

40分以上も待たされた。

料理はきれいでいいんだけど、いくら混んでいるからとはいえ、40分もかかるような料理かな?と思う。

2時から版画家、小林敬生氏の講演会を聞くことにしていたので、焦った。

10分くらいで急いで食べて会場へと急ぐ。



講演は、3時半までの予定が4時までかかった。
小林敬生氏の版画は、作品を見たときは、わけがわからないので、どうしようかと思ったけど、聞いてみてよかった。

芸術家って、自分で作った作品が完璧だなんて思わないそうで、必ずここをこうすればよかったとか、納得できない部分もあるそうである。
だからこそ、今度はこうしようとか反省したり改善したりして作品を作って行くそうだ。

ああ、そうなんだ、それは当たり前のことだろうけど、意外に気がつかなかった。
たとえば、有名作家の村上春樹の小説なんかでも、良かったとかよくなかったとか読者がいろいろ批評するが、本人だって自分の作品を完璧だと思っているわけではないんだろうなと思った。他人よりもむしろ本人が自分の作品について納得できない部分などを自覚しているに違いない。

一流と言われる作家や画家や版画家や音楽家でさえ、完璧な作品なんかできやしない。だから、素人の自分に完璧なものなんかできるわけもないのである。いつも不完全でもいい、でも、だからこそ前進しようと挑戦するのだ。

版画は、下書きがそのまま版画として形になるわけではなく、絵とは違うものができるところが面白いそうだ。
私も、先日、表札を作ってみて思った。それは、木との共同作品だった。
木を彫ってみたこともあって、今日の講演を聴こうと思ったのかもしれない。

実は、展示を見たときは、小林敬生氏の版画よりも、小泉淳作氏の絵が好きだと思った。山をリアルに描いていて、それが特に美しい山でもなんでもないのだけど、木の生え方とか、よくもこんなに全部描いているんだろうと感心したのだ。
それで、小林敬生氏が、小泉淳作氏についても話すというので、講演を聴くことにした。
小泉氏はもう亡くなっている。

小林敬生氏は木口木版と言う版画をやっている人だ。木の板は、普通の版画は縦に切った板を使うが、木口木版は、木を真横に切った板、つまり切り株の断面のような板面を彫るらしい。ものすごく細かい図柄を彫りこんでいる。
話は面白かった。



美術館のそばの木、いつ見ても立派だ。



なんと、もう夕方だ。1日が終わってしまった。

帰りは、環八渋滞で帰宅するのに1時間以上かかった。

まあ、でも充実した1日だったよ。





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市の元旦マラソンに参加させられた

2016-02-28 09:57:35 | お題
中学1年のとき、市の元旦マラソンに参加させられました。
それは、部活動で運動部に属している人は全員参加するようになっていたと思います。
私は体操部でした。

しかし、私は長距離走というのが、一番不得意だったのです。小学校のときもいつもクラスで1番ビリでした。肺が弱いのか心臓が弱いのか?まったく病的なものではないのですが、もう息切れしてしまって苦しくて、最初からみんなについていけません。特に最初のうちが全く速度を上げることができず、いきなり最後尾になってしまい、さらにみんなから距離も離れてしまいます。かなり時間が立つと、やっと走る状況に身体が適応してくるようですが、それでもみんなに追いつくまでは挽回できません。後半では、息は苦しくないのですが、今度は横腹が痛くなり、横腹を手でギュッと押えながら走ります。その頃は、途中で歩いていた人たちもゴールに着いている状況で、それからかなり経ってから私が到着します。ゴールでは、どこかのおじさんから「こりゃあ、大物だぜ」などと言われて笑われました。

マラソン大会では、子供たちが到着したあと、おばさんたちがお汁粉を用意していて、みんながそこでお汁粉を飲み終わり、おばさんたちがお汁粉の鍋を片付け始めているところに、私がやっとゴールし、「あれ、まだ1人居たみたいだよ」なんてことでやっとお汁粉をもらったものの、同級生たちはもうみんな帰ろうとしているので、おちおちお汁粉なんか飲んでる状況ではないのです。それに走ってきていきなりお汁粉なんか飲めません。本当にいやな思い出ばかりだ。

だから、小学校を卒業したら、校内マラソン大会がないので、やっと6年間の苦痛が終わったと思っていたのでした。
ところが、なんと中学でもマラソン大会に参加しなくてはならないことが判明。しかも、市のマラソン大会で、距離は数キロメートル(5kmくらいかな?)ですが、こういうのは得意な人が参加するものでしょう。
現に中学生は、運動部だけが参加するわけで、陸上部や野球部やバレーやバスケや卓球やテニスや柔道です。(ちなみに水泳部は元旦マラソンではなく元旦水泳で海を泳ぎます。)

私は本来、運動部なんかには入れないほどの運動音痴です。しかし機械体操っていうのは個人競技なので、自分がどんなにとろくても、人に迷惑をかけるものではなかったので入ることができました。そして、マットや鉄棒などは小さいころから得意なほうでした。

体操部に入ったら、やはり体力づくりで校内のランニングなどは常にさせられていましたが、マラソン大会なんて想定外です。しかも、元旦なんて考えられません。元旦の朝、7時ころに会場に行かないといけないのです。うちは市の中心から離れた僻地に住んでいたので、市中心にバスや電車で行き、知らない道をいきなり走るのです。

たぶん当日は、同じ体操部の友達と行ったと思いますが、走る時は当然ビリを独走ですし、友達のことは全く覚えていません。
沿道の見物人たちからは、こんな遅い奴がなんで市のマラソンに参加してんの??????と思われていたはずです。全く場違いだ。

しかし、当時の部活動と言うのは、それは厳しいものでした。
まず、先輩というものは、絶対に服従しなくてはならない存在です。1年は全員元旦マラソンに参加しろと言われたら休むことなんかできないのです。

出たくない人、苦手な人が無理やり走らされた市の元旦マラソン。こんなに楽しくないものはありません。

それで、参加してみたら、実際には、当日部員を集めることもなく、出欠を確認されることもないのでした。
そんなわけで、翌年も部員全員参加という建前で、元旦の朝まで出かける予定でしたが、布団の中から出る気にはなれず無断欠席してやりました。でも、先輩からのお咎めなしでした。1年のときに3年だった先輩は怖かったけど、それはもういないし、3年はもう出てやしないんだ。後輩が出たかどうかも私は部長でもなんでもないから関知しません。

中1のときの元旦マラソンは、ゴールのことは全く覚えていません。当然ビリでゴールしたと思いますが、ただそれだけで、どうということはなかったのでしょう。
その後、海で泳いでいる水泳部を見て、すごいな~~~と感心したことは記憶にあります。(でもあれも拷問だよね。なにも冬の海で泳がなくたって・・・)

今の私は本当に、強制されることがないから、マラソンに参加しなくてもよくて天国です。

今日は、東京マラソン。
走りたい人が走るんだから良いことです。
みなさん、頑張ってください。



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すき家の牛丼セット

2016-02-28 00:10:21 | 日記
昼休みは、すき家で牛丼をテイクアウトすることが多い。以前からよく食べているのは、ミニ牛丼290円と豚汁190円であった。これは合計して480円である。

そのうち、牛丼のセットというメニューが店頭に張り出されていた。これは、並牛丼と豚汁とおしんこ、または並牛丼と豚汁と卵で490円である。

私は、並牛丼と豚汁では量が多すぎて残してしまう。並牛丼を食べるのだったら、単品で良いが、豚汁をつけると多すぎるので、牛丼はミニが良い。
とはいえ、並牛丼のセットが490円で、ミニ牛丼と豚汁が480円では10円しか違わない。だから損な気がするけど、10円よけいに払って並牛丼セットにした場合、牛丼を食べ残して一部を生ごみに捨てることになる。また、おしんこ又は卵がつくわけだけど、これらは食べたくないのだ。少なくとも昼には食べず、自宅に持ち帰っておしんこは夫に食べさせるか、生卵は別の料理に使うことになる。しかし、自宅に持ち帰るには、面倒な荷物になる。だから、10円よけいに払っていらないものがついてくるよりは、10円安くて必要なものだけを食べるのが良いと思っていた。

ところで、ミニ牛丼と豚汁を頼むと「単品でいいですか?」とレジで必ず聞かれるのだったが、上記の理由で、セットではなく単品でいいと答えていた。

しかし、先日注文を終えて、商品ができるのを待っている最中、ふと店内のポスターを見たところ、ミニ牛丼のセット430円という表示を見つけたのである。
この表示は、普通の牛丼セットの文字の下に小さな文字で書かれていた。

あれえ~、ミニのセットもあるのか!!!しかも50円も安いじゃないか。
ミニ牛丼と豚汁で480円、ミニ牛丼と豚汁とおしんこ又は卵で430円って、セットを買うに決まってるではないか。

そこで、先ほどの注文をセットに変更してもらえるかと聞いてみると、できるとのことだったが、レシートを出してくれとのことだった。

ところが・・・、な、なんと、今受け取ったレシートがみつからないのである。
何気なく、財布の中に入れたのだけど、実は財布の中はレシートが20枚くらいめちゃくちゃに入っているのであって、毎日の買い物のレシートが無造作に押しこまれているのだった。端から順に入れているわけでもなく、適当な場所に突っ込んだものだから、探せど探せど今貰ったレシートが出てこない。コンビニやスーパーやコープや駅ビルや本屋のレシートは出てくるのだが、牛丼屋のレシートは見つからない。

こんなバカなオバサンいないよね。
レシートがみつからないので、もういいですと言ったけど、お店の人がレシートなしでもいいにしてくれた。50円返してくれた。そして、おしんこを追加して持たせてくれた。

はあ~~~~

それにしても、これまでに何回ミニ牛丼と豚汁を単品で注文していたと思います?
週に1~2回くらいはこれなんだからさ。10回くらい頼んでたよ。

そのたびに「セットでなくて単品でいいですか?」「単品でいいです」を繰り返してたんだ。

お店の人が「ミニ牛丼のセットもあって、そのほうが50円安くなりますよ」と一言付け加えてくれていたら、セットにしてたんだけどなあ・・・。

その後、調べてみてわかったのだけど、お得なセットの考え方としては、牛丼に豚汁とおしんこのセットをつけると80円引き、豚汁と卵のセットを漬けると90円引きということだった。だから、元の牛丼の値段はどのサイズにも適用できるということだ。

その基本理念(?)がわかっていなかったので、並牛丼セットに限ると思い込んでいたのだ。
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河津川と河津桜

2016-02-27 10:22:43 | 日記


実は、行ったのは先週です。

伊豆の人間なのに、初めて河津桜を見に行きました。

天気も良く、満開でした。

しかし、疲れた・・・

人もいっぱい

電車はラッシュアワーみたい

入場制限が必要なくらい。

車渋滞

桜並木 長すぎ~~~~~~~

へとへと

ランチ難民

行きも帰りも電車立ちっぱなし

飲食店蕎麦屋など長蛇の列

昼ご飯抜き

ミカンでも買って帰ろうかと思ってたけど、

疲れはてて、何も河津 いや買わず

やっと実家に戻り

3時ころになってカップラーメンにありつきました。

もう2度と行きません。

東京の近所でソメイヨシノを見る。

そういえば、片瀬白田で車窓から見えたけど、

人が何もいなくて、川沿いに河津桜が咲いていました。

そっちでもよさそうだけど、

電車も道路も混んじゃうので、やっぱり行かないほうがいいでしょう。

とにかく、疲れた!!!の一言。

先週の疲れがこの一週間に響いてました。
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肩こり 頭痛

2016-02-26 23:43:55 | 日記
出勤して、自分の机の上を見た瞬間
“高速増殖炉” という言葉が浮かんだ。

いや、プルトニウムじゃないんだけど、
書類が、高速に増殖している・・・




そんなわけで、馬車馬になる季節です。

今日もどうなる事かと思ったら、
手つかずの書類点検が1つキャンセルになりました。

あまりにも遅いので、この工程を省くことにしたらしい。

急ぎの仕事を先にやっていて、ついつい後回しにしてしまっていたのだ。

すみませ~~ん
やはり、請け負った順に、溜めずに速やかに処理しなきゃダメだな。

1つ減ったので、それほど急がないで済みましたが、
ちょっと後悔しました。
もっと早く消化できたらよかったのに・・・

この頃、仕事が忙しいからか、
外が寒いからか、
首が凝る、頭が痛い。
目も疲れる。

明日はゆっくり休もう。
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リアル本屋

2016-02-26 00:19:33 | 読書
この頃は、アマゾンとか、ネットで本を買うことが多い。
リアル本屋で買うとすれば、ブックオフくらいである。

まず、定価で本を買うことはないのである。

そんなわけで、一般的に、本屋の経営は苦しくなっているそうだ。

通勤帰りに、ある本屋の前を通過する。
この本屋は、あまり大きな書店でもなく、いまどきよく店を開いているもんだと思う。

近隣では、閉店してしまった本屋も多い。

先日、なにげにこの本屋の中に入っていった。

魔がさしたというのだろうか?

ちょっと眺めるだけだ~と思っていた。

そうしたら、なぜか「知財戦略のススメ」という本に目が行った。

平置きしてあったのだ。

ふと、手に取ると鮫島正洋弁護士の著書だった。

鮫島正洋氏というのは、「下町ロケット」の中に登場する神谷弁護士のモデルになった人だそうだ。下町ロケットを読んでいるところだし、ちょっと興味があるなあと思った。

そうだ、ふと手にとったらそうだった、のではなく、たぶん「下町ロケット」という帯の文字を見て手に取ることになったんだろう。

この本は日経BP社が発行している。2月9日に発売されたばかりだ。
ひえ~ 2400円+税である。

図書館で借りる? すぐには借りれないだろうな。

これは、もう少し経ってから、ネットで買ったら安く買えるかな?

あるいは、毎度5%引きになる駅ビルの大型本屋もある。

しかし、ここで見つけて他の本屋で買うっても、なんか、この本屋に失礼な感じがする。

また、他の本屋に行くと、同じ本がなかなか見つからないことも多い。

本屋によって売りたい本も違うし、レイアウトも違うのだ。

ピカピカの新刊、買うのは今でしょ。

ということで、思い切って買ってきました。

そして、読み始めたんですが・・・・・・・・・

難しい・・実に難しい。
というか、内容を理解するのが、面倒くさい。

読めそうもない・・・・

放送大学で知的財産のことも少し勉強しているけれど、これは結構手ごわいです。

すでに、読む気が失せてしまいそうです。

本代がもったいない。読まなくては。

リアル本屋にしてやられた。

この本屋、これからはTポイントを採用するそうだが、今回はまだ採用前だった。
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身体が弱ってる?

2016-02-25 23:39:16 | 日記
先週末から、身体が弱ってるような気がする。

土曜日の朝、何をしたわけでもないのに、いきなり左の腰の筋が痛くなった。
そのまま実家に帰ったら、今度は右の背中が痛くなってきた。
左の腰をかばったせいか、キャリーを引っ張っていったせいだろう。

そして、帰ってきたら、今度はあごに吹き出物ができて痛い。

そして、今朝置きると、白眼が充血していた。(結膜下出血の軽いやつ)

さらに、今夜、風呂に入ると、お尻にネブトができているのを発見。
押すと痛い。

あごの吹き出物と同じような痛さである。

吹き出物やネブトは、黄色ブドウ球菌が毛穴に入って炎症を起こしているのだそうだが、抵抗力が弱まっているからかな?

それに、最近は、奥歯の歯茎の具合もあんまりよくない。

頭はまるで働かないし、困ったことだ。

腰と背中が治ったはせめてもの救いだ。

今日は、もう寝よ。
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アパーチャーとディパーチャー

2016-02-25 01:23:12 | 日記
この頃、仕事で書類の中に「アパーチャー」という言葉がよく出てくる。
意味もわからず読んでいる。

そして、そのたびに、小室哲哉の曲が頭に流れる。
もともとグローブが歌っていた曲だそうだが、いろんな人がカバーしている。

いや しかし、あれは、
“ディパーチャーズ”である。

意味も全然違う。

ただ単に「パーチャー」という部分が同じだけである。

「アパーチャー」というのは、カメラのレンズの口径のことだそうだ。
あるいは、光学機器の画面の大きさを制限する枠の開口のことだそうだ。

「ディパーチャー」は、「出発」と言う意味だが、
「ディパーチャーズ」の「ズ」はよくわからないのだ。
「ズ」がつくと、飛行機の出発便と言う意味だとか。

Aperture

Departure

perとparも、スペルが違うのだった。

よって、なんら関係がない単語らしいよ。


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好きな猫=雑種

2016-02-22 23:26:23 | お題
三毛でもブチでもトラでもなんでもいいです。普通のありふれた猫でいいです。

でも、特にいいなと感じる猫の模様は、
顔が上半分黒いマスクみたいになっていて、耳と目の周りは黒で、口の周りは白く、胸とお腹も白く、背中から足の上半分は黒くて、足に白いソックスを履いてるみたいな模様が好きです。

あの白いソックスの足に、ビビッと来てしまうのです。
どうして、自然にあんな模様になるんだろうか。

黒白のシャチのような配色でもいいですが、黒の部分がトラ模様になっていてもいいです。
トラは黄色っぽい茶色のトラよりも、黒っぽいのや、グレーっぽいトラの方が好きです。

しっぽは太くて長いのがいいです。

黒い顔に、ひげだけ白いのも素敵だなと思います。

老後は猫を飼うのもよさそうです。


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科目登録

2016-02-22 22:49:14 | 放送大学
早いもので、2月も下旬に入ってしまった。もう1年の6分の1が終わろうとしている。

今日は、インターネットで2016年度前期の科目登録をした。
カリキュラムが改正になり、今後に影響が及ぶものとして、自専攻でないコースの専門科目を取ると、卒業後に他のコースに再入学して、それが自専攻の専門科目になった場合も、既修得単位として数えることができなくなる、ということがある。
先に取っておいた単位を、自コースの単位として取り置くことができない。

だから、今後、他のコースに再入学する気があるのだったら、なるべくそのコースの専門科目は取らないほうが良いということだ。

余計な科目を履修させないという規制をかけるためのカリキュラム改正なのだろうか?

なので、今現在所属しているコースの科目を、脇目をふらずに履修するのが望ましいということで、それに合わせるしかない。

それで、「社会と産業コース」の専門科目を、放送授業と面接授業で2つずつ取ることにした。

苦手な科目ばかりだけど・・・、この年になって、自分の得意な科目は1つも存在しない。
困ったことだ。

今日、テレビの「しくじり先生」は、小林麻耶だったけど、八方美人をしたあげく、本当の自分がわからなくなってしまったそうで、「ありのままの自分で」という結論だった。

私の場合、人に対しては好かれるとか好かれないとかの八方美人とは違うのだが、本当に自分が何を勉強したいのか?何に興味があるのか?よくわからない状況。

ありのままの自分は何を求めているのだろうか????

わからないから、とにかく、自専攻のレベルの易しいところからやっていくしかないかな~~

ところで、人間っていうのは、嫌う人もあれば好く人もある。嫌われることもあれば、好かれることもある。

私が好きな言葉は「捨てる神あれば、拾う神あり」って言葉だ。

人もそうだけど、科目もそうだろう。
ダメな科目があっても、ダメじゃない科目もあるはず。

だから、何個単位を落としても、あきらめず、他をあたってみる。
とりあえず、何かやってみるしかないよね。
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科目登録難航

2016-02-19 22:37:11 | 放送大学
今回はなかなか決まらない。

これまでは、とりあえず仮に登録しておいて、締切間近になってから、最終的に吟味して決定していた。

でも、今回は、仮に登録するところから、全く決まらないのだ。

自分にできそうなものは何か?
それともやるべきものは何か?
好きなものは何か?

それから、日程はどうか?

特に、面接授業は日程が重要である。

これまでは、何度も通うのが面倒だったので、土日の2日間で全部を終える日程のものを選ぶことが多かった。
でも、この頃は、どうしても午後になると眠くなってしまうのだ。
集中力が持たない。
しかも、土日がつぶれると、休日はなくなってしまうので、疲れが取れないまま翌週の仕事につながっていく。
洗濯物なんかもたまってしまうし、どうも落ち着かない生活となってしまう。
だから、土日2日間というのは、なるべくやめることにした。

それから、あまり忙しくなさそうな時期に、平日に休んで行くという日程のものもあるが、これは前回失敗した。結局、予想外に仕事が忙しくて休むどころではなくなってしまったのだ。だから、平日のものはやめておく。

そうなると、いいのは土曜日だけ連続とか日曜だけ連続というものである。

あとは、半日ずつ4回行くというのもある。半日だったら寝ないで済みそうである。

それにしても、集中してやってしまう授業は、1日にたくさん詰め込み過ぎで無理があるし、何度も通わないといけないものは、何か用事のある日とぶつかってしまう可能性が高くなる。

どっちもどっちなのだ。

だったら面接授業なんか取るのやめるか?

でも、放送授業も眠くなって、なかなか自力でできないしなあ・・・。
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津島佑子さん亡くなる

2016-02-19 01:11:45 | 読書
津島佑子さんという方が亡くなったというニュースを読んだ。
この人が、太宰治の娘さんであることを初めて知った。太宰治に娘が居て、やはり文筆業であることは知っていたが、それは・・・そうだ、太田治子さんだった。
ニュースには、太田治子さんは、異母妹と書いてあった。

ところが、太宰治が入水自殺をしたのは、津島さんが生まれた翌年なんだそうだ。生まれてすぐに父親が自殺したのに、その妹がいるっていうのはおかしいのではないか?いったいどうなっているの?と思った。

太宰のファンだったら当然に知っていることなのかもしれない。

調べてみたら、太田治子さんは、1947年11月12日生まれで、津島佑子さんの生まれた8カ月後に生まれている。つまり同じ1947年生まれなのだ。
そして、こちらは愛人の子ということになるんだろうか。
津島さんが正妻の子ということで、3月30日に三鷹に生まれ、太田治子さんは、お母さん(太田静子)も文学者だったようだが、妻子のある太宰との間にできた子として、11月に小田原に生まれ、認知されているそうだ。そして、1948年の6月に太宰が亡くなった。

偉大な作家の2人の異母姉妹。この二人はどのような関係だったのだろうか。
2人とも父親の才能を受け継いで作家になっていたのだ。

太田治子さんのほうは健在のようだ。津島佑子さんは、昨年肺がんになり、この2月18日に68歳で亡くなってしまったそうだ。60代なんてまだまだ若かった。もったいない。太宰のことを書こうとしていたそうで、残念なことだ。

太宰といえば、つい先日、テレビで文学の関係のクイズ番組をやっていたけど、太宰の「人間失格」って、やっぱりすごい名作なんだなと思った。「斜陽」や「走れメロス」も出てきた。あの番組で良く出てきたのは、やはり太宰と漱石だった。

津島佑子さんと太田治子さんの作品も読んでみようか。
世間の評価によれば、作家としての格は、断然津島佑子さんのほうが上だとのことだ。

どっちにしても、この人たちには、生きている父親太宰治の記憶はなかったので、父親の思い出というようなものは書けないわけだ。母親から聞いたことくらいだろう。

同じ父親の遺伝子を受け継いでいるんだから、似ているところもあるんだろうけど、太宰の子という視点だけでなく、その人たち自身の生きざまも重視したいものである。

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「おしゃれと無縁に生きる」

2016-02-18 23:43:53 | 読書
こんな本を、図書館で見かけて借りてきた。
「あっ、私のこと」と思ったからでもある。
著者は村上龍。
村上龍氏は、最近見かけない。数年前まで「龍言飛語」っていう動画をパソコンで見ていたのだけど、急にやらなくなってしまった。

「おしゃれと無縁に生きる」というのは幻冬舎のエッセイ集である。
そういえば、龍言飛語には、時々幻冬舎の女性の人が出て、対談していた。
この本の最初のエッセイが、この本の題名になっているのだった。いつ出版されたのかと思ったら、昨年の8月で新しいものだった。

それで、まず最初のエッセイを読んでみた。
「おしゃれと無縁に生きる」というのは、著者自身のことだそうだ。著者はおしゃれとは無縁な人間だったが、イタリア人が青いシャツを着ることを知り、おしゃれにみせるには、シャツを着ればよいことを知ったとか?

あれっ?村上龍さんって、どちらかというとおしゃれな印象があるけどな~。
そういえば、青いシャツを着てることが多いかもしれない。

充実した仕事をしていると、おしゃれをする暇がないそうだ。
「地獄の黙示録」を作ったばかりのコッポラが、対談のときに穴のあいた靴下をはいていたそうだ。そのとき、コッポラはワインも作っていて、大金持ちだったそうだ。

「仕事ができる男は、特権的に、おしゃれとは無縁にいきることができるという「隠された真実」の見事な証しだった。」
と、このエッセイは締めくくられている。

そういう人は、ファッションを気にしている次元ではないのだろう。

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まるで関係ないけど、穴のあいている靴下なんか、私だって履いているよ。
このあいだ、娘家族が来たときに、あまりにも忙しくて、そのへんにあるタイツを履いたら、親指のあたりに穴が空いていたのだけど、そのうちどんどん大きくなってきて指が3本くらい出て来てしまったのだ。
それを見て娘が、恥ずかしい~~と怒っていた。娘の夫に対して、自分の母親がそんなだと恥ずかしいのだそうだ。

別に穴の空いていない靴下がないわけではない。たまたま履いた靴下に穴があって、その穴がたまたま大きくなってきただけのことだ。まあ、恰好悪いけど、忙しかったし、履きかえるのも面倒なのだ。Gパンを脱がないと履きかえられないし、私の部屋は娘たちに占領されていたから自由に衣類を出せなかたのだ。それに、どうもその穴に対して意識を向けることができないのである。家族だからいいや、とも思っていた。
でも、娘は自分の実家の家族がそんな変な人だというのを、自分の夫に見せたくなかったんだろう。

偉大な人は、靴下なんかに気を使わないんだぜ。
といっても、この場合、説得力なしだよね。単にずぼら過ぎる無能なおばさん。

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