山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

筋痛め失速

2007-02-28 16:30:04 | 未分類過去
今週は変則的に今日が休みになっています。平日の休みの日にすべきことは先週と同じく、区の健康診断および/または美容院に行くことですが、今週もまた行動力ゼロ状態で見送りとなりました。まず、夫と子供が朝ゆっくりしていたのが出遅れの始まりで、遅く起きて遅く朝ごはんを食べていたので、もはや健康診断に行くのが遅い時間になってしまいました。その後慣れない「片づけ」をしていたところ、急に背中の筋を痛めてしまい、動けない状況に・・・。だから美容院も中止で片付けも中断となっています。

「外の空気を入れること」「ガラクタを整理して捨てること」で運気が向いてくるというのを本屋で立ち読みしたこともあり、今日も引続き不用品の処分にとりかかりました。

高校生の娘の寝床周辺にはやたらと雑誌が氾濫しているのですが、ファッション雑誌は一応片付いてはいるものの、畳の上に散らばっているたくさんの雑誌は何かとよく見ると、無料配布のアルバイト情報誌ばかりです。それを資源ごみに出すべく、積み重ねて束にしました。
あと、まだまだ日本語学校のテストだとか成績結果だとか授業のスケジュールだとかいろいろあって、それらも束にしました。月刊日本語という日本語教師向けの雑誌もまだ残っていたのですべて束にしました。そして玄関の外に運んで積み重ねました。

そんなことをしていたら、急に背中右側に激痛が走り、腕を動かしても足を動かしても首を動かしても息を吸っても、背中のスジに連動して痛くて動くに動けなくなってしまいました。
きょうは、夫は夜勤だったので、久々に夕飯のお弁当でも作ってあげようかと思っていたのですが、この激痛では動けません。昼ごはんもレトルトのカレーを夫に温めてもらいそれを食べることになりました。

背中にシップを貼り、アリナミンを飲みましたが痛みが治まらないので、その後バファリンを飲み、今現在多少痛みが和らいでいる状況です。
まったく、「片付け」などという慣れないことをするからこんなことになってしまうのでしょう。

それにしても考えてみたら日頃重いものを持ったことがなかったなあと思うわけです。
スーパーに努めていたときは、ペットボトルや砂糖の入ったダンボールを平気で運んでいたんですが、この2年半くらい楽をしすぎていたようです。

きょうは朝天気が良かったので、布団カバーを洗濯しようと全部はずしてしまったのですが、背中を痛めて失速している最中に、午後からなんだかものすごい突風が吹いています。幸いにも西風のため、直接ベランダに向かって吹いてくるわけではないのですが、体調的にも天候的にも洗濯は中止したい気分です。でもはずしてしまったので仕方なく洗濯し、頑張って干しました。
風は音だけでもぴゅーぴゅー言っていて恐ろしい感じです。背中も痛いので買いものにも行かずに、家の中にこもっていようと思います。

高校生の娘は教習所とバイトで夜の12時まで帰って来ないのだそうです。ひとりで読書でもするかな~

(写真はちょっとピンボケですが、唯一の最近撮った梅の写真です。
きょう、近所のお寺に撮影に行こうと思っていたのですが、強風のため中止しました。)

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もうすぐひな祭り

2007-02-28 00:24:30 | 未分類過去
きょうは2月末日です。
2月というのは、どうして28日までしか無いんでしょうね。31日までの月を2つ30日にしてしまって、それを2月にまわせば、みんな同じくらいの長さになるのにな~と思いませんか?
それで、2月末に3月初旬までまだ1週間くらいあると思いこんでいたら、2~3日しかないなんてことが多々あるのです。
きょうは2月分のパートの給料計算をしたのですが、が~ん、やっと7万ですよ。
それは、2月は建国記念日があって、それから2日くらい短いんだから1万以上給料が減ってしまうのはあたりまえなんですが、なんだか寂しいですね。
娘に渡すアパート代と光熱費で8万なんですが、足が出てしまいます。
ま、区切り目がそうなっているだけのことだから、年間にしたら関係ないんですけど、なんか損したような気になりますね。

写真はホテルオークラのロビーに飾ってあったお雛様です。大きくて立派でした。
本館のロビーは外に面した部分が障子になっていてちょっと和風な感じで落ち着き、雛飾りもとてもよく調和していました。夜は障子に映る外の竹の影もとても素敵です。

もうすぐ3月3日ですね。ひな祭りなんてすっかり忘れていましたが、3日過ぎたら早めにしまわなくちゃならないんだから、出すならもっと早く出さなくちゃいけないですね。
うちは親王飾りで人形は2体だけです。それでも出すスペースがないので、もう10年以上天袋にしまいっぱなしです。

このごろ、和風のものに惹かれるのは歳をとったからなのかな~
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優雅なひと時

2007-02-27 01:17:33 | 未分類過去
なんだか最近食べ物のことばかり書いているような気がします。
家事は嫌いですが、家事の中で、まあ、そんなに嫌いでもないのは料理です。
だから、家事に力を入れるとしたら、まずは料理からかなあと思います。

このごろ、仕事をしていてもなんとなく空しいものがあります。頑張ったところで、どうなるものでもないし、毎日同じことの繰り返しです。
2~3年、同じ仕事をしていると、急激な成長段階はすでに終り、あとは年季を積むという風な状況になってきます。
パートタイマーの場合は、仕事の内容が変わるわけでもないし、上の段階にあがって行くようなものもないので、そういうことを生きがいにしていると結局は夢も希望もないような絶望感に陥るだけだと言えるでしょう。
こうなったら、仕事は単なる収入のための手段と割り切り、そのほかのことに生きがいや楽しみを持って生きて行ったほうがいいと思えてきます。
人生の目的を別のものにしたほうがよさそうです。
自己の向上というより、きょうはどれだけ楽しめたか、どれだけおいしいものが食べられて満足できたか、きれいなものを見て感動したか、というようなごく単純な幸福を求めるほうが、本当の幸せな人生を送ることができるのかもしれません。
そして、結局、おいしいものを求めておいしいものを作る、きれいなものを求めて身の回りをきれいにする、ということが、自分や家族を幸せにすることになるのかもしれません。

昨日も載せたケーキの写真は、ホテルオークラのテラスレストランでたべたものです。きれいですね。この皿の上に配置する角度も絶妙です。ウエイターさんは中年です。おそらく正社員です。きちんとしています。若いウェイトレスさんも髪をしっかり束ねて清潔にしています。とにかく落ち着いていて品がいいです。
こういうサービスを受けると本当にゆったりとした気分になれます。外には庭園があり小さな滝があります。夕方になるとかがり火が焚かれます。
それでいて、値段はけっして高くはありません。隣接する大倉集古館入場券と茶菓券(ケーキとコーヒー・紅茶)のセットで1600円ですから安いのではないでしょうか。
集古館もなかなか見応えがありました。中国の古い美術品から、日本の狩野派、横山大観の作品などがありました。日本で最初の私立美術館なのだそうです。天井の彫刻など建物も素敵です。花鳥画展での絵の中の花や鳥は今も昔も変わらないものだなあとその自然の創造物の姿を味わいました。人間も何世紀も前と同じ姿をしているのだから、動物や植物が同じなのもあたりまえですが、なんだか時空を超えて同じものなんだという不思議な気分になりました。

そして、夜は本館ロビーでプロの方のマリンバの演奏がありました。これは宿泊客でなくても無料でグラスワインをいただきながら鑑賞することができるので、沢山の人が集ってきていました。こういうサービスは本当の豊かさではないでしょうか。
こういうのは「美しい日本」です。ホテルオークラのファンになりそうです。

しかし、いくらあまりお金がかからないとは言っても、こんなことを頻繁に味わってはいられませんし、このような優雅なくつろぎが癖になってしまうのも困ります。
一流のものはいいです。いいものに浸ると品の無いもの、安価で安易なものがくだらなく感じ受け付けなくなってきてしまうかもしれません。
320円のチョコレートパフェ(すでに形作られ冷凍で保管されていて固い)と150円のドリンクバイキングなどを日頃食している私ですが、そのような習慣がいやになってしまいそうです。
夜間や休日に皿洗いのパートを追加してでも、少しはまともな服を買ったり、本当においしいものを食べて優雅な気分に浸りたいものだと思ったりします。

ロビーコンサートは毎月25日に行なわれます。今度は集古館と昼食券セット3200円というのもいいなあと思っています。
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牛肉の柳川風鍋

2007-02-26 22:47:37 | トラックバック練習・ご意見板
柳川鍋」というのは、本来ドジョウが入っているのかな?ウナギで作るのもあるようですが、私がふだん作るのは牛肉を使ったものです。
柳川というと、必ず使う材料は、ごぼうのささがきと三つ葉と卵ですね。それに牛肉の薄切りをつかいます。普通に醤油・酒・みりん・だしのつゆでごぼうと肉を煮て、そこに三つ葉をたっぷり載せ、最後に解き卵を流し入れてあらかた固まったところで火を止めます。
下のほうにつゆが残っている状態で、あまり固まりすぎない程度がいいです。
きょうはこれを作ったのですが、つゆは「にんべんのつゆの素」を使い、あと具にはエノキも加えました。時間もかからないし簡単でいいですよ!

あっ、写真を撮らないで食べてしまった!

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美味でございますう~

2007-02-26 00:49:52 | 未分類過去
        久々にまともなスイーツを食べました。   満足です!
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いつものごとく

2007-02-24 22:32:55 | 未分類過去
いつものごとく、締まらない休日。
特に予定もなく、散歩に出るにもものすごい強風なので家の中にこもっていた。

この間、本屋に行ったとき、「掃除をすると運気が向く」というような内容の本が何種類も平積みしてあり、どれか買おうかと思ったのだが、どうせ読むだけ読んで終わると思ったので買うのはやめた。
それで、そのコーナーではなく文庫本で「定時に帰る仕事術」というのを買ってきた。

私の仕事は締め切り間近に頼まれた仕事は必然的に残業となるわけで、それは避けようがないものであるが、最近どうも自分の仕事のやり方が効率が悪いような気がするのである。
パソコンを使いこなしていなかったり、うっかりミスがあったりして、思わぬ時間のロスを作ってしまうこともある。
また、日常継続的にやっている仕事の中に単発的な仕事が入ってきた場合、それをどこに入れるかというのも非常に迷う。いつものものを中断していれるのか、それとも一段落した時に入れるか。先日などは一段落したらと思っていたのが結局一段落しないままだったので、単発的な仕事をかなり後まわしにすることになってしまった。
また、急ぎでない自分の仕事が控えている時に、自分本来の担当ではないがなるべく早く済ませたほうがいい仕事があった場合、それを消化しておいたほうがいいのか。
私がそれをやれば仕事がスムーズに進む人もいるわけだが、私自身の仕事はたまったままということになる。でも人のものはほっといて、急ぐ必要もない自分の仕事ばかりしていたら何だか性格が悪そうな感じもする。
どうも最近要領がわるいなあと思っていた。
また、自分の手持ちの資料をファイルしたり、机の中に保存するのもなんか乱雑で、時がたつと共に量も増え、ごちゃごちゃになってきている。
その本には、資料の整理の仕方なども載っているようだったので買ってみた。

それで、先日から流し読みをしていたのだが、きょうは午前中から自宅の机周りをきれいにしようと片付け始めた。
日本語を教えていた時の教材は以前もだいぶ捨てたのだが、まだまだたくさんのものが場所を占領している。今回は、コピーした絵カードすべてと自作の絵カードすべて、また養成講座のときの手書きのノートを、数冊のルーズリーフのファイルから全てはずし、もらったプリントも全て捨てた。

この本によると、過去に手に入れた価値がありそうなものは、本当にもう手に入らないのかということだった。自分にとって貴重に思えてもそれはありふれたものであることが多いとのことだ。
確かに、日本語の教え方などは何度でも勉強しなおすことができるし、教材は新しく買うこともできる。せいぜい何千円ということころだ。自作のものはまた自分でつくればいいことである。
聴解の教材などは、30課くらいあるもので教師用スクリプトと生徒用タスクシートをせっせとコピーし、テープもダビングしたもので、なかなかいい教材だと思っていたものだが、このようなものも、新しく買うことができるし、今ではきっとCDになっているだろうから、頭出しも簡単だ。必要ならば教師用と生徒用の2冊の本とCDを買えばそれですっきりである。

思えば、どうしてこんなにコピーが多いんだ!とあきれる。コピーしたものというのはとかく乱雑になりやすく、整理するのも大変で、いざというときに見つからなかったりする。

特に一番最初に勤めた学校は教科書を使わず生徒に対してもプリントばかり使っていた。また、ボランティアの教室などでも学習者が教材を買う負担を軽減するために教材をコピーしてあげることが多かった。それを準備する手間はたいへんなものだったし、そのときに編集して作ったプリントの元原稿などを全部、教科書別、課別、指導項目別、などということで保存してあったので、その量は半端ではない。
大量の宿便、大量の贅肉のごとく、資源ごみの束となった。
第一、コピーの使用ってのは著作権の侵害にもなりかねない。

この量から行くとコピーに何万円という金額をかけていたことも実感するが、元がかかっているからというだけでこのようなものを溜め込んでおくのはストレスである。
これで、実際的に副教材が無くなったので、それを利用して教えることもできなくなった。
もし教えるとしても、コピー教材などは使わずもっとスマートに教えたいものだ。

ひとしきり不用品処分をしていると、いつものごとく疲れが出てきた。
相変らず机周りはごちゃごちゃのままだが、もう続ける元気は無い。
昼過ぎから夜まで昼寝した。

これで、今日1日はおしまいだ。

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餃子

2007-02-23 23:40:07 | 未分類過去
きょうは、餃子を作った。
おとといだったかな、テレビで浜松の餃子のことを特集していた。餃子といえば宇都宮が有名だが、浜松のほうが一人当たりの消費量が多いのだそうだ。
浜松と言えばウナギだと思っていたので、実家が静岡県にも関わらず全然しらなかった。
浜松は、近くに豚肉やキャベツの生産地があるのだそうだ。あと、餃子の自動包み機がバイクの部品を作る機械と同じような構造なのだそうで、バイクの製造業がさかんな浜松でそれができたようだ。
しかし、最近のテレビ番組は100%信用できるわけではないので、浜松の人たちが誰も彼も毎日のように餃子ばかり食べているというような映像はヤラセではないかと思った。でも、それにしてもおいしそうだ。もともと餃子は大好物だ。

そんなのを見ていたら、急に餃子が食べたくなった。
それで、昨日はひき肉、にらなど買ってきたが、同時に冷凍エビやナス、さつまいも、しめじなども買った。
餃子か天ぷらかどっちかを作ろうと思って買ってきたのだが、餃子を作ろうとしたら、なんと皮を買って来なかったことに気がつき、昨日は天ぷらになった。

それで、今日は、餃子の皮を買って帰り、念願の餃子を作ることができた。
うちの餃子は、キャベツ、にら、豚ひき肉、塩、コショー、醤油、オイスターソース、豆板醤、生姜、酒、サラダ油、片栗粉を入れる。子供が夜バイトに行くのでニンニクは入れなかった。

包んだ餃子40個をごま油をひいたホットプレートの上に並べ、焦げ目がついたら水を入れて蓋をして蒸し焼きにする。水気がなくなってきたら蓋を開けさらに水分を蒸発させて仕上げにごま油を少しかける。
最近はこのやり方が一気に焼けて一番手っ取り早いことがわかったので、この方法ばかりやっている。なかなかきれいに焼ける。

う~ん、なかなかおいしかった!
刻んだり包んだりするのはちょっと面倒だが、
好きなものを食べるためには少々の手間は苦にならない。

子供も餃子を食べて満足し、元気にバイトに出かけた。


~それにしても、今夜は風が強いです。
8時から12時までバイトの娘、ご苦労さんですね。~
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入り込めない新人が悪い?

2007-02-22 01:32:15 | 未分類過去
そういえば、もうひとつあった。
人が自分の悪口を言っているのを聞いたこと。
それも、以前勤めていた会社でのことだった。

入社する前は、その会社がどんなものか、会社案内を見たりして、そこに載っている社内行事などの写真を見てイメージを膨らませたりする。
その会社には社員の吹奏楽部があり、演奏会などをやっている写真が載っていて、私は入社したら、高校時代にやっていたクラリネットでも買って、吹奏楽部に入りたいと思っていた。仕事が終わったあと、みんなで音楽を作っていくのはどんなに楽しいだろうかと期待していた。
会社には吹奏楽のほかにも、いくつかのクラブがあり、吹奏楽団は野球部の試合の応援にも行ったりするようだったので、楽しい会社生活ができるような気がしていた。

ところが、いざ入社してみると、私はある営業所に配属され、吹奏楽部の活動には遠すぎて物理的に加わることが不可能だった。
唯一入部して活動できるクラブが、柄にもなく華道部だった。
もともと特に関心があったわけでもなかったが、それしかないし、何もしないよりはいいだろうくらいな感じで入社後何か月もしてから華道部にはいった。

しかし、その華道部も別の営業所まで電車に乗っていかなければならない状況で、そこに着くと、そこの建物に勤めている人たちはもう席を独占し、花を活け始めてから40分くらい経っている状況だった。
最初は同じ部署の先輩と2~3人で一緒に行って、先輩が場所なども誘導してくれ、座りきれない会議室の会場から少し離れた社員の机などを貸してもらって活けたりしていた。そして、先輩と一緒に華道の先生を呼び、活け方を指導してもらったりした。
しかし、程なくすると、先輩が会社をやめてしまったので、私ひとりで通うこととなった。

ひとりで全然知らない部署の会議室に行くわけで、誰一人顔も名前もわからなかった。ここ空いてますか?などといくらか空いていそうなスペースを見つけてきいてみると、すこしずれてくれたりはするものの、私に関心をしめす人はいなかった。
今となっては、自分で「どこそこの部署の山本といいます。遠くから来るのでいつも遅くなってしまい、今まで会場の外で活けることも多かったんですが、ひとりになっちゃったので今後はこっちに座らせていただけますか?何もわからないのでよろしくお願いします。お名前は何とおっしゃるんですか?」などとずうずうしく売り込んでいけばよかったと思うわけだが、最初なまじ先輩と一緒に片隅でやっていたばかりに、今さらあらためて自分をアピールするような雰囲気ではなかった。入部してからはすでに何ヶ月もたっているという状況なのだ。しかしながら知り合いはいない。
それで、大勢の中に座りながらも言葉を交わすこともなく、黙々と花を活けるのだが、やはり始めるのが遅いのでひとりだけ出来上がるのも遅くなってしまい、終り頃に遠慮がちに先生に声をかけて出来上がった花を見せ、なんとか指導してもらうような状況だった。

そんなある日、その華道の先生が、ちょっと離れた席で他の女性社員の活けた花をアドバイスしつつ、楽しく話したりしながら言っていた。
「あの人は、自分から仲間に入ろうとしないからだめねえ。いつも遅く来てひとりで活けてるだけで人と交わろうとしないから、あれじゃいつになっても親しくなれないわね。みんな楽しくやっているのに、あの人だけがあんなふうなのよ。ああいう人はどこへ言ってもだめね」
聞こえよがしだった。
その先生は70歳はすぎているというような年齢の老婦人だったが、自分を慕ってなついてくるような人には優しいが、そうでない人に対しては思いやりも何も持たない人のようだった。社長の知り合いだとかで、社長に頼まれているから断わりきれずに好意でその会社に華道を教えに来ているとかいっていた。
それにしても、同じ生徒(弟子)の中の一人についてそんなことを言う人がいるだろうか?人間性を疑ってしまう。
他の女性社員たちは私に対して無関心だったわけだが、その先生には目障りだったようだ。
そんなことを言われては、先生に声をかけて指導してもらうのも、さらにためらってしまうような状況だった。

その後もしばらくは通い続けたが苦痛以外の何ものでもない。
華道部に属していた私は、会社のお金で各部署に届けられる花材を使って課長の机のそばに花を活ける役割もあったので、他に活ける人がいない以上やめるわけにはいかなかった。
せっかく無料で職場に花が飾れるのにそれを廃止させるわけにもいかなかった。後輩に入部を誘ったものの入る人もなく、結局あとを引き継ぐ人もいないまま私は会社をやめた。

やめる段になって、退職することになったので華道部にはもう参加できなくなったと連絡すると、遠い部署の華道部の女性社員から「退社するとは驚きました。とても残念です」という親切な手紙が送られてきたが、手紙の主の顔もわからないような状況だった。もしかしたら、その人とは友達になれたのかもしれないと思った。

閉じた集団(固まってしまっている知人集団)っていうのは、取り付く島のない雰囲気というのがある。その中に外部の人間が入って行くのは非常に気がひけたりするわけだ。声をかけてもその場限りの最低限の返答や反応しかしない人たちの心にどうやって入っていけというのか?
そういう状況なのに、外から入ってきた人間の心構えや行いに落ち度があるから仲間になれないのだとするのはどうなんだろう。

私は、自分の集団に新人が入ってきたりしたときは、こちらから進んで声をかけ緊張をほぐすように勤めている。不安そうにしている人などを見ると、特に用件がなくても適当なことを話しかけてみたりする。
また、必ず紹介をして知らない人同士を引き合わせるようにしている。
そんなことがためらわずにできるようになったのは、中年になってからだが、自分の心細かった経験にもとづくものでもある。
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友人との飲み会

2007-02-20 01:05:34 | 未分類過去
飲み会とは言っても、4人中2人は全然お酒を飲まない人で、私ともう1人もそれに合わせてアルコールは1~2杯で押さえ、ご飯のセットを食べるという形になった。
それでも、気の置けない仲間とたわいのない話ができるのは楽しかった。
しかし、あまりにもたわいが無さ過ぎて、まるで内容がない。何時間も話しているうちに子供の同級生が何をしているかとかその家族の様子、その家の羽振りがどうのこうのなどというくだらない噂話を延々と聞くことになってしまった。
誰それの親は毎日パチンコ屋にいりびたっている。誰それは病気になって家にこもっている。誰それは離婚した、別居した。どこそこの家には財産があってお金が有り余っているから働かなくても平気だ。あそこの子は変人で登校拒否になったがもともと頭がいいので大検を受けていい大学に入ったが相変らず変人だ。etc.etc.
特に悪口を言っているというわけでもないし、そういうことを聞けば、ああ、そういう家庭もあるのかなどと参考にはなるわけだが、しかしまあとりあえずどうでもいいし、それを聞いたからと言ってそれがどうしたのさ、という無意味感がつのってきた。もっと有意義な話はないのかな?
だが、自分が何か興味深い話題を持っているわけでもなく、ただ聞き役に徹する。
気の置けない友達、それは経済状態が同じような家庭、子供に対して同じような育て方している家庭。半分くらい人生に失敗している人たち。そういう人たちとは自然体で付き合えるが、どこか関心や興味が自分とは異質な感じがする。
一方、パート先の同僚などはどうしても私よりは何もかもが高級な人たち。自分の一軒家を持っていて車もあり、子供に英才教育をし、エリートコースに進ませるべくしっかりと育てている教育ママタイプだ。
「その辺のどうしようもない子たちと一緒の公立中学に行かせたくないので私立に入れた」などと言う話を聞いて唖然とする。そのどうしようもない子ってうちの子か?
「毎日のように勉強もせず公園なんかで遊んでる子」。そんな話がでると、「えっ、うちの子そういう子でしたよ」などとわざと言ってみたりする。公立で通している人でも、その中のトップクラスを維持し、高校は超エリート都立高へ行かせるべく、塾に通いつめて受験勉強。
すごいな~。当然のごとく、一族総一流校出身だろう。
ウチは公営住宅なの、車は無いの、自転車で通えるその辺の適当な高校に行かせたの、・・・そんな人間、軽蔑の対象にしかならないんだろうな。
だから、会社の人たちとは、本当のお友達にはなれないな~と感じる。
一緒に食事をしても酒を飲んでも楽しめないだろうし、ま、そんな話も出ないのが幸いだ。
やはり自分と似た境遇で同じようなことを考えている人がいいと思うけど、そんな人どこにいるのかな。両極端でちょうどいい人に会ったことがない。
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東京タワー オカンとボクと、時々オトン

2007-02-18 23:12:30 | 読書
昨年の秋から友達に借りていたこの本を明日までに返すために、昨日から本腰を入れて読んでいて、やっと読み終わった。
明日の夜は、久しぶりに友人4人で飲み会(すごく遅い新年会)をやる。その時にいくらなんでも返さなければと思ったわけで、友人はいつでもいいとは言っているが、期限を設定しなければいつになっても読み終わりそうになかった。
「東京タワー オカンとボクと~」は昨年単発のテレビドラマでも見たし、今は月9ドラマで、もこみち主演のを見ているところだ。なまじ内容がある程度わかっているだけに、わざわざ活字を読むという気が起きないのだった。
しかし、読まないで返すわけにもいかなくなり集中して読んでみたら、なかなか重厚なものだった。文の描写も光っているし、内容も筆者の思い入れが感じられる。そういうのはテレビドラマや映画では味わえないもので、やはり本人が書いた原作を読むにかぎる。
親子とは、家族とは、人生とは・・・いろいろなことを考えさせられた。
一番感じたのはやはり母の愛だが、その母に育てられたボクの母への愛、そして一見頼りにならず勝手なことをしていたように見える父も、肝心なときにはちゃんと妻と息子を見守っていたということを感じた。祖母や親戚、友人たちの温かさ、人間のつながりがすばらしかった。九州の言葉も私にとってはすごく新鮮で人間味を感じさせられるものだった。
人間、代々生きていくのって大変なことだ。誰しもが生まれて死んでいく。楽しんだり苦労したりしながら、幼児から老年になるまで一生懸命生きるということだ。
どの人生もそれなりの重要性がある。

このごろの私にとって読書は精神的に疲れる作業となった。子どもの頃は読書を楽しんでいたが、こうやって人の一生や半生を読んでいると、病気で亡くなっていった父や義母、今老いて田舎で一人暮らしをしている母、これから老いていく自分と夫、そしてこれからひとり立ちし、新しい家族を持ち、そしてまたいつしか老いていく子供たち。
そんなことがあまりにも現実的にのしかかってくるように感じるのだった。それを負って生きていくのが人間なんだ。そこに幸福と楽しみも多いはずなのに、なぜか人生の哀愁みたいなものがのしかかってきてしまう。親に世話をされた自分、子供の世話をした自分、将来親の世話をする自分、もっと将来子供の世話になる自分、それを避けることはできない。そうやって移り変わっていくのが人生だ。そしてやり直しのきかない1度だけの人生。
だから、いつでも常に今ある幸せを大切にしなくちゃいけないなあと思う。
オカンは料理が上手でいつもみんなにおいしい食べ物を用意していた。私もそんな人になりたいものだ。
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今年のバレンタインデー

2007-02-17 15:09:07 | トラックバック練習・ご意見板
ふと気がついたときは2月10日土曜日でした。
会社では13日の火曜日に打ち合わせをしなければ間に合わないという忙しさ。
昼休みに職場の女性とトイレで会った時にパパッと決めて、当日の昼休みに女性社員さんがちょっとしたおやつのケーキを買ってきてくれるということになりました。

去年は私個人で、小さいチョコレートの玉を2こずつ男女を問わず身近な人の机に配っただけだったのですが、同じ部署の女性正社員さん3人が共同でシュークリームを同じ部署の男女を問わず全員に差し入れしてくれました。私はそれをご馳走になり、3月14日のホワイトデーでは、男性社員からお返しとして高級なショートケーキをご馳走になってしまいました。
そりゃあ、男性社員さんも、女性正社員にだけお返しをして、机を並べているパートのおばちゃんの私を除外するわけにはいかないということで、同じものをプレゼントしてくれたようです。

去年そんなこともあったので、今年のバレンタインデーには自分も仲間に入れてくれと、昨年から女性社員さんに言ってありました。

こんなところでもいろいろと正社員とパート、派遣などの立場によって軋轢があります。

今年仲間に入れてもらって初めて知ったんですが、正社員さんがプレゼントをする男性社員というのは、組織上同じ部署になっている人でした。つまり、はるか遠くの場所で働いている人も同じ部署なので対象に入っていたことを知りました。
パートの私は日頃周囲にいる人しかつながりがないわけですが、正社員の場合は、会議や打ち合わせのときにはその部署に属する集団で集まるわけで、つながりの強さが組織図と一致しているということなのでしょう。そのあたりの感覚にズレがあります。
また、私はたまたま同じ組織図の中の女性正社員さんの席の近くで働いているので仲間に入れてもらったのですが、パートタイマーは組織上では便宜上ある人の部下となって管理下におかれているものの、実際の仕事ではひとりだけ別の部署に配置されていることもあるのです。
そうすると、そのひとはどっちに加わればいいんだ?という問題に陥ります。

そして、同じフロアで仕事をしていても第1課から第3課などに分かれている場合、1課は男女同数で、2課は男性10人に対して女性1人、3課は逆に女性10人に対して男性1人などという大奥のような課もある、というわけです。結果的には別の仕事をしている全然違う課の人とのやりとりも過密だったりするので、課ごとにバレンタインを分担というのも、なかなか複雑だな~と思うわけでした。

適当な女性が結束してプレゼントした場合、自分は差し上げていないのに男性からお返しが来たので辞退したなどということもあるようです。

ま、要するに、バレンタインデーなんか面倒くさい!というのが結論かな~
男性もお返しの仕方に、苦労しているのではないでしょうか?
でも、全く何にもしないのも寂しいな~という気はしますね。

ところで、自宅では、今年は夫のためにチョコを買いませんでした。
前日にある店の前で買おうとしたら、自転車を止めるところがないので、やめちゃいました。子供がクッキーを焼いていたから、それでいいやと思い、また、15日に半額になるのを期待したのですが、値下げはされずホワイトデーのために撤収されたようです。
このごろ、コンビニやスーパーでもなんとなく気合が入っていない感じがしますが、気のせいでしょうか?形骸化してるんじゃないかな~

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10年を振り返っての転機

2007-02-17 01:51:46 | トラックバック練習・ご意見板
ちょうど10年前くらいに、“顔面神経麻痺”というものにかかりました。
これは“ベル麻痺”と言って、ある日突然顔の半分が動かなくなる病気です。
顔面につながる末梢神経が損傷したか炎症を起こしたかして機能しなくなり、顔の筋肉がまったく動かなくなったのです。どん底です。回復までには何ヶ月もかかり、この麻痺の経験で人生観が変わりました。
人間はいつどうなるかわからないものだという恐れもありましたが、治ったからには今まで以上に有意義な人生を送ろうと思いました。
そして、年齢もちょうど中年にさしかかり、外見やかわいらしさで世を渡る歳でもなく、子供の手も離れてきたので、自分の内面を充実させて、世の中のためになるような仕事をしたいと思いました。
1998年から日本語教師養成講座に通い、2000年に日本語教育能力検定試験に合格し、日本語学校の非常勤講師になりました。この頃は今までの自分では無いような自己実現を達成したといえるような活発な時期でした。
最初の2年は順調に働きました。しかし、そこである学生の人権に関わる問題が起こり、その学生のために動いたところ、それが学校全体にとっては非常に迷惑な、損失につながることだったので、私はその学校を辞めなければならなくなりました。
その後、すぐ別の学校に転職しましたがうまく行かず3ヶ月でやめ、不動産会社に勤めました。でもまた7ヵ月後に日本語教師に復帰し、スーパーの仕事と掛け持ちで1年働きましたが、その後の契約は更新されず、なんだかヤル気がなくなって、日本語教師から足を洗いました。
何をやっているんでしょうね。
転機と言えば、10年前顔が全く動かなくなった時もそうだし、日本語教師になろうと養成講座に行き始めたのも転機だし、検定に受かって就職できたのも転機です。そして最初の学校をクビになったのも転機だし、その後職場を変えるたびに転機で、めまぐるしく、ジェットコースターに乗っているような方向転換と浮き沈みの激しい10年でした。
それで、2年前から文書の校正の仕事をしていますが、ま、いい場所に収まったって感じです。やはり私は黙々と人知れず文字を読んでいるのが性に合っているようです。
もともと国文科なのですが、なぜか畑違いの化学や物理の文書を読んでいます。文系から理系へ、これが1番新しい2年前の転機でした。
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人間のつながり

2007-02-15 11:37:07 | 未分類過去
このごろいやなニュースが多い。
最近、気になるのは殺人事件であるが、ごく普通に見える人が残虐な行為を行うというのに驚かされる。その犯人像によくあるのは、孤独な人間像だ。
近所の家に進入し老人親子を殺した容疑で逮捕された21歳の大学生にも驚いた。べつにお金に困るような環境ではなさそうだし、アタマも悪くはなさそうである。いったい何のために人を殺さなければならないのか、意味不明だ。このような不気味な人間は孤立していることが多いようだ。
都内の大学3年生という点では、うちの娘と同じであり、なんだかおそろしい気がした。
そろそろ就職活動などしているのに、この人はどうなってしまっているのか?

そういえば、現代の若者はあまり集団行動をしない傾向なのではなかろうか?
最近、私はこのブログに団塊の世代のことを書いているが、団塊の世代は同世代が多いということも関係するのか、若いときから集団行動を好む人間だったと思える。
そして、周りの社会状況などにも関心を払うから、学生運動をしたり、労働運動をしたりして、集団社会そのものを変化させようと働くのだろう。
私たち現在40代の人間は、かなり個人主義になってきてはいるが、周りに不満がある者たちは若いとき暴走族などになっていて、集団でウサを晴らすことが多かったようにも思える。

しかし、今はもっと個人主義が進み、最近の若者は自分ひとりのことしか考えない人間が増えている。
そういう人は暴走族に入るのも人間関係が面倒くさいのではなかろうか。
だから、普段は何もしないで自宅にひとりで引きこもっている。そして、何か自分に不都合なことがあったり、自己実現できなかったりすると、身近なものを抹殺するという行動にでるようだ。なんだかタチが悪い。不良集団より不健康かもしれない。

小さいときから人とのつながりを持って生きるような社会を作っていかなくてはいけない。




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これからの10年でやりたいこと

2007-02-14 23:55:04 | トラックバック練習・ご意見板
トラックバックご意見番というのを発見したので、こっちも書いてみようと思います。

10年というのは、ちょうど今の私(47歳)にとっては予定を立てるのが難しいな~という感じがします。
私の場合、あと5年くらいは東京で今の仕事を続け、あとの5年は生まれ故郷にUターンして、年老いた母(現在75歳)のそばで暮らすという予定ですが、田舎に帰った場合、そこでどうやって生計を立てていけるのか皆目見当がつきません。
先のことを模索しつつ、これからやっていくしかないと思います。

とりあえず、今後5年はけっこうはっきりした目標があります。
今、知的財産に関係した部署で、理工系の文書の校正をする仕事をしているので、それに役立つような知識や技術を身につけていきたいと思っています。
放送大学の自然の理解専攻を履修し、徐々に知識を得たいと思います。それと同時に地球の環境や資源についても考えていき、地球を守る何らかの活動に結び付けたいと思います。

また、今年か来年には普通車の免許をとりたいです。
この歳まで免許がなかったわけですが、田舎に帰った場合、どうしても足として車が必要になるので、40代のうちにとっておこうと思います。

上の子は来年、下の子は再来年で独立する予定ですから、東京で自活していくでしょう。
夫は仕事がどうなるかわからないので、田舎にいっしょに行けるかどうか今のところ見通しは立たないのですが、時と共に考えていこうと思います。
とりあえず、家族で共に過ごせる間は、家族の団欒などを大切にしたいです。

今やっている仕事を10年先まで活用させることができないかもしれないというのは、ちょっと残念です。何しろ田舎というのは企業などがあまりないので、今の仕事を活かせるような職場はないと思います。
それで、今まで日本語教師をして地域の国際交流活動などをしたり、放送大学で文学や芸術について勉強してきたので、役所の文化関係の仕事や博物館・美術館の関係の仕事ができないか、などと漠然と考えています。あるいは、自分で公文の教室でも開くのはどうかなと思っています。

とにかく、今後の5年間、母の健康を祈りつつ、東京と田舎を行き来しながら頑張っていきたいです。

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食生活の重要性

2007-02-14 19:22:33 | 未分類過去
会社でよく休む人と、休まない人というのがある。
生まれながらの体の丈夫さなどもあるのだろうが、ふと気がついた。
サンプルは少ないのだが、今身近にいる人で、よく体調を崩して休むAさん、このひとは毎日時間ぎりぎりに出勤し、コンビニの袋をぶら下げている。そして、パンなどをほおばりながら仕事を始める。それから、ドリンク剤も毎朝飲んでいる。よほど疲れが溜まっているかと思える。結婚していて、小さな赤ちゃんもいる。奥さんが働いていたりしたら、育児も忙しく朝ごはんなんか作れないかもしれない。また、本人も家で食べる時間さえないような感じだ。当然お昼も手作り弁当ではなく、コンビニで買ってくるか外食をすることになる。
あんまり体にいい食生活はしているとは思えない。ヘビースモーカー。

もうひとりのBさん、この人は私が会社に行くといつもすでに席について仕事をしている。
病気で休んだことはない。青年海外協力隊でアフリカのほうに行っていた人だけあり、体は丈夫なようだ。そして、このひとも結婚していて小さい子供がいる。Bさんは、毎日お弁当を持ってくる。中身はどんなものか見たことがないが、奥さんが作るのだろう。奥さんが専業主婦かどうかは知らない。そして、食べ終わるとちゃんと弁当箱をきれいに洗い、しばらく空いた机の上で乾かしたあと、3時ころになるとしまっている。ずいぶんと几帳面である。煙草は吸わない。

上司のCさんも、病気で休んだことはなく、弁当を持ってきていて、食後は弁当箱を洗っている。煙草は吸わない。

こうやってみると、手作り弁当でタバコを吸わない人は健康であり、そうでない人は体調を崩しやすいということになる。

BさんやCさんの奥さんはよくできた人だと普通に思うわけである。
ところで、私はどうかというと、Aさんの奥さんはだめそうだと思いつつ、Aさんの奥さんと同じであり、夫に弁当を作ってやらない。子供の弁当は作るが夫のは作らないという最悪の妻である。自分自身も子供の弁当が不要になってからは、作ってもおにぎりくらいだし、コンビニ弁当を買って済ませることも多い。

夫は妻の弁当を持っていかない会社員であるわけだ。しかし、夫はまあよくも休まず働いている。煙草を吸わないのはいい。
以前は職場に従業員食堂があり、プロのシェフが作っていたからそれが幸いだったのかもしれない。それで、丈夫な体ができあがっているのかもしれないが、今の職場になってからは食べ物持参なので、健康によくない食生活が始まっている。

これからは私もちゃんとした手作り弁当をなるべく作ってあげようと思う。




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