ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

ぼんくら家

2013-01-25 05:00:00 | 大阪にて

年を明けてからのこと、何処の何というテレビ番組かは忘れてしまったのですが、『ぼんくら家』というお好み焼きの店を紹介していました。性懲りも無く『ぼんくら』などと言う間抜けた名前を付けた店が難波にも表れたので、通りがかりに寄ってみることにしました。私が自転車でわざわざ行ったのは宗右衛門町のとある店を探すために道頓堀の真ん中に自転車を停めたのでした。難波や梅田、天王寺は自転車を停めるにも駐輪場が造られてあって料金がかかり、せっかく健康のためと経費節約のための一石二鳥を狙って電車に乗らずに赴いているのにと思うと腹が立つ思いです。大阪市が何を考えているのか察しはつきますが、逆に停める所がないという矛盾に突き当たってしまっているのです。

ところでテレビで見たのは『ぼんくら家千日前店』、私は道頓堀に自転車を停めたのでその辺りをウロウロしているとすぐに『ぼんくら家』を見つけたのでした。テレビが無責任なのは知っていますが「ここは千日前と違うで、道頓堀や」店の位置までウソを報道しよると思ったのです。「まぁ勘違いと言うこともあるわ」と思っていたのですが、どうも納得がいきません。このブログを綴るにあたって『ぼんくら屋』を調べてみると・・・ここは道頓堀店、千日前店は別にあったのでした。

ただ、タイトルに取り上げた割には、未だ開店していなかったので、ここのお好み焼きは食べていません。

             

今日書いてみたかったのは、定年を迎えてこれからの生活をどのように迎えるのか、所謂年金について知ったことを述べておこうと思うのです。去年の2月にマイドーム大阪で開かれた退職説明会は、難しい年金制度を短い時間で説明され、何が何だか解らずに帰ったのですが、今ここで年金を受け取るという段になって、そこで貰った教科書をもう一度読み直してみたのです。いったい私は年金をいくら受け取ることが出来るのか?それは今後の生活設計において重大な判断を迫られます。

年金で生活できないなら、せめてアルバイトでもして働かなければなりません。失業保険を貰うために通っていたハローワーク時代とは訳が違います。

                       

昨年末に我が社の企業年金基金・経過措置加算担当という部署から手紙が届き、貰った時は何を書いてあるのか訳が解らなかったのですが、とにかく私が年金を受領する権利が発生した去年の誕生日以降、国が発給する老齢厚生年金が停止された期間(報酬比例部分)があれば報告せよということ、支払われなかった年金額に対して一部を企業年金基金が補填するというものでした。

訳が解らないままに要求された国発行の書類をコピーしに行かなければなりませんが、年金額変更通知書は理由や発行年月日が要るというので、両面をコピーしなければなりません。コンビニに持って行くと両面コピーが出来ないので途方の暮れて、一度は以前の尼崎にある会社に持って行けば誰かが便宜を図ってくれるだろうと思ったのですが、おカネも時間もかかります。なので近所の印刷会社に持って行ったのです。

             

「コピーお願いしたいのですが」と言うと、「そこのコンビニの方が安いで」と面倒臭そうに言う社長らしき人、コンビニでは両面コピーが出来ない云々言うと、「1枚20円、両面は40円」だと言います。両面3枚と、片面2枚分でしたから160円だと思って用意していました。コピーするのに何処かから社員を呼び寄せるその社長らしき人、「コピーなんか簡単なんやから自分でやれよ、なんなら自分がやろか?」と思います。ところが出てきた社員はコピー機と向き合い、快速堂という社名に反して相当な時間を費やしています。見ていると私たちが普段に使っているコピー機とは違い、何かタッチパネルのようなものを触っています。そんなたいそうなコピーを必要としているのではありません。送られてきた案内には縮小でも良いと書かれてあったのですから・・・

5枚をコピーするのに何十分もかかったような気がしていましたが、出てきたのはカラーコピー。社長曰く「カラーは1枚200円要りまんねん」これには呆れますよね。誰がカラーコピーを頼みましたか?私は「カラーなんか要りませんよ」と言ってちょっと反応を覗いました。先に白黒の料金を提示しておいて、頼んでもしていないカラーのものを印刷して高額な価格を要求するという行為は詐欺に相当すると言うものです。でもこの人はそういうことは解っていないよう、会社の社員が間違ったことに、いわば自分の会社が間違ったことに何ら気付いていないのです。「じゃぁ、それは要りませんから、白黒で印刷してください」と言ったら何と答えたでしょう?争いごとを好まない私ですからそのようなことは言っていませんが、先に社長らしき人が「じゃあ300円でいいです」って・・・こんなことですからこの会社は発展することが出来ないのでしょう。

             

ところで国家から支給される年金額、これって興味深いのですが、なかなか理解するのは大変です。退職説明会で話していた講師は私たちが解ろうが解るまいが、一通りの話をこなしただけという態度でした。そしてその当時の私もさして差し迫った問題とは捉えてなかったのです。そうして失業保険の給付が無くなり、そろそろ働かなアカン、でもソフトボールを続けるために土日が休みと言う会社は殆どありませんという状況に追い込まれると、2000万以上あった退職金があるとは言え、今後どうやって暮らしていこうと思うのは当然のことです。

そんな折に昨年の暮れに年金額変更通知書が届き“年金の支払いを停止する理由が無くなったため、年金の支払いを開始しました”という通知が届いたのでした。65歳からしか年金を受け取れないと思っていた私は大きな勘違いをしていたのでした。要するに国家から支払われる老齢厚生年金の一部である報酬比例部分は60歳から支払われるのです。この表に書かれている文字が見えますか、私のように昭和24年4月2日から同28年4月1日生まれの人(今年60歳で定年を迎える人まで)は、老齢年金の報酬比例部分を受け取ることができるのです。そして年々と事態は改悪されていきます。以降は2年毎のスパンで1年づつ報酬比例部分の支払いが伸びていくようになってしまっています。とどのつまりは昭和36年4月2日以降生まれの人は65歳にならないと私が60歳で受け取れた報酬比例部分は受け取れないようにされてしまっています。女性の場合は男性より5歳ほど年上での計算となっています。

             

ただ国家が支払う老齢厚生年金は報酬比例部分の他に定額部分と加算年金額というのがあり、私の場合は65歳にならないと支払われません。因みに私より一ランク上の昭和24年4月1日以前の人は64歳から支給され、これも2年毎に溯る人たちは63歳、62歳と支給開始年齢は低かったのでした。

私が習った時の教科書、改めて読んでみるとこんなことが書かれています。老齢厚生年金の定額部分の支給開始年齢について“昭和24年4月2日以降生まれの男性・・・には支給されません”と、私はこの範疇に入ってしまっています。これは一大事、こんな重要なことを時の講師は何も説明していません。こんなことがあっていいのか、私は今になって強い憤りと深い悲しみに打ちひしがれてしまっているのです。どうかこの教科書の記述が間違っていますように。

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