ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

季節外れですが

2007-02-14 05:43:44 | 大阪にて
台風のお話・・・尼崎市役所の一部です。

何を撮りたかったのかと言うと、中央やや右寄りに木の中からニョッキリと突き出た標識です。

見難いのですが、上が昭和9年室戸台風、下が昭和25年ジェーン台風の最高水位を示しています。

私の目線は室戸台風とジェーン台風のほぼ中間にあります。

          

同じものが阪神尼崎駅前にもありました。
ところが、とてつもなく高い所を示しています。

阪神の尼崎駅から市役所まで南北の距離で1Kmぐらいでしょうか。
その間に1~1,5mぐらい土地が高くなっていることになります。

なだらかな、坂とは感じることもない坂が続いているのでしょう。

平均満潮位  OP+2.10m
室戸台風が  OP+5.10m
ジェーン台風 OP+4.30m

          

平均満潮位より室戸台風の最高潮位は3mも高かった、ジェーン台風は2.2m高かったという計算上のものしか解りません。

示されている高さまで水が浸かったのか・・・それは違うと思うのですが、もう少し丁寧な説明が必要なように感じます。
OP自体、何を示しているか解りません。辞書を調べてもそれらしき答えは見つかりません。

          

再び市役所にある標識、根元がツツジの草に隠れて見えていません。
市側が市民にどれだけ理解を求めているのか・・・疑問に感じます。

          

阪神尼崎の標識の下方にあるものですが、全てを比べてみて何を現しているか、理解に苦しみませんか・・・?

このパン

2007-02-13 05:01:15 | 大阪にて
美味しいです。

難波walkにある『Gute』というパン屋さんのチーズが入った食パンです。
ドイツのパンらしい。

梅田にあれば買うのは楽なのですが、わざわざ難波で降りて買いに行くのが面倒で難点なのですが、わざわざ降りて買いに行く価値はあるのです。

寺町Ⅵ

2007-02-09 05:23:50 | 大阪にて
紹介した6ヶ所のお寺は南の筋に一列に並んでいるのでしたが、その北の筋に善通寺という時宗のお寺がありました。

香川県とは関係なさそうです。時宗もふと「ときむね」と読んでしまったりしてややこしい。

          

戦国時代も末期の頃に建てられています。
つまりこの一角を寺町として機能させたのは、戦国武将たちだったのでしょう。

善通寺の中に南天でしょうか、実っています。
今は鳥がついばんで、道に赤い実や汁が落ちていることが多い。

          

ここまで来て、道に大きな地図があるのを見つけました。
それで判ったのですが、最初に紹介した如来院が一番西にある寺ではなかったんですね。
もう1本道を隔てて、専念寺というお寺があるようです。

     

尼崎市役所に行くと、この寺町を含め江戸時代の尼崎の城下町の模型が展示されていますが、寺町は当時城下町の北限でした。この北側は今でこそ阪神電車・尼崎駅をはじめ国道2号線・JR尼崎駅・・・と大きな街ですが、当時はだだっ広い田畑や野原だったのです。

寺町Ⅴ

2007-02-08 06:02:28 | 大阪にて
寺町の一番東に位置する本興寺です。
この寺町界隈では敷地が一番広く、西側の寺の四つ分くらいあります。

             

これは1月下旬に撮っておいた写真ですが、なんと!桜が咲いているのです。

          

今年はいくら暖冬とは言え、まだどこの公園に行っても桜は咲いていません。

          

確かに桜だと思うのですが、違うのでしょうか?
早咲きの種類なのかも知れません。

          

こちらにもありました。
あまり早く咲くと、後が寂しくありませんか?

          

方丈とは4畳半ほどの間や建物のこと、それに大を付けるというのは大きな4畳半ということで、6畳・8畳・・・と表現されるはずで、殊更大を付ける意味もないように思うのですが。

          

まぁ、住職が住むところという意味もあるようなのですが、そういった狭い空間でも住職初め何人もの人が来ても帰依できる、そのような立派な教えを放り出して、のうのうと広い世界に安住する・・・そういう坊主にどのような教えが可能なのか、一度ご教授賜りたいと思う次第なのであります。
     

寺町Ⅳ

2007-02-07 05:20:23 | 大阪にて
前述寺町Ⅲの法園寺の東隣が甘露寺、甘党の寺みたいです。
屋根上の金色に輝く鳳凰が印象的です。

この一角にある数個の寺、夫々が自分の寺こそ立派であると、何か自慢のものを誇示しているようです。

          

その隣に禅宗の広徳寺・・・禅宗の中に臨済宗や曹洞宗とかがあって、一概に禅宗と説明されても、私には解りにくいのですが。

          

確かに他の寺社と違って、華奢なところが無く簡素であり、訪れる人の目を奪うものはないのに、他社が豪華を競えば競うほど、この質素な寺は存在意義を訴えているようです。

          

だからこそ、秀吉由緒の寺などと自慢気に誇るのは、却ってこの寺の信頼を失墜させるものではないかと私は思うのですが・・・

          

表に下の碑があり、私を立ち止まらせます。昼間からまだ飲んではいないので、憚ることはないのですが・・・

          

『不許葷酒入山門』と書いてあり、「清浄な寺門の中に修行を妨げ心を乱す不浄な葷酒を持ち込んだりそれらを口にした者が入ることを許さない」という意味らしい。『葷酒』とは臭い酒、臭くない酒ならいいのかなぁ?


梅の里!?

2007-02-06 05:24:42 | 大阪にて
私の通う職場の西長洲町の前の道をまっすぐ西に向かって歩いていくと、このような畏れ多い名前の交差点がありました。

ここは南部<みなべ>か?と、私は思ってしまいます。
帰省時に一面梅の木がある山々の南部川村~田辺を通ることが多かった私は、梅の里とはそこら辺りだと常々思っているものですから、唖然としてしまったのです。
(今は高速道路が南部まで繋がってるので、御坊で降りていた時と違い南部川村を迂回することはなくなりました。)

もう少し先へ歩いて行くと、熊野神社・・・大社ではないにせよ、ここらは和歌山かぶれの地かと思いたくなります。

          

確かに境内に梅の木がたくさん植わっていました。
もうすぐ満開になるのでしょうね。

          

しかし、一目百万・香り十里と言われる風景はこんなもんじゃない。
一目で百万本も目には入らないし、香りも40Kmも届くわけはありませんが、南部の梅林は広大です。『梅の里』と呼ばれるにふさわしい。

尼崎の公害だらけの地で『梅の里』と名乗るのは、ちとおこがましいのではありませんか?

          

まぁ、花自体は美しいので紅・白ともに撮らせていただきました。

          

今頃、南部梅林は実に見ごろなのでしょうね。


フィッシングショー’07

2007-02-05 05:30:31 | 大阪にて
何年か振りにフィッシングショーに行ってきました。
名古屋に赴任する前は毎年行っていたように記憶しているので、6年振り位になるでしょうか。
去年などはフィッシングショー自体忘れ去っていました。

          

以前より参加者が減ってるように感じましたが、実際はどうだったのでしょう?

地下鉄住之江公園駅でニュートラムに乗り換え、中ふ頭駅で降りて、インテックス大阪6号館まで歩かねばなりません。
ケガをする前は何とも思ってなかった距離が、骨折後は遠く感じます。

ニュートラムなどと呼ぶと、如何にも早そうな名前ですが、実際は車掌も運転士もいない自動運転のノロノロした電車です。

          
中は以前とあまり変わり栄えはしていない感じでした。
竿やリールはどんどん新しいものが出てきて、高価になる一方ですが、新製品を見せるための企画はウンザリといった感じです。

展示場に入ると撮影禁止の立て札があるので私は写真を撮らなかったのですが、コンパニオンや出演者に携帯やデジカメを向けている人が結構いたし、撮られる方はポーズなんかもとっていました。
撮影禁止の札は何だったんだろうと思いつつ、節を曲げない私でした。

          

変わったなぁと思ったのは、大きな水槽にバスを入れて、上からゲストが何やらトークをしていたことと、ゲームやクイズが多くなっていたことでしょうか。

私はあるコーナーで、釣り博士は誰だ?というクイズに挑戦しようとしたのですが、グループ制で代表一人が答えて、その人にあやかるだけなので失望したのですが、自分の所属するグループの代表が1問目・2問目と続けて間違えてしまい、それ以降の問題には私が教えてやったのでした。

それで10問中8問正解だったのですが、優勝することはできませんでした。
私が代表になるか、初めから教えていたら・・・うちのグループが優勝してたはずです。

ウキのキーホルダーしか貰われへんかった!


寺町Ⅲ

2007-02-02 05:32:34 | 大阪にて
長遠寺の東隣が大覚寺、聖徳太子の時代に建立され、尼崎最古の名刹と記されています。

律宗というあまり聞き慣れない宗派だそうですが、どう違うのかそこら辺りを説明してほしいものです。

鎌倉時代以降は古文書も残っており、沿革もはっきりしているらしい。
らしいというのは、私には見せてもらってないし、見せてもらっても読めないとは思うのですが・・・確認できてないからです。

          

室町時代に覚一検校という琵琶法師がおったそうですが、琵琶法師の職能団体=当道座を整備した人で、単に琵琶を弾いて平家物語を唄とっただけの人ではなかったんですね。

          

中世の頃このお寺の境内では市が開かれ、経済活動もされていたようです。それを市庭(いちば)と呼んでいました。

それにしても字が薄くなって読みにくい掲示板になっています。
お寺のような建物は古い方が値打ちがあるのかも知れませんが、掲示板は常に読めるようにしておいてくれなくては価値がありません。

でもデジカメは便利ですね。何書いてあるか判らなんような字も、画像をシャープにすると、少しは読めるようになりますもんネ。

大覚寺の隣に浄土宗・法園寺という小さなお寺があります。門と額が無ければお寺とは判断出来ないかも知れません。

           

まさに戦国時代の真っ只中に開基されています。

          

この説明文に出てくる『佐々成政』は、名古屋出身の武将です。

名古屋で営業中、名古屋市西区比良というところをフラフラと自転車で走っていると、佐々成政生誕の地と書かれた幟がたっており、『笹だんご』を売っていたのでした。

饅頭や団子など普段目もくれない私ですが、何故か味見に立ち寄り、お茶まで出してもらって食べたのでした。
それが結構美味しくて、職場の人たちも買いに行ってましたよ、もちろん車で。

          

私は大阪に帰るとき、おみやげにしたこともありました。
当時中村区を拠点にしていた私は、西区の端まで自転車で行ってたのですが、名古屋の人には考えられへんことだったのでしょうね。
         

寺町Ⅱ

2007-02-01 06:58:02 | 大阪にて
昨日の如来寺の東隣が長遠寺、日蓮宗のお寺です。
桃山文化の屋根が云々と書かれていますが、年号通り1598年に建立されていれば、もう江戸時代の初期にあたります。

          

このお寺は、この通りに並ぶ寺のうちでは、奥に広い感じがします。
ここに集められたお寺は、どのように区画を割り当てられたのでしょう?
教育委員会の説明書きには、しきりに尼崎城が造営されたとき、この地に移転してきたと書かれています。

          

京都のように観光客が極めて少なく、写真は取り易いのですが、門から建物までの距離が短く、広角機能のないデジカメでは全体像がなかなか撮れません。
一所懸命撮っているのですが、やはり端が切れてしまい、おまけに斜めになってしまいました。

                     

こちらは多宝塔、他の寺が軒並み尼崎市の重要文化財に指定されているのに比べて、本堂と共に国の重要文化財に指定されています。