ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

帰り道

2008-01-17 05:30:00 | 
豊国神社を出て、北へ歩きます。

猪の狛犬?狛猪ですかね。
去年だったら、丁度干支だったのに。

       

でも何処の何て言うお寺か忘れてしまいました。

       

見事な赤い実を付けた樹ですが、名前は知りません。
こうやってあっちで写真を撮り、こっちで感銘を受けていると、どんどんみんなから離れていってしまいます。

            

やっぱり京都やね。
立て看板も時代劇風です。

黄門様は東野英治郎ですね。と言うことは助さんは杉良で格さんは横内正か、最初の黄門様一行かな。京都は蜷川府政の時代ですね。

       

あっちへフラフラ、こっちへフラフラしている間に建仁寺まで来ていました。
中を見学している余裕はありません。

            

例の臭いお酒を持ったり飲んだりして入ってはダメよ!という字は見当たりません。

       

いつの間にか夕陽も傾いてきて、とうとう八坂神社まで来ていました。

       

こちらはだいぶ人出が多いです。

       

八坂神社の狛犬、力強さを感じますが、後ろの日の丸は写らんでもよかったのに。

       

祇園の街並み、まだ少し明るい。

            

祇園の路地、祇園を歩いてるのは判ってるけど、どっち向いて歩いてるのか全然判ってなかったみたいです。

       

また何処かで一杯飲んで、出てきたら夜になっていて、そこは先斗町なのでありました。

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耳塚と豊国神社

2008-01-16 05:00:00 | 
京料理『道楽』を出て、東に目を向けると何やら楽しげに人出が繰り出されています。

その手前にこの耳塚がありました。
豊臣秀吉が朝鮮出兵した際、多くの朝鮮・明国の人達を殺しましたが、その証拠となる首を持ち帰るのは超大で、代わりに耳や鼻を削いで持ち帰ったのでした。ひとつひとつ勘定し、秀吉は満足していたのでしょうか。
気持ち悪い奴です。

       


その霊のたたりを恐れて、丁重に供養したものですが、そもそも他国へ侵略していく行為自体を戒めなければなりません。

       

賑やかだったのは豊国神社でした。
豊国廟とは一体のものですね。

       

鳥居の上にハトが沢山留まっていました。

       

これでも何とか人を入れないようにしているのですが(酔っているのに)、どうしても入ってしまいます。

       

これは豊国廟で神事を執り行っていたのと同じ様式のようです。
壁がありません。そこが共通しているだけかも知れません。

       

賽銭を入れてもハネて、箱に入れへんと言ってました。
そんなに周りに落ちてるわけではないので、きっと入れ方が下手なだけなのでしょう。

       

それより崇敬者一同よりの献上が沢山あります。
この中にいくら包んでいれてあるのでしょう?

       

奉納されているお酒の樽、灘地区の神社などと比べ物にならないほど少ないですね。

月桂冠やキンシ正宗は知ってるけど、EH酒造なんて初めてです。
社長はエリックさんか?

       

ここの社務所で「豊国廟の階段は何段あるの、上まで何mあるの?」と聞いてみました。
若い子は「知らん」と言っていましたが、「向こうのおっちゃんに聞いて」と言うので、聞きに行くと「19?mで、49?段や」と教えてくれました。
?は、どうせ酔うてるから覚えられへんし、だいたい500段で200mやと覚えたのでした。 

しかしよくよく考えてみると、500段で200mなら1段40cmです。なんぼ私が足長やと言ってもそんな階段登れません。1段20cmとして500段で100mです。

高さは海抜で教えてくれたと理解しておきましょう。

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十日戎

2008-01-15 05:00:00 | 大阪にて
お正月が過ぎて、次の行事は『えべっさん』です。
私は商人ではないので、いつも傍観者なのですが、毎年観に行っています。

ここは西宮戎神社、ここの十日戎は初めてです。

       

と言っても西宮戎に来たのは8日、『えべっさん』が始まる前日です。

       

前日から沢山のお店が準備をしています。
すっかり準備が終わっているお店もあります。

       

こんなものを初めて見ました。
冷凍のマグロに硬貨を貼り付けています。

            

これも初めて見ました。
『さかさ門松』というそうで、えびす様が十日戎の夜中、市中を巡るのにお障りがないようにだとか、あまり意味が飲み込めません。

       

こちらは尼崎戎神社、10日本戎の日です。

       


ここでもマグロに硬貨を貼り付けていました。
完全に解凍しています。
兵庫県ではこのような風習があるのでしょうか。

       

『願望成就』、「願い事が叶いますように」とは少しニュアンスが違うように思うのですが・・・

阪神尼崎の駅頭では、こんなことが催されておりました。

       

阪神タイガースの2軍選手のサイン会です。
右は平田監督、真ん中が渡辺投手、左は岩田投手だそうですが、監督以外は知りません。

            

こんな熱烈オバサンもいました。

       

私は知りませんが、真ん中の渡辺投手に人気が集まってるようでした。
岩田投手はカヤの外という感じ、他人事とは言え可哀そうな気がします。

       

残り福の11日、雨になってしまいました。
今宮戎神社です。

       

マグロはありませんが、賽銭は多いようです。

       

この神社の絵馬を楽しみにしているのですが、今年は干支だけを描いたのではなかったようです。どこかの幼稚園の園児が描いているようです。

       

表はご覧の通りです。

            

新世界へ行き、串かつ食って帰りました。

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京料理『道楽』

2008-01-11 05:10:00 | 
豊国廟から降りてきて、新年会をする店の名前も場所も聞いてなかったし、家の電番しか判らないので家に電話しようと思っていたら、探しに来た義弟にバッタリ、あぁ良かった。

七条通を戻り、鴨川の一つ手前で北への道を歩いて行くとこのお店がありました。

       

座敷へ通されてビックリ、畳の広間に人数分の椅子と机がひっそりと置かれていました。タイムスリップした感じを受けました。
上座の真ん中に男の年長ということで私が座らされ挨拶ですが、ただただ豊国廟へ行って遅くなってしまい、その上ケータイを忘れたので連絡がつかなかったことのお詫びばかりです。

       

早速料理が運ばれてきます。初め蓋があったので、「最初から茶碗蒸かいな」と思ったら大間違い、蕪蒸しです。

       

正月なのでおせち風の盛り合わせでしょうか。
もうこの頃から、最年長の私はペースが進みません。

       

お造り、器も凝っています。

       

カニの何とか・・・覚えていません。

       

焼き物ですね。エビと鰆と松茸もありました。

       

鱧の南蛮風です。

       

徳利も変わっています。2合入るそうで、1合でもこの徳利に入れてくるそうです。

      

      

これはナマコ、ナマコ自体は見えませんね。

       

最後はイクラの入ったお粥でした。

       

デザートまで付いて、計10品で1万円コースでした。
もちろん飲み放題ではありません。

       

パンフレットと飲み物のメニュー、『呑』と書いてありますね。

       

待合室もレトロです。

       

表玄関の絵も飾ってありました。



小物も「なんで?」と聞きたくなるようなものを揃えているみたいです。

            

だけどこれは新しい。もうどこにもピンク色など使ってないピンク電話です。

       

「雨降ってるん?」と思わせるような中庭、常に水を施してるんですね。

       

最後にみんなで仲居さんに記念撮影をしてもらって、その最後に別嬪さんの仲居さんと記念撮影して、目の無くなっている満悦の私でした。

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豊国廟 Ⅱ

2008-01-10 05:40:00 | 
この写真をご覧になって、思い起こされる方もおられるかも知れません。
1996年の大河ドラマ『秀吉』の冒頭のシーン、この豊国廟の階段が映し出されていました。

       

無駄な時間を使ってしまいましたが、仕方なく階段を登ってみることに・・・50円要りますが、50円玉が無かったので100円入れて上がります。

写真は階段の途中から下を見たものです。

       

上を見ると、まだかなりあります。

       

やっとの思いで上ってくると、山門のようなものがありました。
よく見ると、その向こうにも階段があるではありませんか!

体がフラフラで、シャキッとカメラを構えておられません。

          

これでどうです。何とか体が回復してきました。

ここまで来て、降りるべきか、登るべきか、少し悩みました。
上がるということは、その分降りてこないといけないと言うことです。

       

山門の壁に描かれていた『五七の桐紋』、秀吉が天皇から授かった紋です。

          

元来勿体ないがりの私は、最初に100円を払ったことに執着していました。
上まで行かな勿体ない。
無謀にも上がることを決意したのです。

       

山の斜面はかなり急です。階段も急。
息を切らせて上り詰めたら・・・

       

ただ単に五輪石塔が建っているだけ。
100円の甲斐が無いというか、体力を消耗した甲斐が無いというか・・・自己嫌悪に陥るヒマもなく、降りることを考えねばなりません。

私はどちらかと言うと豊臣秀吉はキライなんです。
信長に阿諛追従していたかと思うと、その死後は天下人となり、無類の色亡者ぶりもさることながら、秀吉の命により殺された人は国の内外を含めいったい何人に達するのか。

       

もう膝が笑っている状態で、この急な階段を降りるのは恐ろしい。

       

どないやってこの巨石を上げたんやろ?等と考えながら山頂を一周していると、この写真を撮っている私が立ったところに下へ降りていけそうな道がありました。

       

少し遠回りですが、こちらの方が楽です。急がば回れ・Walk Don’t Runなどと言いながら降りていったのですが、山道は山門のところで終わっていました。

まぁ半分は階段でもエエかと思いながら、「結構時間も経ったし、みんなはどないしたやろ、電話もかかってけぇへんなぁ」と思って携帯電話を探すと、なんと持ってない。

家へ忘れてきたのでした。

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豊国廟

2008-01-09 05:30:00 | 
智積院を出て、一行は喫茶店にでも入ろうと言うので、私は近くに豊国廟があるので行ってくることにしました。

       

智積院の北を右折すると女坂という道があり、少しづつ上りになっています。

       

突き当たりに階段があり、上に鳥居が見えていて、これならさほど時間もかからないと思っていました。

       

社殿では何やら神事が行われており、時間もあるので眺めていました。

       

この裏に回りたいと思いながら、神事の最中なので遠慮していました。

       

戦捗紀念樹などと訳の解らないイチョウの樹が2本あったり、何が書いてあるのかよく解らない碑があったり、退屈しない程度に時間は過ぎていきました。

          

赤い実をたくさん付けているのは南天の樹でしょうか。

       

神事も終わったので裏に回ってみるとこのような案内板です。

     

ここに来て初めて判ったのですが、この上が豊国廟だったのです。


智積院 Ⅱ

2008-01-08 05:50:00 | 
拝観料の要った書院や講堂、宝物殿を出て、お金のかからない所を見学です。

入ってきた鳥居のところから奥に見えていた金堂です。
大きく見えている紋は桔梗ですね。

       

金堂の手前に見たことがある石が・・・仏足石と言うそうです。
お釈迦様の入滅前に残された足裏の跡の形だそうで、インドでは深い信仰があるようです。

       

仏足石を越えるとすぐ左手に道があって、そちらの方にもお堂が見えるので行ってみました。

       

ありがたそうな堂や像が建っています。

          

これは弘法大師の像だそうです。

       

密厳堂、真言宗中興の祖・覚鑁上人の尊像を安置してあるそうです。

       

大師堂・・・つまり、ここは弘法大師に因んであるのでしょう。

       

       

まだ使っていそうな井戸もありました。

       

この境内にも神社はあって、この一角でも普通のお寺として通用します。
それがこの智積院ではホンの一隅に過ぎません。

       

戻ってきて、これは金堂を横から見たものです。

       

明王殿、紀州根来寺から伝来したと言われる不動明王が祀られ、智積院の祈祷所になっています。

          

金堂と明王殿の間にある池、今は水が少なくなっていますが、夏には蓮の花が咲くのでしょうね。

智積院

2008-01-07 05:30:00 | 
毎年恒例の親戚一同の新年会、今までは何処かの家で執り行っていたのですが、皆々歳をとってきて負担を感じ始めたので、今年は京都に出かけての新年会になりました。

集合時間を早目にして、京都散策です。
七条通りを東に向かって三十三間堂へと向かいますが、私が去年行っているのでと駄々を捏ねて、智積院<ちしゃくいん>に行くことになりました。
ほんの少し東へ行くだけです。

だけど山門は開いているものの、入れそうもありません。

ちょっと南下、おぉ、ここから入るようになっているのですね。

       

いきなり、神社かい?と思ってしまうほどの鳥居です。
柏手をうって叩頭して入るのでしょうか?

       

左右から狛犬が見下ろしています。参道?が広すぎて左右一緒には写りません。

       

庭園を抜けて講堂へ、拝観料が要るのです、一人500円。

宝物殿は自動扉になっていて、中に長谷川等伯一派の障壁画が収められています。
もちろん撮影は禁止です。
で、『ご遠慮願います』を無理矢理重ねて遠慮して・・・

     

     

上下同じ絵なのですが、どちらかは撮影を許可されたというより、国宝でも何でもない贋作です。
どちらがどうだか判りますか?
贋作は講堂の裏の廊下に面した、ある部屋に飾ってありました。

          

講堂へ入る手前に高浜虚子の句碑が建っていました。
『ひらひらと つくもをぬひて 落花かな』
潮御崎神社にも虚子の句碑がありましたね。

       

講堂から書院へと廊下が続きます。
名勝庭園と言われる庭、中国の盧山を形どって造られているそうです。

       

こちらからの方が盧山らしく見えますかね。利休好みの庭らしい。

          

幾つかの小さい鐘が吊ってありましたが、ここに『南無太師遍照金剛』と刻まれたものがありました。

確か神王寺でもそう唱えよと書いてあったような記憶があります。
どちらも真言宗のお寺です。

木の小槌が置いてあったのですが、叩いてはいけないと書かれていました。
叩きたかったけど、音が鳴るので止めておきました。

       

こういう障壁画もありましたが、智積院玄関の使者の間に収めてある図だそうで、布袋唐子嬉戯の図と呼ばれています。

『子供のにこやかな笑みを持った姿は平和の印である、世界では民族紛争や飢餓におびえる姿が一杯、子供達のにこやかな笑顔が、また元気で遊べるような平和で明るい世界を皆で作りあげよう』と説明されています。

       

この先へは行ってはならないという建物、そう言われると余計に行ってみたくなります。

          

建物と建物の間の狭い空間に枯山水風の庭?がありました。

謹賀新年

2008-01-04 09:00:00 | 大阪にて
本年の年賀状です。
受け取られた方は何だとお思いでしょうが、あしからず。

下地の薄く映ったものにお気づきでしょうか? 
とりあえず私の使っているマウス・・・今年の干支ですね。

    


本年も旧年にも増して、ご厚情を賜りますよう切にお願い申し上げます。