幸福の連載を続けていますが、また連載名を変更しました。これからは「幸せシリーズ」。またタイトル「京都西山の麓から」も「ふろむ京都」に変えました。ほんとうにコロコロと三転四転していますが、これも気分でクセですのでご容赦ください。
さて幸せのお金談義ですが先日、田舎の親戚4人組みが京都観光にやって来ました。あいにくこの日、わたしは所用で京都見物案内ができません。それで妻が同行しましたが、みなさんが希望した行先は清水寺。近ごろ京都でいちばんの観光地が清水、つぎが嵐山で三番目が金閣寺だそうです。
わたしがいま興味を持っている調査テーマのひとつは賽銭箱です。神社ならガラガラの鈴の下にどこでも賽銭箱が置いてあります。寺はどうか? 清水など寺ですから、いくら神仏習合といえども独特であろうと思っていました。それで妻に賽銭箱チェックをお願いした次第です。「どのお堂に賽銭箱があるのか? またそこに祀られている仏なり神はどなたか?」。その晩の答えは「どのお堂にも賽銭箱がありました。拝仏すなわち拝金でしょうかね?」
かつて釈迦がはじめた仏教では僧はみな朝の托鉢で、その日の食事分だけの喜捨を受けるはずだったと思います。仏教とお金についてはいつか考えたいものですね。
中世史家の網野善彦、民俗学者の宮田登両氏の対談からお金を考えてみましょう。
「銭そのものにスピリチュアルなものがあるんですね。だから、銭には、銭甕(ぜにかめ)とか、銭洗いとか、不思議な習俗が伴っていますね。いまでも、呪い財布のなかに五円を入れておくと、お金がどんどん増えるとか言うでしょう。あれと同じで、甕のなかに銭を入れて、地中に埋めておくと、増えていくといった。銭が霊魂をもっているからと考えられていた」と宮田先生は話しておられます。
宮田氏によると、秋の収穫が一段落すると「あきない」(商い)が行われた。各地から地元民ではない異人がやって来る。いろんな品物を持って来て、その地の市(いち)で交換する。秋が終わってからの市なので「秋ない」という。秋ないの「ない」は「営む」という意味。
「市」は「齊」(いつき)。すなわち「聖」を意味する。つまり神様が聖なる場所にやって来るときに、いろんな物を集めて交換するという原初的な姿から市は始まった。
この場は神仏の加護の地なので、「年占い」(農作物豊凶占)が行われた。すなわち博打の発生です。「占い」は「裏ない」で、「裏」側を判断するという「ない」、すなわち行為・営みだそうです。う~ん、なんとも奥が深い。
港で潮や風雲をみて、船を出すかどうかを決める「日和見」(ひよりみ)も、占いと同様で一種の丁半といえます。相場師も同じで、民間陰陽道の知識を持った陰陽師崩れと呼ばれるひとたちと考えられていたそうです。
博打は神仏にうかがいを立てる聖にして自由な経済行為のひとつであったわけです。三本締めとか拍手するとかは、その場にいる悪霊を全部排除して、ここは聖なる場所だということを示すこと。物の値段はこの聖域で決定するという意味があります。
またかつて各地には厄年のお祝いにお金をたくさんばらまくという風習がありました。高い場所に立って、下に集まったたくさんのひとびとに向かってばら撒く。それは七歳の祝い、十三祝い、十五歳の成人式の元服、四十二歳の厄や還暦などなど。人生の節目の歳に、銭撒きが行われたのです。
「年齢をお祝いするときには金をばらまくんですね。長寿ともなれば、たくさんお金をばらまく。ではなぜそんなことをするかですが、お金というのは、いろいろな災厄の形代(かたしろ)なんですね。不浄なものをとりこめて祓うというかたちでばらまいて、そうするとそれが逆に幸いをまき起こす」と宮田先生。
なるほど、賽銭箱から離れた位置に立って金を放るというわたしたちの行為は、形代に災厄を取り込めて、ばら撒くように投げることに意味がありそうです。すると五円玉一枚ぽっきりでなしに、一円玉をたくさん勢いよくばら撒き投げ込む方が、余程ご利益の幸が来るのでは? これからは寺社に参詣時、たくさんの玉を用意しようとわたしは決めました。
ところで聞き手の三浦雅士氏は「経済人類学では、経済は下部構造ではなくむしろ上部構造なんだ、文化なんだという指摘はいまも説得力を持っていると思います」
宮田氏は「経済を知るには民俗学を知らなければならないということになれば、民俗学の講座を置く大学も増えるかもしれない。そうなればいいですね。(笑)」
ところで年祝いに銭を撒くという風習ですが、たいへん興味があります。どこかでいまもやっていませんでしょうか。何をさて置いても馳せ参じますが。
○参考書 『神と資本と女性』網野善彦・宮田登対談 1999年 新書館
<2012年2月25日>
さて幸せのお金談義ですが先日、田舎の親戚4人組みが京都観光にやって来ました。あいにくこの日、わたしは所用で京都見物案内ができません。それで妻が同行しましたが、みなさんが希望した行先は清水寺。近ごろ京都でいちばんの観光地が清水、つぎが嵐山で三番目が金閣寺だそうです。
わたしがいま興味を持っている調査テーマのひとつは賽銭箱です。神社ならガラガラの鈴の下にどこでも賽銭箱が置いてあります。寺はどうか? 清水など寺ですから、いくら神仏習合といえども独特であろうと思っていました。それで妻に賽銭箱チェックをお願いした次第です。「どのお堂に賽銭箱があるのか? またそこに祀られている仏なり神はどなたか?」。その晩の答えは「どのお堂にも賽銭箱がありました。拝仏すなわち拝金でしょうかね?」
かつて釈迦がはじめた仏教では僧はみな朝の托鉢で、その日の食事分だけの喜捨を受けるはずだったと思います。仏教とお金についてはいつか考えたいものですね。
中世史家の網野善彦、民俗学者の宮田登両氏の対談からお金を考えてみましょう。
「銭そのものにスピリチュアルなものがあるんですね。だから、銭には、銭甕(ぜにかめ)とか、銭洗いとか、不思議な習俗が伴っていますね。いまでも、呪い財布のなかに五円を入れておくと、お金がどんどん増えるとか言うでしょう。あれと同じで、甕のなかに銭を入れて、地中に埋めておくと、増えていくといった。銭が霊魂をもっているからと考えられていた」と宮田先生は話しておられます。
宮田氏によると、秋の収穫が一段落すると「あきない」(商い)が行われた。各地から地元民ではない異人がやって来る。いろんな品物を持って来て、その地の市(いち)で交換する。秋が終わってからの市なので「秋ない」という。秋ないの「ない」は「営む」という意味。
「市」は「齊」(いつき)。すなわち「聖」を意味する。つまり神様が聖なる場所にやって来るときに、いろんな物を集めて交換するという原初的な姿から市は始まった。
この場は神仏の加護の地なので、「年占い」(農作物豊凶占)が行われた。すなわち博打の発生です。「占い」は「裏ない」で、「裏」側を判断するという「ない」、すなわち行為・営みだそうです。う~ん、なんとも奥が深い。
港で潮や風雲をみて、船を出すかどうかを決める「日和見」(ひよりみ)も、占いと同様で一種の丁半といえます。相場師も同じで、民間陰陽道の知識を持った陰陽師崩れと呼ばれるひとたちと考えられていたそうです。
博打は神仏にうかがいを立てる聖にして自由な経済行為のひとつであったわけです。三本締めとか拍手するとかは、その場にいる悪霊を全部排除して、ここは聖なる場所だということを示すこと。物の値段はこの聖域で決定するという意味があります。
またかつて各地には厄年のお祝いにお金をたくさんばらまくという風習がありました。高い場所に立って、下に集まったたくさんのひとびとに向かってばら撒く。それは七歳の祝い、十三祝い、十五歳の成人式の元服、四十二歳の厄や還暦などなど。人生の節目の歳に、銭撒きが行われたのです。
「年齢をお祝いするときには金をばらまくんですね。長寿ともなれば、たくさんお金をばらまく。ではなぜそんなことをするかですが、お金というのは、いろいろな災厄の形代(かたしろ)なんですね。不浄なものをとりこめて祓うというかたちでばらまいて、そうするとそれが逆に幸いをまき起こす」と宮田先生。
なるほど、賽銭箱から離れた位置に立って金を放るというわたしたちの行為は、形代に災厄を取り込めて、ばら撒くように投げることに意味がありそうです。すると五円玉一枚ぽっきりでなしに、一円玉をたくさん勢いよくばら撒き投げ込む方が、余程ご利益の幸が来るのでは? これからは寺社に参詣時、たくさんの玉を用意しようとわたしは決めました。
ところで聞き手の三浦雅士氏は「経済人類学では、経済は下部構造ではなくむしろ上部構造なんだ、文化なんだという指摘はいまも説得力を持っていると思います」
宮田氏は「経済を知るには民俗学を知らなければならないということになれば、民俗学の講座を置く大学も増えるかもしれない。そうなればいいですね。(笑)」
ところで年祝いに銭を撒くという風習ですが、たいへん興味があります。どこかでいまもやっていませんでしょうか。何をさて置いても馳せ参じますが。
○参考書 『神と資本と女性』網野善彦・宮田登対談 1999年 新書館
<2012年2月25日>