東山三十六峰は有名ですが、東山は洛中からみての東の山。連峰を越えた地域、山科区住民にすれば、西山のはずです。ところが山科でも東山とよびます。どう考えても、変な話です。
山科区内のどこかの学校の校歌に「♪西にみえるは東山~」という歌詞があるらしい、と片瀬ブログで書きました。そして一年半ほど後に、「のりっく」さんからコメントが寄せられました。
「わたしの母校・花山中学校の校歌です。♪西につらなる東山~。中学生のわたしは校歌合唱のたびに、西か東かいったい、どっちやねん!! いつも思っていました。」
大きな謎のひとつ「校歌東西山疑問」がこれで解け、本当にわたしは胸をなでおろしたものです。ところで同じ問題について、京都新聞に大提案が載りました。いつも楽しみに拝読している連載「中村武生さんと歩く洛中洛外」。2009年11月20日朝刊、見出しは「東山、山科からは西野山」。要約でご紹介します。
「東山」という表現には、ちょっと待って、という思いがあります。以前、親しくしている山科区の小学校教員に、「『なぜ西の方向にある山を西山ではなく、東山というのか』と児童から質問されたことがある。が、答えることができなかった。残念だ」といわれたことがあります。
気持ちはわかりますが、答えは簡単です。「東山」という名称は、いうまでもなく洛中からの視点によります。山科が京都市に編入されたため、そんないい方が押しつけられているだけです。当然のことですが、山科からは「西山」というべきです。
児童に対し、「君のいうことは正しい」といってほしかった。そんないい方はない? いえいえ、ほとんど意識されていないようですが、類する地名があります。「西野山」です。
地名はただの記号ではありません。意味があって存在するのです。いま平気で「東山」といっている山を、過去の山科住民は「西野山」といっていたわけです。
山科のアイデンティティーを維持したい方は、本日より東山というのをやめて、西野山とよぶべきです。
パチパチパチ! 拍手です! 大賛成です。山や川などの名称は、生活者の呼称であって行政地名は無視すべきです。たとえば桂川は南で淀川。上流では大堰川、その上流では保津川、さらにたどると桂川。丹波で桂川とよぶのもいかがなものでしょう。桂離宮の近くのみが桂川でいいと、わたしは思います。
いずれにしろ、山科住民の方たちが、歴史的に意味をもつ「西野山」と、東山をよぶことに、この山の西に住むひとりとして、大賛成です。稜線の西が東山、東は西野山。わかりよい理屈です。
呼称変更の運動を起こされるなら、喜んで署名簿にサインします。また花山中学校の校歌も「♪西につらなる西野山~」に変更をお願いしたいです。在校する生徒たちのためにも。
さて片瀬のブログでは、東西の山問題を二度書いています。
「東川と東山」2008年1月20日
「西にみえるは東山」2009年7月25日
東西問題解決のためにご笑覧まで。
<2009年11月21日 南浦邦仁> [186]
わたしも京都新聞の記事を拝見しました!!
今から40年?くらい前はまだ山科は東山区の一部でしたので「東山」と言う感覚を洛中から刷り込まれた感があるのでしょうか…
わたしは山科区の北部に生まれ育ったのですが、花山中学校校歌以外に「東山」と言うのは、東山区と東山中学・高校くらいです。
特に、三条通りに慣れ親しむ山科北部の人はたいてい東山を「九条山」と呼んでいます。
“三条通り”に“九条山”ってのが、これまた数字がメチャクチャな不思議なネーミングなんですが…
正直、「山科から西に見える山は?」と問われると、何と答えようか悩みます。
「五条通り寄りだと花山?西野山?三条通り寄りだと九条山?やっぱり花山?」なかなか難しいです。
元は東山区であった山科区民ならではの卑屈さかも知れませんね。
西野山には中大兄皇子の墓とされる跡が発見されたり…
山科区北部の“御陵血洗町”は、源義経が“蹴上”で無礼な武士を斬った後、池で刀を洗ったのが地名の由来だと最近知って、我が山科区を再認識した所です。
山科区は洛中の人からは「ほぼ滋賀県」と笑われる存在ですが、探れば意外に深い土地なのかと思います。
東山を境に、東と西、同じ区民だったのですね。
山科住民のアイデンティテイが揺らぐわけが、わかる気もしますね。
わたしは西京区大原野に住んでいますが、まず西山の麓。また「西ノ京」ではなく、京の向こうの西の果てる辺境地区。そのように住民は思っているようです。京都市の東と西、山科区と西京区ですが、当方には東西問題もなく、あっけらかんとしているようです。
それはさて置き、山科の東西問題、何とかならんでしょうか?
遠い昔、山科は田園地帯で、厨子奥に土地を持っていた人が九条山に土地を持っていた人と土地交換をした事から、九条山に“厨子奥”の町名があるそうです。
ちなみに、九条山は山科の花山中学校の校区であり、京津線が路面電車だった時代に九条山の生徒は電車で通学してました。
東西問題はホンマに難しいです。
山科区民は河原町界隈に出向く時は「市内に行く」と言いますんでねぇ。
山科には歴史的に重要な史跡があるにもかかわらず、東山区や中心部のメジャー感には勝てませんし、行政も山科にはあまり力を入れてない印象があります。
なにせ山科区民はベッドタウンでありますし、他府県からの住民が多いので「京都人」とは言えないマイノリティって背景も東西問題に影響してるような気がします。
私は時々、西京区大原野と左京区大原が混同してしまいます。
ちなみに、左京区や西京区など方角に反する地名がありますが、京都弁で北・南を意味する「上京区・下京区」は方角に対して正しいのが不思議です。
西京区には友人や親戚がおりますが、辺境の地のせいか、