福井県人会が京都にもあります。わたしは播州出身で、まったく無関係なのですが、なぜかいつも呼ばれ同席する。といっても別会で、東三条の料理屋での10人足らずの飲み会です。鮮魚のおいしい店で、隔月くらいの例会にいつも参加しています。
若狭出身の幹事に聞きました。「若狭湾には14基と原発が数多いが、大丈夫でしょうか?」。お答えは「大きな地震もこれまで起きていないし、津波の心配もない安全な地です」
ところが5月26日夜のNHKニュースには驚きました。400年ほど前、若狭湾を大津波が襲った。
天正13年11月29日1586年の大地震です。畿内・東海・東山・北陸諸道にわたる。飛騨・美濃・伊勢・近江など広域で被害を受けた。阿波でも地割れが生じ、余震は翌年まで続いた。震央は白川断層上か、伊勢湾とする説、またともに続発したか、不明な点が多いとされる。
外岡慎一郎氏(敦賀短大)のこの日のTV発表では『兼見卿記』と、イエズス会のフロイスの記述に、何と若狭湾の大津波の記録があるという。両書はいつか確認しますが、驚くべき記述であると思います。
なお関西電力は、両文献を30年前から承知していたが「若狭湾周辺で、津波による大きな被害記録はない」としている。
また週刊「AERA」が次のように記しています。5月30日号です。
宮城・福島を襲撃した869年の貞観大津波。この津波の高さや規模を最初に注目したのは、東北電力の3人の研究員だったという。
1990年の日本地震学会誌に論文「仙台平野における貞観11年(869年)三陸津波の痕跡高の推定」。執筆した3人は、東北電力女川原子力発電所建設所(当時名)の研究員だった。津波は海岸線から3キロも浸水し、高い津波があったことを検証している。
女川原発の総務部によると、いま現在、そうした部署はなく、3人ともすでに退職。話を聞くことはできなかった。
驚くべきことに、東京電力ではないが、東北電力は20年以上も前、貞観の地震津波の痕跡を丹念に調べていたのです。
この論文も読みたいと思っています。またいつかご紹介したいものです。
<2011年5月27日 南浦邦仁>
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