私達は音と映像を中心にして生きている。ズルズルズルゥ~と、蕎麦(そば)を啜(すす)る音一つにしたってそうだ。音を聞いているだけなら、気持が悪い音だなぁ~…などと、分からないまま感じる方も多いはずである。ところがそこへ、浴衣(ゆかた)かなんかで、揺れる庭先の風鈴(ふうりん)越しに笊蕎麦(ざるそば)とか素麺(そうめん)を啜(すす)る映像が加われば、おっ! 美味(うま)そうで堪(たま)らん!! と、こうなる。^^ 逆に、時代劇の刀を斬り結ぶシーンとかだと、音がない場合と、金属の効果音がカキィーン! と入る場合とでは迫力が全(まった)く違ってくる。そう考えれば、音と映像は車の両輪(りょうりん)にも例(たと)えられるだろう。音だけ、映像だけなら、なんとも味けない。^^
打ち上がる花火を見ながら二人の老人が縁台(えんだい)で涼(すず)んでいる。
「最近は映像方面の奇麗な花火が増えよりましたっ!」
「そこへ音も加わり、曲導付ですばいっ!」
「ああ、そげですなっ! 益々(ますます)、贅沢(ぜいたく)になりよります…」
「まあ、そういう時代ですばい、今は…」
「まっことっ! いい時代になりよりましたっ!」
「まあ、昔の方がよか・・ということもありよりますが…」
「世の音と映像・・少し進み具合を緩(ゆる)めんと?」
「ははは…私らに、そげぇ~出来よるなら! つう~話ですがのう!」
「無理ですばい…」
音と映像の分からない時代変化に、私達は付いていく他はないようです。^^
完