水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

分からないユーモア短編集 (61)鮮(あざ)やかとお粗末(そまつ)

2020年09月22日 00時00分00秒 | #小説

 人々は鮮(あざ)やかな結果を求め、お粗末(そまつ)な結果にならないよう、日々、頑張っている。そうはいっても、お粗末な結果になることは避(さ)けられない。どうしてそうなるのか? という理由が分からないとしても、必ずそうなるのだから仕方がない。^^ もっとも分かりやすい例がスポーツの試合である。AとBが対戦したとしよう。Aが鮮やかに勝てば、必然的にBはお粗末な負けになる訳である。逆にBが勝てば、言わずもがな、Aはお粗末な負けになる。こう考えれば、世の中の事象は[お粗末]+[鮮やか]=0という数式で成立していることが分かる。取引に成功した会社があれば、必ず逆に、してやられた会社がある、という現実が存在するのだ。今日は、そんなお話である。^^
 二人の老人が碁会所でヘボ碁を打っている。
「おっ! さっそく、三々ですか…。鮮やかですな?」
「ははは…いや、それほどでも。今、流行(はや)りのAI風です」
「そう早く入られるとは思っとりませんでした。いや! この一局は私の完敗ですなっ!」
「なにをおっしゃる! 今、始めたばかりじゃありませんかっ!」
「まあ、そらそうですが…。それじゃ、お言葉に甘えて、もう少し打ちましょうかな…」
「はい! ぜひ、そのように…」
 その後、碁盤上は、二人によって白黒の石が交互に打ち進められていった。
 そして、時が流れた。 「ははは…入るんじゃなかっですなっ! 外の壁がやはり厚うございました。残念ながら、私のお粗末な負けでございます…」
「はあ、孰(いず)れ、また一局…」
「はあ、またお願いいたします…」
 軽く一礼し、二人の老人は対峙(たいじ)していた席を静かに立った。
 このように、[鮮やか]は[お粗末]に変化することもあるのだ。ただ、その変化はどのタイミングで起こるのか? は分からない。^^ 
 
                               


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