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日本人のアニミズム的宗教観を見直す①

2021年08月11日 | 日本
(日本の宗教が「未開の地の宗教」と同じように見なされたのはなぜか)
「あの世がある」と認めている人であっても、あの世のなかのいろいろな霊存在の違いや、筋の違いが分からないために、むやみにすべてをよいものとして受け入れてしまうような考え方をすることもあります。

これについては、やはり、高等宗教とそうでないものとで考え方が分かれているところはありますが、間違いの一つにはなりうるかもしれません。

例えば、先の第二次大戦での敗戦のあと、日本はGHQに占領されて、日本の宗教が「未開の地の宗教」と同じように見なされた面もあったかと思います。

その根拠の一つは、動物霊のようなものをたくさん祀(まつ)ったり拝(おが)んだりしているようなところでしょう。日本には、蛇神様や、狐、狸、猿、犬などいろいろなものがいますが、そうしたものへの動物信仰をまだしているのは、南方の未開の地などとあまり変わらないのかもしれません。

おそらく、古代人は、こうした信仰を持っていたであろうと思われています。遺跡や遺物を見ると、体の強い動物などを神の化身のように思ったりしていたものがあります。大きな力を持った動物等は、神のように、人間より体力的には確かに上のものもいますし、足が速かったり、牙や爪が鋭く、狂暴だったりするものもいます。その人間を超えた力を畏(おそ)れて、信仰していたことがあります。

人間はこうした動物に対して、道具をつくることによって対抗してきました。素手ではマンモスに勝てないけれども、槍(やり)をつくったりしました。槍の先は尖(とが)った石かもしれないし、鉄器ができていたかもしれませんが、そうした槍をつくったり、弓矢をつくったり、落とし穴をつくったりと、道具をつくることによって、人間の力では一対一で敵(かな)わないものでも生け捕り、獲物(えもの)にすることを考えてきたわけです。

あるいは、虎とかライオンとか熊とか、そういうようなものも人間よりは強いし、大きな大蛇や、あるいは、ワニとかそういうものも、強い存在として尊敬していた時代もあったと思うのです。

そういうことは、昔は各国に確実にあったものではありますが、現代においても動物信仰のようなものが残っているところは、「後れている」と見られたのではないかと思うのです。

---owari---
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