怨霊探しと「いろは歌」の作者探しに行き詰まりました。
それで、「いろは歌」は『金光明最勝王経』についての「音義」として使用されたものであるため、この「音義」というものから紐解いてみたい。
「音義」とは経典での字義や発音を解説するもので、アクセントの資料でもあります。
仏教典の原典はインドを発生としており、サンスクリット語で書かれたものです。
漢語の仏教典は、サンスクリット語のお経としての音を漢語の持っている音で翻訳したものです。
漢語で書かれた文字のつながりは言葉としての意味を持ったものではなく、サンスクリット語の音を漢語の音を利用して表記したものだったのです。
例えば、サンスクリット語のVairocana「ヴァイローチャナ」の音訳を漢語で行えば、「毘盧遮那」となります。奈良東大寺の「毘盧舎那仏」がこの表現にあたります。
つまりは、漢語で書かれた仏教典は文字としての漢語を読んでも意味の通るものとはなっていないのです。
そこで、空海に代表されるような知識人は遣唐使として渡った際にも、サンスクリット語を学んできています。そして、サンスクリット語と漢語の翻訳技術としての「悉曇学」(しったんがく)をも習得してきているのです。
そのために、サンスクリット語と漢語の音訳についての技術は仏教分野における高僧の最高技術となっていたのではないかと思われます。
漢語の仏教典を読めたところで音としてのお経は発することができても言葉としての意味が分からないことだらけになっているのです。
言葉としての意味を理解するためにはサンスクリット語としての言葉を理解していなければならなかったのです。
サンスクリット語のお経である仏教典をそのまま音訳したものが漢語による仏教典ですが、当然のようにその仏教典を解説した漢語による書物もあったと思われます。
一般的には「音義」と言われるお経の音としての言葉を注釈した解説書があります。
サンスクリット語に慣れていない人たちは、漢語の解説書によって理解をしていったのではないかと思われます。
それは、「〇〇経音義」として仏教典の解説書として書かれたものになります。
空海は「金剛頂経一字頂輪王儀軌音義」の作者であり、いろは歌が記載されている「金光明最勝王経」に関係する「最勝王経開題(経典の題目を解釈し、一部のあらましを記した書物)」も書いています。
また、「いろは歌」はもともと真言宗系統の学僧のあいだで学問的用途に使われており、それが世間に流布したものです。したがって、真言宗の開祖、空海が「いろは歌」作者に最も近い人と言えるのではないでしょうか。
以下は、ブログ「日本とユダヤのハーモニー」からの転載になります。
「いろは歌」は日本が誇る偉大な宗教家、空海によって書かれたものであるという伝承を基に、空海が平安時代に書いたものと伝統的に言い伝えられてきました。超人的な頭脳の持ち主でなければ、「いろは歌」に含まれる2重、3重の言葉の意味と、パズルのような文字の羅列の組み合わせを、仮名文字を1回のみ使って表現するという、神業のような創作はできないことから空海を作者として見立てることに何ら不自然さはありません。
しかし、最近になって、その伝統的見解を否定し、空海著作説は間違いであったとする学説が多く見受けられるようになりました。
現在では、「いろは歌」の作者は空海ではなく、別の詩人が平安時代に書いたものであるという学説が一般的になりました。しかしながら、これらの学説も決定的根拠に乏しく、推測の域を出ていないというのが現状です。
空海説を安易に否定できない理由の一つが、「いろは歌」の句調です。空海の時代には五七調四句、または、五七五七七の短歌が一般的であり、「いろは歌」で使われている七五調四句とは一見してリズムが違うため、時代錯誤という理由から「いろは歌」の作者は空海ではない、と結論付ける学説があります。
「いろは歌」は七五調四句を使った大変リズミカルな歌であり、その内容はごく一般的な涅槃経を説いていると言われています。「色は匂へど散りぬるを」は諸行無常を語り、「我が世誰ぞ常ならむ」は是正滅法、「有為の奥山今日越えて」は生滅滅己、そして「浅き夢見じ酔ひもせず」は寂滅為楽を教えているということです。
確かに、表面上は七五調の詞であり、インド文法を継承しつつ、涅槃の真理についてすべて表音文字を用いて説いた天才的な作品と言えども、一見して空海の時代の作品とは考えづらいのです。
しかし、「いろは歌」の背後には複数のメッセージが埋もれていることから、そこに隠されている暗号文の句調にも目を留めなければ、作者の意を正しく理解することはできません。
「いろは歌」には折句とも呼ばれる暗号文が含まれています。その句調に着眼するならば、見解は一変します。
表面上は七五調四句に見える「いろは歌」も、実はその暗号文の句調においては、空海の時代において主流となっていた五七調四句でまとめられていたのです。そして、「いろは歌」のメッセージの真髄は、むしろ折句の方に含まれていると考えられることから、空海の時代作品である考えた方が自然です。
つまり、空海の時代に普及していた歌謡のものと「いろは歌」の句調は著しく違い、空海の作ではないという見解は、そこに含まれている折句を見落としたがための、誤った見解であったわけです。「いろは歌」の折句は五七五七七調の短歌となっており、空海の時代に書かれた歌と考えられます。
「いろは歌」の作者が空海であると考えられるもう一つの大きな理由が、その折句に含まれているメッセージの内容です。この折句に含まれる宗教観は明らかに大陸文化およびキリスト教の影響を受けており、当時、遣唐使として中国に渡ってネストリウス派キリスト教(景教)を学び、帰国後に密教を布教した空海以外、作者として該当する人物は存在しないのです。
「いろは歌」を七五調にちなんで、7×7の升目にきちんと入れると、「いろは歌」には角3点および一番下段の列により形成される二つの中心的メッセージが含まれていることに気づきます。
それは、「イエス」および「トカナクテシス」というキリスト教の影響を受けたと思える折句です。
その他にも、「いろは歌」には多くの折句が含まれており、そこには旧約・新約聖書に書かれているヤーウェーの神、そしてキリストへの信仰告白と理解できる文脈が息吹いているのです。それゆえに、「いろは歌」の作者は平安初期当時、まだ日本国には伝わっていなかったはずのキリスト教や聖書に書かれているメッセージを何らかの理由で知りえた人物に特定することができます。
これらの諸条件から浮かび上がってくる作者の人物像は明確です。弘法大師こと空海こそ、やはり「いろは歌」の作者だったのです。信仰の奥義を学ぶため中国に旅立った空海は、そこで当時キリスト教の一派であるネストリウス派の教義に触れる機会に恵まれ、聖書を学んできたことは周知の事実です。
そこで悟った教えを折句として字母歌にまとめたのが「いろは歌」と考えられます。そして、誰もがこの「いろは歌」を唱えることにより、いつの間にか空海が意図した信仰の奥義に触れ、知らぬ間に信仰告白を口ずさみ、神の恵みを授かることを空海は願い求めたのではないでしょうか。
信仰に関わる大切な真理を47文字しかない字母歌の折句としてまとめることは、天文学的知恵を絞らなければ完成させることはできないでしょう。そして、古代日本でその不可能を実現したのが空海の叡智であり、「いろは歌」はその結晶です。
多数の古代文献に記載されているとおり、この「いろは歌」こそ、日本国が生んだ史上最高の詩人であり宗教学者である空海が書いた作品であると推察できるのです。
「いろは歌」の暗号文を理解するにあたってもう一つ大事なことは、異文化に由来する外国語が
含まれている可能性があることを理解したうえで、作者の時代背景、文化および宗教観などを視野に入れて読むことです。例えば、「いろは歌」の上段を右から読むと、最後の3文字が「ヤアエ」となっています。これはまさに、旧新約聖書で語られている創造主の名前であり、神様の名前として世界共通に使われている言葉です。
次に左端を上から読んでいきますと今度は「モセス」という言葉に出会います。これこそ旧約聖書に登場するイスラエルを導いた偉大なる指導者、モーセではないでしょうか。すなわち、「いろは歌」はその暗号文における「本音」を、「イエス」「ヤアエ」「モセス」「咎なくて死す」という、聖書に関連したメッセージで書き綴っているのです。そして、角を読み続けると「イエス」の後は、「しと」になっています。つまり、神から使わされた者という意味の「使徒イエス」という言葉で、「いろは歌」を囲いまとめているのです。(ここで転載おわり)
世界の常識では「咎なくて死す」と言ったら、イエス・キリストのことですね。
空海の母は渡来人でしたので、景教やキリストの処刑は知っていたのではないでしょうか。
また、聖徳太子に仕えた秦氏も渡来人でした。飛鳥・奈良時代より日本には渡来人の文化が根深く入っていたと思われます。
聖徳太子が生れて「本名は厩戸皇子(うまやどのおうじ)」の名付けられたことから、渡来人(ヘブライ人)の秦氏はこれは「イエスキリスト」の生まれ変わりと判断したと思われます。
秦氏は聖徳太子の側近として尽力を尽くしました。渡来人たちはバリバリの皇族である聖徳太子を中心とした皇族(天皇制)が未来永劫に続くように働いたのではないでしょうか。
「咎がなくて死んだ」のはイエス・キリストであり、聖徳太子なのです。
そのことを伝えるために、「いろは歌」に残したのは、渡来人の母を持つ「空海」にほかならないのです。
渡来人たちはおおっぴろげには現さなかったですが、ソーラン節やかごめの歌など、ひそやかに暗号として、日本の文化(庶民)のなかに巧妙に広めていったのです。
私の独断と偏見にお付き合いいただき、有難うございました。
長文となりましたこと、ご容赦ください。
---owari---
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