このゆびと~まれ!

「日々の暮らしの中から感動や発見を伝えたい」

人間完成への道①

2018年09月06日 | 人生

今朝、北海道厚真(あつま)町を震源とする震度7の地震が発生しました。

被災されました皆様、ならびに北海道の皆様に心よりお見舞い申し上げます。

皆様の安全と被災地の一日も早い復興をお祈り申し上げます。

 

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このシリーズを4回に分けて、お届けします。

 

さて、以前に「生命の大樹」というテーマでお伝えしました。人間の存在は、ミクロの目、小さな目で見たら、それぞれ独立しているように見えるかもしれませんが、マクロの目、巨視的な目で見たとき、そこのあるものは巨大な一本の大木なのです。巨大な一本の大木があって、そこから無数の根が出ていると言いました。

 

大きな根が出、その根からまた小さな根が出、小さな根からまた血管のごとき細い根が出ている――このように岐れ出ているのが、じつは人間の魂の真実なのですとお伝えしました。

 

それでは、生命の大樹という比喩によって、人間存在のあり方というものが、もし納得されるならば、では、次にやらねばならないことは何でしょうか。それを考えていただきたいのです。

 

みなさんはまさしく、この生命の大樹のなかで根の役割をしている大事な大事な部分です。どのような巨木であっても根がなければ枯れてしまいます。ですから、大事な部分なのです。じつは、この根の部分が生長を支えているのです。

 

さすれば、やらなければならないことがあります。それを私は三つ述べておきましょう。

 

(偉大なる使命への目覚め)

まず、「真の使命において、みずからが益されることはない」と考えていただきたいのです。それはちょうど、樹の根っこが、水分・養分を吸い上げ、そして幹へと押し上げていくように、一時期、自分のなかに留まっているように見えても、そのように見えるだけであって、それは、より高次なもののために奉仕していくものなのだ、という考え方です。

 

利益、あるいは、よきもの、素晴らしきものを、自分だけが確保できるということはないということです。前提として、これを知ってください。

 

そうしたものが、自分のところに、一時期留まることはある。目の前を通り過ぎていくことはある。しかし、これを止めようとしたときに、生命の樹は死ぬ。その事実を知らねばならない。これを自分のものだと思ったときに、自分のものにしようとしたときに、樹全体とは分断しようとしたときに、大きな生命の大樹は枯れていく――。まず、これが第一前提なのです。

 

みなさんは地獄という存在のことを聞いたことがあるでしょう。これはいったい何なのか、想像がついてくるはずです。

 

本来、そのような偉大な生命の大樹の一部を担っている、その根っこを担っている人間のなかに、心得違いをする者が出てくる。根っこの自由を主張し、自分のためだけの水分、自分のためだけの養分、これを追い求める人たちが出てくる。

 

本来の使命を忘れ、本来の姿を忘れ、そして自分のことだけを考えはじめる。吸い上げた水や養分を、自分のなかに留めておこうとする人たちが出てくる。

 

こうすることによって、どうなるか――。「その人たちは知らないだろう。知らないだろうが、遥かなる上の、樹の幹を見よ。樹の枝を見よ。樹の葉を見よ。その葉が枯れていくではないか。そこの花が枯れかかっていくではないか。その実が枯れかかっているではないか。樹が伸びなくなったではないか。年輪を刻めなくなったではないか。そうしたことがわかっているのか」と、光の指導霊たちはいつも教えているのです。

 

しかし、地下にある根っこは地上が見えないから、そうしたことは自分には関係がないと考えるようになっていく。本来の使命を忘れ、関係がないと思い、そして自分のところだけに留めておこうとするのです。

 

自分のところだけに、その一部だけに、養分や水分を止めておいても、これを流していっても、いつも一定の量が目の前にあります。その事実は同じですが、使命を忘れたときに大いなる死が待っている、生命の樹そのものの死が待っている、ということです。

 

これが、地獄の発生原因なのです。

根っこの一本一本が、自分のこと、地下のことしか考えなくなって、地上のものが苦しみ、弱り、枯れかかっています。

 

それがあるがゆえに、いつもいつも、光の指導霊といわれる偉大な人格者たちが地上に降りて、真実の法を説くのです。真実の教えを説くのです。説いて説いて、生命つきるまで説いてやまないのです。イエスのように十字架にかかったとしても、やめないのです。その真実を教えなければ、この全宇宙がつくっている生命の大樹全体が枯れていくという危機感があるからです。

 

だからこそ、使命を教えている。だからこそ、「自分のことだけを考えてはいけない」と言っている。だからこそ、「他を愛せ」と言っている。「隣人を愛せ、隣人を愛せ」と言っている。「自分のためだけに生きるな」と、いつも教えている。そういう事実があるのです。これを忘れてはいけない。決して忘れてはいけない。これが、守らなければならない第一点です。

 

それは、別の言葉でいうならば、「偉大なる使命感の目覚め」でもあります。しかし、「この使命感は、決して目新しものではない。本来、持っていたものだ」ということを忘れてはなりません。

 

「本来、備わっていたもの、それを忘れているというのだから、どれほどまでに、いま自分たちは、やらねばならないのか。どれほどまでに、いまこの使命が大事であるか。本来持っていた使命に現代人が気づき、行動するということが、いかに急務であるあるか、いかに大事であるか」ということを考えていただきたいのです。これが第一点です。

 

---owari---

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