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神なき「全体主義国家」である北朝鮮

2017年11月05日 | 政治・経済

北朝鮮の立場に立ってみれば、「国の防衛のために、ミサイルを開発する」とか、「核を開発する」とかいうことは、分からないことではないと私は思っています。

 

ただ、そのなかに住んでいる人たちが、はたして、自分たちの自由な政治的意思に基づいて、そういう国家をつくっているのかどうか。ここが重要なポイントではないかと考えているのです。

 

北朝鮮には、「脱北者」といって、毎年毎年、命からがら国外に逃げ出す人たちがいます。そのなかには殺される人もたくさんいますが、中国や韓国など、いろいろなところに逃げ出していく人たちは、毎年、二千人はいるようです。しかし、厳しい警戒網をかいくぐってまで逃げ出す人が、毎年、二千人はいると言われている国というのは、あまりよい状態ではないでしょう。

 

北朝鮮は、「千軍政治」ということで、軍事力のみを強大化し、あとは「貧しさの平等」が広がっています。また、一部の支配階級は富み、かつ、権力を持っているけれども、その他の人たちは、もはや完全に監視されています。

 

このような状態になっているのならば、よい国ではありません。これは、別な言葉で言うと、「全体主義国家」ということになります。

 

そういう意味で、今、必要なのは、「全体主義とは何か。全体主義国家とは何か」ということを見抜く力でしょう。

 

「全体主義国家」には、「独裁国家」と似たような響きがありますし、事実上、同じである場合も多いとは思います。

 

ただ、全体主義をつくっているのは、実は民衆です。民衆のムーブメント(動き)によって、そういう全体主義国家ができていて、なかにいる人たちは、一見、自分たちが民主主義的にやっているように思わされているわけです。

 

本当は恐怖によって支配されているにもかかわらず、繰り返し教育され、政治的に訓練されることで、「自分たちは当然のことをしている」と思うように洗脳されている国家のことであり、自由意志が通用するような国ではありません。

 

しかも、全体主義というのは、民衆の力がバックにあって一つの考え方でまとまってはいるものの、その奥に「神」が存在しないのです。

 

もちろん、「神」という存在があって、みなが一つにまとまろうとする場合には、少し違う意味があるでしょう。その神の教えが正しい教えであるならば、それをみなが分かち合うことによって、一つの新しい民族や国家ができることは、当然あります。

 

しかし、この部分がない場合、要するに、「独裁者」と言われる人間によって染め上げられた国家ができるときというのは、極めて危険だと思うのです。

 

---owari---

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