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直感力のある人が理解した昭和29年の『ゴジラ』

2019年04月03日 | 政治・経済
日下公人著書「新しい日本人が日本と世界を変える」より“さまざまな分野で活躍する「新しい日本人」”を転載します。
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これまで政治や外交、経済といった視点から「新しい日本」と「新しい日本人」について語ってきた。読者には堅苦しい話も多かったかもしれない。ここで、私の目にとまった「新しい日本」の現象、「新しい日本人」の活躍について述べてみたい。

東日本大震災とそれに付随した東京電力福島第一原子力発電所の事故は、理不尽に襲いかかってきた自然の脅威である。「被災規模の大きさに、想定外は言い訳にならない」と言った識者もいたが、自然が牙を剥(む)いたときの強大な力が人間の予測内におさまると考えるほうがおかしい。

備えは不可欠だが、それを超えたときに人間が持ち得るのは、ただ立ち向かっていく気概だけである。この有無こそが人間の生存の可能性を決める。

平成28年夏、『シン・ゴジラ』(東宝・庵野秀明総監督)という映画が公開され、同年10月下旬までに全国で420万人以上が観たという。

私が「ゴジラ」という名を記憶したのは昭和29年(1954年)のことである。同年11月、『ゴジラ』というタイトルで、スクリーンにこの怪物が初めて登場した。

太平洋上で日本の貨物船が原因不明の沈没事故を起こす。救助に向った大戸島の漁船も遭難して沈没する。「何かに襲われた」と証言する生き残りの両氏に島の古老はこう言う。「呉爾羅(ゴジラ)の仕業だ」

そのゴジラが大戸島に上陸する。ゴジラの猛威は止まらず、ついに東京湾に姿を現し、上陸するや街々を破壊しつづける・・・・・。

昭和29年3月、静岡県焼津港所属のマグロ漁船「第五福竜丸」が南太平洋マーシャル群島ビキニ環礁(かんしょう)付近で操業中、アメリカの水爆実験によって乗組員23人が被爆した。重症の2人が東大による検査の結果、原爆症と診断され、ゴジラ登場2ヵ月前の同年9月、無線長の久保山愛吉が死去した。米政府は遺憾の意を表明し、この事件を契機に原水爆禁止運動が日本国内で本格的に始まった。

ゴジラもまた、原水爆の申し子だった。ジュラ紀の恐竜を思わせる姿に計り知れない力と狂暴性を秘め、何より原水爆実験の放射能を全身に浴びながらも、それをエネルギーとして自らの武器に変え、破壊の限りを尽くす。

ゴジラの脅威は、核の恐怖を具現化したもので、紛れもなく人類が自らに向けて生み落とした、究極の皮肉である。架空の存在でありながら、ゴジラはその怪異なキャラクターと人類へのパニッシュメント(懲罰)というメッセージにおいて世界に衝撃を与えた。

こうした社会的なメッセージを内包した作品だったが、斯界(しかい)の評論家たちは当初、ただの「ゲテモノ映画」とこき下ろした。しかし、“普通の日本人”は何事かを感じ取り、封切り直後から映画館は溢れんばかりの満員。観客動員数961万人という大ヒットとなった。

直感力のあった人がゴジラの意味を理解した。ゴジラはただの怪物ではなく、被爆体験を持つ日本人の心情と、西欧科学文明に対する神道的な世界観(原始自然)からの懲罰というモチーフのうえに造形された。架空の物語だが、「大戸島実記」という伝説によってゴジラは“神性”を帯びている。

放射能光線を吐き、容赦(ようしゃ)なく街を破壊するゴジラは、人類が生み出した水爆によって生まれた怪物だが、同じく人間が開発した「オキシジェン・デストロイヤー」という、水中で使用すると周囲の酸素を破壊する作用を持つ兵器によって海底の藻屑(もくず)と化す――。

歳月を経て、ゴジラは海を渡った、『GODZILLA』としてハリウッド映画になり、世界的な一大キャラクターになった。

---owari---
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