みなさんは「あの世があると考えた場合と、あの世はないと考えた場合と、どちらが、自分にとって幸福か」ということを、考えてみたことはありますか。
仮に、あなたが、今、四十歳で、平均寿命まで、あと四十年あるとしましょう。
もし、「これから四十年間いろいろなことをして、八十歳で死ぬと、火葬場で焼かれて、ひとにぎりの骨と二酸化炭素だけになり、自分が生きた証拠は何もなくなってしまう」と考えるならば、これが、それほど幸福な考え方でしょうか。
やはり、「特定の名前を持って生きた人間の魂が、そのエネルギーが、死後も永遠に生き続ける」と考えるほうが幸福ではないでしょうか。
人間は死ねば何もかも終わりになるのならば、この世の道徳も哲学も宗教も、すべて不毛なものとなってしまうでしょう。
あなたは、何のために、己の人格を磨いたのでしょうか、何のために、勉強し、汗を流して働き、努力して良好な人間関係をつくったのでしょうか。何のために、一生懸命に生きてきたのでしょうか。
死によって何もかもなくなってしまうのならば、人生は、まったく虚(むな)しいものにすぎないではありませんか。人格を磨くことなど意味がなく、努力して一生懸命に勉強し、人格の向上を目指す必要などありません。そうしたことを勧(すす)めるのは、ペテン師のささやきになってしまいます。
人格の向上を目指すことが、地位や収入など、この世的な幸福を得ることにつながるとしても、死ぬとすべてが終わりになるならば、そのような幸福は虚しいものとなります。
どちらの考え方が、ほんとうの幸福につながるでしょうか。
「この世で努力して身につけたものは、死後の世界に持っていくことができる。死後の世界においても自分の人格が生き続ける」と思えばこそ、努力することに意味があり、その努力が素晴らしく思えるのではないでしょうか。
「死ねば何もかもなくなってしまう」と考えるか、「死後も人格は残る。一生懸命に努力していれば、死後も、素晴らしい活躍が続けられる」と考えるか。
あなたは、どちらに賭けますか。どちらに賭けたほうが、あなたは幸福になれると思いますか。
死後の世界があることについて、このシリーズ(霊的世界の真実)で述べました。死後の世界があることに賭けたほうが、あなたにとって幸福な人生となることは間違いありません。
自分にとって、どちらの考え方に幸福があるかよく考え、受け入れるべきものは受け入れ、冷静に知識的な学びを行なっていくことが大事だと思います。
ほんとうの世界を知り、「どのような生き方をすれば、どのような世界へ行くのか」ということを知れば、少なくとも、死後の世界を恐(おそ)れる必要はまったくなくなるのです。
---owari---
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