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人物こそ、まず問われるべき「政治家の資質」

2018年06月22日 | 政治・経済

(神仏の前に恥じない人物なのか)

まず言いたいことの一つは、国会議員の問題です。

国会議員は国民の代表になる人たちなので、やはり「人物が問われる」と思うのです。「人物的に問題のある人は、立候補するのをやめていただきたい」という気持ちです。恥ずかしいことであり、国民の投票意欲が落ちてくるからです。

 

また、「それを話題にして報道することは、時間の無駄というか、民主主義の事実上の否定にもつながるようなことなのではないか」という気がして、しかたがないのです。

 

ですから、「人物的に、もはや国民の上に立つべきではないような人は、もう立候補するのをやめていただきたい」というのが私の率直な気持ちです。

 

どういう理由で、その人が議員をやっているのかは知りません。「地盤を譲られた」とか、「政党から指名を受けた」とか、それぞれ理由はあるのでしょうが、議員の言動に関して、あまりにも情けない状態が続いています。

 

日本のマスコミは、私たちとはかなり違う考えを持っているのだろうと思いますが、神仏の前で恥じないぐらいの人でないと、やはり政治家は務まらないのです。

 

技術や知識を持っているということで政治活動をやってもよいのですが、その“前の段階”において、やはり、「人間として恥ずかしくないレベル」というものがあると思うので、「このレベルは守っていただきたい」という気はします。

 

国会議員は、法律をつくったりして、国民の自由をいろいろと束縛します。税金もそうです。法律を通されたら、無理やり取られるのです。

 

国会議員は、そういう強制力を持ったものをつくる人たちなので、やはり、自分の足元を照らし、「きちんとした立脚点に立って、やっているかどうか」ということを、よく判断していただきたいと思います。

 

---owari---

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