(「思いの力」は鍛えることができる)
「思いの力」というのは、けっこう強いです。本当に強いものです。
体を鍛えたら強くなるでしょうが、思いも同じです、ただし、一日では強くなりません。体だって、一日中、走っても強くはならないでしょう。すぐに筋肉痛を起こして、バンテリン(消炎鎮痛剤)を塗ったり、湿布を貼ったりしなければいけなくなります。体を鍛えようとすると筋肉痛が起きるので、私は湿布を何枚も貼っていました。
ところが、いつの間にか体重が減って軽くなると、歩くのが楽になりました。要は、「十キロ」を背負って歩いていたから重かったわけです。十キロ以上やせたら歩くのが楽になって、倍くらい歩けるようになりました。湿布もバンテリンも、全然、要らなくなったのですが、あれは意外でした。
(「心の筋肉レベル」を少しずつ上げていこう)
結局、何が言いたいかというと、「『自分を変えることによって、人を変え、世の中を変えていこう』という方向に、心を向かわせてください」ということです。
そのためには、まず、そういう態度をつくろうとする努力が要ります。
ただし、急には変わりません。体を鍛えるときに、急に筋肉をつくることができないのと同じことです。「心の筋肉」も、体の筋肉を鍛えるのと同じように鍛えていかなければいけないのです。
心の筋肉を鍛えるには時間がかかりますし、“トレーニング”も要ります。一日や二日では、すぐに“バタンキュー”になるでしょう。
例えば、とても暗い人が、無理をして急に明るい顔をしても、二、三人から、「あなた、ちょっとおかしいんじゃない?ちょっとキテるんじゃない?」という感じのことを言われたら、それだけで、元の状態以上にうちのめされてしまい、鬱になって倒れるかもしれません。
やはり、急には無理なのです。心の筋肉も体の筋肉と同じで、少しずつ少しずつ鍛えて、レベルを上げていくべきです。
そう思って何年かするうちに、耐えられる範囲が広がって、本当に強くなってきます。普通だったら、悲しくてがっかりしたり、苦しかったりして、「もう二度と立ち直れない」というレベルになるところが、心が強くなってくると、それを跳ね返せるようになってきて、「何、こんなの、簡単じゃないの、こんなもの、何ともないわ。へっちゃらよ」という感じになってきます。
ぜひ、そのようになっていただきたいのです。
(天上界が応援したくなるのはどんな人?)
人生の不幸の原因を全部、悪霊のせいにする人はいますし、そのような宗教もたくさんあります。そうした悪霊現象があることは、私も認めていますし、七割ぐらいは、実際にそうかもしれません。悪霊現象等によって病気や事故、その他、いろいろな不幸が起きているとは思います。
ただ、そのもとになるのは、「人の心」です。人の心が原因なのです。
ですから、どうか負けないでください。これに勝つには、ただ一本、「明るさ」です。自分で光を放つことです。
天上界の諸霊も、実を言うと、そういう人が好きなのです。「自分は真っ暗だけど、照らしてください」などと言っているような人に対しては、「アホらしい」「勝手に暗闇のなかにいなさい」という感じになるわけです。
むしろ、何とかして光を灯そうと、小っちゃいマッチであっても、それを擦って、一生懸命、明るくなろうと頑張っている健気な人を見たら、パーッと照らしたくなります。だいたい、そのようなものです。
それを「奪う愛」と「与える愛」という言葉でお伝えしています。奪おうとする者には与えられず、与えようとする者には与えられます。逆になるのです。
いくら「自分を明るくしてほしい」と人に願ったとしても、なかなか、明るくしてくれるものではありません。ところが、自分で明るくなろうと努力している人には、周りの人が、一生懸命、助力してくれるようになるのです。
「ただただ、明るく生きようと心に決意しよう。そして、毎日毎日、少しずつ少しずつ、自分の心を鍛えて、強くなって、自家発電できるような自分になっていこう」ということです。
そうすれば、自分の人生を変えることができるし、周りをも変えていくことができます。「心の力」というのは、光と同じで、十倍、百倍と、幾らでも強くなっていくものなのです。
青春時代は誰しも自分一人のことで悩んでいます。若いときはそうだったのです。しかし、悩んでいる人は、ほとんどが自己中心です。悲しんでいる人、苦しんでいる人は、自分のことしか考えていません。ですから、“真っ暗け”なのです。
反対に、「人のことを幸福にしよう」「人のためになることをしよう」と思うと、自分のことは考えなくなっていきます。そうすると、周りをだんだん照らせるようになってくるのです。
皆さんも「そこまで発電してやるぞ」と頑張ってみてください。
---owari---
>「思いの力」は鍛えることができる
この様に断定的に言われると、私は嬉しくなります。
というのは、私は心というものは物理学でいうところの、支点・力点・作用点つまりテコの理屈が当てはまるものと思うからです。
辛い思いが大きければ、支点を少し変えてあげる。
良く成ろう、楽になろうとする力点の力が少なくても、辛い思いを軽くすることが出来る。
支点は心の置場。
例えば、辛いのは自分だけじゃない、もっと辛い人もこんなに頑張って楽しくやってるじゃないか、そういう風に心の置場つまり支点を変えてあげれば、気持ちが楽に、この自分の境遇もまんざらではないぞと思えるようになる。
そんな風に思います。
希望、信念を強力にしてくれるこの ” 「思いの力」は鍛えることができる ” というお言葉、ありがたく思うところでございます。
sure_kusaさんへ
コメントをいただき、有難うございました。
いつもご訪問いただき、感謝しております。
sure_kusaさんのブログも拝見させて頂いていますが、いつもクスっと笑わせてもらっています。
心を物理学の「支点・力点・作用点」で説かれたご説明は分かりやすいですね。
特に、「支点は心の置場」という表現はとても納得ができました。
これからもご訪問、よろしくお願い致します。