②今回は「作家・童門冬二さん」によるシリーズで、豊臣秀吉についてお伝えします。
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「籐吉郎は現場に行った。そして自分の眼で塀の壊れた箇所を調べた。やがて工事に従事する労働者たちを呼んだ。約百人いた。藤吉郎はこんなことをいった。
「新しく塀の修理を命ぜられた奉行の木下だ。しかしオレは全くの素人で、こういう仕事のことは分からない。全部おまえたちに任せたい。ただ、同じ任せるにしても手順だけを決めておこう。いま塀の壊れた所をみてきたが、壊れ方は大体どこも同じで、ある箇所が酷く、ある箇所が軽微だったということはない。
そこでこの破損箇所を十カ所に分ける。それを修理するために、おまえたちを十組に分ける。一組ずつ一カ所を担当して修理してもらいたい。だれがどの組にいくかは、オレには分からない。おまえたちにはやはり気が合ったり合わなかったり、好きだとか嫌いだとかということもあるだろう。そこでだれがどの組にいくかは、おまえたちで相談しろ。
いまこの塀を早く直さないと、敵が攻め込んでくる。オレたちは男だから、武器を取って戦うが、女子供はそうはいかない。城の中で一緒に暮らしている女子供は、もしオレたちが負けてしまえば、敵の奴隷になったり殺されたりしてしまう。
とくに女は、全部敵の慰みものになる。おまえたちは自分の女房がそんな目に遭っても平気か?子供が奴隷になっても平気か? そういうことを考えると、この塀の修理は、一日もないがしろにはできない。
いいな? もう一度繰り返す。自分たちで気の合う仲間で一組をつくり、その組が一カ所ずつ修理箇所を選んで工事に励め。おまえたちは、この塀の修理をする目的を、あるいは信長様だけのためだと思っていたのかも知れないが、決してそうではないぞ。おまえたちの家族にも関わりがあるのだ。このへんをよく頭の中にしみ込ませろ。いいな?」
話し終わった藤吉郎は、
「オレがこれ以上口を出すと、おまえたちの仕事がやり難(にく)かろう。だれがどの組に入るか、どこの破損箇所を担当するか決まったら、報告にこい」
そういうとサッサとその場から去った。残された百人余りの労働者たちは、互いに顔をみあわせた。こんなやり方ははじめてだったからである。中にはプツプツ文句をいう者もいた。
「新しいお奉行は無責任だ。オレたちにみんな仕事を押しっけて、自分はどこか行ってしまった」
が、みんなの頭の中には共通した新しい思いがあった。
それは、
「塀の修理は、城の主である信長様だけのためではない。この城に一緒に住んでいる家族にも関係があるのだ」
ということだった。いわれてみればそのとおりだ。労働者たちの家族もこの城に一緒に住んでいる。敵に攻められれば、敵の方はそれが武士なのか労働者なのか見分けはつかない。労働者たちもその時は武器を持って戦う。そうなれば、敵にすればやはり殺す対象になる。
藤吉郎にいわれて、労働者たちもはじめてそのことに気がついた。ガヤガヤと話をしている時に、藤吉郎の使いだといって、酒樽が持ち込まれた。酒樽を持ってきた者は、
「これで賑やかに話し合ってくれと、木下様の差し入れです」
みんな一斉にワーと声を上げた。このへんは藤吉郎の巧妙な人使いである。藤吉郎は全体に、その生涯を通して、
「かれはニコポン(にこにこして、相手の肩をぽんとたたくことから)と褒美(ほうび)のばら撒きの名人だった。ニコポンとばら撒きで人の心を釣った」
といわれる。
信長のように生まれつき城の主の息子に生まれたわけではなく、身分の至って低い家に生まれた藤吉郎がのし上がっていくためには、人の心を掴む上でどうしても避けて通れないやり方だったのだ。
労働者たちは相談した。労働者の中にもリーダー格がいる。そのリーダーを中心に、
・だれとだれが一組になるか。
・どこの修理箇所を受け持つか。
ということを話し合った。しかしこんなことはいくら話し合っても埒(らち)はあかない。人間の好き嫌いは理屈ではどうにもならないからだ。
結局、
「クジ引きにしよう」
ということになった。クジが引かれて、約十人ずつが一組になった。中には気の合わない同士が一緒になった組もある。が、クジ引きは公平だ。文句はいえない。
「おまえは気にくわないけど、まあ一緒にやるか」
ということになった。
これが藤吉郎の狙ったチームワークの誕生である。そして、工事箇所もクジ引きにした。それを藤吉郎の所に報告にいくと、藤吉郎は、
「分かった。よくやってくれた。うれしいぞ。一番最初に自分の受け持った工事箇所を修理した組には、オレが信長様から褒美を貰ってやる」
といった。
藤吉郎にすればここが勝負どころだった。というのは、前の奉行は労働者たちに賃金値上げを要求され、うまくいかなくて失敗した。藤吉郎はそんなことは口の端にも出していない。かれも内々は、
(もし働き手たちが、賃金値上げを要求したら困るな)
と思っていた。
それをかれは、
「塀の修理は、おまえたちの家族にも関わりがある」
ということで押し切ってしまったのである。しかしそれだけでは労働者たちのモラールは上がらない。そこでかれは、
「一番最初に工事を終えた組には、信長様が褒美を出す」
というエサをちらつかせたのである。
(『歴史小説浪漫』作家・童門冬二より抜粋)
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