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日本の世界的使命と危機(前編)

2019年05月23日 | 政治・経済
今日はフランスの作家、オリヴィエ・ジェルマントマの著書「日本待望論」よりお伝えします。
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(日本よ、政治的に打って出よ!)
日本には亀裂が生じています。その最大の原因は、現下の日本人が日本本来の文化と社会構造の素晴らしさを信じていないというという点にあります。しかも、この亀裂は大きくなる一方で、そのことを幾つもの兆候がさししめしています。

贈収賄、理想なき若者たち、高年齢化社会、核家族、オタク族、等々。もし、いまにして日本が目覚めなければ、この国は、釈迦の例えた、陶工なき轆轤(ろくろ)のようなものになってしまうでしょう。轆轤というものは、陶工が手を休めても、しばらくは回りつづけますが、やがて止まってしまうこと、必定であります。

歴史上、いかなる文明も、エゴイズムより強い絆によって民族団結が行われずして花と栄えたためしはありませんでした。貴国においては、この絆は、一にかかって日本それ自体の肯定を国際的な場において断行することにあると言って、過言ではありません。

つまり、貴国には、飽くまでも日本の伝統に忠実であることによって果たすべき使命がある、ということであります。一個の民族が、決意して大目標をもって進むとき、いかなる社会問題がありましょうとも、その解決が見いだされないということはありません。

いかにして、伝統に忠実でありつづけることが可能でしょうか。
諸行無常のことわりを、あなたがたは、仏教からたっぷりと身につけてこられました。幾百千年にもわたって変わらぬ日本という「エンティティ」(実体)があって、それを振りかざせば事は済むなどと、よもやお考えではありますまい。

生あるものは変化します。ルーツに忠実たらんとすれば、日本としては、時代の新潮流を合わせ呑むべきです。歴史的、地理的位置づけの上から、日本民族は長い間、孤立へと追いやられ、ようやく「開国」となるや、ただ一つの思考モデル、つまり私共西洋のそれを選んでその実現へと踏み切ったのでした。

時に十九世紀末でしたが、その後、状況はラディカルに変化しました。いかなる国も、もはや二度と孤立したままということはありえません。この鉄則を、あなたがたは、経済面においてすでに完全に生かし切って大成功者となりました。

いまや、そこから、政治面で実りをもたらすべき時が到来したのです。どんな政治思想も、世界をグローバルにとらえずしてはもはや有効たりえず、こうした潮流は、今後、加速する一方でしょう。ところが、まさにこういった点において、日本人の国際的位置取りを見ると、この国には経験と意欲が不足しているのではないかと考えさせられずにはいないのです。

「我々は積極的に世界の諸問題に介入するべきである」という思考法を身につけたとき、日本人が日本を見る見かたは、一変するでありましょう。アメリカ的モデルは、そのとき、人間の豊かさの破壊システムとして、一蹴されるでしょう。

今日はアメリカ的モデルに盲従し、中国が一発噛ませてくるや、同様にへなへなと、明日はこれに低頭して恥じざる人士が、貴国にはうようよしているようですが、こんな連中には、毅然として、こう言ってやったらいいのです。外からの押しつけモデルへの屈従が平和のファクターとなったためしはない。真の主権と独自性の確保は、そんな覇権主義を断固排することにあるのだ、と。

独立か否かは国の尊厳にかかわることであって、日本文化が生きるも死ぬも、一にそのことにかかっています。皆さんにとって、問題の本質は、まさにここにあるのです。すなわち、いかに国家としての誇りを取りもどすか、ということです。このことと、かつての軍国主義時代のナショナリズムとはまったくの別物であることを、きっぱりと認識してかからねばなりますまい。

一路邁進すべき日本の道は、これを措(お)いてほかにどこにありましょうか。

---owari---
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