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日本はなぜ20年間も経済成長しなかったのか?

2016年08月22日 | 政治・経済

日本は、20年間、経済成長がほとんど止まっている状態です。

20年前の日本のGDP(国内総生産)は512兆円、現在は506兆円です。サラリーマンの年収も20年前は500万円、現在は490万円でわずかですが減っています。

 

片や、アメリカや中国は、GDPがもう3倍から10倍ぐらいになっています。日本の経済成長が止まっているのは、運営の仕方が下手だからです。経済を成長させ、利益に当たる部分を出せばいいのです。

 

「国家として、利益に当たる部分も出し、それを借金の返済に充てていく」というのが、基本的な考えです。

 

世間では、日本はもう少子高齢化で衰退していくのだから、経済成長なんてあきらめて、のんびり暮らしていけばいいじゃないかと言う意見をよく聞きます。

しかし、本当に経済が成長しなくて、のんびり豊かに暮らしていくなんてことが可能なのでしょうか?

 

国民の平均的な物質面の豊かさは、国民一人当たりのGDPで表されます。

これは国民一人がどれぐらいの所得を得ているかというものです。

経済学としては、これを増やしていくことが、国民を幸福にしていくことだと考えています。

 

仮にアジアのある国の一人当たりのGDPが100万円で、日本の一人当たりのGDPが300万円だとします。

このアジアの国のGDPが1年で10%成長するとして、日本は成長しないと仮定します。

すると、10年ちょっとでこのアジアの国の一人当たりのGDPは日本と同じになります。

20年弱でアジアの国の一人当たりのGDPは日本の2倍になります。

 

つまり、世界の経済成長がすべて停滞していれば、日本はのんびり暮らしていけばいいじゃないかと言う意見も考えられますが、世界が経済成長しているのに、日本だけが成長していないという現状は日本の廃退を意味するのです。20年後には倍ほど働かねば対抗できない国になるということなのです。

 

先進国の集まりであるG7で、経済が成長していないのは日本だけなのです。もちろん、お隣の韓国を見ても、GDPは20年間で5倍にも増えているし、中国の経済発展はそれ以上です。

 

経済成長が永遠に続くことはなく、経済が成熟するにつれて成長率は落ちるのが普通ですが、日本の成長率は、アメリカ、イギリス、カナダなど経済がほぼ同等あるいは日本以上に成熟していると思われる先進国に比べても低いのです。日本だけが全く成長していないのです。

 

G7諸国の1人当たりGDPが概ね2万5千ドルを超えると、アメリカ、イギリス、カナダの各国では定常的な成長率が1.7%程度に収斂するのに対し、日本はせいぜい1.0%程度の成長率に収斂しているのです。

 

したがって、高度成長が終わった今でも、アメリカ、イギリス、カナダなどと同程度の経済成長は可能なはずなのです。それができていないのです。そのために何が必要か。日本はそれを問うべきなのです。

 

それでは、20年間も経済成長が止まった原因は何だったのでしょうか?

それは、①生産性の低下(生産性問題)②金融緩和不足および緊縮財政(マクロ経済政策問題)③人口減少(人口問題)の三つに集約されると言われています。

 

①生産性の低下(生産性問題)とは、生産性の低い企業から生産性が高い企業への転換が遅れたことと規制改革が不十分だったこと。

②金融緩和不足および緊縮財政(マクロ経済政策問題)とは、金融政策の緩和が不十分だったことと緊縮的な財政政策をとったことによるもの。

③人口減少(人口問題)は単に人口の減少により労働力が低下したこと。

 

以上はもっともらしい要因ですが、私は当時の政府の支出の多くが非生産的な公共資本に投下されたことによるものだと判断しています。政府の投資が利益を生み出さなかったのです。

 

1993年から2002年の10年間に行われた公共投資のうち、実に90%近くが1990年初頭にはすでに生産性が頭打ちになっていた部門に投入されました。結局、多額の財政出動は、長期的な成長に結びつかなかったのです。

 

新しい産業を生み出さず、非生産的な公共資本に投資したことが経済成長の低迷を引き起こしたと推察するのです。政府の対応が適切でなかったことを意味しています。

 

消費税増税の政策についても同様な瑕疵があったと見ています。

一般的には、財務省が考えているような、消費税上げ、税率上げによる増収っていうのは、これは、「デフレ圧力」になるわけですから、要するに、物価が上がったりするのを止める力が強まります。このときに、「賃上げをしろ」というふうに要求しているということは、まことに珍しいことを言っているように感じます。

 

「税金を上げて、それで給料を上げろ」というのは、社会主義国家以外では、ちょっと考えられないことですから、「いつから社会主義国家になったのかな?」という感じもしないわけではありません。

 

今、二つの基準が同時に走っているのです。

だから、「財政の収支バランスを取る」という考え方は、経済の縮小均衡に入る考えなんです。経済拡大を目指すのは無理なんです。

「財政の収支バランスをよくする」というのであれば、基本的には、縮小均衡に入るのです。

 

つまり、これは、「日銀券を大量に出して、お金をジャブジャブにする」という戦略と合っていないんです。消費税上げは、この「日銀のお金ジャブジャブ作戦」による”洪水“の水が引いていくやり方なのです。

 

基本的に、この二つは両立しない考え方なので、お金をジャブジャブにするなら、「これで、高度成長を目指す」という“一本槍”で行かなければ、論理的には一貫しないんです。

 

これで、「財政再建」を言ったら、その段階で、打ち消し合うんです。要するに、押す波と引く波がぶつかって、打ち消し合うようになるのです。

 

この両方を、つまり、二兎を追ったら、方向が逆に向いているので、その力は消えて、物事は現状維持に動いていくということになって、経済成長は止まるスタイルになります。

 

20年間、経済成長が止まっていたもう一つの理由は、「均衡経営」を目指したからです。だから、経済成長が止まったのです。

 

このどっちかを、勇断をもって決めなければいけなくて、経済成長を求めるんだったら、やっぱり、捨てなきゃいけない部分はあると思うのです。

 

財務省が軍師となれば経済成長は止まる。消費税10パーセント増税での段階で、政局に近い争乱が起こります。「税と社会保障の一体改革」は、共産主義的ユートピアの幻想です。

 

早くポピュリズムのワナから抜け出して、自助努力からの発展繁栄こそ、真の資本主義的ユートピア社会であることに気づかねばならない。

 

アベノミクスの第三の矢である「成長戦略」についても進めたいところですが、理研で発生した「STAP細胞」も、「科学研究による新産業の創出」という「成長戦略」の一つなのです。

 

そういうところに予算を投入し、新しい産業をつくっていこうとしている矢先に、つまずきかかっているわけです。

 

あのような「縮み思考型」で解決をしていくと、新しいことにチャレンジする精神が消えていきますので、現実問題として、「成長戦略」も挫折するかたちになるでしょう。

 

したがって、今、アベノミクスは、第二の矢の「財政出動」から、第三の矢の「成長戦略」に進むところで、終わるか終わらないかの厳しい位置にいるのです。

 

しかしながら、日本には、まだ夢があります。経済発展の余地があります。宇宙産業、ロボット産業、防衛産業など、長期的なものに投資をしていけば、まだまだ、未来産業を拓けます。

 

特に、防衛産業は、今、日本にいちばん欠けているものです。日本は、外国の善意を信じ、国防を外国に委ねているような状態なのです。

 

経済を成長させるには新しい産業に資本を投資する必要があるのです。それが未来への国家戦略なのです。

 

また、東京オリンピックを機会に経済成長を起こす方法もあるでしょう。

 

世界の人びとが伝統と文化を大切にしている日本を訪れたいと願っているのです。

世界の人びとが美しい日本の自然とおもてなしの心に感激しているのです。

世界の人びとが本物の日本食を満喫したいとあこがれているのです。

 

観光立国としての新しい産業も必要ではないでしょうか。

 

したがって、成長のための改革に焦点を絞ることが重要です。

株高・円安を目指し、雇用の改善を図るにはどうしても成長戦略が必要なのです。

経済成長により利益を出してゆき、結果的に財政を改善することも可能となるのです。

 

---owari---

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