このゆびと~まれ!

「日々の暮らしの中から感動や発見を伝えたい」

静かに努めよ

2018年04月19日 | 人生

愚痴の出る原因として、達成されない望みというものがある。

現在ただいま、いくら努力しても、

手に入れられないもの、

とうてい到達できないものへの恨みというものはあるであろう。

 

しかし、それを愚痴ったところで、

いったい何ほどのことになるであろうか。

それで、あなたがたは進歩するであろうか。

 

ちょうど、ボートを岸に着けようとする時に、

オールでもって水を漕ぐと、その水が、その波が、

岸辺にあたってボートを沖へと押し出すように、

 

あなたがたが何かを達成せんとする時に、

達成できなくて愚痴を言うことは、

そのあなたがたの目標から、

あなたがた自身を遠ざけることになるだろう。

あなたがたの将来を遠ざけることになってゆくであろう。

 

むしろ、そういうふうに言うよりは、

愚痴をなくし、

静かに静かに自らの内に力を蓄えてゆくことだ。

将来を期して、深く静かに努力を続けてゆくことだ。

 

いまだかつて、努力をせず成功したためしはない。

努力せずして、濡れ手で粟のごとき成功を願っても、

それは魂的に決してプラスにはならないのだ。

 

そのような成功は砂上の楼閣であり、

やがて必ず崩れてゆくものなのだ。

 

人びとよ、努力を惜しむな。

努力なくして物事が達成すると思うな。

努力なくして成功があると思うな。

努力なくして成功した場合には、

むしろ、その成功を恥じよ。

むしろ、その名誉を恥じよ。

むしろ、その名声を恥じよ。

 

結果ではない。

その努力の過程こそが、

あなたがたの黄金の栄光であるということを、忘れてはならない。

 

愚かなる人びととして、怒る人、妬む人、愚痴る人をあげた。

この事実はいつの時代においても、真理であるのだ。

自ら自身よく心の内を眺め、

怒る心がないか、妬む心がないか、愚痴る心ないか、

常づねに点検せよ。

 

そして、こうした心あらば、

自らが、愚か者の一人に入っているということを、忘れてはならない。

愚か者であることを早くやめ、智慧ある者となることだ。

それが、修行者の道でもあるということだ。(仏法真理)

 

---owari---

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