愚痴の出る原因として、達成されない望みというものがある。
現在ただいま、いくら努力しても、
手に入れられないもの、
とうてい到達できないものへの恨みというものはあるであろう。
しかし、それを愚痴ったところで、
いったい何ほどのことになるであろうか。
それで、あなたがたは進歩するであろうか。
ちょうど、ボートを岸に着けようとする時に、
オールでもって水を漕ぐと、その水が、その波が、
岸辺にあたってボートを沖へと押し出すように、
あなたがたが何かを達成せんとする時に、
達成できなくて愚痴を言うことは、
そのあなたがたの目標から、
あなたがた自身を遠ざけることになるだろう。
あなたがたの将来を遠ざけることになってゆくであろう。
むしろ、そういうふうに言うよりは、
愚痴をなくし、
静かに静かに自らの内に力を蓄えてゆくことだ。
将来を期して、深く静かに努力を続けてゆくことだ。
いまだかつて、努力をせず成功したためしはない。
努力せずして、濡れ手で粟のごとき成功を願っても、
それは魂的に決してプラスにはならないのだ。
そのような成功は砂上の楼閣であり、
やがて必ず崩れてゆくものなのだ。
人びとよ、努力を惜しむな。
努力なくして物事が達成すると思うな。
努力なくして成功があると思うな。
努力なくして成功した場合には、
むしろ、その成功を恥じよ。
むしろ、その名誉を恥じよ。
むしろ、その名声を恥じよ。
結果ではない。
その努力の過程こそが、
あなたがたの黄金の栄光であるということを、忘れてはならない。
愚かなる人びととして、怒る人、妬む人、愚痴る人をあげた。
この事実はいつの時代においても、真理であるのだ。
自ら自身よく心の内を眺め、
怒る心がないか、妬む心がないか、愚痴る心ないか、
常づねに点検せよ。
そして、こうした心あらば、
自らが、愚か者の一人に入っているということを、忘れてはならない。
愚か者であることを早くやめ、智慧ある者となることだ。
それが、修行者の道でもあるということだ。(仏法真理)
---owari---
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