政治家は省益しか考えない官僚とも闘わねばならない。民意の支持が最大の援軍。
(安倍元首相の肉声が聞こえてくる『回顧録』)
『安倍晋三回顧録』がAmazon総合1位(今年2月)と、売れに売れています。首相退任後に行われた36時間ものインタビューを書籍化したものです。早速、読んでみましたが、安部元首相が語っている口調までもが思い起こされて、肉声を聞いているような気がしました。
480ページもありますが、次々に襲ってくる難題にどう考えて向かっていったのか、が赤裸々に語られていて、まさに「知られざる宰相の『孤独』『決断』『暗闘』」という副題がぴったりの内容です。引き込まれるように読み終わってしまいました。
もっともこれは安倍元首相から見た光景であり、他者から見ればまた別の見方もあるでしょうが、そこは冒頭に編集者が、この本は「安倍晋三の『陳述書』」であり、それが正しいかどうかは「歴史という法廷」で裁かれる、と前置きしています。
ここでは、安倍首相の言葉に耳を傾けて、どういう思いで、どのように決断をしたのか、そのごく一端を見てみましょう。それだけでも、安倍元首相が誰とどう闘ったのか、驚くべき内容が次々と出てきます。
(背後にいる官僚たちとの「暗闘」)
『回顧録』の中で最も印象に残ったのが、官僚との「暗闘」です。中国や北朝鮮などとの交渉は外目にも見えますが、元総理がこれほど背後の官僚たちからの攻撃と闘ってきたとは思いませんでした。その端的な例が、集団的自衛権の憲法解釈変更の問題です。
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・・・山本庸幸法制局長官とは、憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を可能にする話を随分としたのです。でも、堅かった。集団的自衛権は国連憲章第51条で加盟国に認められています。日本も国連加盟国ですから「国際法上、日本にも権利がある」と私が言っても、山本さんは、「憲法上認められません」と主張を変えず、ずっとすれ違いでした。
ならば代わってもらうしかないと思いました。12年の衆院選で自民党は行使容認を公約していましたから。[安倍]
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「堅かった」のは山本庸幸氏の個人的な考えというだけではなく、内閣法制局自体に巣くっている慣習からでした。
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内閣法制局といっても、政府の一部の局ですから、首相が人事を決めるのは当たり前ではないですか。ところが、内閣法制局には、長官を辞めた歴代長官OBと現在の長官が集まる参与会という会合があるのです。この組織が、法制局では絶対的な権力を持っているのだそうです。そこで、法制局の人事や法解釈が決まる。これは変でしょう。国滅びて法制局残る、では困るんですよ。
第1次内閣の時も、法制局は私の考えと全く違うことを言う。従前の憲法解釈を一切変える気がないのです。槍が降ろうが、国が侵略されて1万人が亡くなろうが、私たちは関係ありません、という机上の理論なのです。でも、政府には国民の生命と財産に対して責任がある。法制局は、そういう責任を全く分かっていなかった。
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(「命を懸けて仕事をしていただいた」)
こういう組織的抵抗を排除するためには、その組織のトップを変えるのが常套手段です。安倍元総理は小泉内閣の官房長官時代から、集団的自衛権に関する勉強会をやっていて、その中に外務省国際法局長だった小松一郎氏がいました。「小松氏は国際法の専門家で、小松さんならば国会答弁を乗り切れると思い、交代を決めた」のでした。
小松氏はがんを患い、行使容認の閣議決定直前の14年6月に他界されました。
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戦後長く続いた憲法解釈を変更するわけですから、小松さんにはものすごい負荷をかけてしまった。小松さんの存在抜きには、実現できなかったと思いますよ。奥様から「本人は、ここまで素晴らしい仕事ができて悔いはない、と言っていた」という話を伺いました。命を懸けて仕事をしていただいたと思っています。[安倍]
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まさに内閣法制局という岩盤との戦いでした。
(「厚労省は政権の足を引っ張りすぎ」)
様々な局面で頻繁に安倍内閣の足を引っ張ったのは、厚労省でしょう。安倍氏はこう総括しています。
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第1次内閣の時に、年金保険料の納付記録が漏れていた「消えた年金」問題が明らかになりました。18年は、働き方改革の根拠となる裁量労働制のデータがいい加減だった。19年は、毎月勤労統計の不適切な調査を放置する職務怠慢。そして20年以降は、新型コロナウイルス対策で検査や医療の問題が起きました。厚労省は政権の足を引っ張りすぎですよ。[安倍]
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こうした問題が起こるたびに、野党の国会審議、マスコミの炎上で、官邸は火消しに追われるのです。特に年金問題は平成9(1997)年に年金番号導入決定以来、10年経っても5千万件もの記録不整合が残されていた厚労省のずさんさに端を発していました。
安倍政権は、わずか1ヶ月で記録整合化に必要な体制と法律を確立しましたが、朝日新聞などの炎上報道により、政権支持率は44%から30%へと落ち込んだのです。第一次安倍政権崩壊のきっかけとなった問題でした。
厚労省は新型コロナでも安倍政権の足を引っ張りました。富士フイルム・富山化学が開発したインフルエンザの治療薬アビガンを軽症の新型コロナ患者に使いたいという、現場の医師からの要望が強かったので、臨床研究という形で広く投与を進めると、防衛省の自衛隊中央病院でも顕著な成果が出ていました。
厚労省の局長から「アビガンを承認します」と聞いて、安倍氏も令和2(2020)5月4日の記者会見で、5月中の承認を目指す考えを表明していたにもかかわらず、薬務課長が引っくり返したのです。
動物実験の結果から、妊娠中の女性が飲むと、障害がある赤ちゃんが生まれる恐れがあるという理由のようですが、それなら妊婦には処方しなければよく、またそもそもインフルエンザの薬としては承認されているのです。
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薬事承認の実質的な権限を持っているのは、薬務課長です。内閣人事局は、幹部官僚700人の人事を握っていますが、課長クラスは対象ではない。官邸が何を言おうが、人事権がなければ、言うことを聞いてくれません。
ドイツでアビガンが効いたという症例が数多く出たため、アンゲラ・メルケル独首相が私にアビガンを送ってほしいと言ってきたのです。私が「では輸出しましょう。我が国では承認していないけれど」と言うと、メルケルは驚いていましたよ。
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(厚労省内部の医系、薬務系、事務系の内部抗争)
なぜ、こんな理解不能な「ちゃぶ台返し」がなされたのでしょうか?
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厚労省内もバラバラなんです。医系技官、薬務系技官、キャリア(事務官)に分かれていて、医系やキャリアは次官までポストがあり、局長も多い。一方、薬務系技官は、課長か審議官止まりです。でも、薬とワクチンを承認する権限を握っています。[安倍]
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かつて非加熱血液製剤がエイズウイルス(HIV)に汚染されている危険性を知りながら、回収を指示しなかった厚生省の官僚が罪に問われました。当時の厚生省薬務局長は事務系のキャリアだったので不起訴になり、一方、有罪が確定したのは、薬務系の技官だった生物製剤課長でした。
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局長がハンコを押して承認しているにもかかわらず、課長だけが有罪というのは、薬務系の官僚には不満でしょう。
そうした歴史があり、多くの薬務系の技官は、「責任を取るのは私たちなんだから、私たちで決めさせてもらう」という意識が強いのです。[安倍]
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結局、こういう厚労省内の内部抗争によって、アビガンが承認されず、多くのコロナ患者を救う道が閉ざされてしまったのでした。よく日本の官庁は「省益あって国益なし」といいますが、厚労省は省益どころか、省内も医系、薬務系、事務系の「閥益」のみなのです。
---owari---
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