アーモーおやじ

テニスのときによく出る「アーモー」。これが口癖で、なんでも首を突っ込んでは失敗を繰り返しているじいさんの日記です。

気仙沼にて

2011-08-22 12:30:10 | Weblog
 8月16日23時池袋発気仙沼行き夜行バス「けせんライナー」に乗って出発です。
気仙沼で3日間ボランティアをやらせてもらうためです。

(果たして自分が何ができるのか、ボランティアは自己満足に過ぎないのではないかと自問自答したこの5か月間でしたが、とりあえず行ってみなければその答えは出ないと思っての個人参加です。兵庫県南部地震のときは、場所が近かったので、引越しボランティアのお手伝いをさせていただきましたが、東北は遠く、わざわざ出かけて行くのはどうかという部分でずいぶんと悩みました。)

 バスが出発して23時30分に消灯。睡眠時間だ。
 前の席の若者4人が、室内灯をつけて話す、話す、うるさい。11時45分、まだうるさい。
 堪忍袋の緒が切れた。「じゃかましい、眠たい人もいるんやで・・・・・・・・・・・」注意をした。その後は静かになったが、言った自分が興奮して眠れなくなった。

 翌朝6時に気仙沼に着く。昨晩に用意した赤飯のおにぎりを駅の待合で食べた。食べているときに若者が駅員さんに、気仙沼のボランティアセンターの道順を聞いていたので、自分も一緒に聞かせてもらう。若者は東京の高校3年生の「スズキくん」だ。聞けば夏期講習と模試の合間に1日暇ができたので参加したとのこと。すごいなあ。

 おにぎりを食べてからボランティアセンターに向かう。8時30分からの受付にはまだ早いが、なにせやることがない。ボランティアセンターに着くと、名古屋の中学校の先生の「ミナミちゃん」がひとりで本を読んでいた。聞けば一緒のバスだったとのこと。しかも今日の宿も同じだった。

 昼の弁当を購入していなかったので、ミナミちゃんに荷物を見てもらってコンビニに向かう。コンビニの帰り道で若者4人組と出会う。昨晩やかましかったチャラ男たちである。
 ボランティアセンターまでの道順がわからずに迷っていたので教えたあげた。そのときに「昨日は注意してすまなかったなあ」と、まったく思いとちがう言葉をかけた。すると・・・「スミマセンでした」4人が変わりばんこに私にあやまった。別に私にあやまってもらわなくてもよいのだが。その言葉で一気に打ち解けた。 聞けば東京の大学生であった。私と同じでなんとか力になってあげたいという思いで参加したとのこと。いい奴らだ。このやり取りがなかったら、彼らにとって私は、「口うるさい大阪弁のオッサン」しかなかったかもしれない。
(ただし、ミナミちゃん曰く「4人組よりスズキくんの方がよっぽど頼もしく見える」とのこと。・・同感です)

 
 この日は田んぼのヘドロの除去と側溝つくりを20人のボランティアと行う。ヘドロは重油混じりで、それを土とともに袋に入れる。袋が100,200と増えていくが、なかなか進まない。大変な作業を1日行った。
 
 帰ってきたセンターでチャラ男4人組に出会う。1日作業をしただけでたくましくなった感じがする。彼らにとっても財産になったはずである。

 1日の作業が終わり、今日の宿泊場所の大島に向かう船の出る港へ向かう。1時間かけてゆっくり歩いたが、港に近づくにつれて被害が顕著になる。信号は倒れたままだし、レトロな建築物は外観を残して中身をごっそりと津波が持っていった。
 船の発着場所で、からまった漁網をほどく作業をしたミナミちゃんと合流。港は満潮時間であったので、まわりの道路はすべて冠水している。地盤沈下の影響である。
 ミナミちゃんが少し海水の少ない場所を見つけたので、靴を脱ぎ裸足になり、ズボンを巻き上げて海水の中を船まで進む。その海水は透き通っていて、連日、冠水していることが推測できる。魚が泳いでいてもおかしくないと思った。
 25分の船旅で大島の港につくが、途中で、今日作業をした田んぼのあった地区が見えた。思わず手を合わせて、復興を祈った。


 

 
 
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