【 さまざまのこと 思い出す 桜かな 】
松尾芭蕉
伊賀上野( 地図 ) は
私 の 古里
毎年
桜 の ころ
.
菅原神社( 地図 )( 上野天神宮 )さま の
前 に
お店 が あります
紅梅屋さま から
さまざま桜 とぃぅ
送って頂いています
幼い頃
私 の 柳 と 思っていました
柳 が あった
上野市駅 の
産業会館( 地図 )( 昔は古い旅館でした ) の
角から
ふた筋
南 の
大和街道 を 上野天神宮さま の 方
東 を
丸の内( 地図 ) に
住んで いまして
20年程 のちに
上野紺屋町( 地図 ) に 住んでいました
福川幸勇さん と お見合い致しました
すぐ
いたのですね
その頃は
今のような 人生 を
あゆむ とは 夢にも
思っていなかったです
松尾芭蕉さま も
のでしょうか
若き
芭蕉さま は
松尾宗房さま という お名前で
藤堂良忠さま に 仕えて
ご一緒 に
俳句 を お勉強されていた
ご学友 のような 存在で
将来 は ともに発展なさると
思われていました
ところが
藤堂良忠さまは
1666年
みずから 桜のお花見 を 催され
そのあと
25才 の 若さで
友 を なくされた
22才 の
芭蕉さまは
ショック だったでしょう
なぜ って
あたま の なかで
さまざまな こと
繰り返し 思い出し
あの時 あぁ あぁ
繰り返し
このようなことが
起こりますと
人生 が かわったと
後になって お話しされる方 が
おられますけれど
芭蕉さま は
23才で
侍の道 を
すて
脱藩の罪 を
お背負い に なられ
古里 伊賀上野 を
あとにされる
決心をされ
のち に
俳諧 の 宗匠
松尾芭蕉さま として
名高い方に なられました
芭蕉さま
22年後 の 1688年 に
ご自分 の
ふるさと伊賀 に もどられたとき
ご自宅 から 100m程 の
藤堂家 の 下屋敷 で
桜 の お花見 が 行われます
かつて の 主君
藤堂良忠さま の お子様
藤堂良長さま が
ぉ父上 の 没後22年目 の
花見の宴 を 開かれ
芭蕉さま 45才 を
まねかれ
このとき 芭蕉さま は
していた
さまざまな
おもい
あらためて
受け入れる こと
22年たって
ちょっぴり
でき
そして
あらたな旅に
翌年 ご出発され
この世 に
奥の細道 を
のこされ
51才 で
お命尽きて しまわれました
生涯
若い時
身近で起こった
とつぜんの