おりょうの万葉浴

おりょうの万葉浴展・ ギャラリー香・2017年12月  

さまざまのこと思い出す桜かな

2010-04-05 | 万葉のこと/古今集・その他

【   さまざまのこと   思い出す   桜かな   】

                      松尾芭蕉
 
                 伊賀上野( 地図 )

                    私 の 古里   

                毎年               

                   の ころ  
                                    . 
     菅原神社( 地図 )( 上野天神宮 )さま の 

         前 に

          お店 が あります

                              紅梅屋さま から

                                            さまざま桜 とぃぅ

     お菓子 を  

       送って頂いています 

                   幼い頃 

                     私 の 柳 と  思っていました

            柳 が あった

     上野市駅 の 

 産業会館( 地図 )( 昔は古い旅館でした ) の 

         角から 

      ふた筋

  南 の 

     大和街道 を  上野天神宮さま の 方

                 東 を 

                  左 へ 

                     曲がる と  お店があります 
                 
    私 は

丸の内( 地図 ) に 

    住んで いまして  

            20年程 のちに 

       上野紺屋町( 地図 ) に 住んでいました

          福川幸勇さん と お見合い致しました 

       すぐ 

 ちかくに 

   いたのですね

          その頃は  

                      今のような 人生 を 

               あゆむ とは にも 

                     思っていなかったです 

  松尾芭蕉さま も 

そうだった 

   のでしょうか 

          若き 

          芭蕉さま は 

            松尾宗房さま という  お名前で

                       藤堂良忠さま に 仕えて 

                      ご一緒 に 

                         俳句 を お勉強されていた

         ご学友 のような 存在で

  将来 は ともに発展なさると 

     思われていました  

        ところが

  藤堂良忠さまは   

      1666年

               みずから 桜のお花見 を 催され

       そのあと

   25才 の 若さで  

      亡くなって しまわれたそうです

                        とつぜん


                     主君である 

                         友 を なくされた

         22才 の 

 芭蕉さまは  

    ショック  だったでしょう

                        なぜ って 

                     あたま の なかで  

                        さまざまな こと

             繰り返し  思い出し 

     あの時 あぁ あぁ 

        繰り返し

   あぁ

 さまざまな ことが

   ぐるぐる まわります

                         お若い時 

                このようなことが 

                     起こりますと

      人生 が かわったと

 後になって  お話しされる方 が 

    おられますけれど

 芭蕉さま は 

    23才で

              侍の道 を

                   すて

                       脱藩の罪 を  

                         お背負い に  なられ

   古里  伊賀上野 を 

あとにされる 

  決心をされ

             のち に

           俳諧 の 宗匠 

              松尾芭蕉さま として 

                      名高い方に なられました 

                  芭蕉さま 

                     22年後 の 1688年 に

      ご自分 の 

 お父様 の 

   33回忌 に 

               ふるさと伊賀 に もどられたとき 

              ご自宅 から 100m程 の 

                   藤堂家 の 下屋敷 で 

   桜 の お花見 が 行われます

  かつて の 主君 

       藤堂良忠さま の お子様 

                藤堂良長さま が

              ぉ父上 の 没後22年目 の 

                   花見の宴 を 開かれ

      芭蕉さま 45才 を 

          まねかれ     

              このとき 芭蕉さま は  

               この句 を 

                   詠まれた そぅです

      あのときから 

 ふたを  

   していた 

          さまざまな    

              おもい

                       あらためて

                         受け入れる こと   

               22年たって    

         ちょっぴり 

          でき        

   そして

あらたな旅に  

   翌年 ご出発され  
 
          この世 に 

                      奥の細道 を 

                        のこされ

        51才 で  

          お命尽きて しまわれました

 生涯 

   若い時

           身近で起こった

         とつぜんの 

            くるしさ を

                     お心の中

                    かかえられて   

                      生き とおされた  のですね

    生き通しの心  


          ありがとう於良


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