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【 つぬさはふ 磐余( いはれ )も過ぎず 泊瀬( はつせ )山 何時( いつ )しか越えむ 夜は更けにつつ 】
春日老( かすがのおゆ )
まだ
磐余の
村さえも
通り過ぎて
のです
泊瀬山は
いつになったら
越えられるのでしょう
夜はだんだんと
ふけてゆく
ばかりです
多武峰の歌は
歌に対して
舎人皇子さまが
藤原鎌足さまの歌
笠女郎さまが
大伴家持さまに贈られました
長皇子さまが
狩りをされた時に
柿本人麻呂さまが
小倉山の歌
桜井市
そして
歌われています歌
桜井市
倉橋の歌3首
旋頭歌( せどうか )の
万葉集巻第7・1284
談山神社さまの鎮まられます
多武峰( 御破裂山 )の歌を
続けて14首
大切な道路として
大和平野を
東西に走る
大きな道( 幅42.5m )が
横大路だったそうです
この
みちは
河内から
竹内峠をこえて
小西橋あたりまで
今の
桜井 ~ 明日香吉野線で
だったそうです
この道を
進みますと
安倍文殊院さまがあって
坂を下りますと
目の前に
倉橋山( 音羽山 )が
来るそうです
県立桜井商業高校さまの
接します道に
磐余道の
道標が
立っているそうです
また
あたたかい和の